4-2

 校内は外より暑い。菓子パンを齧りながら歩き、十分が経つ。絵空さんは何も言わない。背筋を伸ばし、規則正しく歩いている。この時の絵空さんは魔法少女の姿だ。可愛らしいというより、凛々しいと言う言葉が似合う。数々の戦いを抜けてきた魔法少女。そんな感じがする。僕は、追いかけるだけの人間だ。

 無駄のない動きは、数々の戦場を渡り歩いた兵士のようだ。思わず見惚れてしまう。そのせいで何度か転びかけた。その度に絵空さんは振り返って、大丈夫か聞いてくれた。大丈夫と返すと、少しだけ笑った。

 そうこうしないうちに、いつもの生物科室に着いてしまった。息を荒くする僕に、絵空さんは無言で紙パックを渡してくれる。

「豆乳……ほうじ茶?」

「おいしいよ」

「………………ほうじ茶?」

「うん」

 真面目な顔だったので、僕は言いたいことを飲み込んだ。数日前、ほうじ茶もあるって言ってたっけ。

 ここでいりません、なんて言ったら傷つくだろう。

 意を決して、ストローを刺した。

「ん……!?」

 おいしい。ちゃんとほうじ茶らしい味もする。だけど和風みたいな甘さがあって、豆乳のまったり感がする。後味は長引かない。もう一回飲んでみる。あ、うん、全然悪くない。っていうかおいしい!

「……ほうじ茶豆乳は普通にある」

 フルーツミックス味を飲んでいる人が言っても説得力は無い。

 不思議に思いながらパッケージを見てみた。黒糖入り、か。ああ、だから甘くて丁度良かったんだ。

「飲み終ったら、行くからな」

「はい!」

 いつもより冷静で、かっこいい絵空さんは何か決心したように見える。

 地元に帰って、何が変わったのだろうか。

 空になったパックを丸めて、ポケットの中に押し込んだ。菓子パンを包んでいたラップとぶつかって、ポケットが膨らんでいる。片方には懐中電灯があるが、いらないだろう。

「……矢神はジッとしてろ。あたしが合図するまで。いいな?」

「はい……!」

「いい返事だ」

 だけど、僕の知っている絵空さんじゃない気がした。

 無理をしている。

 魔法少女の絵空さんが、重い扉を引く。生ぬるい空気が僕らを包んだ。

 暗闇に進む絵空さんに続くと、急に扉が閉まった。振り向きそうになったけれど堪える。怖いんだ。手汗はもちろん、冷や汗が流れる。

「来たんだ」

 いつもより普通の声で、真実さんが現れる。宙には浮かず、地面に足をつけていた。それが当たり前なのに不思議に思えてしまう。

「決着をつけよう。真実」

「ふぅん」

 真実さんは冷たい目で僕を射抜く。獲物を見つけた猛獣を思わせる。

「矢神には手を出すな」

「まぁいいけど。それで、なに。決着って」

「……あたしが真実に勝てば成仏しろ」

「じゃあオイラが勝ったら?」

「あたしは負けない」

「なにそれ。不公平じゃない」

 ゲラゲラと真実さんが大笑いをする。と、絵空さんは大きく一歩を踏み出した。バット……ではなくステッキを振り上げ、真実さんの頭に叩き込む。数秒の間のことだ。僕が呆気にとられている内に絵空さんは追撃を繰り返す。右に、下から、斜め。真実さんは下劣に笑ってひしゃげる。ころん、と目玉が落ちても。ぶしゃあ、と脳みそが飛んでも。ぎきり、と腕が曲がっても。真実さんは笑う。まるで絵空さんの行動を嘲笑うように。

「うっぷ……」

 視覚的に耐えられない。幻だからニオイはしないのだろう。いや、ニオイまで再現されたら吐く。絶対吐く。僕は手で目元を覆っている。たまに、指と指の隙間から目を覗かせる。うわぁなんだあれ。

 ぬちょぬちょと嫌な音がする。すぐ近くでして、遠くでしている。脳みそがかき回されそうだ。ゴムベラでスープを混ぜるように、柔らかな脳みそを崩して捏ねて潰して。また吐気がする。目を瞑って口を抑える。

 これが現実かどうかなんて考えたくない。夢であってほしい。と、ふいにある情景が浮かび上がってきた。それは、まるで夢を見ているときのようで、 

「矢神! 考えるな!」

 何を、とは言わなかった。しかし脳裏に移るのは惨劇だ。僕が真実さんに惨殺されている。ある時は活け造りにされ、あるときは肉を抉られ、ひき肉にされていた。痛みは無い。自分の体がバラバラになっても、不思議と何も感じない。恐怖感は全くなかった。

 真実さんが非現実な存在だと、分かっているからだろうか。昔にも似たようなことを体験していたし、今更幽霊や何かが見えても、動じなくなってしまった。

「矢神!」

 絵空さんの声で、僕は現実に戻った。冷えた汗で寒気がする。僕はまた捕らわれていた。真実さんの幻想に。意識を保とうとしても、また次の幻が僕を襲う。

「どーしてあの子連れてきたワケ? 虐めてんの?」

 がくんと膝から崩れ落ちてしまった。その時、絵空さんが弾き飛ばされた。北側の窓にぶつかって、蹲っている。

 そうだった。絵空さんは「普通の人間」だ。魔法少女みたいに体は丈夫じゃない。痛いとかそういう問題ではない。

「絵空さん……!」

 音をたてず真実さんは絵空さんの顔を覗き込む。真実さんの後ろ姿を眺めていたとあり、こう、下着が、見える。

「ひっでぇな。関係のない後輩を巻き込んでさ」

「酷いのは……」

「あぁ?」

 真実さんが上半身をかがませたせいで、下着がくっきり見える。見たくないのに、目が勝手に動く。

「アンタの方だ!」

 絵空さんは拳を振り上げた。案の定真実さんの顎にのめり込む。すかさず立ちあがって、そのまま回し蹴りを喰らわせた。

「親友をボッコボコにしてよく言えるなぁ!」

 負けじと真実さんが振りかぶる。ギリギリで絵空さんが避ける。目標を失った拳は棚にぶつかった。棚は砕け、木の破片が舞う。

 これも幻なんじゃないかと思う。僕が見ている現実って、何だろう。

「っつう!?」

「のわぁ!」

 僕の体に絵空さんの体がぶつかった。そのまま押しつぶされ、僕はもがく。真実さんの足が見えた。汚れの目立つ上履き――スリッパだ。

 あの時の、一番思い出したくない出来事が蘇る。

「絵空事ユメ。復讐だよ。あんたもオイラが虐め殺す。なぁに二人でやればすぐに済むさ。安心しな、ユメ」

 薄らと人型が見える。目を凝らすと、そいつは人型じゃなかった。どろどろして大きな化け物だ。目は飛び出ているものが三つ。ちゃんとした目は一つ。口はぽっかりと空いていて、体は深緑色をしている。

「aaa…aaaaaaa」

 地響きに似た声をあげ、化け物は歩み寄る。

「久崎……!」

 苦しそうに絵空さんが唸る。どろどろ――久崎さんがどうしてここに。

「気づいてないようだからさ。話してやるよ。今まで操ってきたユメの知り合いはね、ユメに負の感情を抱いていたのだ。コイツはおもしろくってさぁ」

と、真実さんが久崎さんに腕を回す。久崎さんは立ったまま「aaa…aaaaa」と唸るばかり。

「放っておけばユメに敵意を膨らませる醜い女! もうちっと放っとけば面白かったんだけどねぇ」

「真実……てめぇ!」

「オイラはユメの願いを叶えてやってるんだよ? 感謝してよね? だって、言ってたじゃない。魔法少女になりたいってさぁ。でも今、魔法少女だよ! おまけに化け物退治して友好関係も元通りにしてる! ユメ、これが叶えたかったんでしょう。オイラをわざと傷つけて、後から助けて魔法少女気取りしようだなんて、わかってたさ」

 絵空さんが起き上がった。僕に逃げろと耳打ちをする。どろどろは真実さんから離れ迫ってくる。

「友達だと思っていたら急にハブリやがって! オイラを避けて悪口まで言って、その挙句二人になると謝りだして友達気取って、でも教室に行けば知らん顔! オイラがクソアマに蹴飛ばされても、侮辱されても傍観して! あんたは高みの見物かい? 助けを求めたって反応はしなかった、見向きすらしなかった!」

 涙と怒りで顔を歪ませながら真実さんは叫ぶ。その度に絵空さんは違うと呟く。

「違うんだ。真実」

 その一言はハッキリ聞き取れた。

 ゆっくり動きながら、背負っている長い槍を構える。先端は小さな刃があり、すぐ下にはリボンが巻かれている。柄は細く、これといった装飾は無い。

「――終わらせよう?」

 化け物を無視して跳躍し、槍を振りかざす。先端は真実さんに突き刺さった。

「え……?」

 にぃ、と真実さんが嗤う。瞬間、目の前が真っ白に包まれた。



***



 去年のことだ。あたしは親友の真実と同じ高校に受かって、同じクラスメイトになれた。他の中学出身の生徒はいない。あたし達を知るのはお互いだけ。なんだか特別な気分になれた。

 通う高校が悪名高いことは知っていた。分かっていて、そこに行く事にした。理由は簡単、同じ中学に通っていた人と関わりたくないから。あと一つとしては部活関係。あたしは剣道、真実は弓道をやっていた。その高校、サカトーは剣道弓道あと柔道に力を入れている。

 違う部活同士だけど、二人でやっていこう、と約束をしていた。

 だけど違った。あたしは髪を整え、コンプレックスだったニキビ肌を隠した。少しだけオシャレをすると女子が集まり、気が付けばトモダチになった。彼女らは真実と違いオシャレ好きだった。あたしとしては、迷惑だった。だってオシャレとか、全く好きではなかった。けど、トモダチは親しくて、色んなことを教えてくれた。度を行きすぎない程度に化粧とか、最近の流行とか、とにかく沢山。いつしかあたしは女子として目覚めていた。もちろん、フェアリズムは好きでいたし、オシャレにも取り込んでいた。

 気が付けば、あたしは彼女らの仲間になっていた。

結果、真実と距離は離れてしまった。いや、あたしが距離をとっていたせいだ。地味で引っ込み思案な彼女をいることが、恥ずかしかった。

「真実。その、ごめん」

 でも真実は無理をしながら笑ってくれた。

「いいんだよ、ユメ」

 この時、もっと彼女の傍にいられたら、彼女を可愛くしてあげられたら、あんなことにはならなかったはずだ。悔やんでも悔やみきれない。だって、真実はあたしより可愛い。目は丸くて、頬はすべすべで柔らかい。唇だってツヤツヤだ。それにスタイルもいい。だけど真実は、オイラには似合わないの一点張り。

 その頑固さが、更にあたしを苛立たせていた。

 この頃のサカトーは治安が悪く、ほとんどが不良だった。今みたいにオタクから不良まで仲良くなんてありえない。そんなとこに地味とかイケてない子がいれば、いじめの標的になる。標的は真実に向けられた。あたしは見ているだけだった。下手に口を挟んで、痛い目に遭いたくなかった。

いつしか真実はあたしを恨むようになった。近づこうとすれば離れてしまう。謝りたくても謝りきれず、言葉を交わすことは無くなった。

そして、例の日。真実は生物科室にあたしを呼んだ。不安に思いながら行くと、そこには、首を吊った彼女がいて――

「……どうしてこんなことになったんだろう。あたしが悪いって分かってたのに」

 真実をいじめていた主犯は、あたしを気に入っていたトモダチだった。けどあたしは彼女を恨むことなど出来ず、引きこもるようになった。『親友がいじめられているにも関わらず助けなかった卑怯者』のレッテルを張られ、陰で噂も聞いていた。あたしはオシャレをやめた。不良を恨んだ。あたし自身を憎んだ。

 剣道を捨て、あたしは数か月間で人格矯正を試みた。冷静で、果敢で、誰にでも立ち向かえるよう自分を鍛えた。

サカトーに戻ったのは春休みの前。あたしは、いじめる奴らを「矯正」した。もう二度と真実のような悲劇を生ませない。その一心だった。次第に不良もあたしに目を付けた。どうにか返り討ちにし、上級生に喧嘩を売った。さすがに怪我をしたし、大惨事となった。事情をしった教師共は、あたしを留年させ、いじめっ子らは退学。

 結果はすぐ学園中に知れ渡った。するとどうだろう、不良たちは血相を変えてあたしを尊敬した。喧嘩が強いからとか立ち振る舞いがカッコイイとか、どうでもいい理由だった。不良らはあたしを崇拝しだす。あたしは、大嫌いな不良のドンになっていた。

 嬉しくなかった。こんな風になっても真実は戻ってこない。

 せめてものと思い、あたしは彼らに規則を与えた。

『いじめ行為は厳禁。他人に迷惑はかけない』

 面白い事に不良らは規則を守った。そうして今の「平和なサカトー」がある。

 でもあたしは幸せだと感じない。大切だった親友を、この手で無くしてしまったから。

「真実……」

 過去を振り返るのを止め、手元を見る。先ほど真実に叩きつけた竹刀が見当たらない。当てた衝撃でどこかに飛んだろう。そして、矢神。彼は寸でのところで助けた。けど気を失っている。

「ユメ、じゃあどうしてオイラに謝らなかったんだい?」

 ハッとなり顔を上げる。黒い靄に包まれている真実がいた。久崎は奇怪な動きをして、手を振るっている。涎が口から垂れ、白目を剥いていた。

「さて、ユメ。こっからはオイラの反撃だよ」

 どん、と久崎を突き飛ばして真実は一歩進み出た。久崎は力なく倒れ、恨めしそうにあたしを見つめる。

 真実は左腕を前に伸ばし、空気を掴んだ。右手で何かを引いて、自分の方に寄せる。その様は、弓を撃つようであった。彼女から放出された靄が形を作る。あたしが立ち竦んでいる内に、立派な弓と矢が出来あがった。弓に装飾は無く、禍々しい雰囲気が溢れている。矢は先端がドス黒い。

「ここでオイラがユメを殺せば、ユメは行方不明ってことになる」

 ヒュン! と、矢がはじけた。矢神を机の下に放って、しゃがんで矢を避ける。と、真実はもう一発放とうとしていた。遠くで「aaa…aa」といううめき声がする。久崎の声だ。早く彼女を助けないと。

でも、逃げるしかない。真実が忌々しそうに舌打ちをした。ゆらゆらと矢の先を動かしては放つ。だけどあたしには当たらない――いや、当てられないようちょこまか動く。机の裏に隠れ、竹刀を探した。あの竹刀は実家から持ってきたものだ。中学の時愛用していた物である。あの頃は真実にスペアを持たせ、ちゃんばらなんかやってたっけ。

「って……考えてる場合じゃ、ないね」

 真実の両親はあたしを心配していた。留年して不良たちの仲間になったことを、特に。けど、こうなったのは自分のせいだ。留年したのはあたしの心が弱く学園に行けなかったから。不良の仲間になって頂点にいるのは、真実のような子をもう見たくないから。

「どこに行ったのユメぇ」

 真実があたしを呼んだ。舌打ちをしたくなったが堪える。武器が無い今、あたしは逃げるしかない。

 どす黒い矢があたし目がけ飛んでくる。それをギリギリで避けた。竹刀はまだ見つからない。汗が鬱陶しい。髪が肌に張り付いて気持ちが悪い。ああ、久崎がまだ呻いている。

左方から叫び声がした。確か、矢はそっちに飛んだ。

 ドッと出てきた冷や汗を拭いながら、彼の方に走る。


***

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