現実と夢
4-1
***六月九日 雨***
寮を出た理由はある。もちろん、校長の認可は取ってあるので、怒られはしない。勝手に抜け出すなんてしたら、それこそ大騒ぎだ。あたしは誰かを振り回すようなことはしたくない。
「矢神……」
そのくせ矢神を振り回している。
こつん、と窓に頭をくっつけた。流れゆく田園風景が目に沁みる。小雨が窓に張り付くので、風景は少し見にくい。がたん、がたん、と列車が揺らぐ。その度に頭はふらふらと揺れる。視界も揺らぐ。
今はお昼前とあって、車内にいる人は少ない。乗客は子連れのお母さん、おばあさんやおじいさんぐらいだ。
私服姿で、大きめのカバンを持っているあたしは、他人から見たらどう映るのだろうか。
『次は――緒河、緒河です』
前方に大きな巨大駐車場が見える。あたしが下りる駅は終点だ。しかしこの路線、そこまで長くない。だけどこの駅からあと何駅あるだろう。考えたが、止めた。頭が回らない。
ゆっくりと列車は止まる。ドアが開いて、ママさんオバサンらが降りる。子供たちのはしゃぐ声が耳に響いた。交代で乗ってきたのは奥様たちだ。にこやかな笑顔で、談笑の続きを再開している。
『ドアが閉まります――』
がたん、と車内が動く。味気ない緒川駅のホームが遠ざかる。しばらくするとショッピングモールが姿を現した。平日の、しかも雨なのに行き交う車は多かった。少しすると、再び田んぼが広がった。緑色が気持ちよさそうにたなびいている。
……眠たい。そういえば、列車や電車で眠たくなるのは理由があると聞いた。不規則な揺れと、あとは、なんだったっけ。瞼が下りてゆく。綺麗な風景は幕を閉ざした。
『次は――――です――お降りのお客様は――一車両目にある――』
ハッと目が覚めた。ここはどこだと左右を確認した。列車は動いている。左に見えるのは――川で、右には川の続きと小さなお店がある。焼肉屋さんに、閉店してしまったコンビニ――今は美容院、お蕎麦屋さんと重機関係の建物だ。
「もうすぐ、か」
目元を擦りそうになり、手を止めた。いけない、今日はアイメイクしているから擦ったら大変だ。ショルダーバッグから切符を取りだした。
ゆっくり、ゆっくりと列車は速度を落とす。
「真実……」
明日はあたしにとって特別な日である。特別、と聞けば嬉しい事とか浮かぶだろう。でも、嬉しい事とかそんなものじゃない。悲しい事があった日だ。
真実の、命日。その日真実は死んだ。あたしを恨みながら。
矢神に教えてあげようと思っていた。だけど言いにくい。言えない。あの子をこれ以上巻き込んではいけない気がした。
駅まで、あともう少しだ。
***
六月十日 晴れ
僕にとってこの日は特別だ。なぜなら僕の誕生日だから。祝ってくれる人は少ないけど。それでも、少し大人になった気分だ。
だけど、と思いとどまる。僕は昨日の僕より進歩したのだろうか。一昨日より、一週間前より。考える度、へこたれてしまう。だけど、去年……いや絵空さんや道久に会う頃に比べたら成長した。
そういえば絵空さんは、どこに行ったのだろう。実家だと聞いたけれど。一体何をしに?
「おーい矢神」
「あ、道久……」
ぼうっとしていた僕を、道久が小突く。僕が気づくなり道久はニヤリと笑って、教室の扉を指した。
「成瀬!」
椅子を戻さず駆けだした。成瀬は相変わらず冷静で、それでいて寛容さがある。不思議と頼りたくなってしまう存在だ。実際、よく頼っていたけれど。
「情報を掴んだ」
「それってどんな?」
「まぁ落ち着け。先にこれを」
差し出された袋は小さい。中身が分からないぐらい濃い青色をしていて、下部にアンテナマークのイラストが描かれている。有名なアニメ系ショップの袋だ。
成瀬に目を合わせた。こくん、と頷かれる。受け取ってみると重かった。中身を見ようとするも、制される。帰ってからのお楽しみだろうか。僕は頷き返し、袋を大事に抱える。
「もしかして誕生日の?」
「それもあるし、普段の礼だ。それで話と言うのは……」
周りをきにしているのか、成瀬は周囲を注意深く眺める。他人に聞かれたくない話だろう。
「じゃあ今日のお昼。いいかな」
「……矢神がいいなら」
成瀬を見送って、席に戻った。なぜか道久がニヤついている。不穏に思うも袋をカバンに詰め込んだ。中身が気になってしょうがない。
「話があるって」
「俺もいいか?」
「もちろん」
僕の知らない間に、道久と成瀬は話すようになっていた。そろどころか、三人で話す事もある。成瀬が別クラスなのが悔やまれる。二年生は同じクラスになれたらなぁ。
と、チャイムが鳴った。道久は「じゃ」と言って片手を上げる。
僕も手を振って見送る。次の授業は古典だ。
***
地元は晴れていた。時間的に、今は一時限目だろう。
両親は相変わらずで、飼っているハムスターは元気そうだった。ただ、ちっともあたしに懐かない。おいで、と声をかけたら無視された。そんなところも愛らしいけど。
もう少し戯れていたいが、大切な用がある。
「一周忌かぁ」
あたしは真実の家に行って、挨拶と線香をあげにいくだけ。食事会に誘われているが断った。真実のご両親は、真実の自殺の原因があたしだと知らないし、行く気になれない。早い所サカトーに戻りたいし。
「行ってらっしゃい」
玄関で靴を履くあたしに、母が声をかけてくれた。最後に会ったのは正月だっただろうか。その時に比べ、少し白髪が目立つ。
あたしが見ないうちに老いている。もう少しだけここに居たい。
でも、
「うん」
ローファーを踏みならし、肩掛けカバンを手に持つ。数歩進んでボロッちい玄関の扉を開け放つ。目の前に広がるのは、少し広い駐車場と、雑草が目立つ庭。いつまでも変わらない光景だ。
「……ケリをつけないとな」
あたしの呟きは、ばたん、という扉のしまる音にかき消された。
***
お昼時。僕は道久を連れて成瀬と合流した。三人で、しかも校内のベンチでご飯とは新鮮な気分だった。しかし浮かれているのは少しの間だった。
「今日が……真実さんの命日?」
成瀬はゆっくり頷いて肯定した。微風が僕の頬を叩く。食べかけのパンが傾いた。
「なんつーか……なぁ」
「まさか僕の誕生日に被るなんて……」
意外、と現した方がいいのだろうか。僕としてはショックだ。誕生日を迎えて細やかにだが楽しんでいたとき、真実さんは苦しんでいた。
「それで、絵空ユメは親友の一周忌に行っている」
成瀬は拳骨サイズのおにぎりを齧る。丁寧にも三十回噛んでから飲み込んで、口を開いた。おにぎりの具は鮭だろう、それっぽいのが見えた。
「あくまで、噂だ」
例え噂でも、成瀬が持ってくる内容は当たる。当たらないことは無い。
「おそらく、今日の夕方には帰るだろう」
「え?」
一周忌に参加はしたことがない僕だが、故人を想い、楽しく食事でもすると思ったのに。
「そもそも、どうして真実を追い込んだ絵空が一周忌に行くんだ?」
不穏な顔つきで道久が疑問を投げる。そして、じゅごごごごご、と紙パック飲料を飲み干した。
ふと、ある嫌な考えが浮かんだ。
「もしかしてさ。真実さんは自殺の原因を誰にも話してない、のかな」
二人は目をぱちくりさせた。……僕の言っていることがおかしすぎたのかな。
「知り合い曰く、疲れたから自殺した、と聞いた」
道久は顔を顰める。紙パックをくしゃくしゃにしてビニール袋に詰め込んだ。
「それって、けっこう酷いよね……真実さんの両親はさ、絵空さんを娘の親友だから迎え入れてるんでしょ。でも絵空さんは真実さんの事を……自殺させたと思っている」
僕なら耐えられない。罪悪感で潰れてしまうだろう。例え勘違いであったとしても、亡くしたことには変わりがない。もし僕だったら、仏壇の前で泣き崩れてしまうだろう。懺悔をするように、全て吐いてしまうに違いない。
でも絵空さんなら?
大好きな魔法少女にさせられながら、仲間を遠回しに助け、化けて出てきた親友と戦っている、あの絵空さんなら。
「……矢神、あまり考え込むな。あの時のように」
「あの時?」
道久が話に食い付くも、すぐ黙り込んだ。僕も、そのあの時に関しては思い出したくない。傷口を抉る事はしたくないし。けど、いずれ道久には話しておくべきことだろう。もちろん、絵空さんにも。
「帰るのは夕方かぁ」
「あくまで予想だ。気休め程度に思っておく方が良い」
「そう、だね」
じゃあ今晩。今晩には絵空さんに会えるかもしれない。きっと夜のサカトーに行くだろう。そのとき僕もついて行かなくちゃ。
しかし予想は僕を裏切った。絵空さんは夜の九時になっても帰ってこない。二宮さんと連絡をするも、変わったことは無い。
宿題も終わったし、暇にしていた。新たな連絡が無いかケータイを開いた途端、
「うわっ!?」
急に着信が入った。慌てて通話を開始する。かかってきた相手は、絵空さんだった。
「も、もしも」
『矢神。サカトーに来い。昇降口で待ってろ』
「え。ちょっと待――」
あっという間だった。通話時間十七秒の数字が現実味を帯びている。手汗が噴き出て、ケータイが滑る。
あまりの早口であったが、絵空さんは昇降口に来いと言っていた。手を拭いて、寝間着からジャージに着替える。あとは何が必要か。考えた結果、懐中電灯と小さな菓子パン、ケータイにした。それらをポケットに詰め込んで、駆け足で寮を出る。途中、男子が僕の事を不思議そうに見ていた。だけどすぐ雑談に戻る。
外は蒸し暑い。でも晴れている。走って数秒すると頭痛と眩暈が僕を襲う。思いきり揺さぶられているみたいで、立ち止まりそうになった。吐きそうにもなった。だけど、昇降口に、行かなきゃ。
だが残念なことに僕の体力はあまりない。その場で座り込んでしまった。頭痛は激しくなる。喉がきゅうと締め付けられる。もう立てられない。でも、でも這い蹲ってでも進まないと。僕は地面に手を伸ばした。暗転しそうな視界の中、前か後ろも分からない状況で手を動かす。
何かを掴んだ。僕の手に納まりきらない。力強く握ると、振りほどかれた。宙に舞った僕の手は地に着く。それでも天に伸ばした。
「……遅いと思ったら」
手を、頭を掴まれる。瞬時に頭痛やらなんやらが無くなった。
「絵空さん!」
目の前にいるのは私服姿の絵空さんだ。傍らにはバットがある。野球部から拝借したのだろうか。そして、何かを背負っている。暗くてよく見えない。
「行くぞ」
それだけ言い放ち、絵空さんは背中を向けた。
「……竹刀?」
剣道でよく見る竹刀が、絵空さんの髪で見え隠れしている。第二の武器だろうか。
とにかく僕は絵空さんを追いかけた。
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