3-5
少し不安だったけれど、僕は一人で探索をする。そのことは道久には何も伝えていない。と、いうことを後から思い出して、少し後悔した。でも夜中の十一時だ。こんな遅くに用はないだろうし、一応ケータイは持ってきている。元々は離れたところにいる絵空さんと連絡を取る為、なんだけど。
『大丈夫か?』
『問題ありません』
絵空さんとメールのやり取りをしながら進む。暗い廊下に教室は、やっぱり怖い。蒸し暑い空気が頬に、喉に焼きつく。汗をぬぐって階段を上った。ここは特別教室棟の……二階だ。
まだ探索してから三十分しか経っていない。なのにシャツは汗を吸って重いし、少し怠い。飲み物を持って来ればよかった。
「静かだなぁ……」
今日は非常に静かだ。雨は降っていない。
だからこそ、余計に緊張する。急に化け物(本当は舎弟さん)が出てきたら怖い。
モヤモヤしつつ廊下を渡り切った。異変は無い。立ち止まって、三階へ続く階段を見上げた。踊り場にある窓ガラスに、三日月が浮かんでいる。
「行かないと」
その前にメールで『東側から三階に行きます』と送った。絵空さんはすぐに返事をしてくれて、反対側の踊り場で待機してくれるとのこと。
何事もなく三階に着いたらいいのに。
「こういうの、フラグを立てるっていうのかな」
自嘲気味に笑ってみた。こうもしていないと、恐怖でどうにかなってしまいそう。いつどこから化け物がやって来るか、分からない。そして対抗する術は無い。ある意味絶望的な状況である。しかしそれは僕が望んだ状況である。
「ほんと、バカだなぁ」
元気づけるよう言ってみた。どうか三階へ着きますように。って、何を考えているのだろう。着くに決まっている。そう、この先にはトイレと視聴覚室がある。そうに違いない。
だけど考えれば考えるほど、嫌な予感しかしない。
「……ほらね」
妙だと思っていた。僕が登っていた階段は「多かった」のだ。
よくある学校七不思議で階段の段数がーって聞いたことはある。だけど、これは度を越えている。
僕は全く進んでいないのだ、ここの階段から。上は暗くって何も見えない。後ろは……すぐそこに踊り場が見える。
「あー……もぅ」
何が起きるか分からないんだ。だって、ここは真実さんの力でおかしくなっている。絵空さんが魔法少女に見えたり、舎弟さんが化け物に見えたり。こんなことが起きても、全くおかしいわけじゃなかった。
「お久しぶり、カナ?」
不協和音が耳を叩く。顔をあげると、暗闇の前で真実さんが浮いていた。
「どうしたの、こんなところで。迷っちゃった?」
遠くにいるはずなのに、声はすぐ近くで聞こえる。
「まーこうでもしないとお話は出来なさそうだし」
真実さんは遠ざかる。僕は彼女を追いかけた。と、視界が変わる。
生物科室の前だ。
頭が回らない。さっきまで階段にいたよね、じゃあなんでこんな所に、僕は?
……きっと幻を見ていたんだ。真実さんは僕を惑わしている。
何の為に……?
「ふぅん。まだ正気でいられるんだ。フツーのやつは発狂するのに」
目の前に現れた真実さんは、生物科室の扉を蹴っ飛ばした。常人には出来ないし現実では有りえないことだ。僕は、唾を飲み込む。
「入って」
彼女の声は、まるで友達を自分の部屋に招き入れるようで、楽しげだった。
だけど目は死んでいる。光が無い。
真実さんは「早く」と急かす。
入っていいのだろうか。相手は真実さんだ。幻惑を見せている相手だぞ。そんな人について行っていいの? でも、僕は、真実さんに会いに来たんだ。
どうしようと迷い、ケータイを取りだした。
「……あれ?」
電源がついていない。必死になってボタンを押すが、反応は無い。手汗でケータイが滑る。くすくすと真実さんは笑う。僕を嘲り笑っているようだ。
「無駄だよ」
風を感じた。生ぬるい、風だ。ケータイから視界をあげると、目の前に真実さんがいた。一瞬で僕に接近しただろう彼女は口角を上げる。綺麗な、歯並びだ。
僕の真後ろで物音がした。扉を、閉めるような。大きな音。
「そもそもさ、君は何を見ているんだい。初めっから、きみは、ここにいたんだよ」
薄暗闇に見えるのは、六つの長机だ。左側にはカーテンと棚がある。右にあるのは大きめの机と、蛇口。そして黒板。鼻をつく臭いは独特のニオイだ。
ここは、生物科室……?
「まさかだけど、絵空事を信用してる?」
上から下から声がする。怖くなって出入口の扉にしがみついた。
「オイラはアイツみたいに嘘つきじゃないし、もういい。何もしない。今だけは」
恐る恐る顔を上げた。暗がりにぼんやりと人型が浮かんでいる。淡い光だ。怖くはない。綺麗だ。触れたら消えてしまいそうで、儚い。
人型は笑ってみせた。
「いやぁまさかオイラもこーなるとは思ってなかったよ? うん。気づいたら自分の葬式で、体焼かれて骨になって、大泣きする親見ちゃったし。胸糞悪いわ……で、君。なんてゆーの。名前。教えて」
今更聞くんだ。口を開けた。からっからに乾いている。舌は上手く動くだろうか。
「僕、は……矢神楓、です」
「ふぅん。じゃあカエデ。忠告だ。絵空事ユメは信用するな」
「そ、そんな、なにを……」
「お前は女に騙されたこと……無さそうだな。いいか、覚えてろ。女は記憶を捏造する。自分の都合のいいように。オイラは、覚えてる。アイツがしてきたこと、全部!」
人型――真実さんが揺らめいた。悔しそうに地団太を踏んでいる。窓がばりんと割れる。破片は外に飛んでゆく。
正直僕は真実さんを信じきれない。幽霊とか、そういう時点で信じるとか出来ないし。そもそも幻惑っていう嘘をみせているのに何を言っているんだ。でも、今は信用したフリをしないと。何をされたものか分かっちゃいないんだ。
深呼吸のしすぎで、ちょっとだけ気持ちが悪い。
「……オイラは絵空事を復讐する。いや、している。アイツを苦しめ、殺してやる」
一瞬だけ、真実さんが目を見開いた。だけど僕が瞬きをしたときに、消えてしまった。
全身汗だくの僕は、素直に帰りたいと思った。気持ち悪い、着替えたい。背後のドアノブを掴んで、回してみた。ガチャリ、と音がする。
「開いた、の?」
「って……矢神か」
開けたのは絵空さんだった。魔法少女の姿で、僕の腕を握った。
「真実は?」
「さっきまでいたんですが……」
真実さんの言葉が脳内で反響する。絵空事を信用するな、と。
「……ここで」
「はい?」
「生物科室で真実は自殺した」
「うぇ……!?」
だから生物科室に出てくるのだろうか。今はあまり聞きたくない言葉だ。真実さんが亡くなったところにいる、なんて。
「珍しいね。嘘つかないなんて」
その声は脳内に響いた。顔を上げても暗闇しかない。前も後ろにもいなかった。
僕の死角、絵空さんの横に真実さんはいた。
「真実!」
「やめてくれないかなぁそうやって親友ぶるのは」
耳の穴に指を突っ込んで、真実さんは笑う。それでも絵空さんは引き下がらない。
僕は立ったままで、何も喋らない。いや喋れない。
「滑稽だよ。その恰好は。好きだったもんね、フェアリズム。でもやっていることは自分の友達を殴ってるだけじゃない」
「でも、操っているのは真実じゃ――」
「操る? バカじゃないの。オイラはストレス発散させてあげてるのに」
そう言うなり、くるくる回りだした。
舎弟さんたちは、確かガラスを壊したり荒らしたりしていると聞いた。それが、ストレス発散なのだろうか。
「どれもこれも、アンタのせいだけどね」
「……そんな、わけ!」
「あるんだよ! みぃーんなお前を頼って傷ついてんだ。それで、矯正? ばっかみたい! そう思うだろ、カエデ」
急に話を振られた。え、え、あ、しか言えない。真実さんは楽しそうに口角を上げだした。
「ぼ、僕はそんなこと」
「思ってないよなぁ。だって今のカエデはユメのオトモダチだし、すっかり信用しきってるもん。もしかしたら……いや、いいや」
笑ったと思えば怒り、悲しんでいる。この人は、真実さんはおかしい。何が彼女をこうしてしまったんだ。と、僕は絵空さんの顔を覗き込む。顔が、引きつっている。目は見開いていて、口は少し空いていた。汗がしずくになっては落ちている。
「絵空、さん?」
声をかけても反応はない。
「違う……あたしは……」
「ちがわねぇーよ」
空中で踊っていた真実さんが下りてきた。まず僕を視た。鋭い目つきで、心臓が凍りかける。が、すぐに逸らした。
「思い出せよ、ユメ。あんたは何をした? オイラに何をした? 本当のことを思い出せよ」
「本当のこと……?」
ちくり、と胸が痛んだ。真実さんは横目で僕を射抜き、背中に手を回す。
「女ってゆーのは、記憶を捏造するんだ。都合のいいように!」
「……あたしは、あたしは、違う。真実、あたしは!」
かっこいいはずの絵空さんが崩壊する。衣装のリボンが何個か消えた。
「ユメはオイラを助けたとか思ってるだろうがな、これっぽっちも有難いと思ったことはないね! オイラ下げ自分上げで周囲からの評判買った挙句、使えなくなったらハイさようなら! 都合がいいのにも程がある!」
「あたしはあなたを助けたかったの!」
「茶番は程々にしたらどう。自分の事、誰かを助ける魔法少女だと思ってたんだろう? だけどな、そんなもん、押し付けがましいもんなんだよ!」
悲痛な叫びだった。
もし、もしも真実さんの言う事が正しかったら。絵空さんが言っていた「真実をイジメから庇った」は嘘になるの?
絵空さんは、僕の隣で泣きながら否定をし続けている。バットを握りしめながら。
ただの思い違い。そんな言葉が浮かんだ。
「一生苦しめ! その恰好で、自分の仲間を殴り、痛みつけ、後悔しろ。そして思い出せ。オイラにしてきたこと、本当のことをな」
真実さんは強く言い放つと、消えてしまった。待って、と声をかけたかった。でも出来ない。絵空さんが気になる。不良の頂点に立っている、冷静で、かっこよくて、頭はいいし、仲間思いの絵空さんが……
「真実……」
髪と顔をくしゃくしゃにして泣いている。もう一度真実さんの名前を呼ぶと、黙ってしまった。さて僕はどうするべきだ? 慰めればいいの? 二人の間柄をそんなに知らないのに? 声をかけてもいいのだろうか。かけてしまって拒絶されるのは、イヤだ。けど傷ついた絵空さんを見るのは、もっとイヤだ。
「…………本当の、こと……」
「あ、あの絵空さ」
「……帰ろう」
「絵空さ、ん?」
「……帰れば、また来られるから。帰ろう」
生気を抜かれたような顔で、絵空さんは呟いた。ジャージには涙が滲みている。
胸が痛い。結局僕は手を差し伸べる事も、助けの言葉も出せなかった。
月曜日、絵空さんは寮を出た。
メールをしても返事をしない。電話もつながらない。
昨日の日曜日、誰とも話さなかったらしい。月曜日にふらっといなくなったという。二宮さんが教えてくれたのだ。それを知ったのは今日、火曜日のことだ。
寮のオバチャン曰く、実家に帰ったという。先生たちは何も話してくれない。
「……辞めちゃうのかな」
「そんなわけないだろ? だって部下っつーか、バカみたいな数の親衛隊がいるし、そもそもそういうことする人じゃあないだろ」
道久は勇気づけてくれた。少しだけ心が和らぐも、スッキリしない。
廊下の窓に頭をつけた。ひんやりする。雨の音が心地いい。
そういえば、梅雨が本格的になった。毎日のように降る雨のせいで、地面はぐちゃぐちゃだ。
「まー、その、なんだ。気になるのは分かるが……」
「……僕だって、どうにかしたいよ。だけど、もう引き戻せないんだ。気になるんだよ。絵空さんのこととか」
「一回やりはじめた推理ゲームが止められない、みたいな感じか?」
「多分。そんな感じ」
少し投げやりな返事をしても、道久は笑ってくれた。
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