3-4
*六月七日 晴れ*
月が変わってもう七日。つまり六月に入ってもう一週間。絵空さんと関わったのが数日前だとは思えない。
今日は休み。いつもより遅く――八時半に起きた。食堂は九時半までだ。慌てて着替え、目ヤニを拭う。洗面所に行って顔を洗わないと。廊下に出ると道久がやってきて、転びそうになった。
「……大丈夫か?」
「う、うん、今から顔洗いに行こうかなって」
「そうか。どうせ起きてないだろうから起こしに来たが……まぁ行って来い。待ってる」
とん、と背中を押された。道久に手を振って、洗面所まで走る。人はいなかった。五つある洗面器のうち一つを使って、顔を洗い。一息ついた。
よく眠れたおかげで眠気は無い。肌もそこそこ良い具合だし、変な所は無い。
自室に戻って道久と合流し、ご飯を食べ、この後何をしようか話し合った。
道久は成瀬と出かけるらしい。僕は宿題がしたいので、遊びの誘いを断った。
そうして、一人になった。伸びをして放ったままのケータイを開いた。珍しくメールが入っている。開くと、どこかで見たアドレスが出てきた。
『夜分遅くに済まない
あたしは元気だ、問題は無い』
「………………あ!」
絵空さんにメールをしたことを忘れていた。サァッと背筋が寒くなる。メールの続きには『明日、暇だったら話がしたい』とあった。
僕は慌ててメールを打ち、見直さず送信した。
心臓がバクバク鳴っている。勝手に心配して、それを忘れたなんて凄く申し訳ない。泣きたくなって、その場で寝っ転がる。フローリングはひんやりして、僕の頬を冷やす。
立ち直る前にケータイは光った。絵空さんの返信……って、早っ!
『誤字が多いな、少しは落ち着け
じゃあ十一時前にいつもの校舎付近で』
怒ってはいなかった。ホッと安心する。
今は十時を過ぎている。まだ時間があるし、ちょっと準備をしないと。
どこかに行くって言っていたし、お金を持っていかないと。
あと、いちごロールを忘れないようにしなくちゃ。
***
話さないといけない。そう決心したあたしは、矢神を呼びだすことにした。なに、別に変な事じゃないだろう。喫茶店で話をするだけだ。
などと言い聞かせるも戸惑ってしまう。言ってしまったら、何かが変わってしまう気がして。
休日しか着ない私服を引っ張り出して、適当に選んで着る。
不良にしては地味な格好だと思う。流行とかメイクも分からないあたしだが、最低限の着こなしは出来ているつもりだ。
鏡に映るあたしはやつれていた。ニキビ跡をクリームとファンデーションで隠して、チークで頬を叩く。目は……いいや。
カバンも適当に選び、そこにケータイとハンカチ、財布を突っ込んだ。あと筆記具とその他。持ち物はこれでいいだろう。
時間は、まだある。
「……お腹すいたな」
ご飯は食べたのに腹が減る。そういえば矢神はいちごロールを持ってくる。
「甘い物、か」
自然と微笑んでしまった。なんでだろう。
***
待ち合わせ場には、誰もいなかった。鳥の囀りと車の音しかしない。私服姿で少しうろついて、元の場所に戻る。と、そこに絵空さんらしき人物がいた。
真っ白なブラウスと、タータンチェックのロングスカート。足は見えてもほんの少し。靴はぺたんこの、確か、パンプスだっけ。
ザ・清楚。そんな言葉が浮かぶ。い
絵空さん(だと思う)に近づいて声をかけようとした。
「……行くか?」
ああ、やっぱり絵空さんだ。ホッとして「はい」と返事をした。
「あ! あの、パンですが」
「帰りでいいか?」
「……ええ、大丈夫です。多分」
すたすたと絵空さんは歩く。僕は懸命に後を追う。まるで親鳥に付いて行く雛のようだ。
「自転車、あるよな?」
「はい、一応」
「使うぞ」
「って、どこまで行くんですか?」
「や。近くの喫茶店。まだモーニング食べられるし」
意外とちゃっかりしてるなぁと思いつつ、僕は一旦絵空さんと別れる。遠出する為に置いてある自転車を持ってきて、僕らは喫茶店に行く。
五分ぐらいで着き、窓際の席に座る。店内はサカトーの学生っぽい人、おばちゃま達、新聞に目を通すおじさまがいる。
「本当は寮で話したかったが、難しいだろう。色々と」
言いたいことは分かる。男が女子の寮に行くなんて、不純というかなんというか、よろしくないイメージがある。絵空さんは僕の考えを見透かしていたんだろうか。とりあえず、僕はアイスココアを注文することにした。絵空さんはブレンドコーヒーとサンドイッチを頼んだ。
モーニングセットはパンとゆで卵がついてくる。絵空さんはサンドイッチに加えそれらを食べるのだろうか。とんでもない胃袋の持ち主だ。
「……じゃあ、改めて話す」
そう言ってペンとルーズリーフを机に出した。
「まず今回の騒動。あたしの舎弟達が毎晩のように校舎で暴れている。もちろんだが、彼等に悪気は無いし、無意識でやっている。で、あたしが舎弟を止めるために制裁を入れに行っている。……分かるか?」
「は、はい」
「制裁するあたしは、傍から魔法少女に見えているし、その他もろもろおかしなものが見えると聞いた」
丁寧な字と図形が、メモに書かれる。そんな時店員さんが来て、飲み物を出してくれた。
絵空さんは話を中断して、どうも、と会釈する。
「……それで、だ。全ての原因には真実がいる。矢神、見ただろう?」
思い出したくないけれど、真実さんを脳内に浮かべる。
「舎弟らは真実の事を言っていた。この間まであたしは真実を見ていなかったから、本当だと信じられなかったが……」
珈琲にミルクを注いで、絵空さんは僕を見る。
「何度も言っているが真実はあたしの親友で、ちょっとした勘違いで自殺した。彼女はあたしを恨んでいる。どうにかして真実を止めたい」
「その為に、僕は必要……なんですね」
ココアはこれでもかと甘い。脳が冴えてくる。
「あたしの声は、真実に届かない」
か細い声に心が痛む。コーヒーを飲んでいる姿は、どこかのお嬢さんって感じがする。
「えっと、真実さんですが……」
「アイツもあたしも、魔法少女に憧れていた。フェアリズム、知ってるだろ。好きだった」
心が弾みそうになった。身を乗り出しかけてしまう。少しして、また店員さんが来た。モーニングのパンとゆで卵のセットが二つに、絵空さんのサンドイッチだ。会計レシートを伏せて、店員さんは一礼し持ち場に戻った。
「……どうしたら止めることが出来るんでしょうか」
「決まってる。真実を打ちのめす」
あっさり言い放ったよこの人……!
大事な親友ならば、傷つけたくないのだろうか。困惑しながら、パンを齧る。カリカリでふわふわの触感がする。ほんのりバターの味がした。
「そうじゃないと駄目だ。話なんて出来ないって、分かっているだろう」
絵空さんは備えつけの塩を振って、ゆで卵をかじる。
「もしかしなくとも、真実は君を気に入っている」
「なんでわかるんですか、そんなこと。あ、ゆで卵食べますか?」
「なんとなく、そんな気がする。……いらないなら貰うぞ」
二口で玉子を食べ、僕の分を持って行った。お礼に、とサンドイッチを一つ渡してきた。
「じゃあ今夜、試してみませんか。真実さんが僕に興味があるのかどうか」
「危険だ。アイツは何をしでかすか分からないし」
「やってみなくちゃ分かりませんよ。それに、絵空さんの問題、はやく解決したいですし」
どのくらい絵空さんが毎晩行動していたか知らないが、辛いことに間違いはない。
こんな僕に手伝いが出来るなら、どうにかしてあげたい。
「…………そう」
何故だろうか、先ほどまで目を向けていた絵空さんは、視線を逸らしている。
まぁ、いっか。とにかく今日の夜には行動しなければ。うん。
***
矢神とメールをして、あたしはサカトーに行くことになった。あくまで矢神の護衛役で。
もし彼に何かあったらイヤだ。どうにかなるといいのだが。
貰ったパンは甘酸っぱく、少ししなびていた。
懐かしい味が包み込む。小さい頃はお母さんに菓子パンを買ってもらっていた。またあの頃のように過ごしたいと、思ってしまった。
時間は過ぎて、夕食時になった。あたしが部屋から出ると二宮がいた。彼女を心配させまいと笑顔をつくったが、上手くいかない。むしろ心配させてしまった。
今日のご飯はカレーだ。あたしの周りには舎弟らが集まって、お喋りの花が咲く。あたしは、彼女らの話を耳に流している。参加はしない。
ご飯を食べ終わっても雑談は続く。持ち寄った飲物を手にしながら、お風呂を待つ。あたしもそこにいる。もちろん、会話にはあまり口を挟まない。
いつもは平和だけれど、今日は少し違った。珍しく口論が起きてしまった。あたしらのいるところに近い。周りもざわついた。
ここを仕切るオバチャンがいないことを、見計らったのだろうか。
「……少し抜ける」
立ち上がると、舎弟達は身を引いた。
「テメェ何様のつもりなんだよ、あぁ!?」
「何様って、そちこそなんなの? やめてくれない、そういうの」
同じクラスの市野と、久崎だ。市野は確かアニメが好きだったな。どうせ喧嘩の火種はアニメ関連だろう。
「おい。二人とも、周りを見ろ。やるなら外でやれ」
割って入るなり市野は顔を真っ赤にし、泣きそうになった。どうせ久崎に問題があるのだろう。ため息交じりに、肩を落とす。
「だ、だって……!」
「どうしたんだ、市野」
子供をあやすように声をかける。市野の目から涙がこぼれた。それをハンカチでぬぐってやった時、
「意味わかんないんだけど」
などという声がした。あたしの後ろ、舎弟らから殺気が立つのが分かる。
「カノン様はオレのだけだっていうのが分からないの?」
頭が痛い。そういえば久崎は一人称がオレだったな。で、カノン様が誰だかしらないがキャラの取り合いか何かだろう。めんどうくさい。
「クソ女がカノン様のグッズを持つとか、有り得ない」
強く言ってやらないと、と思ったときには遅かった。あたしの元にいた市野が駆けだす。
「待て、市野!」
「ああぁぁああ!」
彼女は泣きながら久崎を殴った。久崎はゆらめいて、拳を受け止めようとした。けれど市野の攻撃は止まらない。さすがの舎弟らも、そうでもない女子も止めに入った。
「止めろ市野、落ち着け!」
あたしは必死になって市野を引き離した。目は真っ赤で、顔は涙でぐしゃぐしゃだ。我に返るなり、わぁっと子供みたいに泣きだした。
「あなたでしょう、ウチのサイト荒らしたのは!」
飛びかかろうとする彼女を抱きしめて、落ち着けと何度も声をかける。久崎は「あたしを」睨んで、笑った。
「許さない、許さないんだから!」
「……もういい、市野。止めろ。止めろ」
久崎は立ちあがって、不気味な笑みを浮かべ、立ち去った。
……何か変な感じがする。
とにかく、まずは市野を慰めなくては。彼女は肩を大きく上下させ、何かを言いながら泣いている。そっと退こうとしたら服を掴まれた。が、そっと引き離す。見守っていた友人らに後を任せよう。大丈夫、という言葉と野外からの不安げな声が心に刺さる。
時刻は七時を過ぎでいる。日はまだ暮れていない。
***
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