3-3
*六月六日 曇り時々、雨*
絵空さんは来なかった。
その日はとても眠くって、授業中居眠りをしていた。偶然にも、僕が寝た時間に道久は起きていて、道久が寝ていた時僕は起きていた。おかげでノートと授業内容はどうにかなる。
そうしてお昼休みを迎えた。教室近くの廊下、僕は道久を待っていた。現代文の教科書が見つからないらしい。ぼんやりしていると、二宮さんが肩を叩いてきた。少しびっくりしてしまうと、ごめんごめん、と笑った。
「絵空姉さん、どうしたんだ?」
「ど、どうして僕に聞くんですか?」
「矢神クンが姉さんと仲良いし……いや、話しにくいならいーんだけどさ。ほら、矢神クンってあたしらみたいなの、苦手でしょ?」
そう言われて苦手ですなんて返せなかった。二宮さんはイケイケ女子の中で一番派手で、人気者で、活発な人だ。そんな二宮さんがしおらしい。目が点になりそうだ。
僕は「その、あの」しか返せず視線を泳がせた。それでも二宮さんは笑顔のままだ。
「気にしなくっていいよ。ごめんね急に話しかけて。でも、絵空姉さんのことが気になるんだ。姉さんは捻くれたあたしらをガツンと言ってくれて、恩があるの。だから気になるだけ。もし言いたくなったら呼んで。って、話しかけにくいか。じゃコレ!」
押し付けてきたのは可愛らしいメモだった。これが何なのか聞く前に、二宮さんはお友達のところに行って、はしゃぎだす。タイミングよく道久がやってきて、後を追えなかった。
なんだろうと開いてみると、英文字の羅列。メールアドレスが書かれていた。
「ええぇ!? あの二宮さ――」
「矢神どうかしたのか?」
「え、あ……ううううん! なんでも! なんでもないよ!」
急いでメモをポケットに突っ込んだ。道久は首を傾げるも、まぁいいかとあくびをする。
いつも通りにあの場所へ行き、パンを食べる。今日は抹茶風味のパンと、チョココロネ。道久は、コンビニ弁当だ。
眠たいせいか会話は弾まない。おいしいはずのパンは味気なく感じた。
昨晩あんなことがあったせいだ。不意に真実さんを思い出してしまい、むせ返る。
絵空さんは元気だろうか。
ぼんやりと考える。口いっぱいに甘いような渋いような味が広がる。スポンジ生地を噛みしめて、壁に頭をつけた。
午後から降り始めた雨は止みそうにない。
***
雨の音しかしない。心地がいい。肌寒くて、あたしは布団を抱き寄せた。
目の前にあるケータイが震えだす。絵空さん元気ですか、という内容のメールが現れた。あたしはそれを無視して、画面が暗転するのを待つ。が、それよりも早く新たなメールが届いた。二宮からのようで、『二宮です。絵空姉さんに一言謝…』とだけ浮かんでいる。
気にはなったが、読む気にはならない。
ケータイの残り電池はあと四十パーセント。あたしは舌打ちして、ケータイごとを引っ掴む。
ベッドに寝転んで、かれこれ三時間は経っただろう。
「あー……」
声は掠れている。カラオケでオールしたんじゃないか、ってぐらいだ。咳払いを繰り返すと痰が込み上げてきた。気怠い体を動かして洗面所に行く。
真っ白な洗面器に向かって唾を吐く。すかさず水で洗い流し、顔を上げた。
酷い顔だ。
隈が出来ている。頬は毛穴が開いてブツブツで、唇は無残に切れていた。おまけに鼻の下の産毛が生えっぱなし。髪は跳ねまくっている。
「うわー……うわー……」
思わず二回言ってしまった。こんな顔じゃみんなの前に行けない。アイツらはあたしを神聖化している。そんな彼らの想像を壊したくない。今のあたしは、女子力と冷静を持ち備えた不良のドンではなく、オフ時の女子高校生だ。
どっちにしろ、外に出たくない。というか教室……学園に行きたくない。
真実を思い出してしまうから。
「くそ……」
あたしらしくない。いや、あたしらしい、とは何だろうか。
不良たちを統治してオタクたちに手を出させない、不良のドンである存在。それが、あたしだろうか。
センチメンタルな気分な自分は、あたしじゃない気がする。
「生理もうすぐなのかな」
ふと口に出してみると、笑えてきた。実際生理前はこんな風になるから仕方がない。が、これは生理前云々とかじゃ無いはずだ。だって三日前に終わったし、すぐ来るのはおかしい。
つまり、今のあたしは精神的にやられている。
誰のせいで?
真実のせいで。
あたしは、どうしたいんだろうか。
遠くで、ケータイがまた震えた。
***
道久と話し合った結果、探索はしばらく無しとなった。
僕も少し時間を置きたい。真実さんと絵空さんについて調べたいし。
あんなことに巻き込んでごめん、と言うと道久は笑ってくれた。代わりにお昼のパンをあげることになる。前回も言われた気がするけれど、それだけでいいのだろうか。
寮の個室、僕は部屋の中にあるダンボールを開けた。野菜と書かれた箱の中には、総菜パンと菓子パンがたっぷりつまっている。作っているのはお母さんか、パートのおばちゃん。おばちゃんたち元気かな。小学生の頃から、よく面倒を看てもらったり遊んだりしてもらっていた。
「またダンボール貰ったんだ……」
ケチな母だとつくづく思う。こうやって物を送るとき、必ずダンボールを使う。自宅にあったものではなく、八百屋さんに置いてあるヤツだ。お母さんのお友達さんが八百屋さんをやっていて、捨てられるダンボールを貰い、こんな風に使うのだ。
処分するこっちの身になってほしい。
と、軽いノック音がした。返事をすると道久が入ってきた。いつものようにゲームをやりに来たんだろう。
あ。ちょうどいいタイミングだ。
「好きに選んでいいよ」
「マジ? いいのか?」
手に持っていた手提げかばん(手作りっぽい)を置いて、彼は箱をあさる。消費期限を確認しながら、手に取っては戻している。
「矢神ンとこのパンおいしいからなぁ」
「お母さんたちに伝えたら喜んでたよ。そうだ! 夏休みさ、家に来ない? 消費期限近いパンならタダで食べさせてくれるし」
「いいのか、そんなことして……」
「余ったパン、凄い困るんだよね。捨てように捨てられないし」
もういっそのこと喫茶店になればいい、と思う。飲み物+何かでパン食べ放題とか。でも、それはそれで赤字が出る。経営って難しい。食べ放題で成功するお店は、チェーン店だろうし。
「じゃあこれだけいいか?」
「いいよ。僕もこんなに食べるの疲れそうだし」
持って行ったのはチーズパン、フランスパン、イチゴジャムパン、その他総菜パンだった。道久は一旦部屋に戻る。その間、僕は残ったパンを確認した。まだ数十個はあるだろう。
「にしても、道久がイチゴパンを」
少し意外だ。甘い物たべたところをあまり見ていないから、そう思っちゃうんだろう。
「……そういえば」
絵空さん、僕の持っていたパンを見てた。あれはいつのことだっけ。
だけどパンの事は覚えている。
「いちごロールパン、だったよね」
箱の中からそのパンを取りだして、机の引き出しに入れた。ついでに謎のメモも放る。タイミングよく道久が戻ってくる。
それ以降、ずっとゲームをした。休憩なしでずっと。ご飯の時間前に止めたけれど、目が痛い。あと首が重い。道久も僕と同じ状態になって、お互い笑った。
*
お風呂から出て、時計を見てみる。九時前だ。寝るにはまだ早い時間だけれど、睡魔が酷い。宿題が無いのが幸いだ。ふと、絵空さんのことを思い出す。大丈夫かなと思うけれど、あの人なら平気な気がする。でも胸の奥がチリチリしたまま。
明日が消費期限のイチゴロールを取りだした。
もし絵空さんが欲しかったらあげようかな。でも消費期限当日のもの貰ったってねぇ。
「うーーーん」
椅子の背もたれに体を預ける。頭に血が上る。怠くなって元に戻るけれど、机にぶつかりそうになった。
「……あ!」
引き出しの中に放った紙切れを取りだす。ドキドキしながら開いてみる。
短いアドレスの下には、綺麗な字で「絵空姉さんのアドレスだよ。どこで知ったか聞かれたら二宮って言っておいて!」と書かれていた。
……さてどうしようか。僕は机の隅で眠るケータイを開く。
「って、お母さんにメールしなくちゃ」
すっかり忘れていた。パンが届いたら来たよ、とメールをするのだ。そっちの方を送信して、絵空さんのアドレスを見つめる。
メール、するべきか。
正直なところ、今絵空さんがどうしているか気になる。それに少しでも話をしたい。他愛のない内容でもいい、とにかく絵空さんは、大丈夫なのか。
ゆっくりと英文字を入力する。緊張のあまり途中で打ち間違えてしまった。書かれている通りに打ち込んで、間違いはないか確認する。そして、本文を打つ。
『絵空さん、矢神です。二宮さんからアドレスを貰いました。今日は大丈夫でしたか? 道久と話し合って今日の探索は無しにしました。
あと、もしよかったらいちごロールパン食べますか?
消費期限、今日までですが……』
味気ない文章だ。絵空さんのことだから、きっと沢山メールを貰っているに違いない。そのメールに埋もれないか心配しつつ、送信ボタンを押した。
僕のしていることは正しいのか。
小腹が空いて、箱のなかにあるパンから一つ選んだ。お気に入りの揚げパンは、紙包みに入っている。一口齧ると優しい味がして、もう一口食べると甘かった。
***
ご飯は食べた。風呂はまだ入っていない。九時半までに入ればいいので、転寝していた。
体が重い。怠い。甘い物が欲しい。
甘くはないけれど豆乳があったはずだ。無調整の豆乳、どこだっけ。
放ったままの端末を光らせて、近くのスイッチに触れた。カチカチ、と電球が瞬く。ケータイの充電が少ないが、まぁいいか。
小型冷蔵庫まで歩き、そこからお目当ての豆乳を出した。マグカップはどこだっけ。まぁいいや。そのまま飲んでしまおう。いや、さすがに危ない。牛乳なら飲み口はあるが、キャップから出るんだ。
面倒だけれどマイカップを持ってくる。地べたに座り、カップに豆乳を注いだ。
たっぷり入れたので零れそうだ。口を付け、少しづつ飲む。豆の味がする。人によってはこの味が苦手だというが、あたしは好きだ。一気に飲めそうなので、カップを傾ける。
生臭さが鼻をつく。このニオイ、たまらない。
確か、矢神は無調整を平気で飲んでいたな。珍しい。二宮は一口でギブアップしていたっけ。
「っはー……」
怠い。何がいけないんだろう。水分はとったのに。
……まぁいいや。
ボサボサの髪をまとめあげ、風呂に入る準備をする。部屋に簡易風呂はあるけれど、小さいしお湯を張るのがめんどくさい。なので共同風呂を使っている。少し遠いけれど、動かないと。
雑誌のおまけにあったバッグに着替え、用具を突っ込んだ。携帯端末で時間を確認しよう。まだ九時。大丈夫だ。
メールアイコンがチカチカして邪魔だ。移動中に確認するか。
どうせ二宮とかだろう。アイツらは心配し過ぎなんだから。早めに返信しないと後がうるさい。部屋を出て、メール一覧を確認した。
廊下には誰もいない。静かだ。けど、たまに聞こえる笑い声で安心してしまう。皆が無事ならそれでいいし。
「……ん?」
見慣れないアドレスだ。件名には矢神という文字がある。
きっと二宮が教えたんだろう。
矢神のアドレスはやたら長かった。よく見ると「fairy rhythm」という文字がある。
魔法少女アニメ、フェアリズム……?
ふと気が付いた。
「だから……魔法少女を……」
あのアニメを見て、あたしは魔法少女に憧れた。そんな人は少なくは無いし、幼少期ならよくある話だろう。見ていたっていう二宮でも、魔法少女になりたかったと言っていた。もちろん、真実も。
でも現実慣れるわけはない。それを分かった子供たちはアニメ離れをして、現実味のあるフィクション……ドラマを見るようになる。でもあたしは認めたくなかった。
誰かを助けるために変身して、戦って、平和をつくりたい。
それがどういうことか、実際なっている。でもあたしはこんな形で魔法少女になりたくなかった。
親友を勘違いで殺したんだ。そんな自分が魔法少女なっていいわけないし、呼ばれるなんて。
そもそも魔法少女は中学二年生まで。それ以上は認めない。
「矢神は……なりたかったのかな」
ふらふら動く思考の中、変な疑問が浮かんで声に出してしまった。
矢神はいわゆる中性的で、オタク界隈で現すならショタだ。きっと、あたしみたいに魔法少女になりたいと思ったんだろう。でもアイツは男だ。男が魔法少女なんて聞かないし、あっても腐女子向けゲームにありがちな設定なら……
「……じゃなくって」
返信をしなくては。そもそも矢神からのメールを開いていなかった。見てみると、丁寧な文章であたしを気遣っている。
「いちごロールパン、か」
急に小腹が空いた。そういえば、アイツはおいしそうに甘そうなパン食べてたなぁ。……消費期限今日までなのかよ。別に一日過ぎても構わないし、あたしは返信メールにお礼とパンの事に付いて書いた。推敲をして、送信する。
「……っと、いけねぇ」
お風呂。早く入らないと。
小走りで風呂場に向かう。寮のオバチャンが扉を閉めようとしていた。
「す、すいませ、待って、くださ」
オバチャンは手を止めて、笑顔になる。小じわと縁がないプルプルお肌に、えくぼが浮かんだ。
「あらぁ絵空ちゃぁん。大丈夫? 顔色すっごい悪いわよ?」
「少し、怠いだけです……」
「そう? 病は気からっていうから、元気にならなくちゃ駄目よぅ。絵空ちゃん、スゴイ綺麗なんだもん」
「オバチャンだって、綺麗ですよ」
「あらぁありがと!」
上機嫌におばちゃんは立ち去った。どうにかお風呂に辿りつけて、ホッとした。
とりあえず、返信をしないと。
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