3-2
*六月五日 曇り*
歩いている内に、魔法少女さんに対するドキドキは消えた。彼女を絵空さんと認識したせいだろう。道久も緊張していたけれど、今は平然としている。
今日向かう所は、特別教室棟の生物室。
道中、絵空さんは怪物……じゃなくって操られている舎弟さんを倒していた。華麗に戦う様は、本当に魔法少女のようで見惚れてしまう。今だってそうだ。途中の階段で戦っている。
僕らが見ている世界は、幼い女の子が好きそうなふわふわ、とか、かわいいが集まった場所。これはただの幻惑らしい。無暗に動いて階段から落ちたら嫌なので、僕と道久は待機せざるを得ない。
「……この!」
ドロドロした怪物数体に囲まれた絵空さんは、ステッキで一匹を殴る。振り向き際に回し蹴りをし、後ろに居た怪物を突く。残りは二匹。左右から体当たりを食らわせにかかるも……
「無駄だ」
身を引いて衝突し合った二匹を殴打する。怪物たちはもう動かない。生きているのか心配したけれど、大丈夫と絵空さんは話す。
「いくらバッドで殴られただけでも死なないだろ?」
魔法少女の顔をする絵空さんは、当たり前のように口にした。昔バッドで殴られたことはあるけれど、まぁ死ななかった。骨折寸前で済んだ。僕は片腕をさすり、ぎこちなく笑う。
「そうだな。あっても骨折……って骨折も危なくないか?」
道久のツッコミを真に受けて、絵空さんは少し悩んだ。
「やはりステッキの玩具にするか……」
「いやそれじゃあ気絶とかさせられないですよ!?」
「……ふむ。まぁ行くか」
いいのかなぁ、と思いつつ絵空さんの後に続く。キラキラふわふわの世界は薄れ、薄暗くジメッと暑い元の世界へ戻される。ほのかに頭痛がする。ときたま絵空さんは振り向いて、僕らを気遣ってくれた。
目的地は四階にある。今は僕と道久が居座る、あの場所の三階にいる。あと少しだ。
「休憩でもしよう……少しだけだが」
そう言って絵空さんはポシェットを探る。そこから出たのは、豆乳だった。見慣れたデザインのものが三つ出てくる。片手で握ることが可能な小さいやつだ。それを、絵空さんが渡してくる。
「……普通の味だが、いいか?」
「い、いえむしろ有難いです! 喉乾いていたので」
僕は無調整豆乳を受け取る。道久は少しためらっていたけれど、調整豆乳を貰った。
「ん。やっぱおいしいな」
「なんていうのかな。大豆の味だよね」
牛乳とはちがって、コクとは言えないけれど独特の味がする。無調整のせいか、味は濃い。それでも舌に残らずスッキリ飲める。小さい頃はよく飲んでいたので、慣れている。そういえば成瀬は「無調整は豆を飲んでいるようで嫌だ」と言っていた。道久は、案外イケるという顔だ。調整豆乳だし丁度良かったかもしれない。
お礼を言おうと絵空さんを見るのだが、ショコラと書かれた豆乳を飲んでいた。
……ショコラ? つまり、チョコレート?
「どうした矢神」
「それ、おいしいかなって」
「うまいぞ。とっても。ほら、あるだろ、チョコの甘み。あれと豆乳が混じった味だ」
なんだか楽しげだ。目がキラキラしている……気がする。
「あたしとしてはさくら味がいいけれど、まずは麦芽からがお勧めだ。コーヒー風味だが苦くないし、カフェオレより美味い。もしコーヒーが無理なら紅茶だ。あたしが知っている味は、ロイヤルミルクティーと書いてあったが、あながち間違いはない。紅茶独特の雰囲気が残りながら豆乳の後味を残す。紙パックのミルクティー飲料ずっとよりおいしい。そこからは抹茶を飲むといい。グリーンティーとそう変わらないからな。変わり種のお勧めはマンゴーだ。甘酸っぱい中、まろやかさもある。そこから徐々に色んな味を楽しんでみろ。栗の味がしっかりするモンブランとかラムネやコーラ、アーモンドもある。飽きが無くていい」
「さくら味なんてあるのかよって、コーラにラムネ? マンゴーとか、頭が痛い……普通の豆乳でいいだろ」
と、道久が口を挟んだ。既に飲み終えているようだ。
「さくらは、一番美味しかったな。だが期間限定で、今は見ていない。また飲みたいな……焼き芋とかマロンも恋しい。冬はおしるこもあったな」
豆乳のラムネ味。想像できない。でも実際にあるんだから、少なからず需要はあるはず。そういった変わり種が好きな人もいるし、あってもおかしくないといえば、そうだろう。
僕は豆乳を最後まで飲み干した。パックは畳んでポケットに入れる。
「……飲み終わったら行くぞ。トイレはいいか?」
顔を横に振って、最上階へ向かう。階段を踏みしめる度に、緊張感が沸きあがる。
この暗闇の先に真実さんはいるのだろうか。
*
階段を上り、廊下に出た。何か嫌な予感がする。寒くないのに、むしろ暑いのに手が震えた。僕と道久、絵空さんの足音しかしない。窓の向こうは暗く沈んでいた。街灯が怪しげに瞬いて、寮の一部が明るい。何時だろう、とケータイを取りだしてみた。
「電池切れ?」
どこを押しても動かない。おかしいな、電池はあったはずなのに。道久が「どうかしたか?」と聞いてきて、僕はなんでもないと返す。慌ててケータイを押し込んだ。
例の生物室は鍵がかかっている。絵空さんが扉を壊そうとして、急いで止めた。さすがにそれは危ない、色々と。
いつもは冷静なのに、どうしてこんなに焦っているんだろう。そんな疑問を持ち始めた時。視界に光る小さなものを見つけた。さっきまで無かったはずだ。僕は慌てて発光する何かを拾い上げる。
「なにこれ」
縦長の、小さなステッキだ。親指と人差し指で挟めるぐらいで硬い。道久に見せると「なんだこのステッキ」と返される。柄はやや太いけれど握れない。摘まむことは可能だ。装飾は銀色の模様が走っているだけ。先っぽは変な形をしていて、反対側は妙に柔らかいリボンがつけてある。
「あ! 絵空さん!」
地団太を踏みそうな絵空さんにステッキを見せた。すると、喜んだ顔をするも、戸惑いの顔を浮かばせる。
「お前……それ、どこで」
「落ちてたんですよ。……絵空さんには、何に見えますか?」
「鍵だ。生物室のタグまで付いてやがる」
やっぱり。もしかしてと思ったら、予想は当たっていた。嬉しい反面、どうして廊下に落ちていたんだ? こういう教室のカギは遅番の先生が保管している。それに、一度見たことがあるが特別教室のカギは、一まとめにしてあった。そこから取ることは難しいだろう。
ゾクリ、と胸の中に嫌な予感が沸く。
脳裏に正体不明のミステリアス――真実さんが浮かんだ。
不安になって道久の横顔を窺う。彼も、どこか苦い顔をしている。
そうこうしているうちに絵空さんはステッキ、じゃなくて鍵をぶち込んで回した。扉をスライドしかける。が、その扉が不自然に歪んだ。
「……二人は下がっていろ」
歪みは絵空さんにも見えているのだろうか、身構えた。怖気づいた僕を庇うかのように、道久が一歩前に出る。扉の歪みは、水面の波紋のようでもあり、グルグルマークにも思える。幾何学的でもあった。
「ねぇ。どこ見てるの?」
声は後ろからいた。首にひんやりとした何かが触れる。声に気づいて、首の違和感に気づくまで二秒しかなかった。呆然から恐れの感情が沸くより早く、絵空さんが動く。
僕にむかって道久が手を伸ばす。掴もうと僕も腕を動かしたが、後ろがそれを阻止した。
「真実!」
跳躍した絵空さんが、ステッキを振るう。あと少し右に僕がいたら一撃を食らっていただろう。
「矢神を離せ化け物!」
勇ましく道久が飛び出して、僕の後ろに体当たりをした。けど、当たる直前に背後の存在はいなくなった。結果僕はよろけ、座り込んでしまう。情けないとか思ったが、目の前に現れた顔に悲鳴を上げてしまった。
大きな目は開かれて、口裂け女の如く口角は切れている。
「久しぶりだね」
ねっとりとした声色が耳にこびりついた。凍った手で心臓を握られた気分になる。動けない。身じろぐことも、瞬きも出来ない。
気味の悪い奴、真実さんは僕の前から消えた。代わりに現れたのは、厳つい顔の魔法少女、絵空さん。
「絵空さ」
「矢神を守れ!」
ドスのきいた声を発し、僕を突き飛ばした。絵空さんは道久に向けて言ったのだろう。僕は道久に受け止められた。
「あぁ、ユメか。久しぶりだね。似合ってるよ、その恰好」
ニタニタと真実さんが嗤う。絵空さんはステッキを振るう。が、避けられた。
「どうして、こんな事を!」
「だって、ユメの願いでしょ? 魔法少女になりたいって。だからさせてるんだよ。これはオイラなりのお礼だし。喜んでよ。そう、あの時のお礼! おいらが死にたいって言ったから死なせてくれたお礼だよ」
真実さんは踊るように空を舞う。耳障りな笑い方で絵空さんを弄んでいた。攻撃はしないで、ふらふら、ゆらり、飛んでいる。僕らは何も出来ないまま傍観していた。いや、手を出したところで足手まといだ。歯がゆさのあまり、下唇を噛みしめる。
それは道久も分かっているようだった。僕の腕を思いっきり握っている。痛いだなんて言えなかった。
その痛さで、やるせなさが消化されている。
「真実、あのときのアレは……!」
瞬間、真実さんが絵空さんの首を掴んだ。絵空さんは「ぐう」と唸る。細い首に巻きつく指から、鋭利な爪が伸びた。柔肌に突き刺さって血が垂れる。薄闇の中、魔法少女の首から流れる血は現実的だった。
僕は道久を振り解いた。このままじゃ、絵空さんが……!
「絵空さん!」
だけど、来るな、と絵空さんは口を動かす。道久が僕を呼んだ。でも後戻りできない。
「絵空さんを、離せ!」
怒りが僕を突き動かす。ぎゅっと握りしめた右手を、化け物に向けてぶつける。手ごたえは、あった。ぐちゃ、と嫌な感触がまとわりついた。
「止めろ矢神、目を瞑れ!」
聞いたことの無い叫び声だった。でも僕は目を開けていた。
目の前で真実さんが飛散る。崩れた豆腐のように、顔面がひしゃげて目玉が飛んだ。僕の手には頬の一部と歯が付いている。
「な、に……これ」
怖気と吐気に苛まれる。真実さんは抉れた顔を見ても平然としていた。落ちた目玉が宙に浮いた。潰れた顔面から舌が覗いて、器用に動いた。
「意外と平気なんだねぇ」
と、僕の体が飛ばされる。絵空さんが突き飛ばした。そんな僕を道久が受け止める。彼は目を閉じていた。冷や汗が額に浮かんでいる。結局、見たのだろうか。あの異形を。
「ほら見てよ。オイラの体、もの凄く柔らかいんだ。でも大丈夫、元に戻るから」
四散した肉塊や、手に付いていた破片がぬるぬる動く。それらは真実さんにくっついて、元の顔になった。
まさに、魔法だ。
「ユメ。好きなだけオイラを殺してもいいんだよ?」
「違う! あたしはそんなこと思った事なんて」
「あるくせに!」
ドスのきいた声が響き渡る。絵空さんが真実さんに飛びかった時、急に視界が眩しくなった。
今更だけれども、僕は非常に後悔をした。絵空さんと真実さんの関係を、もっと知るべきだ。生半可な気持ちで協力したのが間違いで、道久を巻き込んだ事も良くない。
いっそのこと、関わらなければ、と思うようになった。
でもどうして急にそんなことを考えたのか。僕自身分からない。
「急にモテるようになったらオイラを捨てて、陰口叩いて、仲間外れにして!」
痛々しい叫びが耳を突く。違う、とか細い言葉も聞えたがかき消されてしまう。
「苦しめ! ずっと、ずっと! 一生恨み続けてやる絵空事ユメ!」
絵空さんの名前の反響がしばらく続いて、ようやく静まった。
道久も僕も真実さんに気圧されていた。全身が震えている。乱れた呼吸を整えて、僕は這い上がった。
まだ頭が痛い。ふらつきながらも僕は絵空さんの元へ向かった。
視界の端が明るい。窓の向こうが明るくなっていた。
蹲っている絵空さんの姿が、溶けてゆく。魔法少女の姿は一転して、元の絵空さんになる。
あのダサいサカトージャージを着ていて、傍らには野球のバットがある。
これが魔法少女の正体。ただの女子高校生が、そこにいる。
「絵空さん……?」
僕はしゃがんで、同じ目線になろうとした。絵空さんは床に手を付いて、引きつった笑みを浮かべている。目には涙が浮かんでいた。
「矢神、そろそろ戻らないと……!」
道久の声に反応して、絵空さんが立ちあがった。顔は青白い。教室で会う時より、目が一回り小さくみえる。
「……帰ろう」
僕は道久と見合った。今にも倒れそうな絵空さんと共に、寮まで戻った。
昇降口には倒された舎弟の人たちがいて、僕らの姿を見るなり声をあげた。絵空さんは大丈夫なのか、と。とにかく舎弟さんたちに絵空さんを預けた。彼らは僕と絵空さんを知っているから変に思わなかったが、寮まで行けば怪しまれるだろう。
明るくなりかけた空を見上げ、ため息をつく。
僕は、絵空さんではなく真実さんを知るべきだ。
崩れた異形の顔が、感触が、こびりついて離れない。
おいしかったはずの豆乳が胃の中で暴れている。
「吐きそう……」
でも吐くことはなかった。ただ、気分が優れない。
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