2-4
*
キスされるかと思った。
目に入った埃を涙と共に拭う。ここら辺、掃除がされていないのか埃がすごい。懐中電灯で照らすとよく見える。
「魔法少女さん……行っちゃった」
僕が彼女を「魔法少女」と呼んでからおかしくなった気がする。魔法少女さんは、怖がっているような、恐れているような顔をした。
「変だなぁ……」
とにかく、道久に相談しよう。どういうことか整理したいし。
僕自身の推測では、絵空さんではないかと思う。それか、絵空さんに近い人。
魔法少女さんの喋り方は絵空さんと似ていた。絵空さんもどうこう言っていたし。
でも、これぐらいで決めつけるのはどうだろうか。
「いや。君の推測は間違っていないよ」
僕の真後ろで、中性的な声がした。身構えつつ背後に身体を背けると、女の人が居た。
一言で現すなら、ミステリアスだ。少し不思議なアドバイスキャラクター、とか。そんな感じがする。どこか眠たげな瞳に、ストレートのボブカットはよく似合っている。
思わず見惚れてしまった。その人はサカトーの女子制服を着ている。見たことがないから上級生かもしれない。そういえば絵空さんは留年しているし、知り合いだろう。
「絵空事ユメは魔法少女だ」
「……あの、あなたは」
「可哀想な子だよ。本当に。ユメはそれに気づいていないまま、毎晩毎晩自分の手下を殴っているんだ。滑稽だろう? それに見たよね、さっきのユメの顔。最高だったよ、あの歪みっぷり。ざまぁないよ、あの子が苦しんでオイラは幸せだよ」
「あ、あの! 僕の話を」
ピタリとマシンガントークを止めた。今にも閉じてしまいそうな双眸で僕を射る。ぞわりと背筋に悪寒がはしる。
ものすごい勢いで何かを言っていたけれど、大半は聞き流してしまった。夢さんがどうこうとか、最高だとか。この人は変態かもしれない。僕は少しだけ距離をとる。
「オイラは……そうだね。正体不明のお助けキャラでいいよ」
正体不明さんはくすくす笑い、跳躍した。トランポリンで跳ねたかのように、重力など無視するかのように、軽々と僕の上を越える。
「君は、出来損ないのクズ女の友達? 止めときな。アイツはマジのクズだ」
「それって、まさか絵空さ――」
「あーあーあー聞きたくないなぁその名前」
正体不明のミステリアスさんは喉を鳴らす。僕のことを見下ろして、目を見開いた。
本能が「撤退しろ」と言う。この人は人じゃない。開かれた瞳に恐怖を抱いて、逃げたくなった。
「いい? あのお山の大将に関わってもいいことなんて無いよ。君が苦しむだけだ。まぁオイラからしたら君がどうなろうとも興味は無いね。あ、言っておくけど首つりって苦しいよ、思った以上にしんどくってさぁ軽く逝けると思ったのに、ぐぇ~ってなるわ死んだらえげつないし散々だったよ、だ・か・ら、死ぬなら百合の花に囲まれて眠るか睡眠薬多量摂取がイイよ、君あれでしょ、痛いの嫌な子でしょ。リスカは止めときな、辛いだけだし、血がきれい~とか言ってる場合じゃないし、そういうやつは傷口に塩塗りたくりな……って、どこに行くんだー」
話の途中で僕は逃げてしまった。一目散に、何も考えないで廊下をかけた。校舎を出て寮に飛び込むと、談笑する不良たちが居て僕を見るなり呆然として、でも僕はそれを無視して部屋に飛び込んだ。布団にくるまって震える体を抱きしめる。
なんだったんだ、あの人は……
とにかくしばらく探索は止めよう。もうあんな人に会いたくない。
「魔法少女さん……」
心の中で、僕は魔法少女に助けを求めてしまった。あの悪夢を消し去ってほしい、と。
*六月四日 曇り*
教室に着くと、顔面蒼白の絵空さんに連れだされた。寝ぼけ半分の僕はされるがまま。
着いたのは特別教室棟の……僕らが昼飯時に居座る場所。
「矢神。今のお前にあたしは見えるか?」
突然の質問に、息が詰まる。目を逸らしながら口を開く。
「え、あ、はい、もちろん」
「昨日の夜、お前は何を見た? お前はあたしを何と見た?」
ぐい、と絵空さんが近づいた。薄化粧の下に見えるニキビ跡が、少し現実的だ。
「僕は……」
昨晩のことを思い出そうとすると、正体不明のミステリアスさんが浮かぶ。大きく開いた目と、気持の悪い言葉の羅列。それらを振り払って、僕は深呼吸をする。
この言葉を吐けば、僕は魔法少女の正体を認める事になる。
「僕は、魔法少女を見ました。僕が大好きな魔法少女アニメの主人公そっくりな女の子が、いました」
絵空さんは瞬きをして、数歩下がる。そして大きくため息をついた。
「他は」
胸が鳴る。目の前にいる絵空さんは、僕が知っている不良の絵空さんではない。
「他には、なにを見た」
「……正体不明のミステリアスさんです」
絶望にも似た表情を浮かべ壁に手をつく。支えようとしたけれど手で制された。
「そう、か……そうか、アイツ……ほんとうに……」
絵空さんの声は、唸り声に近かった。髪を手で梳いて、僕のことを見てくる。
「矢神。あたしは毎晩学園の校舎に来て、暴れている舎弟らを矯正している。暴れる理由はある。あいつらは意味なく暴れるやつじゃないからな。それは知っている筈だ。
それで……お前には……いや、お前以外の人にはあたしが魔法少女に見えているんだろう。舎弟らのことにもそれは繋がるんだ……ソイツを、全部の元凶を倒せば……舎弟らはもう苦しまない、アイツを解放してやれる。……矢神、協力してほしい」
「え、ちょっと……それって」
そんなの、アニメや漫画の話じゃあるまいし。信じられない。でも、魔法少女と化け物はいた、ミステリアスさんも。この目で見た。あれは現実だ。
夢を、見ているかのようだ。
「いやかも知れないが、舎弟らを守る為なんだ。どうしてでも、真実を止めないと……真実が見えた矢神なら!」
「待ってください! マミって誰なんですか、それにどうして僕なんかが……」
口を一文字にして、絵空さんは顔を左右に振るう。ほんのりいい匂いがした。
「真実は……あたしの親友だ。いまはもういない。この騒動はアイツの仕業で……こうなったのはきっとあたしのせいだ。
……舎弟らに頼めるわけでもないし、事情を知っているのは矢神だけだ。だから――」
それだけ言うと、絵空さんは僕に背を向ける。そのとき予冷が鳴った。
「……急ぐぞ」
顔だけこっちを向けて、声をかけてくる。僕は急いでついて行く。
モヤモヤした心のままその日の午前を過ごした。
*
お昼時、僕は成瀬のところに向かった。情報はないとのこと。また明日聞くことにして、道久といつもの場所に戻った。
「――っていうのが、絵空さんが魔法少女なワケ」
一通り話すと道久は「うーん」と唸った。
「それ、話して良かったのか?」
マヨネーズとコーンの惣菜パンを齧る。口内でマヨネーズの酸っぱさが広がってゆく。
「わかんない……」
僕はパンを握り締め、俯いた。コーンが落ちかけて指で救う。
「それで、真実さんだけど、道久は見てないよね?」
「マミ? 頭を食べられたりボッチだったりしそうだな。確か、しんじつ、って書いてマミだよな……うーんキラキラネーム」
「ちゃんと聞いてってば!」
悪い悪い、と道久が笑う。僕は本気なのに。でも冗談を言われても仕方がない。もし道久の立場だったら僕はおどけてしまうだろう。
一呼吸おいて、彼が口を開く。
「嬉しくないのか?」
「嬉しいって……なにが」
「憧れの魔法少女に会えたんだぞ。例え夜にしか会えなくっても、変わりはないじゃないか」
「…………嬉しいよ、本当は」
パンを食んで、魔法少女の絵空さんを思い出す。颯爽と現れて僕を助けたり、素っ気なく接してきたり。振る舞いはともかく、あれは完璧に魔法少女だ。本当のところ、生の魔法少女に会えてうれしい。
だけど、絵空さんは嬉しくなさそうだった。
だから素直に喜べなかった。
「不良は嫌いだけど……出来るだけ協力はする」
「本当!?」
「ああ。代わりにって言うのはあれだが、仕送りのパンをくれるだけでいいぜ」
「それだけでいいの? じゃあ絵空さんに言わないと!」
このとき、少し道久の事を疑ってしまった。一瞬、道久に言っていることは嘘じゃないかと思った。
バカだな、友達を信じられなくてどうするんだ。
それから何気ない会話をしてご飯を食べた。教室に戻って、次が大嫌いな数学ということを思い出してしまう。気が滅入る。
「おーいおいおい矢神クン!」
急に呼ばれて、オロオロしてしまった。セミロングの綺麗な髪が視界に映った。
二宮さんが申し訳なさそうに、僕の前に居る。騒がしい廊下でのことだ
「昨日は迷惑をかけたことを詫びる。絵空姉さんに聞いた。……すまなかった」
そう言って頭を下げだした。周囲がざわめいて、僕を注目する。
「え、えええ!? とにかく頭上げてください!」
「矢神、昨日何かあったのか……?」
怪訝そうに聞く道久に、分からないと返した。二宮さんは体を曲げたままでいる。
「……あのとき、記憶はなかった。徘徊していたらしい、学園内を。それで」
学園内を、徘徊? 僕が見たのは大きなトカゲだ。じゃあ、あれは――
「それで絵空に迷惑かけたんだ。ザマァないね」
通りすがりの呟きだった。僕と道久、騒ぎを聞きつけ教室から出てきた絵空さんがそっちに顔を向けた。
久崎さんだ。持っているファイルは人気アニメの男キャラのシールとイラストが描かれている。なんというか、イタイ人だ。
僕自身、少しムッとした。二宮さんに悪気は無かったんだから。当の二宮さんは悔しげに顔を歪めていて、今にも掴みかかりそう。
でも、真っ先に食い付いたのは道久だった。
「事情も知らないでよく口を挟めるな?」
慌てて道久を止めようとしたけれど振り払われた。久崎さんは目を見開いて立ち止まる。手の中にあるファイルがくしゃりと歪む。
「調子に乗りすぎだ」
ため息交じりの声色だ。絵空さんを目で探すも、いなかった。……助けてくれるかと思ったのに。
「お前は不良になんてなれない。ただ痛々しいだけだ。いつになったらそれが分かる」
「あんたに、あんたに何が分かるっていうの!」
ヒステリックな叫びに耳が痛む。ギャラリーたちが騒ぎ出した。――久崎って意味わっかんねぇよな。あんなアニメ好き主張してさ――そうそう、つーかキモい――道久と矢神で何か妄想してるとか無いわー――
「不良になったつもりはするな。気持ちが悪い」
僕の知っている道久の声ではなかった。カタカタと震えだした久崎さんは、口を震わせている。――そういえば知ってるか、アイツ。尾高のこと――なにそれ、聞いた事ねーけど――アイツ、中学のときけっこうヤバい奴らしくってさ――
「……たしは、あんたみたいになりたくって」
か細い呟きが、ギャラリーにかき消された。
「矢神」
「ふへ!?」
「……行くぞ」
「う、うん」
そこには僕の知っている道久はいなかった。怖い。怖かった。嫌な記憶が蘇って吐きそうになる。
授業までの時間、数分ぐらいだけれども道久は何も話してこなかった。自分の席に着いてから、本を捲る事が精一杯だった。手汗でページがよれる。あれこれ飛び交う言葉を耳が拾う。目の前の文字列が頭の中に入ってこない。僕は何をしているのだろう。
外にいるギャラリーと、二宮さんに久崎さん、絵空さんを見る事なんて出来なかった。
その後の休み時間も、掃除の時も道久は無言だった。話しかけてはいけない、そんな気がした。だけど、帰りの時間になってようやく口をあけた。
「ごめん」
それだけだった。どうにかして僕は笑顔をつくる。変に力んでしまう。上手く笑えているだろうか。
「ううん。気にしてないから」
でも、やっぱり無言だった。モヤモヤしながら寮に着くと、道久が話があると言い出す。
「……ほんっとうにごめん。話しにくくて」
そうして、僕は彼の部屋にいる。少し散らかっている部屋は、生活感が溢れている。
「別に、気にしてなんか」
「矢神は分かりやすい」
道久が笑う。いつもの、僕が知っている顔だ。安心して変な声が出てしまう。
「薄々気づいているだろうけど、俺は中学の時は不良やってた。そういうアウトローっていうのか、かっこいいと思ってな。今思い出すと恥ずかしいけど……」
ちらりと僕を見てきた。頷いて、続きをせがむ。
「久崎は、幼馴染だ。俺が好きなアニメを見ればアイツも好きになって、マネばかりしていて……鬱陶しかった。でもアイツみたいなヘタレがなれるわけ無い。こっちに来て、俺は不良を止めたんだ。だがアイツはついてきて、不良になったつもりでいる。所詮はつもりだ。周りから反感買われて当然だ。正直、ザマァって感じ」
すると、道久は髪をくしゃくしゃにした。不自然に色づいた部分が見え隠れする。
「……黙っていて悪かった」
「道久……そんな、僕はちっとも気にしてなんかいないよ」
僕にとって道久は道久だ。ゲームとアニメが好きで、気が合う友人だ。不良だったことには驚いたけれど、僕と接してくるときはそんな面影は見せない。
とはいっても複雑だ。昔は昔だし、今は今と思っても何かが喉に突っかかる。
「俺が不良を嫌う理由はそういうもんだ。やっていたから、どれだけ馬鹿らしいか野蛮なのか分かる。矢神は不良になんてなるなよ?」
「ならないよ、第一僕は……」
言い止まってしまう。道久は僕に過去を話してくれた。
僕も話すべきだろうか。心臓の奥が痛む。
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