2-4


 キスされるかと思った。

 目に入った埃を涙と共に拭う。ここら辺、掃除がされていないのか埃がすごい。懐中電灯で照らすとよく見える。

「魔法少女さん……行っちゃった」

 僕が彼女を「魔法少女」と呼んでからおかしくなった気がする。魔法少女さんは、怖がっているような、恐れているような顔をした。

「変だなぁ……」

 とにかく、道久に相談しよう。どういうことか整理したいし。

 僕自身の推測では、絵空さんではないかと思う。それか、絵空さんに近い人。

 魔法少女さんの喋り方は絵空さんと似ていた。絵空さんもどうこう言っていたし。

でも、これぐらいで決めつけるのはどうだろうか。

「いや。君の推測は間違っていないよ」

 僕の真後ろで、中性的な声がした。身構えつつ背後に身体を背けると、女の人が居た。

 一言で現すなら、ミステリアスだ。少し不思議なアドバイスキャラクター、とか。そんな感じがする。どこか眠たげな瞳に、ストレートのボブカットはよく似合っている。

 思わず見惚れてしまった。その人はサカトーの女子制服を着ている。見たことがないから上級生かもしれない。そういえば絵空さんは留年しているし、知り合いだろう。

「絵空事ユメは魔法少女だ」

「……あの、あなたは」

「可哀想な子だよ。本当に。ユメはそれに気づいていないまま、毎晩毎晩自分の手下を殴っているんだ。滑稽だろう? それに見たよね、さっきのユメの顔。最高だったよ、あの歪みっぷり。ざまぁないよ、あの子が苦しんでオイラは幸せだよ」

「あ、あの! 僕の話を」

 ピタリとマシンガントークを止めた。今にも閉じてしまいそうな双眸で僕を射る。ぞわりと背筋に悪寒がはしる。

 ものすごい勢いで何かを言っていたけれど、大半は聞き流してしまった。夢さんがどうこうとか、最高だとか。この人は変態かもしれない。僕は少しだけ距離をとる。

「オイラは……そうだね。正体不明のお助けキャラでいいよ」

 正体不明さんはくすくす笑い、跳躍した。トランポリンで跳ねたかのように、重力など無視するかのように、軽々と僕の上を越える。

「君は、出来損ないのクズ女の友達? 止めときな。アイツはマジのクズだ」

「それって、まさか絵空さ――」

「あーあーあー聞きたくないなぁその名前」

 正体不明のミステリアスさんは喉を鳴らす。僕のことを見下ろして、目を見開いた。

 本能が「撤退しろ」と言う。この人は人じゃない。開かれた瞳に恐怖を抱いて、逃げたくなった。

「いい? あのお山の大将に関わってもいいことなんて無いよ。君が苦しむだけだ。まぁオイラからしたら君がどうなろうとも興味は無いね。あ、言っておくけど首つりって苦しいよ、思った以上にしんどくってさぁ軽く逝けると思ったのに、ぐぇ~ってなるわ死んだらえげつないし散々だったよ、だ・か・ら、死ぬなら百合の花に囲まれて眠るか睡眠薬多量摂取がイイよ、君あれでしょ、痛いの嫌な子でしょ。リスカは止めときな、辛いだけだし、血がきれい~とか言ってる場合じゃないし、そういうやつは傷口に塩塗りたくりな……って、どこに行くんだー」

 話の途中で僕は逃げてしまった。一目散に、何も考えないで廊下をかけた。校舎を出て寮に飛び込むと、談笑する不良たちが居て僕を見るなり呆然として、でも僕はそれを無視して部屋に飛び込んだ。布団にくるまって震える体を抱きしめる。

 なんだったんだ、あの人は……

 とにかくしばらく探索は止めよう。もうあんな人に会いたくない。

「魔法少女さん……」

 心の中で、僕は魔法少女に助けを求めてしまった。あの悪夢を消し去ってほしい、と。


*六月四日 曇り*


 教室に着くと、顔面蒼白の絵空さんに連れだされた。寝ぼけ半分の僕はされるがまま。

 着いたのは特別教室棟の……僕らが昼飯時に居座る場所。

「矢神。今のお前にあたしは見えるか?」

 突然の質問に、息が詰まる。目を逸らしながら口を開く。

「え、あ、はい、もちろん」

「昨日の夜、お前は何を見た? お前はあたしを何と見た?」

 ぐい、と絵空さんが近づいた。薄化粧の下に見えるニキビ跡が、少し現実的だ。

「僕は……」

 昨晩のことを思い出そうとすると、正体不明のミステリアスさんが浮かぶ。大きく開いた目と、気持の悪い言葉の羅列。それらを振り払って、僕は深呼吸をする。

 この言葉を吐けば、僕は魔法少女の正体を認める事になる。

「僕は、魔法少女を見ました。僕が大好きな魔法少女アニメの主人公そっくりな女の子が、いました」

 絵空さんは瞬きをして、数歩下がる。そして大きくため息をついた。

「他は」

 胸が鳴る。目の前にいる絵空さんは、僕が知っている不良の絵空さんではない。

「他には、なにを見た」

「……正体不明のミステリアスさんです」

 絶望にも似た表情を浮かべ壁に手をつく。支えようとしたけれど手で制された。

「そう、か……そうか、アイツ……ほんとうに……」

 絵空さんの声は、唸り声に近かった。髪を手で梳いて、僕のことを見てくる。

「矢神。あたしは毎晩学園の校舎に来て、暴れている舎弟らを矯正している。暴れる理由はある。あいつらは意味なく暴れるやつじゃないからな。それは知っている筈だ。

それで……お前には……いや、お前以外の人にはあたしが魔法少女に見えているんだろう。舎弟らのことにもそれは繋がるんだ……ソイツを、全部の元凶を倒せば……舎弟らはもう苦しまない、アイツを解放してやれる。……矢神、協力してほしい」

「え、ちょっと……それって」

 そんなの、アニメや漫画の話じゃあるまいし。信じられない。でも、魔法少女と化け物はいた、ミステリアスさんも。この目で見た。あれは現実だ。

 夢を、見ているかのようだ。

「いやかも知れないが、舎弟らを守る為なんだ。どうしてでも、真実を止めないと……真実が見えた矢神なら!」

「待ってください! マミって誰なんですか、それにどうして僕なんかが……」

 口を一文字にして、絵空さんは顔を左右に振るう。ほんのりいい匂いがした。

「真実は……あたしの親友だ。いまはもういない。この騒動はアイツの仕業で……こうなったのはきっとあたしのせいだ。

……舎弟らに頼めるわけでもないし、事情を知っているのは矢神だけだ。だから――」

それだけ言うと、絵空さんは僕に背を向ける。そのとき予冷が鳴った。

「……急ぐぞ」

 顔だけこっちを向けて、声をかけてくる。僕は急いでついて行く。

 モヤモヤした心のままその日の午前を過ごした。



 お昼時、僕は成瀬のところに向かった。情報はないとのこと。また明日聞くことにして、道久といつもの場所に戻った。

「――っていうのが、絵空さんが魔法少女なワケ」

 一通り話すと道久は「うーん」と唸った。

「それ、話して良かったのか?」

 マヨネーズとコーンの惣菜パンを齧る。口内でマヨネーズの酸っぱさが広がってゆく。

「わかんない……」

僕はパンを握り締め、俯いた。コーンが落ちかけて指で救う。

「それで、真実さんだけど、道久は見てないよね?」

「マミ? 頭を食べられたりボッチだったりしそうだな。確か、しんじつ、って書いてマミだよな……うーんキラキラネーム」

「ちゃんと聞いてってば!」

 悪い悪い、と道久が笑う。僕は本気なのに。でも冗談を言われても仕方がない。もし道久の立場だったら僕はおどけてしまうだろう。

一呼吸おいて、彼が口を開く。

「嬉しくないのか?」

「嬉しいって……なにが」

「憧れの魔法少女に会えたんだぞ。例え夜にしか会えなくっても、変わりはないじゃないか」

「…………嬉しいよ、本当は」

 パンを食んで、魔法少女の絵空さんを思い出す。颯爽と現れて僕を助けたり、素っ気なく接してきたり。振る舞いはともかく、あれは完璧に魔法少女だ。本当のところ、生の魔法少女に会えてうれしい。

だけど、絵空さんは嬉しくなさそうだった。

 だから素直に喜べなかった。

「不良は嫌いだけど……出来るだけ協力はする」

「本当!?」

「ああ。代わりにって言うのはあれだが、仕送りのパンをくれるだけでいいぜ」

「それだけでいいの? じゃあ絵空さんに言わないと!」

 このとき、少し道久の事を疑ってしまった。一瞬、道久に言っていることは嘘じゃないかと思った。

 バカだな、友達を信じられなくてどうするんだ。

 それから何気ない会話をしてご飯を食べた。教室に戻って、次が大嫌いな数学ということを思い出してしまう。気が滅入る。

「おーいおいおい矢神クン!」

 急に呼ばれて、オロオロしてしまった。セミロングの綺麗な髪が視界に映った。

 二宮さんが申し訳なさそうに、僕の前に居る。騒がしい廊下でのことだ

「昨日は迷惑をかけたことを詫びる。絵空姉さんに聞いた。……すまなかった」

 そう言って頭を下げだした。周囲がざわめいて、僕を注目する。

「え、えええ!? とにかく頭上げてください!」

「矢神、昨日何かあったのか……?」

 怪訝そうに聞く道久に、分からないと返した。二宮さんは体を曲げたままでいる。

「……あのとき、記憶はなかった。徘徊していたらしい、学園内を。それで」

 学園内を、徘徊? 僕が見たのは大きなトカゲだ。じゃあ、あれは――

「それで絵空に迷惑かけたんだ。ザマァないね」

 通りすがりの呟きだった。僕と道久、騒ぎを聞きつけ教室から出てきた絵空さんがそっちに顔を向けた。

 久崎さんだ。持っているファイルは人気アニメの男キャラのシールとイラストが描かれている。なんというか、イタイ人だ。

 僕自身、少しムッとした。二宮さんに悪気は無かったんだから。当の二宮さんは悔しげに顔を歪めていて、今にも掴みかかりそう。

 でも、真っ先に食い付いたのは道久だった。

「事情も知らないでよく口を挟めるな?」

 慌てて道久を止めようとしたけれど振り払われた。久崎さんは目を見開いて立ち止まる。手の中にあるファイルがくしゃりと歪む。

「調子に乗りすぎだ」

 ため息交じりの声色だ。絵空さんを目で探すも、いなかった。……助けてくれるかと思ったのに。

「お前は不良になんてなれない。ただ痛々しいだけだ。いつになったらそれが分かる」

「あんたに、あんたに何が分かるっていうの!」

 ヒステリックな叫びに耳が痛む。ギャラリーたちが騒ぎ出した。――久崎って意味わっかんねぇよな。あんなアニメ好き主張してさ――そうそう、つーかキモい――道久と矢神で何か妄想してるとか無いわー――

「不良になったつもりはするな。気持ちが悪い」

 僕の知っている道久の声ではなかった。カタカタと震えだした久崎さんは、口を震わせている。――そういえば知ってるか、アイツ。尾高のこと――なにそれ、聞いた事ねーけど――アイツ、中学のときけっこうヤバい奴らしくってさ――

「……たしは、あんたみたいになりたくって」

 か細い呟きが、ギャラリーにかき消された。

「矢神」

「ふへ!?」

「……行くぞ」

「う、うん」

 そこには僕の知っている道久はいなかった。怖い。怖かった。嫌な記憶が蘇って吐きそうになる。

 授業までの時間、数分ぐらいだけれども道久は何も話してこなかった。自分の席に着いてから、本を捲る事が精一杯だった。手汗でページがよれる。あれこれ飛び交う言葉を耳が拾う。目の前の文字列が頭の中に入ってこない。僕は何をしているのだろう。

外にいるギャラリーと、二宮さんに久崎さん、絵空さんを見る事なんて出来なかった。


 その後の休み時間も、掃除の時も道久は無言だった。話しかけてはいけない、そんな気がした。だけど、帰りの時間になってようやく口をあけた。

「ごめん」

 それだけだった。どうにかして僕は笑顔をつくる。変に力んでしまう。上手く笑えているだろうか。

「ううん。気にしてないから」

 でも、やっぱり無言だった。モヤモヤしながら寮に着くと、道久が話があると言い出す。

「……ほんっとうにごめん。話しにくくて」

 そうして、僕は彼の部屋にいる。少し散らかっている部屋は、生活感が溢れている。

「別に、気にしてなんか」

「矢神は分かりやすい」

 道久が笑う。いつもの、僕が知っている顔だ。安心して変な声が出てしまう。

「薄々気づいているだろうけど、俺は中学の時は不良やってた。そういうアウトローっていうのか、かっこいいと思ってな。今思い出すと恥ずかしいけど……」

 ちらりと僕を見てきた。頷いて、続きをせがむ。

「久崎は、幼馴染だ。俺が好きなアニメを見ればアイツも好きになって、マネばかりしていて……鬱陶しかった。でもアイツみたいなヘタレがなれるわけ無い。こっちに来て、俺は不良を止めたんだ。だがアイツはついてきて、不良になったつもりでいる。所詮はつもりだ。周りから反感買われて当然だ。正直、ザマァって感じ」

 すると、道久は髪をくしゃくしゃにした。不自然に色づいた部分が見え隠れする。

「……黙っていて悪かった」

「道久……そんな、僕はちっとも気にしてなんかいないよ」

 僕にとって道久は道久だ。ゲームとアニメが好きで、気が合う友人だ。不良だったことには驚いたけれど、僕と接してくるときはそんな面影は見せない。

 とはいっても複雑だ。昔は昔だし、今は今と思っても何かが喉に突っかかる。

「俺が不良を嫌う理由はそういうもんだ。やっていたから、どれだけ馬鹿らしいか野蛮なのか分かる。矢神は不良になんてなるなよ?」

「ならないよ、第一僕は……」

 言い止まってしまう。道久は僕に過去を話してくれた。

僕も話すべきだろうか。心臓の奥が痛む。

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