2-3


 その日の夜。僕は学園探索に行こうとしなかった。道久とゲームをして疲れたし、ちゃんとした睡眠をとりたい。授業中居眠りをするのは避けたいのもある。

「……はぁ」

 だけど眠れなかった。寝返りを繰り返したり、体を動かしたりしても、睡魔は一向に来ない。目を瞑ったって羊を数えても無駄。

 声が響いている。耳鳴りのように。

うるさくて仕方がない。

 助けて、大嫌いとかなんとかずっと鳴っている。いいから寝かせてほしい。明日は一時間目から体育で、二時間目に大嫌いな数学Ⅰがある。ただでさえ分からない分野なのに、意味が分からないからって寝てみろ。授業の内容がちんぷんかんぷんになって、テストじゃ赤点真っ逆さま。

 それだけは絶対に嫌。補講とか追試とかでゲームの時間が取られるなんて嫌だ。

 だけど、全く眠れない。変な耳鳴りが僕を寝かせない。

「ああもう!」

 思い切って部屋を出た。スリッパをぺたぺた鳴らし、玄関まで歩く。途中誰とも出くわすことは無く外に出られた。おかしいな、いつもは不良がいるのに。

とても静かな夜だった。空は雲に覆われている。月は見えない。

「何なんだよ、この声は……」

 外に出てみても変わることはなかった。

体調が悪くなったら、新鮮な空気に当たるといいっていうのに。声は酷くなる。ガンガン叩いてきて胃の中も荒らしてくる。きゅうううと縮まって、モヤモヤキリキリして、少し歩いて、僕はその場でうずくまった。寮の庭から出るか出ないかの所で。湿った土の臭いが現実と告げている。

「……きみは」

 綺麗な声がした。まるで天使のような、透き通った声。

 って……天使?

「…………どうした。こんな夜に」

 魔法少女という名の天使だった。ぶっきら棒な口調で、彼女は僕を見下している。マゾなはずじゃないのに嬉しかった。でも吐き気と頭痛が酷くなった。それでも、僕は精一杯の笑顔を作る。

「また、あえ……た」

「は?」

 そのときだった。脳内の声が強くなる。なんて言ってるかは分からない。ぐちゃぐちゃの言葉が響いて、肩を抑えてきた。

「っぐう!?」

 神経と言う神経を逆なでするような、あるいは、棘の付いた鞭で叩かれているような。傷口に塩を塗られているような。とにかく不愉快で気持ち悪くて痛くて、死ぬんじゃないのか、このまま! 現実とは思えない。悪夢の一部だだと信じたいけど、掌に張り付く地面は湿っぽい。

「マミ……!」

 魔法少女は校舎に目を向けて叫んだ。

「おい、平気か?」

「あの……きみ、は」

「あたしの言うことを聞け。ゆっくり、ゆっくり息をしろ」

 言われた通りにすると声が遠ざかる。動悸も痛みも収まってきた。頭痛もなくなって、ぼうっとしてしまう。水泳後の気怠さが僕を包む。

「……矢神……ごめん」

 なんで彼女が謝るんだろう。僕は「君は悪くない」と言おうとした。けれど口が動かない。全身に力が入らないなんて。睡魔も今になってやってきた。

「……はやく、マミを……真実マミを止めないと!」

 魔法少女は僕を突き飛ばした。物に力を入れた反動で駆ける、その要領で。

ここは抱きしめるんじゃないの!?

 じゃなくて、魔法少女は「マミ」と言っていた。さっきのアレは「マミ」という人の仕業だろうか。起き上がって、髪についた石や砂を払う。あの子を追いかけよう。僕自身に起きたことが気になる。それに、僕の名前を呼んでいた……気がする! つまり、知り合いかもしれない。そうじゃなくっても、なんだか放っておけなかった。

 寮から校舎までの灯りは少ないのでけっこう暗い。息もしづらい。背中は汗でびっしょり濡れていて気分は最悪。しかし好奇心が僕を突き動かす。

「でも、どこにいるんだろう」

 いつものように侵入して、ポケットに入っていた懐中電灯を取りだす。カチッという音と共に視界が晴れる。

 またあの化け物に出会ったらどうしよう。必ずしも魔法少女が助けてくれるわけじゃない、かもしれない。

「……駄目だな、僕は」

 無機質な緑の非常口と奥の見えない廊下が不気味で、たまに見かけるゴキブリでさえ恐怖の種になる。

 魔法少女を探しに……気になって来たのに怖気づくなんて。やっぱりぼくは臆病者だ。

 ……絵空さんなら、怖がらないだろう。

スニーカーのまま歩いてしばらく。眠気が強くなる。ここはどこだろう。適当に歩いたことを後悔する。

「ん、と……」

 懐中電灯でそこら中を照らす。どうやら三年生の教室棟にいるらしい。教室を見て分かった。……通りで見覚えが無いわけだ。肩を落とし、まっすぐ進んでみる。窓に反射する僕の顔は少しやつれていた。もしあの時寮から出ていなかったら、しっかり寝ていたのかな。

「行き止まり?」

 目を凝らすと壁が見えた。仕方がなく引き返すと階段に行き当たる。どうしようかと考えて、下方を覗き込む。踊り場に扉が見えた。学園のどこにでもありそうな、何の変哲もないけど、

 あんなところに扉ってあったっけ?

 不安に思いながらもそっちに行ってみる。階段を下りているとき、汗が目に入った。片目から涙を零しつつ、僕はドアノブに触れる。ひんやりと冷たかった。

 片目を拭い、懐中電灯を前方に向ける。

「なんだ……渡り廊下じゃん」

 その場で座り込みそうになった。僕が見たのは、見知った場所。毎日通っている屋外廊下だ。懐中電灯はポットに入れておこう。

 うん、きっと大丈夫。そう言い聞かせて進んだ時。

「gyahehehehehehehhe!!!」

「へっ?」

 甲高い声がした。恐る恐る振り向くと、そこには「化け物」がいた。

「あ、わ、わ、わ……!」

 そいつは、まるで人型トカゲだ。僕より大きい。悲鳴が出そうになって口を抑える。

トカゲには髪があったが何色かは分からない。長い舌を垂らしていて、ちろちろ動かしている。手にはテニスラケットが握られていた。

 トカゲは僕に気が付いていないようだった。

「にげ、なきゃ」

 ひぃひぃと息が漏れる。口を手で押さえ、どうにか呼吸を安定させる。

 ブシュルルルウとトカゲは鳴いて、背を向けた。

チャンスだ!

一歩ずつ、一歩ずつ引いた。手を口から離して、深呼吸を繰り返す。歯はガチガチかみ合って、腰はガックガクだ。冷や汗まで流れている。指先は強張って、何かを掴みたがっていた。

「うあっ!」

 踵に何かを引っ掛けた! 両腕を振り回したけれど、その場で尻もちをついてしまう。小さな段差に足をとられただけだった。ただ、床がコンクリートでお尻が痛い。

「baruuuu?」

 ギャッと叫びそうになって、また口をふさぐ。トカゲが振り向いたのだ。

 風が僕を撫でる。全身に悪寒が走った。

 雲の合間から月が姿を現す。やけに明るい満月が、トカゲに光を与えた。

 月は僕の前方に見える。トカゲは月を背にしている。

「ヤバ……ッ」

 僕が立ちあがるよりも早く、トカゲが走ってきた。やたら筋肉質な脚が見える。

 クラウチングスタートの格好をとった僕は、前に進むことだけを考えて走った。息を切らせつつ、特別教室棟に行こうとする。

 だけど、僕よりもトカゲは早い。奇声が頭上を飛んでゆく。ラケットを振っているのか、ビュンビュン音がする。奴はすぐ後ろに居るのだろう。

「っはあ……!」

 二メートル先に扉が見えた。そこに手を伸ばすが届かない。某海賊漫画の主人公の能力が羨ましくなった。一か八かで全速力で走る。思いっきり足を踏み込んで、大股になった。ノブはすぐそこだ。限界にまで伸ばした右手で掴む。ほんのり生暖かい。

 思い切って手首を捩じるのだが、

「あか、開かない!?」

 ノブはビクともしない。警備員さんか職員さんが閉めたに違いない。

 窓ガラスにトカゲの姿が映りこむ。よく見たらコイツ、狩ゲームに出るザコモンスターそっくりだ。

 振り返った僕は、持ち上げられたラケットを見る。トカゲは僕の事を見下ろしていた。

「gyaruuuuuuu!」

 ラケットが下りてくる。咄嗟に両腕で頭を庇う。最悪腕が折れるだけだ。歯を食いしばって覚悟を決める。が、痛みは来なかった。

 僕の真隣にトカゲが突っ込む。ぎゃんと叫んで、思わず身を引いてしまった。

 颯爽と現れたのは魔法少女だった。肩で息をしている。僕が呆然としていると、トカゲを担いだのだ。

「うええ!?」

 彼女はどうかした、と言わんばかりだ。あまりにも自然な動作だったため、僕は口を挟まないことにする。きっと魔法少女なりに考えがあるんだ。そう自分に言い聞かせる。

「……とっとと帰るぞ」

 顔を逸らし、彼女は特別棟へのドアを開けた。無機質な音がする。

 焦りすぎたあまり開けられなかっただけだろうか。それとも、魔法少女が凄いだけなのか。とりあえず、僕はついて行くことにした。

心臓が今にも飛び出しそうだ。だって、また会えたんだ。魔法少女に。

「あ、あのう」

「なんだ……?」

「どうして、こんなところに来るんですか? 魔法少女さん」

 すると、彼女が足を止めた。強張った顔で僕を見つめる。

「えっと、魔法少女さん?」

「お前は…………何を見ているんだ?」

 怪訝そうな顔をして、魔法少女は口をへの字に曲げる。不貞腐れた顔をしてもやっぱり可愛らしい。ぼうっと見惚れていると。突然ステッキを振り上げ、目の前に突き付けてきた。

「これは何に見える?」

「え、えっと、可愛らしいステッキです……」

「じゃあこれは?」

 ステッキを持ちながらスカートを引っ掴んでいる。

「フリルが沢山の……お洋服」

 魔法少女さんは目を点にさせた。頭をかかえて僕を睨んでくる。

「…………本当なんだな」

 疲れ切って、かすれた声だった。

 魔法少女らしくない顔が、僕を夢から覚まそうとする。



***


 あたしの前にいる男子、矢神楓はとんでもない事を口にした。

 バッドを見てステッキだの、ジャージを見てフリルのお洋服だの言いやがる。

 こんな近くに居るのに、彼はあたしを「魔法少女」と呼ぶ。これも真実の仕業だというのか? いや、そもそもおかしいのはあたしかもしれない。

 舎弟らは真実のことを見たと言っているので、幽霊の彼女の仕業かと疑っていたけれど……

「な、なにって僕は」

 矢神は今にも泣きだしそうだった。こういうの、むかつく。ウジウジしている奴はぶん殴りたくなるが、止めた。抱えている二宮をおろし、彼の顔を覗き込む。

「魔法少女……さん?」

 彼の目から、大きな涙がこぼれる。頬を伝って落ちて暗闇に溶けてゆく。

 こいつは、またあたしを魔法少女と呼んだ。

 思わず座り込みそうになった。やっぱり、勘違いなんかじゃなかったんだ。

 矢神は……いや、あたし以外の人は、あたしを「魔法少女」として見ている。

 夜の校舎で狂った舎弟らを矯正するあたしを、魔法少女と……

 二宮を抱え直し、震える足を無理やりに動かした。矢神があたしを呼び止める。振り返る事なんて出来やしない。逃げたい、今すぐここから逃げたかった

 あたしが魔法少女だって? 馬鹿馬鹿しい。そんなこと幻に違いない。

 もしそうだったら、それは、それは……


 真実は唯一の理解者だった。彼女は不良にしてオタク。魔法少女好きのあたしと仲良くしてくれた。ただのキモい女から、最近の可愛い女の子にしてくれた。

 髪を整えて、化粧の仕方から、人を不快にさせないための声のトーンと口調まで、あたしを変えてくれた、すこしクサイ言い方をすれば救世主。

 夢というあたしの名前に対して、彼女の真実という名前は、対照的で。そこがどこか面白かった。

 彼女のおかげであたしは変われた。それこそ、冴えない子が可愛らしい魔法少女になったかのように。

「真実……どうして」

 真実は勘違いのイジメで自殺した親友だ。

彼女は、あたしを恨んで死んでいった。


***

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