2-2

 今日のお昼は総菜パン。家がパン屋なので、両親は日持ちの良いパンを送る。在庫処分……じゃないと信じたい。中にはこの総菜パンみたいに、消費期限が近いやつもある。一種の嫌がらせなのか何なのかは分からない。でも嬉しいと言えば嬉しい。食費が浮く。

 だけど、お母さんが握ってくれたおにぎりを食べたい。

「いいよなぁ、矢神は。タダ同然だし」

「飽きてきちゃうよ」

 僕の隣で笑う道久が食べているのはサーターアンダギー。近くのコンビニで安く売られていて、僕も好きでたまに買っている。カリッとした感触に油分と甘味、中のふわふわがたまらない。

 思えば、僕は道久の家庭事情を聞いたことが無い。少しだけ気になるけれど、もし道久にとって「地雷」だったらどうしよう。変に気に障ったら、やっぱりイヤだから聞かない。

 サカトーに来る人のほとんどは、何かしら原因がある。何か――不良にまつわることがあった。僕も同じだけれども。

「矢神、パン落ちかけてるぞ」

「へ? ……あわわわわ!」

 指摘され気が付いた。残りの総菜パン――焼きツナパンを口の中に無理やりねじ込む。もちもちした生地と、どこか懐かしい味のツナが口いっぱいに広がってゆく。食べすぎたせいで重いけど。

「ドジというか、天然というか……いやドジか」

「うむむんんんぐむ!」

 ドジなんて失礼な! 僕はそう言ったつもりだが通じていない。道久はゲラゲラ笑いながら「ハムスターみたいだ」と僕を指す。どうにか飲み込むと咳が出る。少し苦しかった。

「あのさ道久、僕はドジでも天然でもないんだよ!」

「いや……自覚無いだろうが」

「もう!」

 なんだか馬鹿にされた気がする。上下の唇をぎゅっと合わせた。けれど悔しさは無い。道久は僕をからかっている。悪意なんてない。そうじゃなかったら笑えてこない。何がおかしいのか分からなくて吹き出してしまう。

「ほら、拗ねるなって」

 悪意があったら、こうやって僕の肩を叩いたりしない。笑ったりしない。

「ふっははは! 痛いってば」

 考えすぎだろう。僕はもう一つのパンを取りだす。大好きなイチゴロール、生クリームが沢山使われていてもちろん消費期限は短い。もっと日持ち出来たらいいのに。

 コツン、と音がした。後ろからだ。なんだろうと振り向くと、絵空さんが立っていた。僕等は階段の下の方にいて、絵空さんは踊り場に居る。

 距離がありすぎて、スカートの中が……見えている。

 どうしようかと迷う。絵空さんは何か考えているのか、腕を組んだままトコトコと下りてくる。僕は視線を九十度変えた。普段見えやしない禁断の領域が、しっかりと脳にまで焼きついている。

「ごめん。通る」

 道久は気が付いていなかったのか、凄く驚いていた。壁に身体を引っ付かせて、目を真ん丸にした。僕はその場で小さくなる。

 ふんわりといい匂いが漂った。僕は絵空さんの脚を見てしまう。産毛が揺らいでいる。いけない、と思いパンに目を向けた。淡い桃色のロールパン。絵空さんの下着の色と、同じ色だ。

 首を左右に振って下着のことを忘れる。忘れようとした。顔が熱い。火照っている。

 黒い靴下の上にある程よい太腿、もっとその先、桃色の布。白い水玉模様と、白いリボン。今まで僕がそういう下着を見たかと言うとそんなことない。大好きな魔法少女心音ちゃんに誓って。初めて見たナマのそれがへばりつく。歯にくっついた海苔のようにしつこい。

「……ねぇ」

「はひ!?」

 反射で顔を上げた。心の声を聴かれたと思って、変な声が漏れてしまう。目の前には絵空さんが居て、僕の事を見下ろしていた。気怠そうな釣り目が僕を射抜く。

 桃色水玉リボンが過ぎ去る。

 サカトーのスカートの奥に潜む盾。誰もが履いていて当たり前で、ありふれた存在なのに。どうしてこんなに意識してしまうのか。たった数秒、偶然見ただけなのに。

 同時に夜中の校舎にいた化け物を思い出す。あのときも、僕は震えていた。

 絵空さんは魔法少女じゃなくって、化け物なのだろうか……?

「…………なんでもない」

 絵空さんの目は、一瞬だけ輝いていた。気がする。そして呆然とする僕と道久に背を向け、下の階へ消えて行ってしまった。

「っは~……」

「うあー……」

 全身の力が抜けた。

 絵空さんが上で何をしていたのかどうでもよくなった。

 あの人が放つオーラが強烈すぎる。嫌な記憶がフラッシュバックしなかったのが幸いだ。

 僕は道久の方を見た。僕と同じように、項垂れている。

「なんつーかさ……ヤバいな」

「……うん」

「ラスボス感ありすぎだろ」

 殻笑いを浮かべ、イチゴロールを齧る。甘酸っぱいクリームが僕を現実に引き戻した。

 それを流し込むように、紙パック飲料、ミルクティーを最後まで飲み干す。甘すぎて甘すぎて、僕の体は糖分だけになってしまいそう。

胃もたれしそうな中、未だに人生初の生ぱんつが脳内で踊っている。最低だ。



 僕らが教室に戻ってくると、案の定席が取られていた。

 女子の不良、ギャルたちがすること。誰の席だろうが構わず座る。んで、持ち主が帰っても座ったまま。迷惑極まりない。退いてと言えば退くし、気づけば居なくなるけれど。

「これ、捨ててくる」

「おう」

 空になった紙パックと包装紙達をゴミ箱に捨てて道久のところへ逃げる。幸い、彼の席は空いていた。

 いや空いていなかった。

「……あー」

 思わず声をもらしてしまう。道久の席は無事であったが、椅子だけ無かったのだ。

「厄介だな」

 道久は小さく舌打ちをする。僕は背後を見やる。道久の斜め後ろには女子が溜まっている。近くの机を三つほどくっつけて、八人でぎゃーぎゃー騒いでいた。休み時間残り僅かだと言うのに。

ちなみに、僕の椅子は別のグループ(ギャルじゃない)が使用中。そっちのグループは、僕らを見て何か話し合っている。そのうちの一人は立ちあがって椅子に手をかけていた。きっと持ち主が帰ってきたから返すわみたいな感じだろう。それならば有難い。

「よりにもよって……」

 けど椅子ぐらいどうってことはない。相手が相手なら話は別だ。

 道久の椅子を持って行ったグループは、クラスで一番うるさい奴ら。よく聞こえる会話の中で、僕と道久がなんやらかんやらと言っていたっけ。どんなネタにされているかは興味ない。正直どうでもいい。

「戻ってくるといいんだが」

 もはや諦めていた。僕は何もいえず黙り込む。

 あの厄介グループは達が悪い事に使った椅子を戻さない。そのせいで不良内にて争いが起きかけたこともある。厄介グループが不良たちの机を汚して放置したのが問題だった。厄介に非があるのは一目瞭然。なのに言い訳をして綺麗にしなかった。で、戦争が起きそうになったけれど救世主絵空さんによって場は解決……したと思われる。

「どうする?」

 僕は道久に聞いてみた。少しして、「外にいようか」と、返された。外、廊下も不良で溢れていた。暴れてはいない。席待ちのフリをしつつ、僕らは生徒用個人ロッカーをあさる。ロッカーは小柄で、縦幅は僕の腰ほどしかない。それらは二段に置かれ並べられている。教室側、反対の窓側に二つある。僕らのは窓側だ。

「道久、次って古典?」

 僕のロッカーは上段にある。膝立ちをしながら聞いてみた。

「そうだぞ」

「ありがと」

 教科書、ノート、単語辞典を取りだして立ち上がろうとしたときだった。

「あだっ」

 ゴツン、と僕の頭に固いものがぶつかった。後頭部のどこだ、当たっただろう場所を触る。うん、大丈夫だ。何かがかすった程度。

「ちょっとぉー外すとかだっさーい」

「やだー矢神クン大丈夫ゥ?」

 きゃあきゃあと甘い声が僕を囲んだ。大丈夫、大丈夫と片手を振るうも女子は退いてくれない。絵空さんを囲んでいた人たちだ。化粧をしていると他人に疎い僕でもわかる。目の周りを黒縁で整えているし、妙に明るい頬とぷるぷるの唇が天然ものじゃないって。

にしても、何故かやたら心配してくるのはなんでだろう。中には頭に触れてきた子もいる。

「ねぇ痛くない?」

「大丈夫? 保健室行く?」

 異性に心配されるなんて小学生ぶり。嬉しいはずなのに困惑と混乱しか浮かばない。

「腫れてないっぽーい」

「でも超危なくない? かすっただけ?」

 飛び交う会話の節々を切り取る。僕の頭に何かがぶつかった、それをこの人たちが心配している。いや、え、なんで?

「お、おい矢神」

 遠巻きで道久の声がした。追いかけたくてもかき消される。

「っていうかラケット投げんなしーないわー」

 ラケット?

「野蛮とかそういうレベルじゃなくね?」

 や、野蛮?

「もし傷があったらそれこそ戦争だしぃ?」

 柔らかい身が僕を取り囲む。生ぱんつの次はこれ!?

「あ、あの!」

ムワッと香水のニオイが押しつぶす。意識が遠のきかけた時、誰かが僕の腕を、優しく掴んだ。倒れた友人を助けるかのような手つきで。

だけど、僕は昔のあの時を思い出してしまう。

散々殴って蹴った奴らは、乱暴に僕の腕を掴んだ。その後、顔面に拳を――

「矢神クン、マジで大丈夫? 血とか出てなかったけどさ。冷やした方が良くない? ってことでコレ」

「……へ?」

 僕がまばたきすると、その人は安心したように笑う。さっきの人達みたいに可愛くてイマドキで化粧バリバリで、絵空さんより幼い雰囲気がする。RPGゲームの兵士もびっくるするぐらいアクセサリーを装備している。

「あ、ほんとに、かすっただけで」

「やっぱ弟みたいでカワイイって感じー!」

 ぺたぺたと僕の頬を撫でてくる。少しだけ爪が当たる。痛くなかった。でも怖かった。すごい色してるし盛られている? のか、すごきキラキラしていた。

「大丈夫なんだー良かったー」

「おい、やが、」

「久崎! 矢神クンに謝れっつーの!」

 さっきの優しい声はどこにいったのか。急に激しくなった。僕が知っている不良の声。久しぶりに聞いた気がする。

「ちょ、ちょっと、僕は平気で」

「きぃーてんのか久崎ィ」

 不良の数人が、教室側のロッカーに身を乗り出す。僕を支えてくれた人は心配そうに見てくる。だけど手を離して、彼女は顔をあげる。瞬時に僕は逃げた。囲っていた不良女子の興味は僕から離れていた。傍観していた別の不良たちは僕らを不思議そうに見て、何事か問いただし始めた。空気が暗くなってゆく。合わせるように空も灰色に沈んでいた。雨が、雷が落ちそうなぐらい重い。

「……平気か?」

「うん……」

 道久と合流して僕らは端っこに移動する。出来るだけ、目だたないように。

「二宮さん、案外優しいんだな」

「あ、案外って」

 助けてくれた人、二宮さんはテニスラケットをロッカーに叩きつけた。低く激しい音が唸る。

優しい人にしては随分激しい行動だと思う。怖がる僕らに反して、状況を理解した不良たちは口笛を吹いている。

「聞いてんのか久崎! 絵空姉さんの掟を破るつもりか!?」

 今度は教室のほうから音がした。

「さっきからピーパーうるさいんだけど、なに」

 教室から出てきた女子(久崎さん)は、腕組みをしている。一見すれば地味な女子だ。そんな人でさえ不良である。オタクらしいけれど、僕は関わりたいと思わない。

 久崎さんは厄介グループのリーダーだ。二宮さんは絵空さんの元にいる女子集団のトップ。この二人が対立しているということは、また戦争が始まる。冷や汗が背中を伝う。壁に張りついて空気と同化しようとした。

「なに、じゃねーだろ。ラケット投げといてその態度か?」

 二宮さんがドスをきかせた声で言うと、後ろの女子も「そうだそうだ」と騒ぐ。

 僕はさらに端っこへ行き、道久に声をかけた。

「あの人だったんだ、ラケット投げたの」

「お前も不運だな……」

 苦笑いを浮かべてしまう。不運と言えば不運だ。一方久崎さんはかったるそうでいる。

「だから?」

 二宮さんがまたラケットをロッカーへ叩きつけた。面白そうに、不良男子が声をあげる。叩かれたロッカーは凹んでいる。どれだけの力を込めたのだろう。よく見たら、そのロッカーの名前欄には「二宮 京子」のシールが貼ってあった。他の知らない誰かのものじゃなく、二宮さんは二宮さん自身のところを叩いた。

「だから、じゃねぇーんだよ! あぶねぇだろ!?」

「ああ、うん。そうだね。つかラケット返してよ」

「てめぇ……!」

 二宮さんが身を乗り上げ、手を伸ばし久崎さんをカツアゲした。片腕で。二人とも身を乗り上げたまま睨み火花を散らす。場を取り巻く空気の中僕はただただ黙っていた。

 喉がきゅううと締まる。自分まで苦しくなるような、変な錯覚を覚えて呼吸がおかしくなりそうになったとき、

「そこまでにしろ。騒がしい」

颯爽と絵空さんが現れた。静まり返った一瞬、窓を打つ雨音が場を冷ました。

 息をするのを忘れてしまった。それほどまでに絵空さんの声は迫力があった。鶴の一声、でもないし熊の雄叫びは雄々しすぎる。ヒーローがよく言う「そこまでだ」の決め台詞、これがしっくりくる。

 すると、二宮さんが力なく手を離した。持っていたラケットは廊下に沈む。

「絵空姉さん、わたしは!」

 あれだけ豪快だった二宮さんが乙女になった。女の人の変わりざまにゾッとしてしまう。悪い意味はない。例えがたい。感情に対してまっすぐ、が正しいかも。

「ああ、分かってる」

「だって、姉さんのお気に入りが……!」

 お気に入り、とはなんだろうか。確実にではないが僕に関係している、かも。そう思った時、絵空さんが僕を見て、目を逸らす。

「久崎。お前の悪評はよく聞いている」

 絵空さんは窓に向かって話した。久崎さんに目を向けていない。そもそも、会話をする気が無いのだろうか。

「だから何だっていうんですか」

「次はない」

 それだけ言い放ち絵空さんは教室に入り、何事もなかったようにあくびをして、ケータイを弄っている。

 場の空気が元に戻ると、不良女子たちが久崎さんを睨みつつ教室へ入って行った。他の男子たちは面白そうにニヤニヤしている。二宮さんは友人に声をかけられてから動いた。落としていたラケットをロッカーの上に置いて囲まれながら消えてゆく。

「……やっぱり、不良は野蛮だ」

 道久は床に向かって吐き捨てた。苦し紛れの呟きが耳にこびり付く。

「戻ろう?」

 僕が声をかけると、道久は我に返ったように瞬きをする。

 やっぱり道久は不良と何かの縁がある。そのことが気になって頭から離れない。一方で生ぱんつと柔らかい感触は身体に沁みついていた。席が取られていたとか、ラケットか何かがぶつかったなどどうでもいい。僕は一瞬の聖域に囚われていた。

 無機質なチャイムが鳴る。まだ熱中していた残りの不良たちはいる。キャットファイトは見ものとかなんとか盛り上がっているが、眠たげな先生の「ほーれ、早く入った入った」で大人しくなってゆくのは、どこか素直で奇妙に見えた。

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