親友のトラウマは不良にあるのだろうか?
2-1
*六月三日 小雨*
今日は雨が降っていた。昼過ぎには止むだろう。雲が薄くてずっと先の空には青が見える。止んだらいいのにと雲に愚痴りたくなるけど、晴れたら今より暑くなる。ただでさえ蒸し焼き機の蒸気を浴びているものなのに。早く教室に入りたい。道久は暑い暑いと言いながらタオルを回している。僕はそんな元気もなくため息を吐くばかり。こんなんじゃ夏場はどうなるのだろう。
そうして、僕らが教室に入った途端、
「矢神楓だな。少しばかり時間を貰う」
エアコンの除湿による風と一緒に、真正面から呼び出しをされた。
絵空さんに。
本当に心臓が止まるかと思った。もしかしたら止まったかもしれない。他の不良たちは動揺していたが、野次を飛ばさず、怪訝な顔もしないで、視線をチラつかせるだけ。
眠そうで怠そうな絵空さんは豆乳飲料(バニラアイス味)片手に僕を手招きする。昨日も変な味の豆乳を持っていた気がするけど、バニラアイス味って……?
「……渡したいものがある」
ぢゅごごごご、と豆乳を吸い込んでいる。おいしい以前に、どんな味がするのだろう。バニラアイスだよ。飲むタイプのアイスはあるし僕も好きだけど、いや、えぇ。
「…………ほら」
と、言われても体が動かない。道久は「矢神、大丈夫か?」と体を揺さぶってくる。いや全く大丈夫じゃない。
すると大人しかった不良たちが僕を睨んで、あれやこれや言いだした。
「お前! 絵空さんにお呼び出しをされるとは光栄な事なんだぞ!」「羨ましいなぁ……オレも呼び出しされたいぜ」「あ~ん、姉さまってそんなショタ趣味があるんですかぁ~?」
決して怒っているわけでも怖がらせる内容でもなかった。それが僕を苦しめる。違和感が酷い。どうして絵空さんを持て囃す言葉ばかりなのだろう。
「周りが……うるさくならないうちに、ほら」
絵空さんは呆れたような顔をしている。
「は、はい……」
周囲に威圧されながら、僕は足を出した。同時に手も出た。ぎこちないロボットのように僕は歩く。絵空さんは少しだけ笑った。けどすぐにつまらなさそうな顔になる。
ざわめきを無視して付いて行くと、一階の外廊下前に着いた。昇降口の傍にあるけれど、階段の陰になっていて目立たない。ただ、昼になると大賑わいになっている。外へ行く扉のすぐそこには自販機があるので、購買でパンを買ったついでに寄る人は多いから。
もちろん今は静か。みんな教室に向かっているからこっちに気を留めない。
「……まず、これ」
渡されたのは、一枚の紙切れだった。広げるとそれは――点数表だった。学力テストの結果が簡易ながら記されている紙。横長のぺらっぺら。レシートよりも存在感が薄い。てっきり無くしたと思っていた。でもどうして絵空さんが持っているのだろう。
「ひ、拾ってくれたんですか……?」
「違う。あたしの手帳に挟まっていただけだ」
「あ……ありがとうございます。…………え!?」
「いや。礼を言うのはあたしの方。……ここの手帳、使い勝手が良くってな。無くすと困るんだ」
嬉しげな言葉とは裏腹に、絵空さんは眉間に皺をよせた。
「……聞いていいか?」
「えと、なんですか」
「夜中に侵入して、魔法少女を探しているのはお前か?」
「…………へ!?」
「そんなことは、もうやめろ」
それだけ言って、絵空さんはふらふらとどこかに行く。僕はその背中をぼうっと見ていた。
まさかだけど……絵空さんが魔法少女?
いやまさか! いやいやまさか!
「あ、あの、絵空さん!」
思い切って僕は声を張り上げる。絵空さんは、顔だけこっちに向かせている。やっぱりつまらなさそうな顔だ。言うこと全てが拒絶されそうで、怖かった。泣きそうになった。心臓が爆発しそう。手汗でぺらぺらの紙を丸めて、はっきりと口を動かす。
「え、絵空さんは、魔法少女なんですか!?」
情けない声だった。若干裏返っていた僕の言葉は微かに響いている。
そのとき、予冷が鳴り響いた。ドタドタとうるさい足音が響く。遅刻するーと騒ぐ声が耳に入る。
絵空さんは、確かに僕を睨んだ。そして怒ったように行ってしまった。
*
放心したままの僕は遅刻寸前で教室に滑り込んだ。絵空さんの姿は無い。不良たちは僕に気を留めることは無く駄弁っていた。
朝礼二分前のとき、道久が質問責めをしてきたが答える余裕はなかった。
「僕、まずいこと言ったかも」
「マジかよ……矢神さようなら」
「なっ! なんでそんなこと言うんだよ!」
「不良のドンに目をつけられたらおしまいだ。分かるよな?」
「うん……」
「そういうわけだ」
くるりと道久は背を向けてしまった。これでも親友のすることなのか。
「…………冗談だ」
本気かと思った。道久は不良というよりチンピラが大の嫌いだから、きっと違うと信じていた。チンピラには関わりたくないとも言って言いる。昔、道久はチンピラに喧嘩を売ったらしい。で、負けた。しかもイジメの標的になった。自業自得と言えばそうだろうし、道久も反省している。
でも、ここに来た理由を聞いても話してはくれない。
謎めいた親友は悪かったと呟いた。
「でもさ。お前も分かるだろう?」
「分からなくもないよ。でも、僕たちに攻撃はしてこないでしょ?」
「まぁ……」
「きっと根はいい人なんだよ」
不良たちが僕に飛ばしていた言葉を思い返す。全部が絵空さんに関すること。僕を虐げる内容は無かった。
と、朝礼のチャイムが鳴った。道久は「お人よしなんだから」と言って、席に戻る。彼を見送って席に着いた。
しばらくすると先生(独身二十七歳、自称 恋人募集中の喪女)がやってくる。
「喪せんせー! おっはよーう!」
女子の一人が声をあげると、ドッと笑い声がする。
「わーるかったな、喪で」
喪女というのは、オタク女の一つらしい。そういうのに詳しい友達が言っていた。二次元のキャラや声優さんが好きで、リアルの恋愛をしたことない人、らしい。先生は喪女である自覚をしつつ恋人相手を欲しがっている。将来のために。
それって喪女じゃないと思うんだけどなぁ……
先生は化粧が薄いだけで、ごく普通の教師って雰囲気だ。オタクらしさの欠片もない。
伝達事項が終わると、ガラガラっと扉が開いた。けだるげな顔の絵空さんがいる。
「もう……また絵空事さんは」
「あ?」
ヒッと先生が声をあげる。気のせいでは無かった。先生は「絵空事」と言った。
そういえば、絵空さんの苗字……本当は「絵空事」だっけ。みんなが絵空さんって言っているから記憶は正しくない。思えば、学生手帳の名前欄も絵空だった。
「絵空さん、遅刻ですよ」
「寝坊」
「でも、さっきまで校内に」
「残念。それは残像です」
不機嫌そうに絵空さんが歩く。嘘と分かるのだが、絵空さんの態度は寝坊したのに寝不足って感じがする。
こうして朝のホームルームは終った。次の授業の用意をしていると、道久が恐々と話しかけてきた。
「なにが大丈夫だよ。見て聞いただろう。不良は野蛮なんだ」
反論は出来なかった。
道久が言っているのは、さっきの絵空さんの態度のこと。相手を威圧するように食いかかって、声を張り、力強く睨む。まるで飢えた猛獣。
「でもさ。何もしなかったら関わらないって」
まぁ……と道久は頷く。
サカトーでは理不尽なイジメは無い。それは道久も知っている。関わりが少ないから。だから、これ以上不良の事は話されたくない。変に話して目を付けられたくないし。
それより、と道久が口を尖らせる。
「でさ。今日の夜も行くのか?」
「魔法少女探しのこと? それなら……どうしようか考えていてね」
と言ったところで一時限目を知らせるチャイムが鳴る。慌てて席に戻る彼を見送って、一人考え込む。今晩も行ってみようかな、あの魔法少女に会えるのならば。
でも絵空さんは「もうやめるんだ」と言ってきた。
考えれば考えるほど絵空さんが気になる。魔法少女と関係がありそうだし……というより、魔法少女かもしれない。確証はないけれど、そんな気がする。
決めつけちゃいけないだろう。まずは、絵空さんについて深く知らないと。
*
昼休み、僕は道久に「ちょっと用事がある」と伝えた。騒がしい廊下を突っ走り、購買のある一階ロビーに駆け込んだ。サッと必要な物ものだけ買い、購買裏の屋外ベンチにいる。
「……っていうことなんだ」
「成程把握した」
困ったときの相談役、成瀬に聞いてみた。彼は中学生の頃からの友達。ちょっと、いや、かなりの変わり者として有名で周囲から一目置かれていた。もちろん悪いヤツじゃない。僕の理解者であり、いわゆる同胞だ。
「何故不良の長を……いや、いい。任せておけ」
「いいの?」
僕はこの件――絵空さんについて調べる事――は断られるかと思った。一気に肩の荷が下りる。重い息を吐いて伸びをした。なんだか体が軽い。
「当たり前である。昔ながらの友人の頼みだ、断るわけはない」
「やったぁ!」
お礼に焼きそばパンをあげた。成瀬の家は厳格なため、パンを含め洋食は禁止されている。でも、中学生のとき機会があって焼きそばパンを食べてしまった。そうしたらその味に嵌ってしまい、頼みごとの際は必ず惣菜パンを渡している。以前、それこそサカトーに来る前は家のパンを渡していたから金銭的に楽だったけど。友達にケチなこと出来ないからいいけれど。
成瀬は「かたじけない」と、にっこり微笑んだ。包装を丁寧に破いて、パンにかぶりつく。僕は購買で買った紙パック飲料を飲んだ。とても甘い、ミルクティーが口を潤してゆく。
「じゃあ、友達が待っているから」
「うむ」
日陰になっているここは、成瀬のお気に入りの場である。人気のない場所だし、とても静かで心地いい。僕が立ち去ろうとすると、成瀬は座禅の準備に取り掛かっていた。パンはない。既に食べ終わっていた。
昇降口に戻ってみると、道久を見つけた。階段の傍に居る。ケータイの画面をつついているので、きっとゲームでもしているのだろう。
「待っててくれたの?」
「ああ。教室は居づらいからな」
「だよねぇ……」
教室に居座っているのは不良たち。構ってはこないものの雰囲気が合わない。変な対立は嫌なので、僕らは自主的にどこかに行く。
僕と道久は、特別教室棟の踊り場でご飯を食べている。誰も来ないし日当たりも良い。地べたで座るわけにはいかないので、階段に座っている。
そこまでは屋外渡り廊下を通ってゆく。教室棟から特別教室棟までの長い距離を歩いて、やっと着いた。ドアを開けて棟内に入り込む。
「え」
いつもは誰もいないはずだ。しかし、そこには先客がいた。誰かを待っているのか、壁に身体を預けている人――絵空さんがいた。スマホではなく、僕と同じ「パカパカケータイ」を使っている。
なんだか、ちょっと。いや、かなり意外だ。
「絵空……さん?」
「邪魔した」
それだけ言うと、上の方――理科室がある四階に行ってしまった。
道久はポカンとしていたけれど、すぐ何事も無かったかのようになる。絵空さんを追いかけたかったけれど、僕は我慢した。
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