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***


 数ヵ月前のことだ。まだ寒くって、春が遠い季節。

 あたしは焼肉店で短期バイトをしていた。春休みという短い間だが、ホールで仕事をしていた。楽と言えばそうでもなく、難しくも無かった。高校生でもできる簡単なお仕事ってやつ。

ある日、うっかり遅刻してしまった。出勤時間を間違える初歩的なミス。さすがのあたしも胆が冷えたし連絡をした。そのとき、あたしの意思に反して言葉が飛び出た。

「インフルかと思って病院に行ったらノロの初期症状だと言われ、点滴してました」

 すると、今日は帰っていいよむしろ帰って休んで! と返された。

 非常に胸が痛んだ。人手は足りていたし、大丈夫だから。と、何度も言われた。

 辞めてからも誰にも打ち明けていないこの呪いは、今でも心に根付いている。

そして、二年前のあのときを思い出してしまう。あたしはあのときも嘘をついた。その嘘で大事な友達を殺してしまった。

 普通の高校生活に戻った今。多くの舎弟の上にいる。一年生といった小さな世界での話になるが。

「姉御! また明日お会いしましょう!」

「姉御!」「姉御!」「姉御!」

「ああ。……明日な」

『ウオアァァーっ! 姉御が俺らに手を振ってくださったぁー!』

 うるせぇ。心の中で舌打ちをした。彼らは何でも言う事を聞いて従う。口に出さなくっても伝わる、従順な、純粋な生き物だ。大事にしてやりたい。守りたい。ふつふつと湧く感情は生暖かく気持ち悪く、愛おしかった。

試に飲み終わった豆乳飲料(紙パック)を放り投げると、捨てておきます! と、威勢のいい声がした。

 舎弟と別れてしばらくすると、スカートの短い女子たちが飛びついた。中には規定通り守る娘にあえてロング丈もいる。髪型も様々でみんなお洒落が大好き、自分が大好き。

「絵空姉さまぁ~」「あっズルい! 姉さまに抱き着くなんてー!」「私も私も!」

 黄色い声援が耳に響く。うるさくてたまらない。でもそれを顔にだしてはいけない。

「お前ら……邪魔だ……歩きにくい」

 笑いながら、彼女らを引き連れて寮に向かう。ここの女子寮は男子寮と比べれば新しくオシャレ。例えるなら豪華なペンション。というのは一年生の話で、先輩方は普通の建物で寝泊まりしている。何事も無ければあたしもあっちへ進学していた。あの人たちがあたしらをどう思うかなど知りもしない。旧友とは縁を切った。

 過去を振り払い、むさ苦しい女の臭いを吸いながら扉を開ける。待ち受けていたものは……他クラスの女子だ。スカートの下にジャージを履いている娘、化粧バリバリの子、前髪ぱっつんでリストバンドをしている怪しい生徒……彼女たちはあたしを見るなり声をあげた。アイドルを迎え入れる群衆、冷めた目になってしまいそう。

「……退いてくれ」

 彼女たちはあたしの言うことを効かずきゃあきゃあとはしゃぐ。いっそのこと蹴り飛ばしてやろうか。だけどそんなことはしない。

彼女らは無邪気でいる。敵意の無い相手には手をあげない。誰かを傷つけたくないし。

「って……聞いているのかっ……!」

 鬱陶しい波をくぐり抜け一目散に走る。彼女たちは追ってこない。いけず~などと喚いていた。すぐさま自分の部屋――細い廊下を渡って右隣にある扉の先の先、階段を上ったところに飛び込んだ。

 ここは特別な部屋だ。他と比べたら少し部屋は広く、窓から見える景色は最高。なんていったって、ここはペンションの真ん中。成績優秀者のみが選べられる。遠いけれど距離なんかどうでもよくなる、この快適さは。

 この部屋欲しさに猛勉強する生徒は少なくなかった。あたしは元々勉強好きというわけではないが、物覚えはいい自覚がある。ここのテストが緩くほぼ暗記物だからサカトーという小さい世界の王者に君臨できる。でも、これが全国レベルだと中の中ぐらい。

 ここでトップになれても嬉しくない。

「……はぁ」

 ベッドに転がって昨日のことを思い出す。

 あたしを魔法少女と呼んだ生徒。彼は誰だろう。暗くてよく分らなかった。きっと同じクラスのやつに違いない。彼とはその前にも会った気がするが、どうだろう。

「あたしが魔法少女ねぇ……」

あのときのあたしは、片手に「叩いても死なない程度の玩具のバット」を持っていた。ジャージ姿で、化粧もせず、歩き回っていたんだ。おお恥ずかしい。

アイツの目は相当腐っているようだ。ダサい芋いあたしに情熱を感じていたなんて、いくら暗闇といえども分かるだろ。

それこそ、夢でも見ていたに違いない。

きっと噂を聞いてやって来たバカだ。確か『サカトーに魔法少女! 夜中に目撃!?』だったかな。最近聞いていないけど。

「もしかしなくっても……」

 ……噂の魔法少女はあたしのことかもしれない。確定では無いが、昨日であったアイツか誰かが広めたに違いない。何せ、きちんと深夜徘徊をしているのはあたしぐらいだ。

暴れている舎弟を正気に戻していただけなのに。


 事の初めは、噂が起きる前の数週間前。舎弟の何人かが深夜、校舎で徘徊していた。奴らは他人に迷惑をかけないルールに沿って活動している。やらかした連中を取り締まる役目は、まぎれもないあたし。

 あの時の舎弟たちはおかしかった。目は虚ろで奇声をあげていた。何を言っても聞かないで、手当たり次第物を壊していて、殴ったら正気に戻った。

 暴れていた舎弟たちに話を聞くと、誰かに話しかけられていたらここに居た。自分で来た意思はないし、寝ていたはず。

 彼等が嘘をついているとは思えない。そもそも、舎弟を信じられなくってどうする。あたしを慕うみんなを信じられないなら、この場から身を引かねばならない。

「本当だって信じている。なにかあったんだな」

 舎弟らが暴れていることは広まっている。どうにか宥めているが、時間の問題かもしれない。

大きな事になる前に、どうにかしなくては。

「しっかし……皮肉だな」

 二年前に亡くなった彼女の事を思い出し薄ら笑う。もし償えられるのなら何でもしたい。あたしは、それほどまでに彼女へ酷い事をした。

 それにこの騒動……彼女が関わっているかもしれない。でも彼女はいない。じゃあ誰がしている? 幽霊がこの世にいるとでも? いや、もしかしたらそうかもしてない。

 幽霊はいる。おばあちゃん、おじいちゃん、お母さんに叔母がよく話したじゃないか。

 でもあたしには見えない。幽霊は本当にいるのだろうか。

分からなくなって、思いっきり生徒手帳を握り締めた。

手帳は少し曲がっていた。あたしを魔法少女と呼んだ変な子が、机に入れてくれたんだろう。わざわざ夜の校舎に侵入して。勇気のある奴だ。あたしが関わってい物騒な噂が昇っているのに、大したものだ。

……じゃない、だとしたらあたしの趣味がバレた可能性がある……が、どうでもいい。あたしの趣味は舎弟も知っているし茶化さない。

「…………なんだこれ」

 手帳に何か挟まっていた。先日行われたテストの得点表だ。細長いそれは二つに折られている。あたしのヤツは筆箱に入ったままだから、誰のだろう。

 誰かの得点表を見るのは気が引けるが、持ち主確認のため。仕方がない。やむを得ない。

 すまない、と心の中で謝り開いた。

 残念な点数を飛ばして氏名だけ視界に留める。

『一年二組 二十四番 矢神楓』

 ……誰。

同じクラスの奴だが、こんな名前は知らん。

 名前からして女だろうか? いや、女で「矢神」という姓はいなかった。

 じゃあ男か。礼を言うついでにこの表を渡さないと。席が分かれば入れてやれたのに。まるでその、矢神って子がしてくれたように。

 とりあえず、一眠りでもしよう。今日の夜も長そうだし。

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