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*六月二日 晴れ*

 午前六時過ぎの空はとても眩しくて目が痛い。出来ればあと五分、いやあと五時間は微睡みたかった。眠いなんて自業自得だ。むしろしっかり時間通りに起きた事が凄い。日々の習慣が根付いているおかげだと実感してしまう。カーテンと開けて窓を解放する。外界の空気は湿度で重かった。

 飛び交う言葉を掻い潜りながら顔を洗って、虚ろな顏をした道久と食堂へ急ぐ。足元が覚束ない道久が心配で手を出したけど、無言で振られた。余程眠いんだろう。

「起きてる?」

「ああ」

 道久は壁に向かって返事をした。視線の先にある木面には、薄らとそれっぽい顔が浮かんでいる。

「お前、こんな平べったい顔だったか?」

「道久、僕はこっち」

「……お」

「お、じゃないって。コントしてないで行こう」

 結局リードを引くように手首を引っ掴んでやった。ゴツゴツしている。羨ましい、なんて考えてあの人面木面を思い出す。霊感がわる訳じゃないし信じないけど、ああいうのにはゾクっとしてしまう。

ご飯は寮のオバチャンと職員さんが作ってくれる。お母さんの味って感じがしてとても人気。もちろんお残しは厳禁、だけど残すことなど無いし、おかわりが殺到する。このときばかり不良もオタクも関係ない、しっかり並んで待つ。みんなこの味が大好きだから。

 今日のご飯は焼き魚とお味噌汁、玉子焼きと白米の和食。おいしそうな匂いに空腹感が増す。セットを受け取った僕と道久はいつもの場所――廊下側の端っこで食事をした。しばらくすると他の友達もやってきた。いつの間にかいつもの顔ぶれが揃い、ゲームの話の花が咲く。

何気ない日常だ。昨晩の魔法少女は夢なんじゃないかなぁ。

面白い事に魔法少女の話題は一ミリも出てこなかった。みんな夢中になっている物を語る。あの防具が作れた、あの強敵を倒した、とか。僕らが寝ぼけている理由も忘れてしまって。別にいいけれど切り出す力も出なかった。

僕はぼんやりしながら味噌汁をすする。やっぱり赤みそは素晴らしい。他県からすればこの味噌は濃いという。信じられない話だ。赤茶色の味噌汁を目に映す。他県の赤みそは、あまりしょっぱくないのだろうか。


学園は寮住まいの人と、そうでない人で分れる。そうでない人は校舎に近い人か、寮住まいしたくない人。

僕の家はサカトーから遠く、電車を使っても三十分かかる。そこから自転車移動となれば何も考えたくない。時間も定期代も節約できるので寮を選択した。親はというと頷いてくれた。しかし心配だからと言って、週に一回ある物を届けてくれる。今週は、まだ来ていない。少しだけ待ち遠しい。

寮から校舎までほんの少し間がある。ぞろぞろと林沿いを歩く姿は、不真面目な蟻に近い。

不良たちは朝から騒がしい。近所迷惑になっていないので誰も止めない、というのも本当にここら辺は家屋が存在しない。ちょっと駅側まで行けばようやく人里に辿りつける。まるで山に住む猿、きっとサカトーを見下す人はそう言うはずだ。そんな陰口は聞いたこと無いけど。

一方僕らオタク軍は固まって静かに行動をする。目立たないようこっそりと。話はしても木々を抜ける風と葉が擦れる音レベル、僕たちに木の役をやらせたら一番頑張ったで賞を貰えてもおかしくない。

校門に足を踏み入れ、ごった煮の昇降口で靴を履きかえ、廊下を自転車走行する輩を避けてようやく教室へ着いた。

「……あ!」

 あることを思い出した。道久はまだ眠そうな顔で「どうした?」と聞いてくる。慌てて僕はポケットに手を入れる。よかった、ちゃんと入っていた。

「昨日見つけたものがあってさ。落し物」

「お前……それ」

「え、なに? 変なものじゃないでしょ」

 手帳の名前欄には「絵空 夢」と書かれている。これのどこがおかしいのだろうか。

「絵空って……まぁ、親友として言っておこう。元の場所に戻してこい」

「何言ってるんだ! 落としたものは持ち主の人に返さないと」

「いいか矢神。絵空さんはこのクラスの人。異性だ」

「知ってる」

 勿体ぶる道久を横目に、僕は席にカバンを置いた。じゃあ今から職員室まで足を運んで、先生に渡すと言うのか。誰かに託せば気は楽だけど、わざわざ礼儀正しく扉を叩いて「失礼します」を唱えお辞儀をし大声で年組番号名前と要件まで叫ぶなら、しっかり持ち主に渡したい。

 口を歪ませる僕に道久は唾を飛ばす。

「あの人がどういう人か知ってるだろう!?」

「いや?」

 同じクラスの人でなんかすごい。それ以上しか僕の脳内にはない。

「お前……もう少し興味を持てよ」

 仕方がない、と道久は僕に絵空さんがどういう人なのか教えてくれた。

 手帳の落とし主、絵空さんは不良のドン。お頭。姉御と慕われる絵空さんは、去年問題を起こして留年中。僕らと同じクラスに居るが目立った行動はしない。授業中叫んだり、廊下を自転車で突っ走ったり、そんなことしないで窓際の席でボーっとしている。授業に参加してないと思いきや、とても頭がいい。何か聞かれたらそっぽを向きつつ答える。回答を間違えたことは無い。テストの成績は凄く良かったと噂がある。

 おまけに巫女だなんて話もある。祖父祖母が神社家系でいずれはそっちに行くとのこと。

 触れたらいけない地雷と道久は言いたがっている。

「でも、それでも困ってると思うよ?」

 不良の人たちが慕っているということは、辛うじて思い出せた。話を聞いて怖いとは思うけれど、放置するなんて出来やしない。

「お人よしだな。ま、それが矢神の良い所だけどさ」

 でも彼を巻き込んでしまったら申し訳ない。これは僕の問題だ。自分でどうにかすると伝えかけた時、教室のドアが控えめに開かれた。

「おはようございます姉御!」

「今日もお美しいです姉御!」

「椅子温めておきました姉御!」

「姉御!」「姉御!」「姉御!」

 不良たちが一斉に体を曲げた。声は教室外からも聞こえる。

 ……そういえばこんな光景あったなぁ。初めこそビックリしたけれど、いつの間にか当たり前になっていた。当たり前になっていたから忘れていた。

「……おう。ありがとうな」

 姉御――絵空さんは眠たそうに不良の合間を渡ってゆく。窓際寄りの席に着くなり不良たちは何事も無かったように談笑を再開する。

 絵空さんは学園中の不良から崇められている。そんなこと一目で分かった。

 僕は、不良のドンに話しかけようとしている。ひ弱でオタクの僕が。

 オタクたちはみんな俯いている。道端の雑草を演じていた。引っこ抜かれないよう黙っている。不良たちは雑草に目もくれず、彼らの中にある良識の範囲内で騒ぐ。

みんなが互いの線を越えないでいる。捕食しない、されない。混ざり合えないから混ざらない。綺麗なようで汚い関係。

僕は相いれない存在へ踏み出そうとしていた。

いや、違う。ただ落し物を返してあげたい。これは善意だ。

 不意に手が汗ばむ。さっきまで意気揚々としていたのに熱が冷めてしまった。

やっぱ怖い。あの絵空さんの目、とってもキツイ。思い出したくない過去がぶりかえしてくる。

「お前ら、少しいいか?」

『なんでしょうか姉御!』

 絵空さんが声を上げた。思わず肩に力が入る。

 即座に反応した不良たちは敬礼している。絵空さんは窓の向こう側を見ていた。くるくると長い髪を弄っている。

「あたしの生徒手帳、見ていないか?」

 全身が固まる。不良たちはお互い確認しあう。道久が僕に目配せする。大丈夫か? と口を動かしている。大丈夫なわけが無い。僕は絵空さんの学生証を思いっきり握り締めかけてしまう。ポケットの中で。僕は見つからないよう呼吸を止めた。道久も何気ない顔を繕ってくれている。自分達は無関係、ただの雑草だと。

 ふつふつとヘドロが湧きあがる。ごめんなさいと懺悔したい。でも、誰に?

「総員、見ておりません!」

 不良の一声に対して、絵空さんは「そうか……」と悲しげに、つまらなさそうに答えた。


 手帳は渡せなかった。怖かったのだ。昔、僕を虐めていた不良を思い出してしまう。職員室にも行けなかったし、道久と隙を窺ったけど駄目だった。こっそり置きに行くマネは出来ない。むしろ、それがきっかけに面倒な事態へ変化したら嫌だ。

そんなこんなで一日が終わろうとしていた。

「……はぁ」

 夕方。僕は自室でゴロゴロしている。道久が心配そうにしていたけれど、そっとしてほしい。

 いつもなら帰ったらすぐゲームをしていた。今はそんな気分になれない。

「ごめん、道久」

 制服姿のまま、僕は丸まった。

 このまま寝てしまおう。



 あれから、僕は道久に起こされてご飯を食べた。何を食べたのか記憶にない。ただ、宿題を済ませたことは覚えている。お風呂にも入った。歯磨きもした。

 でも僕は寝床についていない。校舎にいる。ここに来た理由は一つ、絵空さんの机に手帳を入れる。道久は連れてきていない。

 日中考えていた「こっそり戻そう作戦」への危惧は取り払っていた。僕の手元からいなくなってほしい。爆弾みたいな扱いをしている。でも下駄箱には入れない。僕がされたら嫌だし不潔……じゃないけれど、なんだか気持ち悪い。

 静かで暗い廊下を渡り、ゴキブリを見てビビったり、時たま聞こえる叫び声に怯えたりしながらも、ようやくたどり着けた。

 あんなに見慣れた景色が不気味だなんて。ごくりと唾を飲み込んで、一歩踏み出、

「あなた……何やってるの?」

「ひぃっ!?」

振り向く間もなく膝と手をついてしまった。ビニル床の冷たさが沁みる。女の人の声だった。こんな夜更けに、女の人?

「大丈夫……?」

 声の主は昨日の女の子――魔法少女だった。

「え、あ、あああきききききみは!」

 魔法少女はこの間と変わらない服装のまま。ステッキも持っている。なぜか豆乳飲料(小さな文字でさくら味と書いてある)がもう片方の手に握られていた。

 非常口の明かりと、僕の明かりで映し出される彼女は退屈そうで、でも楽しそうな、複雑に混ざった表情でこちらを窺っている。

 心臓が飛び出そうだ。また汗が噴き出る。タオルを持ってこればよかった。

 彼女は黙ったままの僕を、不穏そうに見つめていた。何か、言わないと。必死になって口だけを動かす。が、声が追いつかない。

「え、えっと、昨日落し物を見つけて、それで」

 ようやく話す事が出来た。ひぃひぃとだらしない息を吐きながら、まじまじと魔法少女を眺めてしまう。ああ、やっぱり、綺麗だ。

「落し物……?」

 遠吠えが聞こえた。犬のものじゃない。声は校内から、エコーして聞こえる。

「あ、待って!」

 呆然とした僕を放って、魔法少女は廊下を走る。追いかけようとしたが姿を見失った。

「早くない!?」

 どうしよう、と立ち止まってしまう。魔法少女は遠くに行ってないはずだ。でも、僕は絵空さんの落し物の為に来たのだ。あの子に会いに来たわけでもないんだ。

 僕の中でぼんやりと仮定が浮かぶ。夜な夜な現れるのは怪物で魔法少女は正義の味方だと。……まるで漫画の読み過ぎじゃないか。でも僕は二回も、この目で、魔法少女を見た・

「また……会えるよね?」

 しぶしぶ戻って教室に入る。見慣れている場所は暗くて、薄気味悪い。本当になにか出てきそう。

懐中電灯一つで進もうか迷った。これだけでは心細い。教室の電気を付けたいけど眩しすぎる。それに、もし誰かが見ていたらどうなることやら。自ら騒ぎの種をまきたくない。

不意に昨日の化け物を思い出す。

恐怖感が沸いてくる。物陰からおばけが出てきそうだ。誰かに見つかったらどうしよう。さっき出てきたのが魔法少女だからよかったけど。出来るだけ音を立てずに歩いて、窓際にある絵空さんの机に辿りつけた。ジャージのポケットに忍ばせていた生徒手帳を握り、机の中に拳ごと突っ込んだが、ばいん、と跳ね返された。

「ふへ……?」

 絵空さんの机の中に「お道具箱」があった。覗き込んで見て分かった。小学生の頃は机に入れていたなぁ。懐かしい。

さすがに中身を見るのは失礼。気が引ける。異性だしあの人怖いし。だけど、机の上に置いておくのもどうだろう。

 仕方がない事だと言い聞かせ、僕はお道具箱を引っ張った。中に入れておこう。

「あー、ごめんなさい絵空さん!」

 顔を覗かせたお道具箱は、見覚えのある柄をしていた。

 更に、入っている道具たちも見知った絵が描かれている。

「これって……魔法少女フェアリズム?」

 デザインは初期の絵柄。ちょっぴり古臭くてでも味がある。思わず声が出てしまう。

小学生ととき、欲しくてたまらなかった代物がここにあるんだ。

 こんなところで見られるなんて思いもしなかった。口角が上がり、にへへと変に笑ってしまう。まるで変態のようだ。ぐっと堪える。

「絵空さんも好きなのかな……」

 わざわざ高校生になってまで使うなんて相当好きに違いない。それか物好きだ。不良の考えなど分からないし。

 湧き上がった情熱は一瞬で消え去る。よくあるじゃないか。いい歳して子供向けが好きだとか。

 そう。絵空さんは不良なんだ。相手を威圧するような目で、スカートは短くて、言葉遣いはちょっと荒い。

……そんな絵空さんが、魔法少女好きかも知れない。

 思えば思うほど嬉しくなった。理由はよく分からない。自然と顔が緩んでしまう。その度に口を一文字にする。僕らと分かり合っちゃいけない人なんだ。この気持ちは捨ててしまおう。

 とりあえず、道具箱の中に手帳を残した。僕がずっと握っていたせいで曲がっちゃっているけどすぐ戻るはずだ。

「ん?」

 ジャージのズボンのポケットに入れているケータイが震えた。開いてみると、道久から「どこにいるんだ?」というメールが入っている。気づかれちゃったらしい。早く戻ろう。

 帰り道、僕は魔法少女に会わなかった。奇声もしなかった。誰もいない夜の校舎で一人駆けて、振り向いてもやっぱりそこはいつものサカトーがある。目を擦ってもう一度思い返す。

 僕が見たのは本当に魔法少女だった?

 それに……どうして彼女は、あの教室付近にいたのだろう?

 夢の中、くらくら歩いているだけかもしれない。妙な気分が僕の心を支配した。



 翌日。絵空さんは引き出しの中を見てびっくりしていた。でも、すぐ何事も無かったように、窓の向こう側を見つめていた。

 寝不足の僕は道久に適当な相槌をうち、一安心する。あの行いは現実だった。これでいつもの日常に戻れる気がする。

いつか、夜の学園をさまよう魔法少女も忘れてしまうんだろう。現に僕らの会話から彼女の存在は薄れているのだから。

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