絵空事ユメは魔法少女なのか

洞木 蛹

学園に魔法少女はいるのだろうか?

1-1

 昔から魔法少女が好きだ。

 普段は普通の女の子だけれど、魔法少女たちは世界を守るために戦っている。キラキラした可愛い衣装を身に纏い、不思議な力を使って活躍したり、時には負けそうになったりするけど、それでもくじけないで頑張る姿が大好きだ。

 でも僕は男。この身を彩るものはビシッと決まったスーツと決められた。特別な力はあるし、かっこよく変身するけどやっぱり違う。

あの衣装を着ることは出来ない。

ステッキを持っても魔法は使えない。

僕は魔法少女になれない。



『公立 坂垣東高等学園』

 別名、底辺の流刑地。略称はサカトー。

どうしてこんな所に? と、聞かれたらこう答える。

「僕、中学生のときイジメにあって。そっちの面々に会いたくないから」

 返ってくる反応は「そうなんだ」という同情、もしくは「同じだ」という言葉。

 サカトーは辺鄙な場所に佇んでいる。人里離れた所ではない。住宅街から離れているも孤立はしていない。周りがのどかな畑と林がうねっている。ちなみに最寄駅から自転車で二時間もかかる。普通はこんな所行きたいと考えない。しかしここは底辺の流刑地。私立に行く余裕がない、通信制は嫌だ、せめて公立で、と我儘の受け皿なのだ。

僕はその皿に落ちた我儘の一人。自ら望んで落下を選んだ。両親は心配していたけれど、私立通信の選択肢よりお金が浮くので、実際そうでもなかった。底辺と呼ばれるようにサカトーの偏差値は極めて低い。生徒の八割は不良、残りの二割は勉強のできないオタク――僕のような者の集まり。他校から、同年代でサカトーを知る者からは「みじめ」というレッテルが張られる。本当の事を知らず、噂話をソースにしたまま叫んでいる。あれはみじめだと。

そんな流刑地には寮がある。部屋は一人一部屋。狭いけど相部屋よりマシ。トイレとお風呂や食堂は共用。だけど、誰もが刑務所か隔離場か何かだと思うだろう。僕も覚悟を決めていた。が、意外にもギスギスした雰囲気は無い。

イジメがあるかというと、そんなものはない。不良が関わってこないだけ。彼らにとって僕らは「どうでもいい存在」で、僕らから見ても不良は「どうでもいい存在」だった。もちろん不良にも種類は沢山ある。中学の時に大量発生していたチンピラは少数、不良寄りギャルと別れている。活動も別だけど、やっぱり彼らからしたら僕らは石ころ以下の存在。

互いに深く干渉せず過ごしている。だからあんな場所に行くなんて、とか馬鹿にする後ろ指は怖くない。元からボロボロになった標的だもの。痛くない。

 つまり、とても平和な日々が続いた。あの地獄のような日々に比べたらまるで天国である。両親にそのことを伝えたら、喜んでいた。ここに来て正解だと思える。

 そして今、僕は高校生活初めての衣替えを迎えた。


 ある日、僕は友人から噂話を聞いた。雨上がりの、蒸し暑くて土臭い昼下がりだった。

 噂は「夜の校内で魔法少女を目撃した」というもの。

不良たちは「マジウケるー」「今どき魔法少女なんて流行なのか」「ちょっと俺もやってみようかー? 冗談だっつーの、魔法少女とか無いわー」と笑いのネタになっている。おまけに去年自殺した生徒の幽霊だとかどうとかゴシップ以下の内容まで飛び交っていた。

一方僕らのような人間内では意見が割れた。三次元だから興味なし、どんな魔法少女かで決める、どうせコスプレ徘徊、美少女幽霊なら拝みたい……といった感じ。自殺した生徒については触れられていない。僕らの世代じゃないし、実際の事件っぽいので意図して避けていた。

「魔法少女かぁ」

 いくら魔法少女好きの僕でも正直ピンとこなかった。現実の魔法少女。二次元という描かれた非現実の方が好きだし、リアルにいてもコスプレじゃないかと疑う。そもそもこんな、田舎オブ田舎に建っている学園、しかも夜中に出没なんて、

「それって変質者じゃない?」

だけど、僕は友人の道久と魔法少女探索を決行した。学園指定のダサいジャージを着て、懐中電灯とケータイを持っている。侵入自体簡単、というのも警備らしい警備が緩い。例え泥棒が入っても盗むものなんてあるのか、ここまで来るだろうか。犬とか猫とか、イタチが紛れ込むことはよくあるけど人間様は現れない。

と、考えるとますます魔法少女の存在が怪しくなる。目的は一体なんだろう? 話題作り? なんのために?

本当に幽霊だったらどうしよう?

 怖くないはずだ。道久がいるから。彼は背が高く、水泳部に所属していて体つきが良い。ただ勉強は出来ないアニオタで、恵まれた外面とのギャップが激しい。ちなみに三次元の女子は大嫌いと非常に残念な男。

道久とは好きなアニメが同じで仲良くなった。寮の部屋は隣同士で、よくゲームの通信で遊んでいるしアニメも観る。ご飯も一緒。お風呂は一緒に入らない。

「道久……絶対に許さない」

 でも道久は途中で帰った。急に具合が悪くなった、と。思わず大声をあげて嫌だとなんで、を繰り返してしまった。駄々を捏ねる子供みたいに。だけど道久は苦しんでいた。顔は脂ぎっていて不規則に歯を鳴らして、寒いと震えて、見ていた僕は何も出来ないままだった。

有りえないけど幽霊の仕業かもと怯えながら、僕は嘘をついた。

「先に帰っていいよ」

 ムカつくほどのイケメン顔がくしゃっと歪んで、微かに上下に動いて、罠から解放されたウサギみたいにしゅーんと走って行ったことは覚えている。

「怖くなったんだろ……」

 あの嘘が良いのか悪いのか、正直何とも思えない。

 すん、と鼻を鳴らして唇を噛む。泣くな泣くなと自分に言い聞かせ深呼吸。灰色の空気が体内に入り込む。このまま僕も同色に染まりそうな気がした。

 場所は職員室前。普段は騒がしい場所だけど、勿論、今は物音などしない。気味が悪い程静か。

 そっと懐中電灯をつける。職員室の扉を背にして右を照らす。六歩先には煉瓦に覆われた柱がある。公衆電話と学校紹介の雑誌が置かれているテーブルが見えた。誰かが読んで使っているのか荒々しく放置されている。一瞬、何者かが漁っていたらなど考えてひやりとした。……いつもぐちゃぐちゃになっているじゃないか。怖がって損した。

その奥の奥には階段がある。下ればロビー兼下駄箱に着く。今はそっちに用は無い。

左に顔を向ける。隔離施設のような勉強場が照らされた。補修とかで使われているスペース、らしい。右には仕切りが、左には大きな黒板がある。なにも書かれていない。見ているだけでも窮屈、あんなところに詰められて勉強は嫌だ。幸いサカトー内では普通なので僕は無関係だけど。

それにしても薄暗くて不気味。お化け屋敷より自然な怖さが出来ている。

僕から見て左側には腰かけがあって窓ガラスがある。日差しを入れる空間であり一本の木が鎮座している。見るんじゃなかった、ちょうど陰になっているから黒い物体がいると錯覚した。木も木で可哀想。こんな狭い空間に閉じ込められているなんて。手入れはされているようだけど、僕なら嫌だな。

 数歩進んでみた。異変は無い。左手には狭い廊下がある。忘れ物が置かれている棚、生徒指導室がある。棚の中は水筒にタオル、誰かの下着に携帯電話や鍵が鎮座していた。

まっすぐ行くと角があり、左に折れると職員室への入り口二つ目がある。

(僕以外の足音なんて、しないか)

 ここには誰もいない。とりあえず教室棟に行こう。

 ――と、思ったけれど。

 階下から物音がした。ひとつじゃない。複数も。物を投げつける打音だ。野球ボールを投げる、みたいなものじゃない。バスケットボールより強い。椅子を放り投げるが近い。なにもかも気に食わなくて暴れ回る怒りが飛散っている。

「な、な……!?」

 がくんと力が抜ける。やっぱり今ここに知らない誰かがいる。もしかして例の幽霊? それか不良? もしくは侵入した僕を狙いに?

からん、と懐中電灯が手から離れてしまった。頼もしい光源は教室棟近くの階段まで逃げてゆく。例の音は昇降口付近からしていた。懐中電灯を取りに行こうと思うも体が動かない。湿った臭いが、ジメッとするリノリウム床が恐怖感を煽ってくる。

物音はドゴンドゴンと大きくなる。アヒェヒェヒェという声もする。甲高いようで低い声。背筋がつんとする。不気味な声と音は壁に反射して響いて耳を貫く。揺さぶられる脳みそは僕に吐気を与えた。

「うえぇっ」

なにか見えない何かが僕を包んでいる。そんな気がしてならない。落ち着こうと床に手を付く。つるんと手汗で滑った。ゴン、と顎を打ってしまい動悸を堪えようとしたら汗が目に入る。擦ると涙が溢れて止まらない。とんだ間抜けだと暗闇が罵る。

出入口は階段を下りた先の昇降口のみ。外来用は閉まっている。出るには降りなければならくて、けど怖くって。でも、そうこうする内に音は激しくなる。壁ドン床ドンのオンパレード。確実にこっちへ向かっている。

だけど、と思う。

もしかしたら下に居るのは例の魔法少女かもしれない。

いや、いやいやいや。

魔法少女はアヒェヒェヒェヒェって言わないし僕の知っている魔法少女は言わない。言ってほしくない。しゃがんだ身を起こしてこめかみを叩く。

涎や汗をジャージで拭いてふと気づいた。ポケットが重い。そうだ、ケータイ。そういえば持ってきていた。縋るような思いで取り出し、パカッと開ける。これを明かりにしようと思った。けど、と考え直す。残り電池は一つ。急に電池切れになったら嫌だ。唯一の救いが絶たれてしまう。

時刻は午前二時過ぎ。睡魔を意識しながら、やたらと主張が激しいメールアイコンを選ぶ。道久だ。件名はない。本文は、

『すまん矢神! 決してお前を置いていった訳じゃなくて、気を悪くしたら謝る。ごめん。気が付いたら不良に囲まれていたんだ』

不良? 不良は沢山いるけれど、僕らに手出しはしないはずで、もしかして帰ったあの後? どういうこと?

十字キーの下を押して続きを表示させる。

『よく分らなかったが、ボコボコにされて今は部屋にいる。早く帰ってこい。魔法少女なんていない、いるのはチンピラ気取りの不良だ』

 受信時刻は、今から三十分も前。

チンピラ気取りの不良? どういうことだ?

入学式の時、初日が大惨事だったことを思い出す。体育館や廊下を走り抜ける改造自転車と改造制服で制裁を下しに来た上級生たちの姿が、パッと浮かぶ。僕らはこてんぱんにされた暴れん坊たちの行方を知らない。

もし道久の話が本当だとしたら?

 早く返信しないと、変に道久を心配させてしまう。僕は咄嗟にキーを叩く。早打ちは慣れているので、すぐに返信メールは出来あがった。

『それより道久は大丈夫? 怪我ってどんな感じ? とにかく、出られそうにないんだ』

 エンターキーを潰し、送信ボタンを押した。

瞬間。何かの気配を感じた。後ろだ。僕の後ろ。振り返るよりも早く、僕の手からケータイが消えた。周りがスマホと言う中、反抗心で選んだ俗に言うパカパカケータイ。流れ星のように孤を描いて空を駆ける。

「あ……!」

 ケータイは五メートル先まで吹っ飛んだ。ぼんやりと光っている。無事らしい。良かった。這いつくばりながら進もうとしたとき、

「eamoadnnannn」

「へ?」

 振り返ってしまった。

 不自然な声は電子ノイズに似ていた。耳障りな不協和音、また脳が拒絶する。それ以上に背後のソレは強烈で、何の目的で訪れたのかも忘れてしまった。言葉通り息を飲む。

顔は人の形でも、失敗した福笑い。こんなの全く笑えない。鼻は曲がっていて、右目は頬にくっついている。口は三日月状態で開きっ放し。前歯が見えない、大きく口を開けなければ確認できない奥歯とかがこちらを覗いている。

濁った左目が僕を映す。縦に伸びる瞳孔がギュッと縮んだ。おまけに生ごみのような加齢臭のような臭いが鼻を刺激してくる。臭いと視界からの不快感が、胃を攻撃する。吐き気がしたが、恐怖がそれを抑え込んだ。

「え、あ、はは?」

 全身が震えている。本能が逃げろと叫ぶ。でも動けない。足まで脳の指令が飛ばない。受け付けない。この現実に。

 ぼうっとする僕に、化け物から舌が伸びて、頬に触れた。

「いいいやあああああああ!」

 全てへの拒絶が喉を突きぬけて指先がしびれた。背筋が張る。バネみたいに跳び上がった。着地して振動が毛先まで行き渡る。僕は生きている。確信した時、尻もちをついてしまった。全ての痛みが現実だと告げる。目の前の化け物は本当だと叫ぶ。相手は襲ってこない、今だとそのまま後ずさって逃げた。ゴキブリの気分がわかる。逃げなきゃ。生きなきゃ。ゆるりと化け物が揺らめいた。ガサガサと尻で這っていると、手に何かが当たった。懐中電灯だ。同時に頭が冷える。あともう少しで階段から落ちていた。こんなの、骨折で済むかどうかだ。

向かってくる化け物に明かりを向けたけれど、電池が切れている。なんで! とスイッチを触っていると「abb!」と化け物が叫んで走ってくる。耳障りな声と、生臭い息が五感という五感を苛める。次に体が横に吹っ飛んで顎を打った。多分、蹴飛ばされたんだ。脇腹がびりびりする。この感覚、どこか懐かしくて、嫌になって、

「いっづう」

 悶えている暇は無い。化け物は僕の首に手を当てていた。生暖かい。気持ち悪い。枯れ枝のように細い指が、僕の首に巻かれる。声を張り上げようとしたが出なかった。代わりに涙と小便が漏れた、気がする。

 夢だ、夢だ、と言い聞かせる。だけどこれは現実だ。こんなに感覚がリアルなんだもの。

 キリキリと喉が締まる。咳が止まらない。視界が掠れて吐き気が遠のく。

 助けなどない。もう死ぬんだ。と、絶望感が湧き出てくる。

「待ちやがれ」

 さようならを確信した僕の耳を叩いた声は、力強く可愛らしい声だった。

「そいつを離せ……!」

 声は後ろからする。振り向きたいけれど振り向けない。道久じゃない、じゃあ誰?

「gyagyagayagayy」

 ズン、と化け物の手に力がこもった。苦しさが増して泣きそうになった、が。

 化け物は吹っ飛ばされた。僕のケータイみたいに。飛ばされるとき手が引っ掛かったようで、物凄い力で絞められた気がする。その後しっかりと解放され、また転がった。今度は右頬がリノリウム床に引っ付いている。

「ぐえっほ、げほぁ」

「おい、大丈夫か!?」

「へ……?」

 暗がりの中、僕の目の前に可愛い声の人が現れる。突っ伏す僕を支えてくれていた。顔はよく見えない。

「僕は……」

「さっさと帰れ。いいな?」

 有無を言わせず可愛い人――多分女の子は化け物に向かって走って行った。カツンカツン、硬そうなヒールの音を鳴らしながら走っている。

 僕は座ったままでいる。ぼうっとしていると視界が徐々に明確となる。ジッと目を凝らしてみた。

「Aagtkeamoatam」

 化け物が立ちあがってノイズを吐く。女の子は化け物と比べたらちっぽけに見えた。

 彼女は、片手に何かを持っている。

 ……なんだあれ。おもちゃみたい。

 もう少し見てみようとしたその時、世界が変わった。

瞬きをする間に、周りの物がお菓子やら可愛い物に変化する。床は相変わらず冷たいけれど、見た目はふわふわの綿菓子に。階段は……チョコレートになった。灰色の空間は桃色お空になった。可愛くデフォルメされたペガサスまでも飛んでいる。

あんなに暗かったはずが、しっかり見える。あの子も化け物……は見たくなかったけど。

「やっぱ夢、じゃない!?」

 やっと気づけたけれど、間違いない。あの女の子が持っている玩具。僕が愛してやまない魔法少女アニメ「魔法少女フェアリズム」に出るアイテムだ! 主人公の心音ちゃん(小学二年生)が魔法少女に変身した時に持つステッキそのもの! 白色の柄に滑る赤色のラインで分かった。上方に付けられているものは、大きなハート。中央にはバスケボール並みの球体がはめ込まれている。球体はきらきら瞬いて、使用者の女の子を魅せている。

 一瞬にして変わった世界とステッキに見惚れていたせいか、僕は打ち身で負った不快感を忘れてしまった。

「性懲りも無く毎晩騒ぎやがって。今日こそぶちのめす」

 可愛らしい声で物騒な言葉を吐いていた。

心音ちゃんはこんなこと言わない。いや、この子は心音ちゃんじゃないけれど、やっぱり残念だ。可愛い女の子はおしとやかでいてほしい。けど、そういうギャップもありかなぁと思う自分がいた。こんな状況の中でさえ。

女の子はリボンが沢山付いているミニスカートを履いている。下に何か仕込んでいるのか、スカートはふんわり盛り上がっていた。少しゴテゴテしてふわふわのキラキラ、小学生の女の子が好きそうなデザインだ。心音ちゃんの衣装じゃなくてれっきとしたオリジナルの!

「なに。まだいたの? 帰るか逃げるかどっちかにして。いい?」

 女の子が振り向いた。僕はすぐに起きて首を縦に振り、そのまま後ずさる。

あの子が着ていた上の服は、鎖骨辺りから胸の下までレースが伸びていて、おへその上あたりにまでフリルがある。袖は丸く膨らんでいて、こっちもレースとフリルがある。ロリータ衣装に近いけれど、それにしては大人しすぎる。

コスプレ、と現実の言葉が僕を叩く。魔法少女の単語は消えかけた。

「来ないなら、こっちから……!」

 突然、女の子は天井すれすれまで跳ね上がった。人間離れした脚力だ。開いた口が塞がらない。

「ま、ま、ままま」

 もしかしなくとも、あの女の子は……

「魔法少女!?」

 僕が叫んだ時、魔法少女は華麗に化け物を吹っ飛ばした。そして、持っているステッキを叩きつけたのだ。思いっきり、ボコンと。

「aygaaaaaa……」

 化け物は断末魔をあげて消滅した。どうやら勝ったらしい。

へたりこんだままの僕は、ただただ感動した。念願の、本物の魔法少女に会えたんだ。意識のある奇妙な夢の中で。

「怪我は無さそうね。さっきから言っているけれど、早く帰ったら?」

歩く姿も可愛らしい。ただ、冷静な瞳は僕を映していない。

彼女からすれば僕は「モブ」でしかないのだろう。異質な存在である彼女は僕の横を抜けて、職員室より先に進む……のか? 僕が見ている光景は無機質な校内じゃない。綿菓子のような床と、桃色の空、ファンシー世界である。彼女はいったいどこへ消える?

「ま、待って!」

 手を伸ばしたが、女の子は行ってしまう。立ち上がって追いかけようとしたら、足がもつれた。

「やっぱり夢なのかなぁ……」

 ぼうっと不可思議な世界を眺めていると、放置されていたケータイが鳴った。味気ない電子音が響くと視界が溶けてゆく。夢が消える。僕は幻想を追いかけずケータイを拾い上げた。

その頃には、いつもの景色が広がっていた。受けた痛みがぶり返す。脇腹がずくずくと疼く。

それよりもケータイが気になる。傷は無いようだ。画面には「尾高 道久」と表示されている。受話器の画像が無機質に踊っていた。

「もしもし道久?」

 なぜだか声が裏返った。とってもダサい。道久は笑うことなく、向こう側で叫ぶ。

『やっとつながった……心配になって迎えに来たぞ。昇降口に来られるか?』

「行く、今すぐ行く!」

 怖さ半分、ハイテンション半分で返事をして電話を切る。下は静かだ。あの魔法少女や化け物の存在が嘘みたいに感じられる。

もしさっきのあれが夢だったら、どこからが夢だっただろう。

 不意に、嫌な思い出がよみがえる。頭を振るってあの光景を取り払った。

「……ん?」

 僕の傍に生徒手帳が落ちていた。ケータイで照らしてみる。誰のだろう。

『一年二組 二七番  絵空 夢』

 僕と同じクラスの人だ。それに出席番号も近い……教室の席順でも近いはず。絵空の後ろが不自然に塗りつぶされているけど、まぁいいや。っていうかこの人……

「誰だっけ」

 生憎、僕の記憶力は残念なレベルだ。特に人の顔と名前を覚えるのがへたくそ。異性なんかは特に酷い。

「明日渡そう」

 僕は絵空さんの生徒手帳をポケットに突っ込んだ。さて早く下に行かないと。そう思った時。階段の方から光が見えた。道久だろう。階段を駆け下りると、彼は手を振ってくれた。船上から帰還した兵士を迎える同胞、そんな風に力強く映った。途中離脱したけどそんなことどうでもいい。

「道久!」

 彼を裏切り者とか言いかけたじぶんを殴り飛ばしたい。すこし目頭が熱くなる。

「怪我は? 大丈夫?」

「俺は大丈夫だ。ちょっと腕を打っただけ。冷やしたら治ったしさ。あと水飲んだらどうにかなった。おまえこそ平気か? まぁ見た感じ大丈夫そうだな。とにかく帰るぞ、これ以上不良に絡まれたくないし」

「睡眠時間も減らしたくないからね……」

 真っ暗な中、僕は校舎を一瞥した。異変はなかった。物音なんてしない。魔法少女もいない。

「道久。僕見たんだよ、魔法少女」

「そうかそうか、疲れているんだな。帰ったらすぐに寝ろ」

「……いや、だからね、本当に見たんだ」

「夢でも見たんだろ。だって俺、不良しか見てないんだぜ」

 結局、何度言っても信じてもらえなかった。昇降口を出て、ふと夜空を見上げた。

星が綺麗だ。視線を下げて、薄暗闇に包まれたグラウンドを眺める。時間帯のせいか凄く静かだ。虫の声に車の音すらしない。

「早く寝ないとな……」

「うん」

 最後に、僕はもう一度振り向いた。

あの魔法少女は夢だったのだろうか。幻だったのだろうか。

魔法少女の、幻。胸の奥が酷く痛んだ。

夢心地のまま帰路を歩む。頭が少しだけ軋む。気のせいだろう。

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