1-19
暗幕で外界と隔絶された見慣れた暗闇。マシロはいつもの自室で目を覚ました。
昨晩の事を思い出そうとすると、ズキズキと頭が痛む。昨晩は飲みすぎた。二日酔いで朦朧としてしている意識の中から、朧げな記憶をなんとか呼び戻す。昨晩は確かザリガニ男の部屋で眠りこけてしまったはずだ。
「……ポン四郎さん?」
マシロは部屋の中に居るはずの狸の名前を呼んだ。しかし、その言葉に返答は無く、ガラクタだらけの部屋からは静寂が返ってくるばかりだ。そんなはずはないと、マシロは訝しんだ。
この一か月間、監視の任に就いていたポン四郎が、マシロの側を離れたことは一度として無かった。考えられるのは、もう監視する必要が無くなったということだ。
マシロはベッドから飛び降り、もんどりうちながら玄関から飛び出した。隣室のドアを叩くが、鉄扉の向こうから答える声はない。扉に耳を当てて室内の様子に意識を集中するが、が物音ひとつ聞こえない。
マシロは自室に取って返し、暗幕に手をかけ開け放った。一年と数か月ぶりに開かれた暗幕から、一年と数か月ぶりに陽光が差し込んでマシロの不健康な顔を照らした。
ベランダに飛び出し、防火扉を乗り越えて隣室のベランダに侵入したマシロは、空っぽになった部屋を窓越しに見た。そこにはザリガニ男がよく横になっていた布団や、黒い怪人が時代劇を見ていたテレビや、化け狸兄弟達と食事を囲んだちゃぶ台が跡形もなく消えていた。まるでそこには初めから何も無かったかのように、部屋の中は閑散としていた。
マシロは眩暈を感じてその場に卒倒しそうになるが、手すりにもたれてなんとか踏みとどまった。ここで気をやっている場合ではない。自分はザリガニ男達に置いて行かれたのだ、別れの挨拶もなく唐突に。
「嫌だ……そんなの、あんまりですよ……」
マシロは自室に取って返すと、スカジャンを羽織って外に飛び出した。
◇
その日、ギャラティカルセブンの面々は日本政府の要請により、都内でパレードを行っていた。
世界的な英雄である彼らは、その威光を借りようとする各国の要人から、パレードやセレモニーへの参加をよくよく求められる。エージェント達は全く乗り気では無いのだが、彼ら、もしくは彼らの上部組織は各国からの資金提供を受けて活動しているため、その申し出を無下に断ることができない。
こうして、七人のエージェントは嫌々ながらも、パレードに参加せざるをえない。ギャラティカルセブンの面々は、三台のオープンカーに分乗し、その周囲を警視庁のパトカーや白バイが囲んで車列を成していた。
ギャラティカルセブンは七人の戦闘員からなるチームなのだが、全員が揃いのパワードスーツ――ウェットスーツと洋服の中間のような見た目――と、顔の半分を覆うゴーグルを付けているため、体格の違いはあれど遠目では個人を判別するのは難しい。
彼らを識別するのは、首に巻いた色違いのスカーフだ。七人はそれぞれレッド、ブラック、ラベンダー、ブルー、オレンジ、パール、グリーンのスカーフを巻き、その色がそのまま彼らのコードネームになっている。
七人が七様に、沿道に駆け付けた観衆に手を振る中、レッドだけはオープンカーの助手席に身を沈め、気だるげに空を眺めていた。そんな彼女に、後部座席に座るラベンダーが声をかけた。
「ダメですよ、レッド。皆さんの声援に応えないと、ほら、あそこの女の子たち、レッドのうちわを振っていますよ。可愛いですね」
「興味ない。そういうのは私のキャラじゃない」
レッドはゴーグルをかけていても尚、仏頂面と分かるような顔で憮然と応えた。残念そうな顔をするラベンダーの隣に立つブラックが代わりに声をかけた。
「そんな態度でいいのか、レッド? 我々の活動資金は、彼らのような市井に人々の納税によって支えられている。我々がそう認識していることを、政府上層部もまた理解している。こうして彼らの声援に応えることも、我々の活動の一貫とは思えないかい?」
低く落ち着いた声のブラックに、レッドは舌打ちを返した。レッドが道路の向こうに立つ一団に手を振ると、黄色い声援が上がった。その声にラベンダーは嬉しそうだ。
「くだらねぇ……」
レッドは後部座席に聞こえないくらいの声量で悪態をつき、車のシートに体を沈み込ませた。天を仰いだ視界に、ビルの合間の空が映る。そこには、カラスの群れがオープンカーを囲むように上空を旋回している様子が見て取れた。青い空の半分を覆う黒い点に、レッドは怪訝な表情をした。
「東京って、こんなにカラスが多かったっけな……」
と、一羽のカラスがするすると地上に降りてきて、レッドが乗る車のボンネットに着地した。ボンネットの上をちょこちょこと跳ね回るカラスに、レッドは眉をひそめた。
「なんだこいつ、随分と図々しい奴だな」
しっしっと手で払うレッドに対し、カラスは翼を広げて「カァカァ」と威嚇をした。不遜なカラスに、レッドは舌打ちを見舞った。
「くそっ、なんだコイツ!」
珍客を追い払おうと上体を起こしたレッドの目の前で、けたたましい声を上げて暴れていたカラスがピタリと動きを止めた。そして、怪訝な表情のレッドの目の前で、カラスの体が風船の様に膨らみ、エージェント達が乗っていた車もろとも大爆発を起こした。
◇
爆発が起こる数刻前。
化け狸兄弟はギャラティカルセブンの登場を待ちわびる群衆を見下ろすビルの屋上に居た。三匹はそれぞれ違うビルの屋上に座し、予め打合せた爆撃ポイントを三方向から囲んでいた。三匹の周囲にはジュラルミンケースがいくつも並べられている。
「弟達よ準備はよいか?」
ポン吉は化け狸の秘術であるところのテレパシーで、離れたビルに座る兄弟に声をかけた。
「兄上、こちらは準備万端だ」
「こちらポン四郎、準備OKです」
「うむ、首尾は上々であるな」
頷くポン吉の眼下、沿道に居並ぶ群衆がにわかに騒がしくなる。どうやら、ギャラティカルセブンを乗せた車列が近づいているらしい。ポン吉は腹太鼓をドンと一つ叩き、テレパシーで弟達に語りかけた。
「さて、某はこれから彼のエージェント達へ爆撃を仕掛ける。知っての通り、此度のザリガニ男殿との共闘は、我が一族に名誉を取り戻すための個人的な戦いである。某の我儘に、お前達はよく付いてきてくれた」
長兄の言葉に、二人の弟たちは離れたところから頷いた。
「繰り返しになるが、これは私、ポン吉の私闘である。お前達まで命を無駄にする必要はない。お前達がここで手を引いても、某は何も恨むまい。去るならば、今ぞ」
「兄上……何をいまさら」
ポン三郎は兄の独白を鼻で笑い、先ほど兄がそうしたようドンと腹を叩いた。
「兄上、拙者にも誉れ高き信州の化け狸の血が流れておるんですぞ。それに、相手は彼のギャラティカルセブン、さしもの兄上も一匹では苦戦するのでは?」
「ポン三郎……」
心強い弟の言葉に、ポン吉は目頭が熱くなった。
「某は、良い弟を持ったなぁ」
「ところでポン四郎よ、お前はマシロ殿と一緒に待っていても良いのだぞ?」
ポン三郎の言葉に、ポン四郎は怪訝な表情を作った。その顔は見えないまでも、ポン四郎の気持ちは兄たちに伝わっていた。
「マシロ殿は我々が急に居なくなって怒っているだろうか? あるいは悲しんでいるだろうか?」
「ポン四郎よ、お前はマシロ殿と長い時を過ごした。彼女と同じ道を歩むという選択肢もあるのだぞ?」
弟の身を案ずる兄たちの言葉に、ポン四郎は毅然と応えた。
「僕は……マシロさんの事は好きですよ。でも、ここでこの場を離れてしまったら、今日という日を一生後悔することになると思います」
ポン四郎の言葉に、二人の兄は頷きを返した。
「弟達よ、お主らを試すような物言いをしてしまった兄を、どうか許してほしい。そして、兄はもう悩まぬ」
気合一閃、ポン吉は前足を打ち鳴らした。弟達もそれに倣って前足を合わせる。それに呼応するように、化け狸の周囲に置かれたジュラルミンケースが開け放たれた。中には、葉っぱの形に切り取られた古新聞と、彼らが作った手製の爆弾が詰め込まれていた。
「いくぞ兄弟! ギャラティカルセブンに、民衆に、我ら信州化け狸兄弟の妖術を見せつけてやるのだ!」
「おう!」
「おう!」
咆哮と共に、狸の全身の毛が逆立つ。ジュラルミンケースに収められた古新聞と爆弾が宙に舞い、狸の周囲を渦を描いて旋回した。
それらはグルグルと錐もみしながら天空に上り、それぞれがカラスの姿に変化した。古新聞と爆弾が変化したカラスの群れは東京の空を黒く覆い、ギャラティカルセブン目掛けて襲いかかった。
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