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黒い怪人がマシロに語った内容は、おおよそ以下の通りである。
ザリガニ男は何の変哲もない田んぼの横の、名前もない用水路に生を受けた。彼の両親は平凡なアメリカザリガニで、彼の無数の兄弟もまた平凡なアメリカザリガニであった。
彼らは狭くて真っすぐで閉塞的な用水路の中で幼少期を過ごした。その狭小の世界で、兄弟たちはミドリガメに食べられたり、川の増水で流されたり、誤って殺鼠剤を食べたりしてその数を減らしていった。幾たびの脱皮を繰り返して立派なアメリカザリガニになった頃、彼の家族は妹を一人だけ残して全滅していた。
なんとも壮絶な少年期であるが、アメリカザリガニの矮小な脳神経ではそれを悲劇だと知覚することすらできなかった。自然とはかくありきだと、アメリカザリガニ少年は何の感傷もなく漫然と過ごしていた。
そんな兄妹の前に、ある日異星人が現れた。
ザリガニ男曰く、それはあまりにも突然に、自然に、まるでそこに初めから存在していたかの如く現れたそうだ。異星人は兄妹の暮らす用水路を覗き込むと、自らの体の一部を兄妹に分け与えた。
そして、兄妹は怪人ザリガニ男と、ザリガニ女になった。
生まれ育った用水路を出て二本の足で大地を踏みしめ、田園を見渡した時になって、二人は初めて世界の広さを知った。
これが約二年前の事である。
実はマシロ達一般市民が知るずっと前から異星人は地球に降り立ち、怪人達とギャラティカルセブンを擁立する派閥に分かれて、戦争をしていたそうだ。ただ、互いの陣営が地球での基盤を築いてはおらず、その戦いも小規模なものだったため世間の目に触れる事はほとんど無かったという。
兄妹は怪人になったものの、悪の組織よろしく暴虐の限りを尽くして悪事に邁進していたわけではなかった。
怪人達は来るギャラティカルセブンとの決戦に備え、世界各地でアジトの建設や、兵器の増産をしていた。兄妹は薄暗い地下空間での、トンネル掘削作業の任に就いた。なんとも地味な仕事だったが、ザリガニ男は満足していた。
ここは三度の食事が提供され、なにより命の危険が無い。あの生まれ育った用水路に比べて、なんと快適な事か。彼はここで妹と平穏無事に暮らせれば、もう何も望む物はないと思っていた。
しかし、妹の方は現状に満足していなかった。
彼女は異星人に見染められて怪人となった自分が「選ばれた存在」であるという念に駆られていた。特別な力を与えられた自分には、もっと特別な、世界に影響を与えるような事が出来るはずだと思っていた。
そして、労働に汗をかく自分に対して、フラストレーションが溜まっていたのだった。
ザリガニ男はそんな妹を案じていた。顔を合わせれば現状に対する不満を漏らし、宥めようとする兄に暴言を吐いた。素行の悪い怪人達と夜な夜な会合を開き、そこで過激な思想に染まっていく妹が、なにか間違いを犯すのではないかと不安に駆られる日々を過ごした。
そして、その不安は現実のものとなった。
きっかけはインターネットで拡散された動画だった。それは南米の麻薬シンジケートの若き指導者が、ギャラティカルセブンの存在を暴露したものだった。
数年前から異星人が地球に降り立ち、彼らを保護してもらう代わりにその技術力を地球人に渡した。一部の有力者がその技術力を独占し、秘密組織「ギャラティカルセブン」を結成し、自分達と対立する組織を淘汰している。このままでは地球は異星人と、その技術を独占する一部の組織に支配されてしまう。地球人類は今こそ立ち上がり団結し、ギャラティカルセブンに抵抗をするべきだと、その動画は締めくくられた。
そのあまりにも現実離れで荒唐無稽な内容に、民衆は嘲笑した。しかし、異星人の魁たる怪人達には衝撃が走った。この若き指導者は人間の身でありながら、巨大な組織に事実上の宣戦布告をしたのだ。
それに比べ自分達はどうか。ギャラティカルセブンと同じように超常の力を与えられたにも関わらず、それを行使せずに地下に潜って息を潜めている。なんと情けないことか。
その指導者に呼応した幾人かの怪人が、本隊から離脱して麻薬シンジケートに合流した。その中に、ザリガニ男の妹もいたのだ。
ザリガニ男は妹の出奔を必死に止めた。「馬鹿な事はするな、ここに居れば三度の飯と身の安全が約束されている。わざわざ死地に行くなんて、愚かだ」そう言った兄を妹は「臆病者だ」と一蹴した。
それが、兄妹の最後の会話になった。
数日後、ギャラティカルセブンの名を世界中に轟かせたあの事件が起きた。
ギャラティカルセブンが、南米の麻薬シンジケートのアジトを強襲したのだ。シンジケートもそこに参加した怪人達も、来る決戦に備えて万全の準備をしていた。そこに慢心や油断は一切なかった。
しかしかのエージェントの実力は、予想以上だった。同じ異星人の力を分け与えられたギャラティカルセブンと怪人達であったが、前者のそれは圧倒的であった。
ありとあらゆる火器はエージェントに傷一つ付けることすら叶わず、怪力自慢の怪人達もその力を発揮する前に電光石火の如く打倒された。
あまりにも一方的な、虐殺とも呼べる様な戦闘に、テロリストや怪人達は成すすべもなく駆逐されていった。その中にザリガニ男の妹の姿もあった。
妹の訃報を知ったザリガニ男は、その場に崩れ落ち泣き叫んだ。両親や他の兄弟が亡くなっても何の感情も無かった彼であったが、怪人になって知性を得たことによって妹の死を受け入れられなくなったのだ。
ザリガニ男は怪人になった事で、生まれて初めて悲しみを知ったのだった。
男はギャラティカルセブンへの復讐を誓い、妹と同じように本隊を離脱し、マシロのアパートに潜伏して機会を窺った。そして、現在に至る。
「さっきも言った通り、俺の知っているザリガニ男の旦那は、復讐心、闘争心に駆られて笑顔なんて見せる御仁じゃなかった。あの人が笑っているのを見るのは、今日が初めてだ」
黒い怪人の言葉に、マシロは無言を返した。彼の口から語られた事実に、返す言葉を、見つけられずに居たからだ。
「それもこれもマシロ、あんたのおかげだ。旦那はあんたに、妹さんの姿を重ねて見ていたんだろうな」
「そんな、似てないですよ、たぶん。私にギャラティカルセブンと戦おうなんて、そんな勇気ないですし」
「うーん、そうかな」
うごうごと動きながら、黒い怪人は首を傾げた。
「俺達とこうやって鍋を囲んで酒を飲んでる時点で、だいぶ勇気あると思うぞ」
怪訝な表情のマシロに、黒い怪人はカカカと笑った。
「俺はザリガニの妹さんに直接会った事が無いから詳しいことは言えんが、マシロのやけっぱちと言うか、向こう見ずで次の瞬間何をやらかすか分からん庇護欲を掻き立てられる所が似ているんじゃないのか?」
「え、それって」
自分が小さい子供みたいじゃないですかと抗議しようとして、あながち間違いではないなと思い至って言葉を飲み込んだ。口を真一文字に結ぶマシロに、黒い怪人はさらに笑った。
「おい、お前ら。いつまで二人で話しているんだ、そろそろ宴会を締めるぞ」
と、ザリガニ男がベランダの二人に声をかけた。マシロが振り返ると、空っぽになった土鍋と、満足そうに腹を撫でる化け狸兄弟の姿が目についた。酒宴は、お開きのようだ。一同は居住まいを正し、改めてちゃぶ台を囲んで座った。
「よし、それじゃあ締めの挨拶を……マシロ、お前がやれ」
「ええ、私ですか?」
「お前は幹事だからな、ちゃんと最後はキチンと締めて、仕事を果たせ」
「はあ、では……」
マシロがお酒の入ったグラスを手に取ると、一同もそれに倣った。怪人達の視線を一身に受け、その視線の一つ一つを見返して、マシロは目を伏した。
先ほどザリガニ男が何故ギャラティカルセブンに挑もうとしているのか、その理由を知った。そこに込められた想いを、想像した。想像して、マシロの心には様々な感情が去来してぐちゃぐちゃになっていた。
「復讐なんて、やめませんか」
そんな言葉が口をつきそうになり、すんでのところで飲み込んだ。
自分にそんな資格は無いと、自分を断じたからだ。マシロは自分勝手な都合で彼らの仕事を手伝い、彼らのやる事を詮索しないと約束した。それを「やめろ」と言う等と、あまりにもナンセンスだ。
ザリガニ男はもちろん、黒い怪人も、化け狸達も並々ならぬ覚悟で居るはずだ。それに比べて自分はどうか、ただワクワクするからなどという理由で彼らの手伝いをしている。なんと浅はかな事か。マシロは、急に自分の事が恥ずかしくなった。
自分に出来ることはその時が来るまで、彼らを手伝うことだ。そう、手伝うことしかできない。決して彼らと並び立つ事できない。
だから、せめて。せめて……。
「大勢でこうやって食事をするのって、久しぶりで、東京に来てからは初めてで……。とても、とても、楽しかったです。皆さんも同じ気持ちを感じていてくれたら、嬉しいです」
その飾り気のない、素直な言葉に一同は頷きを返した。
「また、いつか、こうして、皆さんと鍋を囲みたいです! 乾杯!」
また、いつか。それがマシロの精一杯の言葉だった。
「乾杯!」
一同は、グラスを打ち鳴らした。
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