1-17

 一人暮らしを始めて二年になるが、マシロは鍋を作ったことが無かった。


 自分一人が食べる分すらまともに作ったことがない彼女が、大人数で囲むような料理をできるはずもない。スマートフォンで調べてみると、昨今は調整済みの出汁と、カット済の具材がいずれもスーパーマーケットが売っているらしい。


「よし、これなら私でも大丈夫だ」


 気合を入れ、マシロはスーパーマーケットで既製品の鍋の素と、鍋の具のセットを購入した。化け狸兄弟が一匹で大人一人分を食べることを考え、具材は大量に購入した。相撲部屋の女将さんはこういう気分なのだろうかと、マシロは思案して独りで笑った。お酒も買って準備万端である。


 こうして、怪人達による寄せ鍋パーティが開幕した。ちゃぶ台を二人の怪人と三匹の狸と一人のマシロが囲んだ。


 マシロが鍋の蓋を持ち上げると湯気が立ち上り、歓声が上がった。


「おお、おお。なんとなんと」


 琥珀色のスープの中、クタクタになった野菜や、熱が入ってクルンと丸まった魚やらが、ふつふつと湧きたっている。それらが混然一体となった、得も言われぬ香りがアパートの部屋に満ちる。 


「これは出汁が効いたなんとも美味しそうな香りですな」


「まあ、出汁は既製品なんですけどね」


 水を差したポン四郎の頭を長兄が叩いた。


 怪人達はグラスに思い思いに飲み物を注ぎ、後はもう食べるだけという状態になって動きを止めた。


「こういう時、どうすればいいんだ?」


「ザリガニ男殿、やはりここは乾杯の挨拶が必要ではないでしょうか」


「なるほど、そうか。じゃあマシロ、乾杯の挨拶とやらをしてみろ」


「ええ!? わわわわ私ですか? あの、そんなのやったこと無いですし、こういうのって偉い人がやるものじゃないでしょうか……」


 偉い人と言われ、その場の全員がザリガニ男の顔を見やる。仕方がないなと、ザリガニ男はグラスを掲げて居住まいを正した。


「ああ、なんだ。俺は宴席の作法など知らんから、適当にやることを許してほしい。まずは、俺の思いつきに付き合って準備をしてくれたマシロに感謝を。そして、皆に関しては日々の働きの労をねぎらい、乾杯の挨拶とする。では」


 一同が、グラスを掲げる。


「乾杯!」


「乾杯!」


 ザリガニ男の発声に続いて、参加者は各々グラスを打ち鳴らした。


 ポン吉とポン三郎が我先にと、具材を攫って行き、末弟がそれを冷ややかに見ていた。マシロは化け狸兄弟の食べるペースに負けないように具材を鍋に放り込み、彼らがまだ火の通っていない具材に手を付けないように目を光らせた。黒い怪人はそんな乱痴気を他所に、マイペースに鍋の具を人間で言えば口があるであろう箇所に運んでいる。


 そんな彼らを肴に、ザリガニ男は豪快に酒を煽った。


 ◇


 宴会が始まって二時間ほど経っただろうか、鉄火場の様な宴会会場から離れ、マシロはベランダから身を乗り出した。鍋をほとんど口にせず、お酒ばかり飲んでいたので酔いが早い。


 彼女はアルコールが回って熱くなった顔を夜風に晒して冷やした。


「いやぁ、ご苦労様だな」


 と、手すりにもたれてぐったりとしているマシロに黒い怪人が声をかけた。


「どうする? 水でも持ってくるか?」


「ああ、いえ、大丈夫です。休んでいれば、よくなりますから……うぷ」


 胃袋からこみ上げてきた諸々を、マシロはすんでのところで飲み込んだ。いつにもまして青白い顔をしているマシロに、黒い怪人はうごうごと動いて笑った。


「愉快愉快。しかしアンタの働きは大きいな。ザリガニの旦那があんなに笑っている姿を見るのは初めてだ」


 二人の視線の先には、残りの具材を巡って争う化け狸兄弟を見て笑うザリガニ男の姿があった。


「俺が旦那と出会ってどれくらいか、数か月かな。旦那はいつも気難しい顔をしていてな、いつも内に秘めた闘争心を燃やしていた」


「闘争心って……ギャラティカルセブンに対しての、ですか?」


 言葉に出して、マシロはハッとなった。「しまった」と顔をしかめる彼女に、黒い怪人はくくくと喉で笑った。


「マシロよぉ、俺達にそれを聞くのはご法度だったはずだぞ?」


「ああああの、ごめんなさい、私……」


 あわあわと青白い顔をさらに青白くしているマシロを、黒い怪人は「まあまあ」と手で制した。


「とは言えだ、流石に一か月も行動を共にしていれば、気づいても不思議ではない。俺達も努めて隠していた訳じゃないしな。それに、酔っぱらって判断が鈍ったんだろうな」


「本当にすみません……。そういう事にしていただければ助かります」


「くくく、確かに今日は誰も彼もが酔っぱらっている、いい夜だ。ちょっとくらい秘密を漏らしたって、皆許してくれるさ」


 黒い怪人は二つの白い目で夜空を見上げた。マシロも釣られてそちらを見やるが、都会の明りに照らされて星が見えないそこはには、ただ真っ暗な空間が広がっているだけだ。


「俺もだいぶ酔ってしまった。だから、これからこれから俺が言うことは、酔っ払いの独り言だ」


 ふう、と溜息をついて、黒い怪人はとうとうと語り始めた。


「ザリガニ男の旦那には妹が居たんだが……。南米の麻薬シンジケート戦のおりに、ギャラティカルセブンに殺されたんだ」

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