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 昨晩思い至った通り、マシロはギターを売りに行くことにした。


 ギターの他、細々とした物を処分しようとボストンバックに詰めれるだけ雑貨を詰め、ギターケースを背負ってマシロは電車に乗った。


 時刻は正午を少し過ぎたころ。ラッシュアワーであればギターケースを背負って電車に乗れば周囲から白い目で見られるが、車内はガランとしていた。


 マシロは荷物を足元に置き、座席に着いた。昼下がりの陽光が差し込む車内。車窓を流れていく電信柱を見ながら、マシロは特に思い入れもないギターケースを撫でて別れを惜しんでみた。


 買取価格が存外に高額だったことにマシロは驚いた。購入してからろくに触っていなかった事が幸いして、状態が良いという事で高値が付いたのだ。


 こんなことならもっと早く処分するべきだった。これから少しづつガラクタの山を処分していって、生活スペースを少しでも拡張しようとマシロは思った。


 まとまったお金を手にし、マシロはご満悦だ。それから、このお金をどうしたものかと逡巡した。


 すぐに欲しい物は思い浮かばないし、日用品の蓄えも十分である。次に必要なものと言えば食料であるが、昨日購入したパンの耳があるのでしばらくは食いつなぐことができる。なお、栄養バランスは考えていないものとする。


 折角だから有意義な事に使わなければとボンヤリと考えていた彼女の足は、自然と駅前のパチンコ屋に向いていたが、マシロはハッとなって自分の右足をペチンと叩いた。ほんの数秒前まで「有意義な事に使わなければ」と思っていたはずなのに、どうして自分はこうも意思が弱いのかと己を恥じた。今まで一日と空けずにパチンコ屋に行って、利益を挙げた事があっただろうか。


 否、そんな記憶は無い。


 パチンコ屋に背中を向けて、マシロは後ろ髪を引く手を振り切るかのように早足でその場を離れた。このままではいずれ欲望に負けて、パチンコにお金を浪費してしまう。このお金が無くなる前に、どうにかしなければならない。


 そういえば、昨晩はギターを売ったお金で何か美味しい物を食べようと考えたのだった。


 それに今朝から何も食べていないし、昨日はカレーパンを食べただけだ。久しぶりのまともな食事への期待からか、マシロの胃袋がグーグーと鳴き声を挙げた。


 マシロは昼食を求めて駅前のアーケードを歩いた。軍資金は潤沢である。あれもこれも選び放題である。


 まず目についたのは焼き肉店。しかし、日頃の不摂生で弱り切った胃腸に肉は重過ぎる。


 次に目に付いたのは地元のマダム達が利用していそうな、フレンチやイタリアンのレストランだ。パスタや海鮮料理なら胃腸にも優しそうだが、高級感漂う門構えにマシロは怯んでいた。


 自分の様な万年引き籠り庶民が店に入りようものなら、瀟洒なマダム達に「どこの小娘がいけしゃあしゃあとフレンチなんぞ食べているのか」と陰口を言われ、フロアマンに舌打ちをされてしまうのではないかと恐怖心に駆られたからだ。別の意味で、胃腸に負担がかかりそうだ。


 しばらく彷徨ったマシロは、一軒のそば屋の前に立った。藍色のいぶし銀の暖簾が、期待感を煽ってくる。ざるそばと天ぷらの盛り合わせのセット、千五百円也。


「よし、ここにしよう」


 そばを食べるなんていつ以来だろうか。ウキウキとしながらマシロは暖簾をくぐった。


 そこは柱の黒と、漆喰の白を基調としたシックな内装であった。清掃が行き届いた店内は歴史と格式を感じさせるが、カウンターに置かれた招き猫やレジスターの横に貼られた酒類のポスターが古き良き「町のおそば屋さん」を演出していた。


 ランチタイムをやや過ぎていたこともあり、客はほとんど居ない。マシロは広々としたテーブル席に通された。


 手早く注文を済ませ、マシロは店員が持ってきたほうじ茶を飲み一息ついた。歩き疲れた体に、お茶の滋味が染み渡る。


 マシロは食べ終わったら何をしようか、折角だからアーケードを散策しようか、そういえばあそこの肉屋のコロッケが美味しかったはずだ、帰りに買っていこう等と薄ぼんやり考えていた。


 と、店のテレビに目が留まった。そこには、ギャラティカルセブンが遠い国のどこかの海で、転覆した漁船から乗組員を救出したというニュースが流れていた。


 ギャラティカルセブン。


 先日の麻薬シンジケート壊滅をキッカケに表舞台に登場し、世界中の注目を一身に集めているヒーロー集団だ。


 彼らは異星人からもたらされた超高度な科学技術で作られたパワードスーツに身を包み、文字通り世界中を飛び回り、漫画や映画で語られるようなヒーロー活動を行っている。そんな彼らは軍属や特殊部隊上がりの特別な存在ではないらしい。


 彼らは、異星人に「選ばれた」らしい。


 異星人の超科学を扱うにふさわしい、適性を持った人物を異星人が指名する。それは人種や性別や能力に左右されず、何故その者が選ばれるのか誰も解明できていないそうだ。封印された聖剣が女神に祝福された勇者を選ぶがごとく、それはファンタジーの世界観た。マシロはそう思った。


 そして、何の努力もせず、訓練もせず、結果を出したわけでもないのに、異星人の気まぐれでたまたま選ばれた彼らにマシロは嫌悪感を抱いていた。いや、嫉妬心と言い換えてもよい。


 ニュースでギャラティカルセブンの姿を写した映像が流れるが、マシロと同年代の女性らしき姿が見て取れる。マシロはその女性がテレビに映る度、彼女を賞賛する声が聞こえる度に嫉妬心を燃やしていた。自分と彼女と、何が違うのか。自分と彼女とは、そんなに差があるのか。なぜ彼らばかりがもてはやされ、自分たちのような日陰者は惨めな思いをしなければならないのか。


 自分は、何故こうなんだ。詮無い恨みつらみがマシロの心に暗い影を落とす。


「はい、ざるそばと天ぷらのセットお待たせしました」


 と、眉根を詰めて厳しい表情をしていたマシロの前に、揚げたての香ばしい香りを湛える天ぷら盛り合わせが置かれた。


「いただきます」


 手を合わせ、マシロはソバをつるつると啜る。


 そばの実とつけだれの出汁の香りが鼻腔を抜ける。天ぷらもサクサクで文句のつけようのない美味しさなのだが、テレビから聞こえてくるギャラティカルセブンを称賛する有識者の声に、そばの美味しさが上滑りしている。


 これを食べ終わったら真っすぐ家に帰ろう、今日は散策をする気にもなれない。マシロはそう思いながら、そばを啜り続けた。

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