第41話 .Alice

「いまその平和が、脅かされているのではないですか」


 まったくその通りだ! アリスはほれ見ろといった感じでヘイデンと執事長テッドを交互に見た。室内はしんと静まり返り、誰かが声をぐっと詰まらせる音がした。


「確かにそうだ。言う通りだ。しかし、だからこそではないか」ヘイデンが低い声で言う。「いま、その平和が脅かされている。だからこそ、我々は慎重にならねばならない。そこに合併とは、懸念が増えるだけではないのかね。意味は見出だせない」


「意味がなければ、言いません」


 リリーは強く言葉を返したが、集まる視線にまたたじろぐ。十七歳の少女だ。無理もない。リリーが本調子になるにはまだ時間がかかる。私にできることはないかと、アリスは思考を巡らせる。が、大した策は出てこない。


 とりあえず一旦座ろうかな? でも座っても仕方ないし。頭を抱えそうになっているところで、リリーの父、カールとばっちり目が合った。彼は丸眼鏡の向こうでアリスにウインクをすると、口を開く。


「ところで今日、姫さまは来られないのですか?」


 一見すると弱そうで、頼りなさげな男性だが、彼も準国事隊員である。普段の会議でも、おいしいところをかっさらっていくのはいつも彼だった。そういう意味ではリリーの父というのも納得できるというか、侮れない人である。


 これは助け舟だ。アリスはほっと胸を撫で下ろす。


「来るとは言ってなかったわね」

「久々に姫さまのお目にかかりたいんですがね」


 カールがにこにこと関係のない話をするので、リリーに集まっていた訝しげな視線が少し和らぐ。


「まあ、来たところですることはありませんしな」


 そう発言したのはテッドだった。リリーがそれに反応する。


「シャーリィ、来ますよ」


 ターラが不思議そうな目でリリーを見つめ、リリーもまたターラを見つめる。その傍らで、テッドがなにやら身体のあちこちを自分で触り始めた。何事かと思ったが、どうやら探し物のようだ。しばらくそうしていたが探し物は見つからなかったのか、首をかしげつつ口を開く。


「なにを言ってる、リリー。姫君は本日、会食の予定だ」

「シャーリィが会食をすっぽかすのは、いつものことだと思うけど」

「それはそうだが、来たところで場が乱れるのが関の山だろう」


 いつものようにリリーをたしなめるような口調だったので、アリスはあまりそのテッドの言葉を気にしなかった。しかし、発言した彼自身はそうではなかった。そこでアリスは気が付く。ああ、これはれっきとした失言ではないか。女王と王妃の御前で……。彼女たちがどうしているかと垣間見ると、居心地の悪そうな顔でリリーのことを気にかけていた。アリスはまた気がつき、憐憫の眼差しをテッドに向けた。テッドは、女王と王妃と、そしてあろうことかリリーの御前で失言をしたのだ。


 シャーリィのためであればなんだってする子である。その友人を侮辱されれば黙っていないし、なにより、彼女はこの国で誰よりも怒らせてはいけない人物の一人なのだ。『王族一家に頭を下げさせた少女』の話をここにいる人々は知っているだろうか。姫様と喧嘩をし機嫌を損ねた黒髪を生やした少女と、それをなだめるために一週間頭を下げ続けた女王と王妃の話である。


 テッドの発言は、失言としてはとりわけ大きいものではなかったが、それをリリーがどう思うかはまた別の話である。


「い、いえ、申し訳ありません。会議を続けましょう」


 慌てた様子で先を進めようとするテッドに、リリーが追い打ちをかけた。


「そうですね、シャーリィに場を乱される前に」


 おー、とアリスは思わず唸った。風向きがリリーに向き始める。彼女はそう、例えるなら、誰もいない島に置き去りにされたら三日三晩は泣いて過ごすが、次の日には文明を築いているような子だ。周りの面々は普段出席しないリリーを図りかねている。


 途端にリリーのことが誇らしくなって、アリスは胸を張った。

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