第33話 .Lily
「ばか言わないで、なんで私だけ外なの」
リリーは押し黙った。アリスから目を逸らし、床に目を落とすと、そこにはかつて生きていたとは思えないような姿の猫の死体が、三つ転がされていた。そもそもこれは猫という生き物だったのだろうかとすら思えてしまうような状態だった。首から上がないだけで、そう見えてしまう。
リリーは気付かぬ内に手を伸ばして、その体に触った。生きているときはきっと触り心地のがよかったはずの体毛は傷んだ髪の毛のように斃れており、使い古した絨毯のようになってしまっていた。身躯はすっかりと固くなって、軽く押しても石のように動かない。
「リリー、触らないで」
最初に猫の死体を見た時、初めて見る死体の気味悪さに、思わずえずいてしまった。けれどいま、目の前で固まっている死体を見ても、吐き気を催すことはなかった。なぜだろう。
この死体が生き物だったように見えないからだろうか。
……違う。
殺された猫に対する哀れみと、犯人に対する憤りが、すべての感情を押し退けて、喉の奥まで来ているからだ。悲しいような虚無感と、煮えくり返る怒りがひたすら体内を渦巻いている。
「リリー!」
「アリス?」
「リリー、触ったらいけない」
腕を掴まれて、猫から引き離される。アリスはかなりの力でリリーを引っ張ったが、意識は眠る前のように朦朧としていて、口から出てくる言葉は寝言のように浮遊していた。
「……この子たちがなにをしたんだろう」
誰に言うでもなく、聞いて欲しいわけでもなかった。
「犯人はなにを考えながら猫を殺したんだろう。生きている猫の首を斬り落として殺したのかな。殺してから、斬り落としたのかな。なにがしたいんだろう」
なにしろ、王室でこんなことが起こってしまったことがつらかった。もどかしさが襲ってくる。城下の警備を増やすことが重要なのではなかった。マクナイル全体の警備を強くする必要があったのだ、城内も例に漏れず。七年前も、一昨日も、城下町に死体が捨てられていたから、視野が狭まってしまっていた。儀式だけが目的ではないかもしれないと考えた時に、アリスに言って方針を変えてもらうべきだったのだ。
突然の事件に、自分の思慮の浅はかさに、犯人の残虐さに、思わず鼻で笑った。そんなリリーの肩を、やさしくアリスが撫でる。
「そんなことは考えなくていい、リリー。私たちは一刻も早く犯人を見つける、いまはそれだけでいい。分かってるよね」
「……うん」
なにか居心地の悪いものに支配されそうになっていた感情が、ほんのすこしだけではあったけれど、アリスの手のひらに拭われていく感覚がした。
「少しだけごめんね」
リリーはアリスの手から離れて、顔のない猫に話しかける。死体を横にずらして、その下を確認する。――絨毯には血がついていなかった。それを発見して、脳内の歯車がガチガチと音を鳴らして回転し始めた。血が流れていない、猫はここで殺されたのではない。つまり死体から血が出なくなるまでの時間、犯人は死体をどこかに隠していたということになる。
そうなるとやはり、七年前の事件とは根本的に違ってくるのだ。もし首を斬り落とすという行為で、儀式を遂行したいだけだとすれば、隠し持っておく必要も、こんなに目立つところに置く必要もない。城下、浜辺、城内、これらは確実に人目につく。
「見せつけてる……」
ぼそっと一人で言う。
そういえば、ターラやヘレナは運良くここにいなかったのだろうか。近衛兵はメイドが見つけたとしか言っていなかったから、恐らくそうなのだろう。犯人はこの機会を狙っていたのだろうか。
なにか他に痕跡はないかと床に目を走らせていると、王室の扉が開かれた。現れたのは準国事隊だ。
「なにをしている」
鋭い声で、リリーたちを女が叱咤する。リリーは突然のことに肩を強張らせるが、アリスが前に出た。
「見ていたんです。城でこんなことが起きては、私たちも無関係ではありませんから」
「……近衛兵隊長か。そっちはリリー・エウルだな。いじっていないだろうな」
「ええ、そりゃもう、当たり前ですよ。まあ気づかないうちに当たっちゃったとかはあるかもしれないですけど」
そう言ってアリスはリリーの手を取り、準隊の睨むような視線の中、王室を抜け出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます