第二章
第13話 .Lily
手を繋いだまま、煉瓦で舗装された道を歩く。城下町は人で溢れていて、それぞれが好きなように歩いていた。皆が皆笑顔で、買い物や散歩を満喫しているようだった。この様子なら、事件のことはおそらく誰も知らないのかもしれない。
横にいるシャーリィも頬を緩ませている。人々は自分たちのことで精一杯なのか、こんなところで堂々と歩いているお姫様には気が付かないようだった。
城下町にはお店が多いので、リリーは首を巡らせながら色々と物色していく。飲食店や小物店、書店など多種多様なお店が並んでいて、外観はどれも色とりどりではあるがそっくりだ。木が外壁にあてられていて、屋根は三角で鋭く高い。夏の暑さからは想像もできないほど、マクナイルの冬は寒いのだった。
そんな中、ふと視界に気になるものが止まって立ち止まる。どうしたの? と顔を覗き込ませてくるシャーリィに「んー」と返事をしながらも、リリーの視線はそれに注がれていた。
綺麗な表紙、花の絵が散らばった小洒落た手帳だった。いま付けている日記帳ももうすぐ頁が切れてしまうし、新しいのはこういうのもいいかもしれない。リリーはポケットを探ってみて、「あ」と声を出した。財布なんて持ってきていなかったっけ。
「なに? これがほしいの?」
シャーリィがリリーの様子に気が付いて、聞いてくる。リリーは肩をすくめて頷いた。
「ほしかったんだけどね、お財布忘れちゃったしまた今度にする」
名残惜しくノートの値段を見てみると、銀貨四枚と書かれていた。手の凝った綺麗な品ではあるけれど、手帳に銀貨四枚は少し高い。これじゃ今度でも買いに来ないなと考え直して、お店に背を向ける。数歩歩いてから、付いてきていると思っていたシャーリィの姿がなくて、あれれ、と横を見てみたがやはりいなかった。
「これ、くださる?」
背中側からシャーリィの声が聞こえてきて、リリーは振り向く。自分に話しかけてきたのかと思ったが、シャーリィはさっきの店の前にいた。目ぼしいものでもあったのだろうかと気になって覗いてみると、さっきの手帳を二冊も店員に注文している。
慌ててシャーリィの手を掴んだ。
「待って待ってシャーリィ、買わなくても大丈夫だから!」
シャーリィは顔にはてなを浮かべて、首をかしげる。
「お揃いにしようと思ったんだけど、リリーいらないの?」
首を振って否定する。姫様が店に来たことに気づいて騒いでいる店主の声が遠くで聞こえるようだった。
「お揃いは嬉しいんだけど、買ってもらうの申し訳ないもん。今度わたしもお金持ってきたときにしようよ」
嬉しさよりも申し訳なさが勝ってしまう。なんだか自分がおねだりをしてシャーリィが仕方なく買ってくれるように思えてしまって落ち着かない。きっとシャーリィはそんな風に思ってはいないんだろうけど……。
シャーリィは手のひらを突き出して、リリーに待ったをする。バッグから財布を取り出すと、躊躇なく金貨一枚を店員に渡した。お釣りが出るが、それを受け取らず、二冊の手帳が入った紙袋だけ受け取った。可憐な少女が、リリーを真正面に見据える。
「悪いだなんて思わなくていいの」リリーの気持ちなど分かりきっていたシャーリィが静かな口調で言った。「私たちはこれから死ぬまで一緒なのよ。私が困った時リリーに助けてもらうことだってある。逆のこともある。これは私が、あなたのために何かをしただけ。それに、これは私のためでもあるのだし」
リリーは言葉を失って、彼女のまっすぐな、想いと言葉と表情を見た。そういえばこの人は、嫌なことなど自分からしようとはしない人だった。これ以上反論する気も、遠慮する必要も、なにもなかった。こういう所を好きになったのに、久しぶりに会って、少しぎこちなかったかもしれない。
リリーの手を無言で握ったシャーリィは、また歩きだす。ぴとりとくっついた手のひらの感触。何度も手を繋いでいるのに、その度に、そこにある気持ちが変わっていた。
「……ありがと」
シャーリィのことを思う気持ちが、喉のすぐそこまで来ている。好き。愛しい。それは大きな感情で、そういう想いを手放しで口にするのは、怖い。それだけ大切な気持ちだった。
マクナイル城から離れるように歩いていくと、城下町の終わりが見えてくる。城下の入口であり出口でもある大きな橋は、マクナイルで一番長い河川にかけられており、その両端には荘厳な門が建てられている。いかにも城下町の入口というような景観だが、別に出入りに手続きが必要なわけではなかった。門をくぐって、煉瓦とコンクリで造られた橋を歩く。下を見やったら、太陽の輝きが乱反射する川が望めた。浅瀬では子どもたちが遊んでいて、楽しそうに水掛けをしている。この暑さだし、きっと涼しい。シャーリィもまた、リリーと同じようにその様子を見ていた。
「海、行こっか」
シャーリィが独り言のようにつぶやく。橋の終わりがもうすぐそこまで来ていた。この先が港町へと繋がっているから、シャーリィはそれを思い出して海に行こうと行ったのか、それとも川で遊ぶ子供たちを見て羨ましくなって言ったのか。どちらにせよ、リリーには断る理由がなかった。
港町は近衛兵の管轄外で、普段は国衛軍という組織が警備をしている。彼女らの本拠地が港町にあるのだ。近衛兵のリリーにとっては、訪れるのが久しぶりな空間だった。シャーリィは他の街に行くついでに通ることが多いようだった。
「……暑いね」
橋を抜けた頃、リリーが言った。これから海に行くということになったところで、太陽がその力強さを主張し続けるのには変わりない。じんわりと汗ばむのが分かった。
「サラの淹れた冷たいコーヒーが飲みたいわね」
シャーリィが言う。しかし、彼女が暑がっているようにはまるで見えなかった。お姫様としての立ち振舞いに秘訣があるのだろうか。姿勢が暑さにだらけることはないし、表情も涼しそうなままだった。リリーも真似して涼しい顔をしてみたが、物の数秒で暑さに顔が歪んだ。
サラの淹れた冷たいものが飲みたい。これには大きく頷かなければならない。サラは王室に行けば必ず飲み物や菓子を出してくれるが、そのどれもが一級品だった。彼女の入れるココアを頭に思い浮かべると、口の中にその味が想像される。
しかし、飲み物も食べ物も手作りとあっては、メイドの仕事量も半端ではないだろう。メイドはサラも含めて、アナにせよ誰にせよ、ものすごくてきぱきと仕事をこなしているが、そうでもしないと仕事が終わらないに違いない。改めて感心する一方で、ふと気になってシャーリィに問う。
「サラさんはともかく、お爺がなにか作ることってないの? 食べたことないけど」
執事というのもメイドに似た役割を担うはずだし……と思ったが、幼い頃から世話になっているリリーも、彼の作る料理を食べたことがない。
シャーリィから返ってきたのはきょとんとした顔だった。
「あの人は予定を管理しているだけでしょ?」
「やっぱりそうなんだ。それはそれで完璧にやってるからすごいと思うけど」
尊敬を口にしたが、シャーリィは「まあね」と簡単に言うだけだった。その予定管理に振り回されている張本人なのだから、思うところがあるのかもしれない。
マクナイル城には、現在二人ほどしか執事と呼ばれる人がいない。
その昔、王家に仕え代々武器を作る職人の一家がいたのだが、人口の増加や技術の普及などで大量生産が可能になり、その鍛冶屋の一家は没落した。それで見捨てたのでは無情だということで、執事として王家の世話をする名誉職を与えられたのだった。武器屋がそれで納得したのかと思うとどこか滑稽な笑い話に聞こえるが、何はともあれ、お爺はその一族の末裔なのである。だが彼には子供がおらず、最近新人を一人だけ募った。今は研修中で、なにかとばたばたしているらしい。王族一家全員の予定を一人ですべて管理するのは、なかなか大変なものだろう。
次第に人影が少なくなってきて、視界の先に真っ白な世界が映った。港街が見えたのだ。その先には限界の見えない海が広がっている。まっすぐ行けば港町から漁港へ出ることができるが、リリーたちは左に逸れて並木道へと入っていった。
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