第8話 .Lily
扉を開くと人がいたので、リリーは思わず小さな悲鳴を上げた。が、彼はリリーが出てきたことに気が付いて、すぐさま駆け寄ってきくる。なんのことはない、あの爺やだった。
「リリー! お前が犯人と聞いて爺やはどれほど胸の苦しい思いをしたことか!」
白ひげを揺らしリリーの肩を掴む爺やに、リリーは思わず呆れ顔を作って嘆息する。
「なに、爺やは準隊の言うこと信じてわたしを疑うわけ?」
「ばかなことを言うな! ヘイデン総統は出て行ったが、どうしたのだ。疑いは晴れたのか」
爺やとリリーが呼ぶのは、テッドという名前の恰幅のいい老人である。姫君であるシャーリィの教育係であって、現状、城には二人しかいない執事という役職の長だ。その主な役割は姫の指導と王家の予定を管理すること。幼い頃からシャーリィの近くにいたリリーは、同時にテッドの世話になっていた。
「うーん、言うだけ言って帰ってった」
リリーの言葉に、アリスが反応する。
「どうしたんだろうね、急に帰った」
リリーには思い当たる節があった。というより、ヘイデンの態度から何となく感じ取ったことがある。もしかすれば彼は、最初からリリーを糾弾するつもりは無かったのではないか。あるいは、途中でその必要がないことに気が付いたか、と。
「わたしの指摘を察したように見えた」
「指摘?」
リリーは首を傾げるみたいに頷く。
「わたしを責める理屈はいくつも用意してきていたけど、明確な穴があった。わたしがヘイデンさんの説明不足に異議しようとしたら、帰ってった」
「リリーが言い返そうとしたことに気が付いたってこと?」
「準国事隊の人って、抜け目ない感じがあるでしょ」
準国事隊が単に知識だけを身に付けたお役人集団なら、誰もそこまでは当てにしない。あの組織に特異なのは、どんな真実をも見極める瞳。時には直感すら頼りにするその目のは、見ただけで花瓶を割ってしまいそうなほどに鋭い。そのため、ヘイデンがリリーの態度の機微に気が付いていたとしても何ら驚きはしないし、むしろその方が自然のようにさえ思える。
「説明不足って、なに?」
「わたしを犯人にするのに、足りないこと」
リリーは王室に向かって歩き始める。アリスが横に並んで、爺やが後ろに付いてきた。城の五階の窓は、日射しを増して屋内に届けていた。靴裏は柔らかい赤絨毯に吸い込まれるが、気はどこか立っていた。
「ヘイデンさんの説明だと、更衣室を夜間に開けられたのはわたしだけだって話だけど、私が悪用のために制服を必要としているのなら、わざわざ鍵の閉まっている夜の時間を狙わなくてもいいわけでしょ。部屋に持ち帰るなり、着たまま部屋に返るなりしたって、誰も気付かない」
制服の管理が厳重にされているのは、当然防犯のつもりに他ならない。だが、想定されている犯行というのは、今回の事件のような重大なものではなかった。この一年の間に起こったちょっとした騒動が理由であって、管理それ自体は個人の問題だ。
「まあ私やチェリさんが見ても何も言わないよね。無くさない限り」
「ヘイデンさんは最初から夜のうちに私が制服を持ち出したと結論づけて話していたけど、それ自体がおかしい。わたしはそれを言おうとした。それで帰っていった。意図的に隠していたんじゃないかな」
「何目的?」
リリーはアリスを見上げた。背の高い彼女が見下ろす。
「分かんない」
聞くと、なぜだかアリスはリリーの頭をぐしゃぐしゃに撫でた。
いずれにしても、迂闊な真似を、準国事隊の、それも総統と呼ばれる人がするわけがない。本人がおいでになるのもそうだった。事件の重大さがそうさせたのかもしれないが、何かしらの意図があるように思えてならない。窓の外を見る。青空を背景に、白い花びらが風に運ばれてこんな高い上空にまで登ってきていた。聖域にはどこからともなくやってくる花びらがある。聖域で見られる何らかの花びらでもないらしいが、その正体は誰も知らなかった。
部外者が、制服を手に入れる方法がないではない。鍵の開いた昼の間に盗み出せばよいだけだ。しかしそれで悪用することは簡単ではない。少なくとも、今回の事件では不可能だった。昼に盗んだ近衛兵の制服を着て悪事を働いたとしても、それを更衣室の鍵が閉まる夜間のうちに、元の場所に戻しておくことが不可能だからだ。
となると、制服を着て猫を置き去ったのは、近衛兵にしか不可能なことだ。リリーは何人も頭の中に、彼女たちの姿を思い浮かべた。近衛兵の女子たちに、猫を殺すみたいな、残忍な人はいない。信じられない。
「制服の管理は、とりあえず徹底させる必要があると思う。どのみち守衛任務の交代は昼夜一斉に行うわけだし、昼に更衣室を開けっ放しにしておく必要もない。着替える時だけ開けて、終われば閉めよう」
「制服は持ち帰りは許可しないで、更衣室に保管ね。今日中に告示を出そう」
とりあえずの対策が思いついたところで、これはさほど大きな意味を持たないように感じられた。事件は、特に今回の事件は、一度起こっただけでも十分に国家の根幹を揺るがしてしまいかねない、深刻なものだった。七年前の身震いするような恐ろしい記憶は、国民はもとより、国家機関に強く根付いている。
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