第6話 .Lily



 城に戻るため階段を上っている最中、アリスとリリーの二人は言葉少なだった。何かを考えてるとは言えないが、何かを考えているみたいにじっと黙している。頭の中をふわふわ飛び交う物体で、いつかひらめく事だけを待っている。事件の熱に当てられていた頭が冷め、次に何をどうすべきかが目下の問題となっていた。


 意識は七年前に飛ぶ。あの全てが変化してしまった日。


 聖域は、それまでひとつの国家として、天使たちが共同体を作って暮らしていた。ひとつしかないのだから、国家という概念すら薄かった。人同士は緩くも許し合いながら何らかの絆で繋がっていて、誰しもが隣人であり、それでありながら個々の意識が尊重される空間だった。聖域の浮島それ自体がひとつの世界で、下界のように天災も起こらない神聖な場所で、人々はただ明日の雨と今晩の献立だけ心配して暮らしていればよかった。事が変わったのは、七年前だ。


 ――首の無い猫の死体が、民家裏の林で発見されたのである。数匹だったが、殺された時期は様々のようだった。完全に白骨化したのもあれば、肉の分解が蟲達によって進んでいるのも、まだ毛並みが整っているのもあった。殺すこと自体が目的のように、ただ処分の場所として、そこに捨てられていたのだ。


 当然のことではあるけれど、事件を知った人々の混乱は大きかった。家から一歩も出なくなる人もいたという。七年前といえばリリーは九つの少女であったけれど、逼迫した大人達の表情や、何か良くない惨事が起きていることは肌で感じていた。それまでに一度も覚えがないような、荒み乾き切った日常が、しばらく続いた。


 準国事隊も国衛軍も、また近衛兵もがある程度捜査を進める中で、ひとつの事実が明らかになった。


 エール教。聖域に存在するひとつの信仰である。この宗教の教典が問題となった。猫を殺す。そして、“脳を食う”。そういう記述があったのだ。それを指摘したのはエール教徒だったし、教典の古い記述を洗うなどエール教徒にしかできなかったわけだが、しかし畏怖の矛先は彼女らに向いた。いや、それどころか「宗教それ自体」に向けられた。


 聖域には二つの熱心な宗教と、緩やかな信仰がひとつ存在していたが、中央の会議で決定されたのは、宗教の分類から三つの国を作ること。エール教徒、ミカフィエル教徒はここマクナイルから、天に聳える山脈で分けられた別の場所への移動を強いられることとなった。


 信仰徒の大半は、エール教徒にせよミカフィエル教徒にせよ強く反発したが、大多数のマクナイル国民による「悪魔」の誹りを押し返し切れなかった。それで国家は三つに分かれたのである。


 だから、今度の事件は態様の異質さを別としても異常だった。何故なら、国が三つにされたことによって、二度と宗教絡みの犯罪は起きないはずだったから。その意味で、起こったことが尋常であるとは言えない。それに、七年前と比較して引っかかる点も多々あった。


 リリーが音を立てて一息吐いたのを見て、アリスは形の整った薄いくちびるを優しげに開いた。


「七年前の繰り返しだと思う?」


 核心を突くような問いだった。そう、まさにそれこそが重要なのだ。そのことひとつで事件の扱いは著しく変わるし、変えなければならない。最も杞憂すべきは、これが七年前の繰り返しである場合だ。でも――。


「そうじゃない……と、思う」

「あ、そう」


 アリスは楽しくなさげな声色で、まるで興味が無いみたいな返事をしたが、これはアリスの単なる癖だ。興味がないことには返事すらしないのがアリス・メイリーという人である。無愛想な返事は頭の中で相手の言葉を噛み砕いてる時で、関心の表れだった。


「計画性があった」

「ああ、うん」

「七年前の事件、猫の死体は同じところに捨てられてた。それもたまたま露見しにくい場所だったから利用されただけだし、猫が殺害があったって考えられる時期は、それぞれ異なってた。でも今回のは、まるで一度にやられたみたいに死体の状態が似通ってる。その上、隠す目的にはそぐわない空間に捨てられてた。――あの通りは、近衛兵の巡回路にもしっかり入ってる。けど怪しい影の報告なんか入っていないでしょ? そうなると、犯人は“巡回を避けた”可能性さえある」


 年前の事件は、その解決方法があまりに抜本的すぎたと言えなくはないが、それでも解決は解決だった。残酷で意図の分からない殺害に宗教的価値観が関わっていると分かった以上、その価値観で国を分けてしまうというのはけして分からないではなかった。どのみち、いずれは何らかの形で不和が起き、同じ結末になっていただろうというような考えもできる。


「じゃあ、エール教徒がやったんじゃないってこと?」


 アリスが問う。リリーは困ってくちびるを尖らせた。


「国内にエール教徒がいない以上、そう考えるしかない――そう考えないのなら、国内にエール教徒がいると考えるしかない」

「いずれにしたって問題だわ」

「ただ、大きく様態が異なるとは、思うんだ」

「隠してないってところ?」

「そう、隠してない。頭を切り落として――その、やることやるためなら、身体の部分はどう処分したっていいんだから、あんなに目立つ捨て方はしない」

「そうか」


 アリスはまた愛想なく言った。指は忙しなく髪を弄んで、その青い瞳はその鏡面のような空に注がれている。昨晩の雨は、ただ湿気だけを残して去った。朝露も新緑の上から去り、焦がされるみたいに佇んでいる。水をやりたくなったが、リリーは自分の喉が乾いていることには気付いていなかった。草花を、歩きながらじっと見逃していく。


 猫の死体は、濡れていなかった。その下の地面が乾いているということもなかった。雨が止んだ時刻と巡回の時刻を、城に帰ったら確認する必要がある。その前に、女王に事を報告すべきだ。


「アリス――」

「リリー、女王様のとこ行くよ」

「わたしも行っていいの?」

「リリーが伝えて。話すの得意じゃないから。説明上手でしょ」

「分かった」


 至極冷静に言ったけれど、こんな時なのに内心は喜ばしくて小花が散って踊っていた。女王に会うのも、しばらくぶりだった。王室に行ったら、もしかすればシャーリィに会えるかもしれない。ーーううん、それは期待しない方がいい。仮にお城にいるって言ったって、お勉強とかで忙しいから、邪魔しちゃいけない。女王様と“王妃様”に会えるだけでも、十分嬉しい。


 城下から城にたどり着き、重くなった脚に鞭を打って中央の棟に足を踏み入れたリリーとアリスを、慌てた声が上から呼び止めた。ふっくらとした腹を揺らして、撫で付けた白髪を乱れさせながら階段を駆け下りてくるのは、リリーのよく見知った人だった。


「リリー! どういうことか説明しなさい!」

「爺や、どうしたの慌てて」

「準国事隊のヘイデン総統がいらしている、お前が容疑者だと!」

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