第5話 .Lily

 考えることは沢山あったが、リリーは頭の中からそれを順繰りに消していった。やるべきことは絞らなければならない。


 現場はいつまでも保存できない。特定の家屋ならともかく、ここは大通りだ。それに、まさにここでこの凶行が行われたようにも思えなかった。そのため、現場の検証は今まさに、ここで全てを終わらせて、禍根を残さないようにしなければならない。雨も多い時期だ。後で調べ直すことができない以上、調べるべきは調べ尽くす必要があった。


 リリーは改めて周囲を見渡したけれど、目につくのは死体に掛けられた布くらいのものだ。前髪に伝ってきた汗を器用に息で吹き上げながら、手袋を嵌める。この暑さでは、早い段階を辿って死体の腐乱が進んでしまう。リリーは群衆の方に背を向けて、布の袋に首のない猫の死体を詰め込み始めた。


「おお……おいおい、リリーちゃん……隊長さん、どういう育て方したらこんなに部下の肝が座るか教えてくれねえか」

「こんな子に育てた覚えはないです」

「…………」


 死体を一つ袋に入れたリリーが、それを持ち上げる。怪訝な表情を汗で照らしながら、準国事隊の男性がリリーに声を掛けてくる。


「何がしてえんだ」

「犯行はここで行われたと思いますか」


 リリーは無表情で、顔も向けずに問い返した。マクナイルでは、小動物を無闇に殺すことが、れっきとした犯罪と見られている。法は頭でっかちではないが、単なる悪を許してはくれない。猫を五匹も、しかもこういう意味深な形で殺すことに真っ当な理由があるとは思えなかった。


 犯人は見つける。それできっちり裁いてもらう。動物をこういう形で傷付けることも許せないけれど、これを誰かが見ていたらどれほど怯懦するかと思うと不安にさえなる。いや、実際仲間が見たのだ。行き過ぎた衝撃は時に精神さえ蝕んでしまう。


 ――罪。その言葉がふとリリーの頭に浮かんだ。これは罪だ。それも重い。生命の絶ち方として、最も愚劣だと思った。


「ここでやったとは考えられねえな」

「近辺には血痕も体毛もありません。首元の骨が大きくひび割れて欠けています。斧などの重い力で一息に切り落とされたに違いありません、ここでやられたとしたら、痕跡が残るはずです」


 なにしろ、五匹を一息には無理だ。言いながら、リリーは二匹目を袋に入れた。死体は死体でしかない。そう思っている自分に気が付いた。――わたしは、死体に触れたらそう思う人なのだ、という気付きだった。


「それにはなんの意味がある?」

「ここで行われたことでないなら、運ばれてきたと考えるのが自然です。一匹ずつ運んだのか、二匹、三匹で運んだのか、五匹一気に運んだのか。それぞれの重さと、それができるとしたらどの程度の距離が心理的に限界か、感覚的に知りたいのです」


 そうすれば犯人像も絞り込めるだろう。すでに頭の中には犯人の身体的特徴が影となって頭に浮かんでいたが、その陰影をより鮮明にするために、リリーは死体を袋に入れ、その度に担いだり歩いたりしてみた。猫は一般的な体長に見えたが、頭がないので実際の大きさは判然としない。頭の占める体重は割合も分からないが、一匹の重さはそれ程ではなかった。しかし、四匹五匹となってくると、容易に運ぶことが難しい程度に重い。これを持って、遠出は厳しい――。


 思考を声が遮った。


「なんか分かったかい」

「――ある程度は。これ、持って帰ってください」


 リリーが準国事隊の男性に死体の入った袋を渡すと、彼は気味悪そうな顔でそれを受け取った。手にした瞬間に一度下に大きく袋が傾いたのを、リリーは見逃さなかった。


「やっぱり重いですか」

「まあ、軽くはねえな。体勢も取りにくいし」

「犯人は大人の男性だと思います」

「あー……まあそうかとは思ってたが」

「先入観じゃ困ります。推測で、わたしは言ってるんです」

「厳しいことだ。色々教えてくれ。『秘密です』は無しだ。可愛く言ったってだめだぜ、今日は」

「言いませんよ」


 リリーは息を吐いて笑った。


「猫の首を見ましたか。骨にひびが入って、重い力が加えられたことが窺えます。斧かなにか――暴れる猫を押さえつけて片手でそれを振り下ろすとしたら、子供や非力な人には不可能でしょう。猫を繰り返し運んでいるところを見られるわけにもいきませんから、一度二度で運びきったでしょう。だとしたら遠路はるばるということもないでしょうが、だとしても骨の折れる作業です。引き摺って運んだ形跡も、猫の体表には見当たりませんでした。住処のすぐそこで犯行に及ぶことは、心理的に少ないと考えられます。重労働です。健康体の男だと思います」

「女にだって不可能ではないだろう。実際、リリーちゃんもいま担いでいたじゃないか。複数人もありうる。いや、複数ならいま言った問題すべて簡単に解決するが」

「複数でもありません」

「なんで?」


 今度問うてきたのはアリスだった。リリーの目をじっと見つめている。


「おぼろげではあるけど、昨晩の雨のおかげで、足跡が残ってる」


 リリーが言うと、男は笑った。馬鹿にするような失笑ではなかったが、諦めの滲んだ声だった。それが証拠になったらいいがね、くらいの反応だ。


「確かに残っちゃいるが、数が多すぎる」


 実際、彼の言う通り煉瓦で舗装された道にはたくさんの足跡が付いていた。雨でぬかるんだ地面を踏んだ足跡が薄く残っているのだ。雨は夜中に止んだが、乾燥し切っていない地面を踏んで、リリーたちの足跡もあった。


「数は多くなりますよ。わたしたちが歩き回りました。でも人数はそう多くありません。ほら、アリス、これに足合わせてみて」


 アリスは言われた通り、まずは踵の位置を合わせると、慎重に重ねていった。


「あら、ぴったり」

「おじさんはこれ」

「……本当だな」

「そして、これがわたしの」


 この場にいる三人の足跡が判明する。すると今度見えてくるのは、他にもさらに三人分の足跡があるということだった。


「近衛兵はブーツの規格が一緒だから、アリスとわたしと、ミアのは見ただけで分かる。誰のものかはっきりしないのは二人分で、子供の物はなし、女性物もなし。袋の重さとか、運搬の面倒さとか、全部合わせて、成人した男性一人だというのは、はっきりすると思う」

「じゃあ、二人の可能性はあるじゃねえか」


 そう男性が言うのを聞いて、リリーは悪戯顔で口角を上げた。


「その手には引っかかりません」

「なんだよ」

「おじさん、一人で現場に来たわけじゃないでしょ。もうひとりが報告に走ってる」


 言うと、おじさんは両手を挙げて降参を示した。


「他に分かったことは?」

「いえ、とりあえずはそれだけです。この場所から得られることはもう、ないかもしれません。もう少し調べますが――。準隊は事件をどう扱いますか」

「さあ、持って帰ってどうなるかだな」


 それで、会話は終わった。リリーとアリス、それに準国事隊の男性はもう半刻ほど周囲を調べていたが、結局これといった重要そうな物は見付けられなかった。なにかあったといえば、馬車が旋風のように城の方角へ駆け抜けていっただけだった。


 リリーは汗を流しながら、炎天下で灰のように呟く。


「……試験は延期か」

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