第3話 .Lily
試験は、観客さえも呼び込んで、ほとんどお祭り状態で進められる。中庭には近衛兵以外にも、女王やシャーリィが見に来るし、城下の人々もまた次の隊長を予想して楽しみにくる。
優勝候補はチェリだった。今は夜勤の門番を担当しているけれど、彼女は過去6年間、この試合で優勝し続けてきた腕の立つ近衛兵なのである。他にも注目されている兵士はいたが、リリーのことなど、誰も気にしていなかった。二年目の初参戦だったし、そういう候補者が勝ち上がったことはそんなに前例のあったことでもない。近衛兵は確かにゆるやかな組織体ではあったが、同時にきちんと訓練も積んでいる生真面目な人たちの集まりでもあった。ぽっと出の新人が勝ち上がるのでは、なかなか面子も立たない。
しかし、数試合行われるうちに、観客の視線はリリーに注がれ始める。活躍もあったが、リリーの髪に特徴があったのもその理由のひとつだと思われた。
リリーたちの国。天上の海に浮いたこの聖域に住む天使たちはみな、銀色の髪を持って生まれてくる。そうでなければ金髪か、そうでなくてもシャーリィのような薄いミルクティー色で、色素の薄いのが普通だった。珍しいと、水色だったり赤色だったりするけれど、そういう子はずっと少ない。
リリーはそれよりも珍しかった。というか、リリー以外にそういう天使は、一人としていなかったのである。リリーのも銀髪には違いなかったけれど、前髪の分けた左側に、ひと房だけ黒い髪が生えていた。
ひと房と言ってもそれは結構な量で、隠そうとしても上手くは隠れない。銀髪に真っ黒な髪が生えていたら当然目立つし、それが、天使たちの忌み嫌う色であるのも良くなかった。そこそこの年齢になって落ち着きはしたけれど、幼少期には近所の人にからかわれることも少なくなく、シャーリィが助けに来てくれなければ、じっと黙り込んで嵐が過ぎるのを待つしかなかった。口にはしないが、気味悪がる大人たちもいたように思える。リリーはお城で優しい人々に守られてきたけれど、下町で生まれていたらどうなっていたかは分からない。リリーが姫君やお城の人々を守る近衛兵に志願したのは、至極当然の成り行きだった。
リリーはそういう意味で、実は城下では多少名の知れた少女だった。王家の人々と過ごし、姫君を友人に持ち、それで、黒い髪を持つ。そのことは悪意に触れることも、あるいは好意に触れることも、同時に増やした。
どうやらそのリリーが試合に出場しているらしい、その上、好成績を収めている――。人々の関心を買うには十分だったし、チェリが早い段階で黒星をあげたのも相まって、リリーを応援する声が終盤には増えていた。
チェリに黒星を与えた近衛兵が誰なのか、全くと言っていいほどリリーの耳には届いていなかった。しかし後になってみれば当然だ。誰もその人を知らなかったのだから。
リリーは結局、敗北を喫した。それも、手も足も出ない形で。後から聞けば、彼女が近衛兵に配属されたのは、その試験の前日の夜だったという。それで試験に参加するのも異例だったが、その上優勝さえかっさらって、隊長になるなど考えも及ばないことだった。
それを知った時のリリーは、ぬるい雨がゆっくりと身体を突き刺すような悔しさで喋れないほどだった。失意で部屋に帰ったリリーを追い掛けてきたシャーリィにも何も言えず、肩を抱かれずっと泣きじゃくっていた。そもそも、二年目で隊長になるなんてことが、行き過ぎた夢だったかもしれない。けど、決勝まで残ったのも確かだった。リリーも優勝を予感していた。シャーリィも、見てくれていた人も、それを期待していた。それが、この指一本触れないうちの大敗だ。何が足りなかったのだろうと反省することもままならなかった。何もかも足りなかったのである。
素性も不明の、そしておそらくはリリーほどの熱意もない人が現れ、お前に価値はないと言わんばかりにリリーの背を地面に付けた。リリーは全部が灰色に見えるようだった。のに、相手の青色の瞳だけは、凍ったように冷たく光っていた。その冷え冷えとした女が、このアリス・メイリーだったのである。
運命の巡り合わせか、それとも悪魔の悪戯かは分からないけれど、二人は親しくなった。リリーの不信感と嫉妬はこの城より大きかったし、三角屋根より鋭かったが、なによりアリスの方が努力してくれたのである。隊長と副隊長が不仲では組織が成り立たないことを憂慮したのかもしれなかったけれど、関係を深めようという気概をリリーはそれほど不快感なく受け取っていた。二人とも人付き合いそれ自体は好きではなかったけれど、山を登るみたいにして徐々に打ち解け、いまでは気兼ねない友人だった。
でも、今日は競い合わなければならない。アリスにもまた事情が――リリーよりはたぶん大きい事情があった。隊長にならなければならない理由が。単なる慕情が隊長への動機であることが不純で正しくないのはリリーも分かっていたし、そういう意味ではアリスに隊長でいて欲しかった。が、同じようなことをアリスが感じていることもリリーは知っていた。アリスは自らの気質が組織の長に向いていないことを杞憂していて、だったらリリーの青春のために譲ってやりたいと口をこぼしたことがある。
そのことを理解し合った上で、二人の間には約束があった。当日は手を抜かないこと、どうせ負かすなら跪かせること。これはリリーが言い出した。八百長などやりたくないし、ご機嫌伺いで剣を交わしたくない。それでシャーリィの横に立つのは厚顔無恥にも程があると思っていた。アリスは頷いて、リリーの頭を優しく撫でた。
自害するような気分だった。心持ちはそれと大差ない。手を抜かないアリスに、リリーが敵うはずがないのはリリーが一番分かっていた。それでありながら手を抜くなというのは、自分を決して勝たせるなと言うのと等しい。
わざわざそんなことを言った動機は複雑だと、自分では思った。アリスと同じように、自分が隊長の器だと思ったことはないし、恋心が理由なのも後ろめたかった。それでもアリスという剣術の天才に勝つことができれば、その能力の前であらゆる理由は小さくなるとも感じる。
ほつれた糸をゆっくりと引いていくみたいな、そういう繊細な配慮がある。慈悲とも同情とも違う。二人して歩いていたら、目指す方向がなんとなく一緒だっただけ。その先には一人ずつしか渡れない揺れる木の橋があって、渡るのも空恐ろしいし、誰かに渡らせるのも気が進まない。向こうにある瑠璃色の宝石が、わたしたちは欲しかった。
――とはいっても、隊長を目指しているのは、なにもリリーとアリスだけではないだろう。アリスのことばかり心配して、足を掬われては困る。リリーは立ち上がると、アリスを引っ張り上げた。朝は身体が重い。これは、乙女の体重の話ではなく。
リリーに背中を押され、アリスは観念したかのように中庭の中央に行き、両手を叩いた。それに気が付くと、近衛兵たちは集合し、整列する。目配せで自らの立ち位置を探し合って、十秒もしないうちに見事な隊列が組まれた。彼女たちの正面のアリスの横に、リリーは立っている。本当は隊列に混ざりたかったけれど、副隊長なので仕方がなかった。
「それでは、朝礼を――」
アリスが言いかけたが、それをリリーが静止した。
悪いとは思いながらも、放っておいてはいられない。いつも通り組まれた列を見て、違和感にはすぐに気が付いた。
「どうした?」
裾を引っ張られたアリスがリリーを見下ろす。心配そうな目だった。リリーがジョークで朝礼を止めるとは思っていない。
「あの、一人欠けてる」
言われたアリスが列に鋭い目を走らせる。
「ああ、ミアがいない。――誰か、ミアのこと分かりませんか」
声を掛けるが、誰も心当たりはないようだった。
「夜勤の方も?」
ミアは夜勤の兵士だったが、やはり誰も彼女の行方を知らないようだった。アリスがチェリに目配せするけれど、チェリも首を振る。
欠勤であるなら、連絡は昨晩のうちに済んでいるはず。チェリやアリスが知らないはずはない。だとしたらなにか事情が――とりわけ、緊急の事情があるのかもしれない。そう思っていると、列の後方がざわついた。
「隊長! ミア、来ました!」
よかった。ただ遅れてしまっただけなら。と思った束の間、列を割って前に出てきたミアの鬼気迫る表情に、リリーは息を呑む。それは遅刻を慌てて詫びる態度とはかけ離れていた。整った少女の顔は青ざめ、冷や汗が前髪を額に張り付かせて、彼女は音を立てて息を切らしている。それは何かから逃げてきたようにも見えた。疲れ切って膝に付いていた手が離れると、何か言うよりも先に、後ろを指差す。
「城下に、死体が――! 首のない――あの死体が――!」
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