第5話 怪しい振る舞い
現場周りの日の朝、管理事務所に寄って挨拶をし、車と現地のフェンスの鍵を借りる。軽自動車に乗り込もうという時になって後藤さんが小首を傾げた。
「係長が運転するんですか?」
「ああ。そのつもりだが」
「普通は部下が運転するのかなと思っていたんですけど」
その言葉に大林君は頭をかく。
「僕はオートマ限定なんですよ」
「私マニュアルも大丈夫なんです。運転しましょうか?」
「気持ちだけ受け取っておくよ」
残念そうな顔をするので理由を説明する。
「この車にはパワステがない」
「え? 今はもう令和ですよ」
「役所を舐めちゃいけない。経費を節減するために装備は可能な限り省略したスペックのを買うんだ。だから、税も安い軽自動車でパワステ無し、ちなみに窓も手で開閉だからな。まあ、こんなところで話していてもあれだ。とりあえず乗れ」
俺はさっさと乗り込みエンジンをかける。
後藤さんが助手席に乗り込んで来た。
「下っ端はこの席だってマナーの本に書いてありました」
足元に工具箱が乗せたままで座りにくいはずなのだが、今さら席を代わられるのが面倒なのと本人がいいならというので頷く。バックミラーで覗くと大林君が後ろのシートで残念そうな顔をしていた。
クラッチを踏んでギアをバックに入れる。いい加減くたびれているシフトレバーは目視しないと不安だ。視線をあげると後藤さんがもぞもぞ体を動かしていた。シートベルトを引っ張っている。ベルトがしっかりと胸の谷間に食い込んでいた。ベージュの長袖Tシャツが引っ張られ膨らみを強調している。
ようやくベルトの位置が落ち着いたのか、足元においた鞄に手を伸ばす。ふと俺の方に視線を向けるので、慌ててサイドミラーを確認しアクセルを踏んだ。ガクンと少し荒い発進になってしまったかもしれない。網膜にすっかり焼き付いてしまった映像を振り払うように力をこめてハンドルを切った。
一般道に出てから先ほどの話の続きをする。
「役所ってのは新しい予算を確保するのは難しいからな。いい加減買い換えたいと思ってもそう簡単にはいかない。まだ走るんでしょ、と言われて終わりだ。結果、前世紀生まれのこいつが現役ってわけだ」
最初の現場に到着した。管理用の柵についている南京錠を外して中へ入る。上空を大きな音を立ててて飛行機が通り過ぎた。今日は暑くなりそうだ。
「ここが今度売り出す区画だ。二辺接道していて比較的条件がいい。購入希望者から質問があるから現況をよく見ておいてくれ」
「どういうところを聞かれるんですか?」
後藤さんに対して大林君が得意げに解説をする。
「まずは隣地との境界を示した杭の確認だね。土砂に埋まったり、草が覆い隠したりして見つけにくいことがあるから、どういう状況か見ておくと説明しやすいんだ。こっちだよ」
盛り土の上に乗って周囲を見回していた後藤さんは動かない。俺が視線を向けるとぴょんと飛び降りた。着地すると当然大きく揺れる。俺に向かって笑みを見せると大林君についていった。
「待ってください。先輩」
この区画の両側はまだ売れておらず、隣地は全部県有地なので楽な案件だ。前面道路もまだ市に移管できていないから私道扱い。だから隣地所有者の確認印も要らないし、万が一、境界石が無くなっていてもダメージは大きくなかった。まあ、このタイミングで発覚すると測量からやり直しで大汗はかくことになる。
得意げに周辺の区画のことを説明しながら大林君が歩く。
「へえ。そうなんですね。凄いなあ。さすが先輩ですね」
後藤さんも如才なかった。熱心に説明を聞いている。微妙に夜のお店の女性の営業トークっぽい感じもしなくもない。営業の『さしすせそ』ってやつだ。
最初の境界石にたどり着くと大林君が軍手を取り出す。後藤さんにも差し出し、自分の手にもはめると雑草をかき分ける。
「これが境界石だよ」
「石っていうけど金属なんですね」
ちらりと俺を振り返ると後藤さんは勢いよくしゃがみ込む。下から見上げるようにして大林君と境界石の種類についての質問をはじめた。少し頬を紅潮させながら大林君は解説をしている。説明に間違ったところがないか耳をそばだてながら、俺は気が散って仕方がない景色にとまどっていた。
今日は後藤さんはデニムのパンツを履いてきている。そして、上はベージュのシャツ。ちなみにくたっとしたベレーを被っていた。俺が視線のやり場に困っているのは濃いインディゴブルーとベージュの間のピンクの薄い布地。端にはレースがあしらってあるのもばっちり見えている。
大林くんが居なければ、下着見えてるぞ、と言ってもいい。色々と返事のパターンがあるだろうが、遠回しにせず直接言った方が俺のキャラに合っている。どうも先ほどからわざとやっているそぶりは感じているのだが、面倒なのではっきりさせた方が俺の精神衛生上もいい。
しかし、大林君がいるのはまずい。
「係長が後藤さんの下着が出ているのを指摘したんですよ」
彼の口からこんな話が伝わると、ダメージが大きいだろう。もちろん俺へのものじゃなく後藤さんへのものだ。
役所も人間の集まりだ。多くの人が居ればいろいろとある。先輩女性職員からの若手女性への視線は厳しい。後藤さんへ何かを感じているのか、昼食を取りながら、あの子気に入らないわね、という悪口を言っているのを既に見聞きしていた。そんなところにこんなネタをぶち込んだらどうなるか。
職場でのストレスの発散をするサンドバックとして後藤さんはぴったりだ。陰でかなり酷いことを言われることになるかもしれない。新人を押し付けられたのは不本意だが、巣立つまでは面倒を見なくてはならない。となると、なかなか下着のことを口には出せなかった。
境界石を見て回るうちに俺の疑念は確信へと変わる。後藤さんの背後に大林君もいるときはシャツの裾を伸ばして隠していることに安心したのも束の間、俺しか居ない時にはその動作をしない。明らかに俺をターゲットにしていた。問題はその意図だ。俺をセクハラで訴えて、はめようとしているのかもしれない。
12時を過ぎ、ロードサイドのファミレスで食事を取った。さっさと食べてお手洗いに行く。午後も歩くし、現場にはトイレが無いことを忠告した。二人が戻って来る前に会計を済ませておく。財布を取り出して自分の分を払おうとするのを制止し、さっさと店を出た。
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