第2話 出会いの季節

 役所というところは新年度はクソ忙しい。四月一日付でしなければならないことが多いのだ。前年度に結んだ契約は期限が切れているので、新しく結びなおさなければならないし、ファイルも新しく作り直すことになる。ところがリースのコピー機やプリンターが入れ替わっていると、そのセットアップが終わるまで印刷もできない。


 さらに人事異動で人が入れ替わる。仕事がキツイかどうかは実はその中身では無くて、上下左右の人間関係に負うところが大きい。上司・同僚・部下。年に一回実装される大規模人事ガチャ。俺の今年の結果はほぼ最悪だった。温厚で常識の通じる課長に代わって、新進気鋭の若手課長がやってくる。


 俺のいる開発課に能力だけでなく人格もまともなエースが来ることはまずなかった。ということは、若手課長は上昇志向だけは人一倍のクソ野郎の可能性が高い。人事の発令後に個人的に情報収集をした限りでも嫌な野郎だということは分かっていた。

「下村係長よろしく」


 挨拶をしてくる岡本課長は値踏みをするように俺を観察していた。

「よろしくお願いします」

 俺だって、一応は人並みの常識もあるし、それなりの応答もできる。ただ、課長の目の中の動きは不幸にも読み取れてしまった。


「俺の足を引っ張るなよ」

 まあ警戒するのは無理もない。品行方正とはほど遠い俺の人事記録を見ればため息をつきたくもなるだろう。『仕事は(場合によっては)できるが、使いづらい』。俺の評価はそうなっている。


 そして、上が上なら、下もキツイ。中島主任の後任が新規採用の女性だとは……。人事課よ仕事しろ。二人いる部下のうちのもう一人は二年目の大林元也君。一年かけてなんとか社会人に仕立てた。指示したことの半分はできるが、それ以上は無理だ。外線電話での問い合わせの応答にもまだ不安が残る。


 そして新人の後藤純子さん。はきはきと元気がいいのはいいが、業務用PCを前に所在無げに転入者用のマニュアルを不安そうに眺めている。義侠心にかられたのか、それとも下心があるのか、大林君が世話を焼き始めた。後藤さんは目鼻立ちは整っている。まあ、部内では一番と言っていいだろう。


 俺が新人だった頃に比べると最近の若者は優秀だ。それは否定できない。ただ、何事も経験値というものがある。勉強ができても、仕事ができるとは限らない。なんだかんだで一年間業務を回してみないと評価できないことが多すぎる。手取り足取り教えていくことを考えれば、本人には言えないが、新人は実質的な戦力はマイナスだった。


 それに、やたらとプライドだけは高い人間というのもいる。こういうタイプは仕事内容を否定されると人格を否定されたかのようにショックを受けた。叱責されるのにもなれていないので、ちょっと注意しただけでそのことを針小棒大に言い立てる。まあ、この段階でそこまで悲観的になることはないだろう。


 ただなあ。女性というのは勘弁して欲しかった。しかも若い女性というのが最悪だ。正直に言って対応するのが苦手だった。男なら多少は手荒に扱っても目に涙をためることはない。それに最近は下戸も増えたが、仕事の慰労にさっと酒と飯を奢ることもできる点も楽だった。


 以前、別の職場で後輩にあたる女性が仕事のミスをして、お客に怒鳴られ落ち込んでいたことがある。上司はさっさと帰りやがったので、一応は先輩の俺が仕方なく気晴らしに飲むかと誘った。完全に義務感からの発言で断るかと思ったら、案に反して行くと言う。ミスの改善方法などをアドバイスしていたら、酔ったその女性は帰り際にため息と共に言った。


「そうじゃないんです」

「何がだ?」

「もっと大変だったねとか、辛かったねとか無いんですか?」

 ああ。面倒くせえ。そういうのは彼氏に言ってくれ。


 その話を気の置けない唯一の同期の鮫島に愚痴ったら、ハシビロコウでも見る目をしやがった。

「あのな。それは確かに違う」

「何がだよ」

 鮫島はフフンと笑って答えなかった。


 ということで思い出話に浸っている場合じゃない。大林君があれあれを連発していた。横で後藤さんが困ったような笑みを浮かべている。俺は自分のPCをロックすると立ち上がって側に行った。

「どうした?」


「あ。係長。すいません。共有サーバに入っている資料を見せようと思ったんですけど開けなくて」

 大林君は悔しそうに場所を空ける。別に俺は後ろからでいいんだが。二人の間に割り込むようにして画面を見る。


 IDとパスワードを要求するダイアログが出ていた。俺はキーボードに指を走らせる。エンターを押すと共有サーバのフォルダが開いた。

「あれ? なんで一発で開くんですか?」

「共有サーバのIDパスは業務システムのものと別だぞ」

「そうでしたっけ?」


 俺は会話をしながらショートカットを作成してデスクトップに張り付けた。

「ここからアクセスすればいい」

「ありがとうございます」

 後藤さんはにっこりと笑った。


 頭を掻きながら俺を上目遣いに見る大林君に説明する。

「サーバはユーザーじゃなくて端末を認識する。IDは端末番号だ。それでパスワードは部のシステム担当しか知らん」

「じゃあ、なんで係長が……」


「先日今年度配布された端末のセットアップを手伝った時に覚えた」

「いいんですか?」

「どうせ二回目以降はパスワードを記憶させておいてショートカットからアクセスするんだ。問題ない。新年度で忙しいシステム担当の手を煩わせることはないだろ」


 俺は自席に戻って作業を再開する。ついさっき受信したばかりのメール。新規採用職員が配属された係長宛てに育成計画書の作成を依頼するものだった。期限は四月十日になっている。一見余裕がありそうだが、明日から一週間は新人は研修で集められるので職場を不在にする。本人とも意見交換しなければならず時間はあまりない。


 ファイルを開く。人事のアホが見栄え重視で作った様式は表計算ソフトで作られ、セル結合されまくっていた。ネットの掲示板で役所のネ申様式と揶揄される方眼紙を見ていると目がちかちかする。三つのシートに別れていて、同じ内容を何度も入力させられるものだった。無駄に保護がかかっているのでコピー&ペーストもしにくい。著しく非効率な作業を開始する。


 そこへ声をかけられた。

「あの係長。ちょっといいですか?」

 振り返ると後藤さんが眩しい笑みを見せて頭を下げる。手にした資料について質問する振りをしながら、小声で「お寿司忘れてませんよ」とささやく。愕然とする俺に後藤さんは悪戯っぽくほほ笑んだ。

 


 

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