第26話「気づいてしまった」


 時が止まった。空気の音など聞こえるはずがないが、ピキッというような空気の凍った音が聞こえたような気がした。……というか、楓は何て言ったんだ。『私とデートしてください』って言ってなかったか。


 楓の意図が分からず錆びついた機械のようなギギギッと音が出そうな動きで楓の顔を見る。その顔はふざけているような表情ではなく、少し緊張しながら俺からの返事を待っているように見える。というか、待っているのか。


 本当に何を言っていいのか分からない俺は楓へ何も答えられずにいると、楓の方からこちらに聞いてきた。


「……やっぱり、ダメっすか?」


 それは捨てられた小動物のような表情で楓のような可愛い女の子にそうされると、とてつもない罪悪感で押しつぶされそうになる。


 ただ、やっぱり理由が分からないし、好きな女の子の目の前で例え妹分であっても他の女の子とデートを受け入れるとは言いたくはなかった。


「ダメというよりもいきなり過ぎで状況がわかんないんだが。楓は俺とデートがしたいって本当なのか? というかそもそもなんでそう思ったんだ?」


 情けない回答の仕方をしてしまったが、まずは楓の話をもっとちゃんと聞きた方がいいと思ってそうした。一瞬、わずかに悲しそうな顔をしたように見えた楓はいつも通りの元気な顔で答えた。


「いやー、実は、クラスの友達と話をしていたんっすけど、結構私の周りの友達は恋人がいたり、男の子とデートをしたことがある人がいるみたいなんすよね。それで、私もそういうものにちゃんと乗っからないとなーっと思いつつも、そういう相手がいなかったので、しょー先輩ならいけるかなっと思って頼んでみたんすよ。それにしょー先輩も彼女がいないから丁度いいかなっと思ったっすし」


 そう、頭を掻きながら答えた楓。


 ……なるほど、どうやら友達に触発されてそういう事に興味を持って俺へお願いをしたのか。若干けなされた気がした部分もあった気がするが今はそれを気にしない。俺は腕を組んで少し目を閉じて考えながら話す。


「話はわかったけど、無理してそんな流れに乗らなくていいんじゃないか? そういう事したことが無くても友達が離れていくわけじゃないだろ。しかも俺相手ならちゃんとしたデートって感じもしないだろうし。……それに、そういうのは本当に好きな相手ができた時にそいつと行った方がいいんじゃないか?」


 俺は自分の考えを話した。これなら楓も無理してやりたくないことをしなくてもいいだろう。俺はそう思い目を開けて楓を見ると、そこにはさっきとは違って隠しきれないほどの見て分かる悲しい表情を浮かべていた。


「……楓?」


 俺が声をかけるとハッという表情になって、すぐに笑顔になった楓。


「そうっすね! しょー先輩の言う通りっす。やっぱり私にはまだ早かったみたいっす。……あ、そういえば、今日家の頼まれごとあったんですぐに家に帰らないといけないっす」


 そう言って、出来るだけ俺と先輩に目を合わせないようにしながら手を挙げて帰る仕草をした楓。


「それじゃ、しょー先輩、さっちん先輩、おさきっす」


 そう言うと楓はすぐに帰ってしまった。急に来て言いたいことだけ言っていなくなる、まるで小型の台風のようだった。


「今日はなんかアイツ変だったな、なあ、咲先輩?」


 先輩に同意を求めた。ただ、先輩はこちらを見ずに去っていった楓を見ていた。


「咲先輩?」


 改めて問いかけると先輩はやっとこっちの声に気が付いたようで俺の方を見た。


「え? あっ、ごめんね、翔くん。さっきなんて言ったの?」


「いや、大したことは言ってないけど」




 話はそこで切れてしまい、残ったのはいつもと違うざわついた気分の沈黙だけであった。結局その日はそのまま大した話をすることもなく解散となった。




***




 今日の図書室での出来事。楓ちゃんの翔くんへのお願い。そのお願いから私は気が付いてしまった。前から少しそうじゃないかと思っていたことに確信をもって。






 楓ちゃんは翔くんの事が好きだ。それはただの先輩としてじゃなくて、異性として。






 あの"ごーごーはっぴーぱらだいす"で会った時もそうだし、こうして放課後に会うようになって楓ちゃんと話すようになってたくさん見てきたから分かる。楓ちゃんが何を見ているのか、どんな時に喜ぶのか、なぜ翔くんだけに特別な話し方をするのかを。


 私が見てきた楓ちゃんは本当に良い子だ。礼儀正しいし細かいところにも気が付くし、元気もあって一緒にいると楽しい気分になる。陽だまりのような笑顔でいつも周囲を温かくしてしまう純粋で素敵な人柄。見た目だってあんなに可愛い女の子はそうそういないし、自分の身なりをきちんとしているのも分かる。本当に本当に可愛い。




 そんな良い子が翔くんを好き。




 恐らく二人が昔に出会っていた頃から、楓ちゃんはずっと翔くんを思っていたんだと思う。そうでもしないと"ごーごーはっぴーぱらだいす"で翔くんを見つけ出すことなんてできないのであろうから。


 そんな風に二人の事を考える。




 途端に、急に胸が強く締め付けられて、どうしようもないくらい痛い。




 その痛みの理由が本当に分からないけど、今まで感じたことのない寂しいような辛いような怖いようなどうしようもない痛みが胸に突き刺さる。二人の事を、二人の将来の姿を勝手に想像すると心が引き裂かれそうになる。


 手をつないで歩いていく翔くんと楓ちゃん。置いて行かれる私。楽しそうに話しながらお互いの顔だけを見つめ合う二人に私の声は届かない。




 い、嫌だ、嫌だ、ねぇ、翔くん、私を置いて行かないで! こっちに来て! 私を見て!




 涙が出てきた。そうして無意識に出てきた自分の言葉に驚いた。


「えっ、今、私なんて言ったの?」


 今まで気づかなかった、ううん、見ないように蓋をしていた"何か"がもう限界になっているような気がする。


 それはきっと、まだ私は本当に自分の殻を、本当の自分の心を出していないってことなんだと思う。その自分の心を出した先にいるものなんだと、私は直感的に理解した。


 ただそれは私が本気で変わらないと見つけることができないし、本当にさっきの想像が実現しそうな錯覚を感じた。


 私はそれでいいのかと自分の心に問うた。



「それじゃ、ダメだ!」



 私は自分の心と、自分自身と戦う事を決めた。そこにあるものときちんと対峙するために。




 だから私はきちんと向き合うと決めた。

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