第20話「神は死んだ。」


 恐らく世界各地にいる物理学者の中には、光より速く移動する物体を作りたいと思ってきた人も多くいるだろう。人間の、常識の、物理の壁を越えてその先を目指す。その偉業を自分の手で掴み取り、その先の前人未到の世界を見てみたいという野望を持っているのであろう。


 今までの俺であれば、難しく自分には縁のないことだ早々に興味を失い、スマホゲーのデイリークエストとスタミナ消費にせっせと勤しんでいた。


 しかし今なら分かる。自分の限界を超えてそれ以上の速さで進みたい。それを実現させたい。そんな強い意志を俺も感じている。いや意思ではなく、使命なのかもしれない。


 俺は限界まで自分の体を動かし、出せるだけの最大スピードで廊下を走っている。








 早く危険物ラブレターを回収しねぇとおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!








 奇跡的に壁にもぶつからず階段も踏み外さないで目的の場所、図書室の前に到着することができた。今までの中で最速で到着できたであろうし、恐らく過去から現在において、俺のクラスから図書館への移動速度で俺より速い者はいないであろう。公式の測定委員がいればギネスブックに載っていた所だ。


 ただ惜しまれることに、教室でラブレターもどきを図書館に忘れた事を気が付いた時、ある程度その場で呆然としてしまいだいぶタイムロスをしてしまった。


 もしこれで先輩のクラスが早めに終わっていて、先輩が何事も無くすっと図書館に来ていたら間違いなく先を越されている。


 ……落ち着け。俺もそうだが、先輩も良くクラスメイトと話をしてから図書館に向かうことがある。そうすれば流石に俺と同じくらいか遅くなるだろう。大丈夫、大丈夫。


 待っていても仕方ないので、覚悟を決めて図書館に入りいつもの席に向かう。


 そこで、ノートから切り取ったような非常に見覚えのあるA4ぐらいの紙を持つ先輩を見つけた。








 神は死んだ。








 なぜ俺はこんなにも悲しい目に合わなきゃいけないんだ。何かしたのか、俺は。ただ早起きしただけでこんな事になるなんて納得いかねええええええええ。


 心の中は巨大な台風が吹き荒れてていて、とても立ってられる状態ではない。……しかしここまで来たのであれば先輩から返事を聞きたい。


 あの紙には俺の気持ちは余すことなく書かれている自信だけはある。内容がキモかったり、文章が稚拙過ぎたりすることには目をつぶるとしても、気持ちは正直に書いた。噓偽りは無い。


 結局、変な形での告白にはなってしまったがそれでも進む事ができるのであればいい。俺は決意をして先輩から返事をもらうべく声をかける。


「よっ。それって……」


 先輩は俺に気が付いて返事を返してくれる。


「あ、翔くん。こんにちは。うん、これ? これはさっきいつもの私たちが使っているテーブルの上に置いてあったの。それで誰かの忘れ物かと思って持ち主を探そうとしていて。でも、結局図書館にはほとんど人がいなくて、持ち主が見つからなくて……」


 悲しげな顔をする先輩。この流れはもう分かる。先輩は続けた。




「それで申し訳ないと思ったんだけど、中に何か書いてあったから持ち主を探すために少しだけ目を通してみちゃったの」




 だよなー。そんな紙あったら少し読むよな。もしかしたら読まれていないと思っていた幻想はそこで砕かれた。ここまで来たらもう当たって砕けろだ。


「そ、それで咲先輩。読んでどうだった」


 俺の本心と先輩への気持ちが当の本人に伝わってしまった。願わくば、どうか良い返事が欲しい。いや、高望みはしない。拒絶されなければそれでもいい。どんな話をされるか分からないけれど、一歩でも近づきたい。


 先輩は少し眉をひそめてこういった。






「んー、良く分からなかったんだよね」






 否定以前に内容が伝わらなかったああああああああああああ。えっ、俺の手紙ってそんなにダメだった? 字が汚過ぎたのか? 表現が悪かったのか? 俺は必死に考えたが答えは出てくることはない。吐きそう。


「そうか、良く分かんなかったか」


 落ち込み過ぎて話を広げることができない。思った以上にバッサリと切られて瀕死になる。


「うん、そうなんだよね。誰が書いたの分からないんだよね。でも恐らく書いた人は男の子で手紙の渡す相手は年上の女の子宛みたい」





 うん、俺が書いた先輩宛の手紙だからな。……って、俺、自分と先輩の名前書いていなかったんだっけ! ということは俺の気持ちも先輩への思いもバレていない!?





 思っていた状況と異なってテンパる俺。奇跡的に個人が分かる情報が無くても俺と先輩の事だとバレなかった。まさに奇跡。っていうか、俺どんなこと書いてたんだよ。


 さすがにこの状況では自分のだと名乗り出る事はできない。そのままバレずになんとか先輩にその紙を手放してもらい、スキを見て入手して廃棄したい。


 俺はどうすれば先輩が手紙を手放すように誘導できるか考え始めたところで、先輩がポツリとこぼした。


「……この手紙なんだけどね、その男の子が自分の思いを相手に伝えている手紙みたいなの」


 すごく真面目な顔をしていた先輩。


「本当は中身をちゃんと見るつもりはなくて、名前が書いてあるかどうかだけを見ようと思ったんだけど、つい文章が目に入ってきちゃって」


 申し訳なさそうに罪悪感がありながらも、ついつい読んでしまった自分を責めている先輩。


「本当に良くないと思ったんだけど、一度読み始めると読むことを止められなくなっちゃたんだ。あまりにもこの手紙を書いた人の思いが私にも伝わってきて目が離せなかった」


 ……自分勝手だよね、と先輩はやはり申し訳なさそうに言った。そうして優しくその手紙を胸に抱く。


「この手紙を書いた人が本当に一途に相手のことを想っているのが、文章の一つ一つから伝わってくるの。それに何度も書き直している跡があって、自分の気持ちを上手く表現できないけど、なんとか伝えようとして頑張っていたんだと思う」


 少しうつむいていた先輩は俺の方を見た。


「ねぇ、翔くん。この手紙を書いた人を一緒に探してくれない? その人にこの手紙を返してあげたいの。その人もきっとこの手紙を探していると思うから」






 ……い、一緒には勘弁してください。俺は心の中で謎の葛藤に苛まれていた。






 いや、確かに先輩の推察は百パーセント的中してる。俺はその手紙を探している。そして先輩の手助けができることならどんなことでもしたい。


 しかし、だからと言って、先輩に正直に話して返してもらうことだけはできない。そんな謎告白をできるわけはない。


 でもどうしても取り戻したい俺は仕方なく最終手段に出ることにした。


「なぁ、その手紙を見せてくれないか? もしかしたら、俺の友人のものかもしれない」


「えっ? そうなの? それじゃ見てもらえるかな?」


 先輩の素直さにつけこんだ手段を俺は使ってしまった。


「あっ、この筆跡はアイツのだ! 特にこの『の』はアイツに違いない!」


「それじゃ、これをこっそりその人に返してあげてね」


 相変わらずの大根役者な俺。それを信じて手紙を渡す笑顔の先輩。……罪悪感があああああああああああああああああああ。


 しかしこれは本当に仕方がなかったんだ。俺はその手紙を鞄にしまった。……テンパリ過ぎていた俺は、先輩の心にどのように響いたのかも考えずそんな部分もしまってしまった。




 早起きしてテンションが上がった時は、勢いに任せて手紙を書くことは二度としないようにしよう。




***




 図書室の誰もいない角のスペース。私は壁と翔くんの間に挟まれている。突然のことで私は目を白黒させていて、今、何が起きているのか分からない。


 そんな私を気にせず、翔くんはそのまま私の両肩に手を置いたと思ったら、力強く私を引き寄せ抱きしめた。


 ぼすっと翔くんの胸と腕に包まれた私。翔くんの良い匂いしかしなくなる。


 男の人に強引に引き寄せられ抱きしめられたのは初めてだった。私では出せなくぐらい強くそしてがっしりとでも優しく抱きしめてくる。もう私と翔くんの間には隙間が無い。


 私は抱きしめられながらも少しもがくように動いて、自分の顔を翔くんの胸から少し離す。すぐそばにある翔くんの顔が目に入った。


 無音。


 そのままお互いの吐息がかかるぐらい近い距離で見つめ合う。私は翔くんの瞳から目を離せない。そんな状態から翔くんは口を開く。


「俺は、咲の事が……」


 その言葉と熱い視線が交じり合いながら、二人の距離がゆっくり近づく。








 ぱちりと目が覚めた。


 心臓が痛いくらいドキドキしているし、息が切れている。走ってもここまで心臓がバクバクしたことは無いかもしれない。自分の胸に手を置いた。体が熱い。


 ……あれは夢だった。


 ゆっくり深呼吸すると少し落ち着いてきた。ゆっくりと見ていた夢を受け止められる気持ちの余裕ができてきた。それにしてもなんだかすごい夢を見てしまったな。なんであんな夢をと思ったけど、すぐに分かった。今日のあの手紙が絶対に原因だろう。あの情熱的で純粋で一途な手紙が強く印象に残ったからだと思う。




 ……でも何で翔くんが出てきたのだろうか。




 答えのない悩みが出てきた。何かに手が届きそうで届かない気持ちがする。あと少し、もう少しなのに最後のわずかな距離が届かない。


 そんな風にモヤモヤとしていると、段々気持ちが落ち着いてきて眠気が再び襲ってきた。寝る直前、ウトウトしながら私は無意識に言っていた。






 ……翔くんならいいよ。






 私は自分の言った言葉に気が付かないまま、再び夢の世界へと旅立った。

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