第16話「自分で選ぶことは辛いからこそ価値がある」

 テーブルに置かれたハンバーグセットは本当に良い匂いがした。俺はいつもここに来るとこのメニューを頼んでいる。どんなことを考えていても一旦はそのことを忘れさせて目の前の食事にのみ集中させてくれる。俺はそんなここのハンバーグセットの虜になっている。


 ありがたい事に今回もその効果は絶大で、昨日今日と色々あった出来事を一度忘れて整理させてくれるぐらいに俺を落ち着かせてくれた。この料理は俺の心と体の健康に大いに貢献してくれている。将来この店に危機が訪れた時にはできる限りでサポートしようと密かに決心している。


 それから話は今後の楓の生活に関するものに移っていった。


「……そうなんすよ、なので私は先輩と同じ高校に転校することになりましたっす! これからは同じ学校に通えるっすね!」


「そうか。もし何か困った事があったら何でも俺に聞いてくれ。絶対に助けてやるから。あっ、まだあのサッカーをやっていた頃のやつらもうちの高校に何人かいるから今度紹介してやるよ」


 一通り話をしてお互いの近況報告が出来て、すべてではないがある程度は俺たちの空白だった時間を埋めることができたと思う。この懐かしい雰囲気はやっぱり見た目が変わっても根っこの部分は変わらないと感じて、嬉しかった。


 楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。時計を見るともう十四時前になっていた。楓の方は午後から両親と一緒に出掛けるということなので、あまり遅くならないようにもう少ししたら店を出ることにしていた。


 その時、楓は何かを思いついたのか嬉しそうな顔で俺の顔を見た。


「あっ、そうっす! しょー先輩、今度から学校終わったら前みたいに一緒にサッカーしないっすか? 先輩は部活入っていないんっすよね。前よりは上達した私の足さばきを見せてあげるっすよ」


 ちょっとドヤ顔をしながら俺の事を誘ってくれる。なんだか不思議な気分になった。昔は俺が誘っていたのに、今度は誘われる側になって。当然ながら楓も成長していると思うと、改めて時間の経過を感じた。


 放課後のサッカー。すべてが楽しくそれだけで俺たちは満たされていた。楓の言葉で昔の情熱が俺の中で再点火された気がした。懐かしいあの時に戻りたい。だから、その楓の誘いに対して俺はすぐに賛成しようとして口を開こうとした。その瞬間、何かが脳内をかすめた。




 それは、学校の一室、本に囲まれ人があまりいない静かな空間、後はテーブルとイス、俺の特別な場所。いや、俺たちの場所。そんな景色。




 そうして、偶然手がテーブルに置いていたスプーンに当たる。スプーンが小さな音を立てながらプレート上で移動する。今さっき食べた美味しいハンバーグを思い出す。……ハンバーグ。



 ふと、つい最近食べた美味しい心が暖まる最高のハンバーグが脳内に蘇る。味付けも食感も最高だが、その俺のために作ってくれて、そこに込められた思いが俺を優しく包んでくれたあのハンバーグを。二人っきりの秘密の家庭科室。



 だんだん記憶が溢れてくる。そして昨日の事。ウェルカムボードもお化け屋敷も、一緒に乗って本音を伝えることができた観覧車も。俺はあの時、何のために一歩を踏み出したんだ。どうなりたくてあの場所まで行ったんだ。それに俺ともう一周まわってくれたのはなぜだなんだ。




 今俺が一番大切にしないといけないものはなんなんだ。




 特別な場所。想いのこもったハンバーグ。お化け屋敷に観覧車と名前呼び。





 咲先輩。





 俺は改めて自分の気持ちとこれからしたいことを明確に決心した。だから俺の返事は決まった。


「あー、すまん。放課後はどうしてもやりたいことがあってサッカーはできない」


 こんなに嬉しい後輩からの誘いは恐らくもうないだろう。それに楓とまたサッカーをしたら絶対に楽しい。それは分かっている。本当に分かっているんだ。


 それでも俺は決めたんだ。俺が本当に一番したいことを。一番大切にしないといけないものを。


 楓は俺の言葉を聞いて一瞬ビクッと固まったが、そのまま笑顔で答えてくれた。


「さすがに先輩も忙しいっすよねー。いえ、全然気になさらないでくださいっす」


 すんなり俺の意思を受け止めてくれた。その返事に俺は少し申し訳なさを感じながらホッとした。……そう思っていたら楓は一言追加で聞いてきた。


「やっぱりそれって、昨日の先輩さんと何かするってことっすか?」


 鋭いツッコミ。普段の俺であれば焦ったり照れたりはぐらかしてしまっていただろう。でももう決めたんだ。俺は一番にするって。




「ああ、先輩との大事な雑談があるんだ」




 それを聞いて一瞬悲しそうな顔をした楓。でもそれは本当に一瞬で、その後すぐに笑った。


「大事な雑談ってなんすか。普通雑談って大事じゃないっすよね。……はぁ、でもしょうがないっすね。だって『大事な』雑談なんすから」



 俺たちはその後にレストランを出てた。店の前で別れる前に、楓は俺の事を上目遣いで見た。


「……放課後サッカーは諦めたっすけど、これからは同じ学校なんでよろしくお願いしますっす」


「あぁ、また楽しく過ごしていこうぜ」




 俺はそのまま楓に背を向けて家へ帰宅していった。早く先輩に会いたい。




***




「あーあ、断られちゃったな。もう、本当に大事な雑談ってなによ、しょーちゃん。……でも、あの時のしょーちゃんの顔は昔と変わらなかったな。本人は気づいてないだろうけど、本気でそう思っている時の、絶対に諦めないで相手にぶつかっていく時の顔だ」


 ふと、顔に何かが触れている気がした。手で触ってみる。


 それは涙だった。私、なぜだか泣いているみたい。それに気が付くとなぜだかもっと涙が出そうになる。


 けれど私はそれを許さない。唇を噛んで我慢する。だって本当は涙を流す理由を知っているし、それを認めたくないから。


 今は確かに不利ではあるけど、負けたわけではない。涙をちゃんと流すのは負けてからでいいでしょ。それまでは手を抜かず全力ぶつからなきゃ。それこそがしょーちゃんから教えてもらったことだから。


 もう、しょーちゃんの姿は見えない。だから言った。




「大好きだよ、しょー先輩。これからが本番なんだから、私の本気なめないでよ!」



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