第12話「咲先輩」


 俺たちはお目当てのレストランにいる。先輩はカルボナーラを、俺はハンバーグセットを注文し終わり、早く料理が来るのを待っている。


 この料理を待っている間、なんとも言えない空気の中にいた。何かを話そうとするのだけど、なかなか上手く話し出せない。話してもすぐに会話が途切れてしまう。


 一つ分かっているのは、そんな空気になっているのは間違いなくさっきまでいたお化け屋敷の余韻が残っているからだろう。そう、あの腕を組んだまま出てきたお化け屋敷。


 お化け屋敷に入るまであんなに喋りっぱなしだったのに、どうも距離ができてしまったような気がしている。なんとか雰囲気を戻したいのだが上手い方法が見つからず、ここの料理が助けてくれないかと期待していた。


 そんなもどかしい時間がある程度経った時に、注文していた料理が届いた。テーブルに食欲を刺激する良い匂いが広がった。その瞬間、俺のお腹が良い音でなった。


 それを聞いた先輩がクスッと小さく笑った。


「ふふっ、後輩君はお腹が空いていたんだね。それじゃあさっそく食べようか」


 普段であれば腹の虫の音なんて聞かれたくないが、今日に限っては先輩の笑顔を引き出してくれたことを褒めてやることにした。


 それ以後は先ほどまでのぎこちない感じが薄れて、普段の図書館で話すような雰囲気に戻っていった。


「あっ、このカルボナーラすごく美味しい。チーズもすっごく合ってて美味しいよ! 後輩君のハンバーグセットはどう?」


「こっちも上手いな。肉汁が溢れ出てきて旨味が口の中で広がるし、ハンバーグのタレが上手い」


「そうなんだ! 良かった! うん、確かに切った所から肉汁すごく出ているもんね。あっ、もし良かったこっちのカルボナーラ食べてみる?」


「ありがとう、それじゃ、こっちのハンバーグも少し分けるよ」


 俺は丁度あった小皿にハンバーグを切り分けて、タレもしっかりとかけて先輩に渡した。お返し分のカルボナーラは俺のライスプレートに乗せてもらおう。そう思ってプレートを渡そうとしていた俺。


 そんな俺の想定を超える事が起こる。


 カルボナーラを上手くクルクルと自分のフォークに巻く先輩。そしてそのフォークをこちらに向けてきた。





「はい、後輩君。あーん」





 え、ええええ、な、何が起こっているんだ。これって、いわゆる『あーん』ってやつなんじゃ……。今起こっていることに脳がついて行かずフリーズする。


 あれ? 先輩と後輩でこういうところに行くときはこういう風にするのがマナーなのか? もしかしてハンバーグも同じようにしないといけなかったのか? 俺は混乱のあまり挙動不審な動きをした。


 そんな俺を見た先輩は一瞬良く分からない顔をしていたが、俺のフリーズした顔と不審な動きと自分が差し出しているフォークを見てみるみる顔を赤くした。


「あ、あ、あ、あのこれは、つい無意識にしてしまったの! いつもお姉ちゃんと頼んだメニューとかをシェアしたりするから、ついその癖で同じようにしちゃったの!」


 慌てて手を引っ込めた先輩。そうして先輩は自分でそのカルボナーラを食べてしまった。






 ああああああああああ、せっかくの先輩の『あーん』が!!!!






 先輩の無意識とは言え、千載一遇の機会を俺は失ってしまった。だが、しかし、先輩のテレ顔がめっちゃ可愛かった! その表情を見れただけで良かったことにしよう。


 俺は心の中で血の涙を流しながらこのチャンスを失ったことを耐える。次こそこんなチャンスがあれば絶対に掴んで見せる。後悔と共に強い野望を胸に抱いた。


 それと、心からそのお姉さんが羨ましいと思った。



 ランチを食べた後は、もうもどかしい雰囲気はなく、先輩のバッチリ下調べした色々なアトラクションやイベントを回って行った。休憩がてらに美味しいお洒落な喫茶店にも入り午後はフルで遊び倒した。


 そうして、夕方になった。まだまだ行っていない場所も色々あるが行きたかったところは何とか遊べた。このまま遊ぼうか、それとも切り上げて夕飯に誘うか絶妙なタイミングを図ろうとしていた俺に先輩が声をかけてきた。


「んー、いっぱいまわったね! すっごく楽しかった! ねね、まだ時間あれば一緒にあれ乗らない?」


 先輩が指を指したのはここの名物でもある大観覧車だった。この大観覧車の最大到達点は非常に高いので周辺の街並みまで一望できる。だから家族やカップルから人気でどの時間も混んでいる。


「オーケー、全然大丈夫だ。俺も気になってたし、上からの景色楽しみだよな」


「うんうん、そうなんだよね! 真っ暗になると見えなくなるからまだ日があるうちにみたいなと思って!」


 俺たちは早速その観覧車の方に向かうことにした。


 観覧車の乗り口に着いた俺たちは、運が良くあまり待たずに観覧車に乗ることができた。乗る際に、若干の段差と揺れがあったから、俺が先に乗って先輩の手を支えながら乗ってもらった。


 ゆっくりと上昇していく観覧車。さっき案内してくれた観覧車のスタッフがみるみると小さくなっていく。先輩も色々な所を見ていくつかの場所を指さしていた。


「あっ、あの場所! ランチ食べた所だよね。こっちはお化け屋敷で、あそこは一緒に写真撮ったところだよね!」


 横ではしゃぎながら色々な場所を思い出している先輩。そんな先輩を見て俺は本当に幸せだった。




 その時にふと、この二人で出かけることになった発端を思い出す。




 少し前に俺はなんとか先輩との距離を近づけたくて自分の気持ちを伝えた。そうしてこの場所に来て一緒の時間を過ごした。一日の間でこんなに長い間一緒に居たことは初めてだった。


 今日言う日を経験した。してしまった。だから、だからこそ、俺はもっと先輩と仲良くなりたい。


「……先輩」


 外の景色を眺めていた先輩に俺は声をかけた。先輩は視線を俺の方に移した。


「どうしたの、後輩君? 何か面白いもの見つけた?」


 そのクリっとした可愛い目で俺を見つめた。先輩との距離は今近い。手を伸ばせば触れることができるだろう。


 でも俺の、俺たちの関係性では手を伸ばして触れる事ができない。俺たちはただの『先輩』と『後輩』なのだから。その事を改めて自分に問う。




 それでいいのか? 俺は、犬宮 翔は本当にそれで満足できるのか? 楽しく話せるだけの『先輩』と『後輩』でいいのか?




 ……それは、嫌だ。先輩に近づいたらもっと先輩に近づきたくなる。先輩の事を知る度にもっと知りたくなる。






 俺は春ノ宮 咲がやっぱり好きだ。






 ならばもう一歩進むしかない。腹に力を入れて、俺は声に出した。




「咲、先輩!」




 俺の声に、いや俺の名前を呼ばれたことに驚く先輩。


「俺はこれから先輩を咲先輩って呼ぶ。前に言ってたみたいに俺は先輩ともっと仲良くなりたい。どうやって仲良くなればいいかまだわかんない。でも、俺はどうしても先輩をちゃんと名前で呼びたい。咲先輩って呼びたい! そうやって一つ一つ仲良くなりたいんだ」





 しんと静まった観覧車の中。





 無言の空間が怖い。すぐに何か言ってくれると思ったが黙ってしまった先輩。俺は先輩がどう返事をしてくれるか分からなく心がぎゅっと締め付けられている。踏み込み過ぎたのかもしれない。まだ早かったのかもしれない。順序を間違えたかもしれない。心臓の動悸だけが耳の中に入ってくる。


 それでも踏み出したかった。どんな結果であれ、これは間違いじゃない。



 ゆっくりと先輩が口を開いた。


「……『咲先輩』」


 先輩はそれだけ言ってまた沈黙が訪れる。ただただ観覧車だけが進んでいる。




 先輩の名前を言った時は観覧車は頂点に差し掛かっているぐらいだったが、もうすぐ乗った場所にまで戻ってきてしまう。つまり降りなければいけない。




 ……やっぱりダメだったか。無理矢理押し付けてしまったからか、一方的な思いを。


 もうすぐ地上に戻る。スタッフが俺たちの観覧車の扉を開けるべく近づいてきている。


 俺はこれからの事を思った。もう一緒に図書館で話をすることはないだろう。家庭科室でお弁当も食べることもないし、こうやって一緒に遊ぶこともない。そんなことを思うと心が締め付けられる。ダメだ、吐きそう。


 でも、それでも自分の気持ちを抑えられなかったし、なんだかスッキリした。


 スタッフが俺たちの観覧車の扉を開けた。


「はい、一周ありがとうございました。それではお気をつけて降りてください」


 俺は素直に降りようとイスからお尻を上げた瞬間。






「あ、あの! す、すみません! どうしてももう一周したいので、乗せてもらえませんか!」






 先輩が大きな声でお願いした。


 俺は驚いて反応できなかったが、スタッフの人は後続もあり、次では必ず降りてもらうように依頼して扉を閉めてくれた。


 今何が起きているから分からないが、とりあえずイスに座り直した俺。


 そこで先輩はこちらをじっと見てきている。




 今からどうなるんだ。




***




 『咲先輩』と呼ばれてから私の中に電流が走った。静電気なんてものじゃなくて落雷、それも特大サイズのものでけたたましい爆音を響かせながら、私の心の中に。


 そのせいで、何も言えなかったし、気持ちが整理できなかった。だから扉が開いた時に、一周したことに気がついた。


 その時、イスから立ち上がった翔くんの表情はひどく辛そうだった。なぜそうなのか、私は一瞬に理解した。だからなのかもしれない。私の体がすぐに動いた。



 スタッフの人に無理を言ってしまった。こういう風なことを今まで言ってこなかったのに、私の気持ちが私を突き動かした。


 スタッフの人や次に乗る予定だったお客さんには心で謝って、まずは一番大事なものに向かい合うことにする。




 私は翔くんの方をしっかり見た。



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