第5話「居眠り」


 ……俺は全校生徒を代表して伝えたい。


 すぅーっと、肺を大きく膨らまし、たくさんの空気を取り入れた。そして言い放つ。





 昼メシ食べた後に眠たくなる授業を入れるんじゃねー!


 ぜってぇー寝ちまうだろうが!


 授業内容変えろー!


 いや、それよりも昼寝専用時間を作れー!




***




 いつもの時間にいつもの場所、俺は今日してしまった居眠り失敗談を先輩に話していた。


「だから、昼メシ食べた後の古典とか絶対に寝る。あの授業の組み方の方に問題がある」


 そんな話を先輩にすると、小さくクスクスと笑われた。本日も先輩は可愛い。


「そうだよね。お昼ご飯食べた後って眠たくなるもんね。私も眠たくなる時があるからすごくわかる」


 先輩もどうやら睡魔と戦う時があるようだ。個人的には先輩に睡魔に負けてもらって、机の上でスヤスヤ寝ている先輩を拝みたいところではあるが。


「で、寝落ちして、ノートに意味不明な線と記号を書くわ、よだれがこぼれそうになるわ、机の端から肘が落ちてガクッとなるわ、散々だ」


 ちなみに肘が落ちた時に若干音を立ててしまい、周りに聞かれてしまったと焦ったが、周りもスヤスヤと夢の中の旅人たちだらけだったのでバレることは無かった。恥ずかしい姿がバレなかったことは本当に良かった。


 ふと、先輩はどうなのかと思った。寝落ちして恥ずかしい姿を見せるイメージがまったく湧かない先輩は実際どうなのだろうか。


「なあ、先輩は眠い時はどうしてんの? やっぱり寝てる?」


「ふふっ、寝てないよ。んー、ただ、どうしても眠たい時はツボを押して目が覚めるようにしてるかな」


「ツボ? 手とか足とか?」


「そうそう、流石に授業中だからこっそり手のツボを押して目を覚ますようにしてるかな」


 俺はあんまりツボの話をされてもピンとこなかった。ツボと聞くと、押すと体のどこが悪いか分かるとか、健康に良さそうとか、芸人が罰ゲームでめちゃくちゃ痛そうな足つぼマッサージをしているイメージしかない。


 先輩の話を聞くにどこかしらの手のツボを押すと目が覚めるのだろう。ただ、俺としてはあの誰をも眠らす最強最悪である昼後の睡魔にちょこっとツボを押すだけで太刀打ちできるとは到底思えない。


「さすがにそんなに効かないだろ、ツボ押し」


 別に先輩を否定したくて言ったわけではないが、ポロっと本音が出てしまった。その一言が全ての始まりだった。


 先輩は半信半疑な俺を見つめて前のめりで話をしてきた。どうも先ほどの一言で先輩に火を付けてしまったようだ。


「むむっ、後輩君は手のツボ押しを信じていないようだね。そんな君には実際にツボ押しを体験してもらってその効果を実感してもらうよ!」


 そう言うと先輩はささっと俺の席の真横に移動して、お互いの肩がぴっちりくっつくぐらい接近してきた。どうやら先輩が直接俺の手のツボを教えてくれるらしい。


 というか、動き早いしどんだけツボ押しに本気なんだよ。


 俺は突如発生した先輩ツボ押しイベントについていけない。この後どうなるのかと頭を働かせようとするとあることに気が付いてしまった。


 先輩、めっちゃいい匂いする……って俺は変態か。……あっ、でもやっぱり本当にいい匂いだ。この香りの香水か石鹸を売り出して欲しい。




 ダメだ、犬宮 翔は混乱している。その場から動くことができない。まともな思考ができない。



 俺の状態などお構いなしに先輩は更なる怒涛の攻めをしてくる。俺は一方的にその攻撃を受け続ける。


「この手のひらの真ん中の場所がね、労宮ろうきゅうって言って気分をスッキリさせる場所なんだよ」


 先輩は両手を使い俺の右手を包むように支えながら、その柔らかくすべすべとした指先で俺の労宮なる場所を押す。押しながら細かく色々と説明をしてくれているがそんなものは耳に入ってこない。


 俺は全神経を触れている肩と手に集中させている。未だに何が起きているかは理解できていないが、この幸せな時間を一生覚えていることだけは確信している。


 そんな風に俺が邪なことを考えている間も先輩はせっせとツボを押してくれている。


「この中指の爪の生え際よりちょっと下の所が中衝ちゅうしょうって言うんだよ。ここは親指の爪で押したりして、少し痛いかもしれないけど、目がスッキリ覚めるからオススメだよ」


 先輩はそう言うが、俺にとっては先輩のツボ押しすべてがオススメになる。恐らく先輩に今、怪しい壺を売られても間違いなく買ってしまうだろう。ツボ押しだけに。


 そんなクソつまらないギャグを言えるくらい心は落ち着いてきた。こう慣れてきて状況を改めて考えると、まるで王様になったようであった。人が権力者になろうとする気分が少しわかった気がした。




 ……そうしてどれくらいの時間が経ったのだろうか。一瞬だったような、永遠だったような幸せな時間であった。しかし現実は残酷で、とうとう俺は夢から覚める時間を迎えてしまった。




 一通りマッサージしてくれた先輩は俺から手を離して、元の自分の席に戻ってしまった。


「どう? 目とか気分少しすっきりしたかな?」


 笑顔で聞いてくる先輩。確かにすっきりした気がする。


 ……ただ個人的には、この夢のような世界にずっと居たかった。覚めたくなかった。それとこの夢のような世界を作るきっかけをくれた学校の授業割には感謝することにした。


 今日も告白はできなかったが、先輩の手に触れることができて俺は一歩前進できた気がした。これからももっと頑張ろう。


 先輩のツボ押しはツボだけはなく俺の背中も押してくれた気がした。明日こそは絶対に告ろう。




***




 夜になり私は身支度を済ませてベッドに入った。


 今日初めて家族以外の人に指ツボマッサージをしたことを思い返す。できれば翔くんにも覚えてもらって、授業で眠たい時に押してくれるといいな。


 私は無意識に自分の手を目の前にもってきて眺めた。それから翔くんの手を思い出した。


 翔くんの手は結構がっしりした男の子の手をしていた。手の甲もごつごつでちょっと硬くて、私の手を包み込めそうなぐらい大きい手だった。指の長さも長くてつい目がいってしまった。


 そのリアルな触り心地や男の子らしさを思い出す。少し胸が高鳴った気がした。あまり感じたことのない気持ち。


 ……ともかく、明日もあるから早く寝ようと私は無理やり目を閉じた。いつもならすぐに眠たくなり、すっと寝つけられる。


 だけど、今日はなんだか寝つけないし、翔くんの手をなぜだか何度も思い出してしまう。




「犬宮 翔くん」



 なぜか翔くんのフルネームを呼んでいた私。


 いつもと違う気分に少し戸惑っていたが、そのうちいつものように眠気が来た。また明日、翔くんと話をしたいな。




 おやすみなさい。



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