第4話「男子は好きな女子にちょっかいかけがち」


 会社を三十代で退職し、会社以外の人と出会って様々な考え方に触れて、最終的に今までやったことのない海外の高い標高の山登りにチャレンジする男の物語をさっき読み終わった。


 その本の主人公は色々な悩みや壁にぶつかるが、家族や多くの友人に支えられながら一つ一つ踏み出していき、なんとか目標にして山を登りきる。生々しい人間らしさと目標を最後まで追い続けて達成した時の感動と爽快感ですごく心が満たされる作品であった。


 俺はこの小説を読んでいる最中に何度も主人公を応援した。面倒くさい人間関係に挟まれてもがく姿や自身の無力さや周りの有能さとのギャップに葛藤する気持ちが強く伝わってきて無意識に主人公を慰め、心から応援していた。


 小説を読んでいてこういう風に主人公にエールを送る時がある。反対に主人公や登場人物の努力や一生懸命さからエールをもらって俺も頑張ろうと張り切ることも何度もあった。


 彼らがたとえ本の中の文字だけの存在だとしても、俺は彼らに助けられてきたし、彼らを俺は本気で応援していたこともあった。


 どんな困難にもめげないで立ち向かっていく彼らを俺は尊敬している。今後も俺の中で一緒に戦ってくれる彼ら。


 ……だから、どうか今回も力を貸してくれないか。こんな情けない俺を助けてくれないか。






「ねぇ、後輩君は好きな女の子っている?」


 この先輩の質問からよおおおお!






***




 図書館のいつもの席に座り先輩を待っている。もう少しで来るとは思うけど、若干手持ち無沙汰だ。そんな時は、時間潰しも兼ねて読みかけだった小説を読む。やっぱり、この図書館の静けさは読書に最適だ。俺はみるみるその本の内容に引き込まれていった。


 そうして気が付いたら、俺は最後までその本を読み進めていた。


 ……自分でもビックリするくらいだいぶその小説にのめり込んでいたのだろう。いつの間にか先輩もいつもの場所に座っていて、黙々と読書をしていた。


 俺は先輩に話しかける。


「先輩来てたんだ。小説に集中してて全然気が付かなかった」


「ふふっ、後輩君はだいぶその本を真剣に読んでいたよね。私が挨拶したけど全く聞こえてなかったみたいだし」


「えっ、そうだたったのか、すまん」


「ううん、大丈夫だよ」


 いくらのめり込んでいたからといって先輩が挨拶してくれたのに気が付かなかったのは失敗だった。俺は素直に謝り、先輩は優しく笑いながらそんな俺を許してくれた。


 そこからいつもの他愛無い雑談を始めたが、先輩の興味は俺が読んでいた本に注がれていたようで、ワクワクが抑えきれない子供みたいに俺に尋ねてきた。


「ねぇねぇ、ところで何の小説を読んでいたの?」


 俺は読んでいた小説の表紙を先輩に見せた。この本は少し前に出版されていて、最近人気が出て良く紹介されている小説であった。色々な書店でも平積みされているから、本好きな先輩であれば表紙を見ればわかるだろう。


「あ、それ! 最近話題になっているよね。後輩君がのめり込んで読んでいた感じを見るとやっぱり面白そうだね」


 やっぱり先輩はこの小説を知っていたみたいだ。


「もし読みたいなら貸すよ。俺は読み切ったし、他に貸す予定もないから読みたいなら貸すよ」


 素っ気なく言ってはいるが、本心としては先輩に喜んでもらいたいから貸すどころか献上したい。恐らく俺が犬であれば、間違いなく尻尾を高速で振っている。それと純粋に本好きの同志としても貸したいという気持ちがあった。


「ほんと? 嬉しい、ありがとう! じゃあすみませんが貸してもらおうかな。いつもありがとね」 


 笑顔で喜んでくれた先輩。その笑顔だけで俺はこの本の購入分以上の元は取れた。むしろ本の内容も良かったから、だいぶ得をした気さえしてきた。


 そんな脳内に先輩幸福成分が溢れている俺に、先輩は何かを思い出したみたいで尋ねてきた。


「あ、そう言えば後輩君に聞きたい事があるのだけれど」


「ん? なんだ」


 ちょっとお使いを頼むような気軽さで先輩は話をしてくるから、俺はなんの身構えも心構えもできないままその直撃を受けてしまった。






「ねぇ、後輩君は好きな女の子っている?」






 んんんんんんんんんんん? 今、先輩は何て言ったんだ? というか、何が起こっているんだ? 先輩は俺に好きな女子がいるかどうか聞いたってことか? え、なんで先輩が俺にそんなの聞いたんだ?


 俺の脳内はさっきまでの幸福成分と先輩の意味深発言でごっちゃごちゃになっている。落ち着いて状況を整理して考えたいけど、何度も何度も先輩の『後輩君は好きな女の子っている?』発言が脳内を駆け巡って落ち着くことなどできない。


 しかしそんなことも言ってられないので、なんとか考えてみる。


 一般的に話相手に好きな異性がいるかどうかを聞くというのはどういう時か。もし話相手が同性ならただ単純な雑談とか自分の相談を持っていくための流れ作りが多いのではなかろうか。


 でも俺と先輩は異性。しかも普段は恋愛の話なんかしない。その上、最近は学校から一緒に帰ることを誘われた仲である。……結局、一緒に帰られなかったことは無視するとして。


 つまり、これは、先輩から探りを入れられているんじゃないのか。俺の人間関係について。


 それはつまり、先輩は俺のこと……。





「実はね、今日友達と話をしていた時に、『高校生になっても男子って好きな女子にちょっかいかけたがるのはなんでなんだろうね?』って話になったんだよね。でも、私は全然男の子のこと良く分からないから、後輩君に聞いてみようと思って……、あれ、どうしたの? 大丈夫、後輩君?」





 いや、知っていた。そうだよな、先輩が俺をそういう目で見ていないだろうと思ってたし、だからこそ告ろうと思っている訳だから。ただ、その話の仕方をされたらさすがの俺も期待してしまうというもので……。


 俺は椅子から転げ落ちた状態で腕を組みながら冷静に状況を分析した。なぜか変にフィットしたこの態勢のおかげで思考がクリアになり、素早く気持ちを立て直せた。


 その後すぐに立ち上がって椅子に座り直した俺は、何事も無かったような表情をしたまま先輩へ返事をした。


「まぁ、確かに男はなんか分からないんだけど、ついつい好きな子にちょっかい出したくなるんだよな。さすがに小学生みたいな絡み方はしないと思うけど、なんか不器用な接し方になるやつが多いと俺は思うかな」


 先輩はへぇーと初めて知ったような表情をしていた。俺は続けて自分のイメージを話した。


「なんでそんなことするかは明確には分からないんだけど、好きなのがバレないように変な接し方になったり、好きな子のちょっと嫌がっている顔が可愛く感じたりするからかも。これはただの俺のイメージなんだけどな。まあ、つまり、特別なんだろう。そいつにとってその子が。だから他と違う」


 上手くは表現できなかったが、思っていることを素直に話した。


「そっか、なるほどねー。好きな子だと特別になっちゃうからついついそうしちゃうんだね」


 うんうん、上手く伝えるのは難しいねと頷いてくれた先輩。細かいニュアンスは伝えられなかったと思うけど、大まかには先輩にもイメージを掴んでもらえたようだ。


「私の場合、好き嫌いの前にそもそも人と接するのが得意な方じゃないから、異性の人だともっと上手く伝えられないかも」


 先輩はそう言ってちょっと悩んでいるような表情をした。その後、何かを思いついた先輩はテーブルに両腕を組んだ状態でのせて、その上にあごを乗せて上目遣いで俺に問いかけた。






「でも、後輩君と話すのは難しくないというか、すごく自然にできるんだよね。なんでなのかな?」






 その仕草と言葉で俺の心を撃ち抜いてきた先輩。きっと効果音がついていたら『バキューン』以外が考えられない。


 この世界中で一番可愛い生き物にどうして俺の心が盗まれないだろうか、いや盗まれる。


 そんな可愛すぎる先輩を直視することができない俺は、できる限り自分の顔を見られないように横を向きながら素っ気なく答えた。


「同じ本好きだからじゃないか」


 先輩は優しく笑ってうんうんと頷いてくれた。そして追加でとどめを刺してきた。






「それじゃ、私にとって後輩君は同じ本好きの特別君だね」






 太陽が照り付ける真夏のような元気な笑顔が飛び込んできた。ついに俺はノックダウンした。




***




 翔くんは急用を思い出したらしく途中で急いで帰ってしまった。だいぶ慌ててたみたいだから、途中で怪我とか事故とか起きてないといいな。私は家のリビングで休みながら今日のことを思い出していた。


 それにしてもやっぱり翔くんに聞いてみて良かった。ちょっとぶっきらぼうだったけど、ちゃんと教えてくれる翔くんにいつも感謝している。


 そう言えば、好きな女の子がいるかどうかは答えてもらわなかった。……もしかして、好きな女の子がいるのかな。もし好きな女の子がいたら、その子にちょっかいとかかけちゃうのかな。


 そう思った瞬間、胸の奥がチクりと何か小さい物が刺さったような感覚がした。一瞬で消え去ったその感覚に私は困惑した。


 今まで感じたことの無いような、たまに翔くんといる時に感じたことがあるような不思議な感覚。それが何なのか気になり自分自身に問いかけようとした時、お姉ちゃんが声をかけてきた。


「ねね、ゾンビのコメディ映画見つけたんだけど今から一緒に見ない? おじいちゃんとおばあちゃんがゾンビと戦うやつ。絶対にこれ面白いわよ!」


「え! 面白そうだね! うん、一緒に見よう」




 お姉ちゃんの誘惑に負けて、私の中でその小さな何かがまたどこかに隠れてしまった。



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