英雄の教室

「ここは……楽園?」


 突如、目の前に広がったのは緑なびく美しい野原、そびえ立つ白ポプラ、そして遠くには命溢れる山河があった。

 大穴の中にいたはずなのに、と混乱してしまう。

 澄み切った空気、暖かな日差し、柔らかな土の感触が幻覚では無いことを告げている。


「おっ、先生が驚いてくれてるな。秘密にしていた力をバラしたかいがあるってもんだぜ。まぁ、本命は後ろだ、後ろ」

「後ろ? ……こ、これは……小さな建物。いや、学校ですか!」

「これがお爺様から頂いた私様の力――〝英雄の教室〟だぜ!」


 フェアトが振り向いた先に、白の塗装が施された木造建築があった。

 窓から見える内部には机と椅子が並び、大きな黒板もあったので、すぐに学校だと分かった。


「……っていっても、一室しかない小ささだけどな」


 あまりの規模の小ささにメラニは肩を落とし――いや、馬なので首を下に向け、尻尾と耳の力をなくして落ち込んでしまった。

 学校と言えば聞こえがいいのだが、教室一つしか存在しないミニマムで不思議な建物を学校と呼ぶのはいささか問題がある。


「ほったて小屋よりはマシだ。さぁ、入ってくれよ先生」

「は、はい」


 未だ理解が追いつかないフェアトだったが、その建物に入った瞬間に所帯じみた感じを受けて落ち着いてきた。


「何か、ほっとしますね」

「何を見てほっとしてるんだよ、この野郎……」


 教室に敷かれていたのは、馬房にあるような寝藁。

 それと可愛いぬいぐるみだった。

 きっとメラニがここで暮らしていて、その私物だろう。


「いいからテキトーな椅子に座っておけ。で、これが薬草だ」

「ありがとうございます」


 メラニの言うとおりに、並べられた椅子の一つに座ると、そこに薬草が置かれた。

 それを痛む箇所に貼り付けておく。

 たしか本で見た知識だと、煎じて飲むのも疲労回復に良さそうなのであとで試してみることにした。


「メラニ君は、ずっとお一人でここに?」

「一人……じゃないな、一応。ほら、あそこの隅っこに同居人がいるぜ」

「同居人……?」


 メラニが首を向けた先を見ると、そこに何かがいた。

 半透明で、白いシーツでもかぶったかのように丸っこくて、フワフワと浮く子どもサイズの存在。


「何かと世話をしてくれる。喋ってくれねぇから名前すらわからないけど、アレは幽霊ってやつかな?」

「いえ、アレは……とても古い本で見たことがあります。下級精霊ですね」


 この世界には精霊が存在していると信じられている。

 精霊から力を借りて魔術を発動したりするのだが、肝心の精霊が人間の前に姿を現してくれないので観測できないのだ。

 昔は人と精霊が一緒に暮らしていたとされている。


「へ~、お前オバケじゃなかったんだな。それじゃあ、最初に見たときに怖がる必要もなかっ――」


 と言いかけて、メラニは珍しく横にお客さんがいるというのを思い出した。


「な、何でもないぞ! 私様に怖いものなんてないんだからな!」

「ハハハ、僕は本物の幽霊と出会ったら実態を調査したいですね。もちろん、精霊さんもですが」

「……この知識欲オバケが」


 そうしていると、下級精霊がフヨフヨと浮かびながらやってきた。

 フェアトの前に果物を置く。


「ありがとうございます。大穴の中で頂いた果物は、これだったんですね」

「ああ、山の方に行けば食べられる物もあるし、ここは快適だぜ。まぁ、人参がないのが不満だけどな」

「なるほど、そうやってメラニ君はここでずっと暮らしていたんですね」

「仕組み的に、この〝英雄の教室〟は私の前に入り口が出来て、出口も同じ場所だからな。大穴からは出られない。もっとも、もう人間の醜い世界なんて興味はねぇけど」

「メラニ君……」


 フェアトは、メラニが外の世界で何かあって、あまり快く思っていないのだと察した。

 でも、だからこそ、ケイローンは孫を託したのだろう。

 フェアトとしても、メラニが本心から世界に興味がないのではなく、心が折れてしまって嫌になったのだと感じ取ってしまった。

 教師として最初にやることは、やはり決まっている。


「さて、この〝英雄の教室〟にも興味があるのですが、僕は大穴脱出のために矢を放ってきます」

「せ、先生! そんなことしなくても、ずっとここで気楽に暮らせば……」

「いいえ。世界には頑張っても、どうしようもならない理不尽なこともあるでしょう。でも、頑張ればどうにかなることだってあります。それを最初の授業として僕が実際にやってみて、メラニ君に見せてあげましょう」

「なっ!? そんな下らないことのために、先生はケガしながら辛い繰り返しをして、一人で逃げないってのか!?」


 フェアトは優しい笑みを見せた。


「下らなくなんてありません。大切な生徒一人に、ダメ教師の僕が対等に接するための儀式のようなものですから」

「先生……意味わかんねぇよ……」


 この世の楽園のような場所を否定して、彼は再び地獄の底のような大穴へ戻って弓を握った。

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