第9話
アドニスたちは部屋を後にした。
外は剥き出しの岩肌に囲まれた、長い廊下になっていて、等間隔に
「この施設はなんなんだ?」
「ここは第一層の最西に位置する、エルピス特異研究所です」
アドニスの横を歩く金髪の女ーー 名前はサラ・フラムというーー が事務的な口調で答える。
「簡単に説明すると〜、冥獣を含む、外の世界の事象に特化した研究所ってとこかな〜。で、さっきの部屋は解剖室」
真後ろから、ローザが補足する。
「だから、俺はここに運ばれたのか」
「人型冥獣の死体としてね」
危うくバラバラにされるところだったわけだ。
「一層ということは、ここはあの浮き上がった大地の一番上ということか。あれはどういう仕組みだ?」
「厳密にはこの上に、灯晶塊と王宮が存在する層があるので、ここは実質二番目の層になります。仕組みに関しては、各層に特殊な力場が働いて、大地を浮かせているというのが通説です」
サラの言う、特殊な力場とは何だろう。
「要はまだ解明されてないってことね。冥霧が世界を呑み込んだその日に、突如として大地が浮き上がったっていう、トンデモ話があるくらいだから」
ローザから実に拍子抜けな答えが返ってきた。
「それにしても、ここはボロボロだ。全く手入れされてないようだが」
アドニスは周りを見ながら言う。
実際、鉄の扉はどれもが赤く錆びついているし、目に入る備品も全てが古めかしい。
「資材や人員の供給が、全盛期に比べ十分の一以下にまで減少しています。ですので、改修等が困難な状態なのです」
「ここも資源に乏しいのか?」
「いえ。現国王、デルファイ・エルピス様が数十年前に国外の調査を禁じられたことで、ここの存在意義が薄れていったのが主な原因です。そして、その国外調査を行なっていたのが、このプロメテウス隊です」
「つまり、俺たちは除け者の集まりってわけだ」
前を歩くアルネブが軽い調子で付け足した。
それにしても、彼らは何でも答えてくれる。
「それで、俺に会わせたい奴とは?」
「もうじきわかる」
アルネブはそれ以上答えない。
部屋を出る前、『お前さんに会わせたい奴がいる』と彼に言われ、それきりだ。
サラの方を見る。が、彼女はこちらを
「人間の考えることはよくわからん」
それから長い廊下を渡り、中央階段なるものを上る。どの階層も大体の造りが似通っているため、素人目では自分がどの階にいるかわからなくなる程だ。
しばらくすると、一つの扉の前で、アルネブはようやく足を止めた。彼はどこからか鍵を取り出すと、そこの解錠を始める。
「今のうちに心の準備をしておけよ」
「どういう意味だ?」
アルネブが核心に触れる前に、ガチャリという音が響き、扉が開く。しかし、なぜか彼は中に入らず、奥の方にズレた。
「一体何があると言うんだ」
一人呟きながら、アドニスは部屋の中を覗き込んだ。
狭い室内。ボロ布が掛けられただけの簡素なベッドと、傷だらけの小さな机が隅に置かれている。
「お前は……」
その部屋の中央、比較的新しい椅子に、見覚えるの人が座っていた。
「リゼ」
「ママ…… ?」
彼女はアドニスの姿を見て目を丸くしていたが、やがてこちらに駆け寄ってきた。そして、彼を強く抱きしめると、彼の腹の辺りに、その小さな顔を埋めた。
彼はそんな彼女を見下ろす。
「お前、生きていたのか」
リゼは何も言わず、腕の力を強めた。
人に抱きしめられるのは初めてだ。こういう場合、自分はどうするべきなのか。アドニスには、皆目見当もつかない。
やがて手持ち無沙汰になってしまった彼は、アルネブの方を向く。
「それで、さっきしていた俺を強くするという話はーー」
「ちょっと待った!!!」
鬼気迫る表情で、アドニスを制止したのはローザだ。
「どうした、急にでかい声を出して」
「どうした、じゃないでしょ! 感動的な再会! あの子はアドニスくんに二度と会えないと思ってたのに! そんなサラッと流してどうするの!」
ローザは目を大きく開き、鼻息荒く訴える。凄い興奮の仕方だ。
「そう言われても。俺は何をすればいい?」
「抱きしめ返すの! 愛を込めて! 力強く! さんはい!」
「愛を…… それはどうやってーー」
「うわぁぁぁぁぁぁん!」
またアドニスの言葉が遮られる。今度は、アルネブの耳障りな叫び声によって。
「ア、アルネブ隊長!?」
サラが叫ぶ。
釣られて見ると、大量の涙を流すアルネブの姿が。
「なぜお前は泣いているんだ?」
「だってよ! 一度は死んだと思われたママが目の前に現れて、今こうして抱きしめ合ってるなんて! こんなの年寄りに見せたらダメだろうが、チクショウ!」
「俺はママじゃない」
アルネブはその場に寝転がると、駄々っ子のように手足をバタバタさせる。意味がわからない。
「くそっ! ふざけやがって! 涙が止まらねえよぉぉぉ!」
「隊長、お止めください! そのようなみっともない姿、隊長としての威厳に関わります!」
サラはアルネブの元に駆け寄り、彼の身体を起こそうと必死になっている。
いよいよ辺りはカオスな状態になってきた。
「何がどうなってるんだ?」
「アドニスくんっ!」
一際大きなローザの声が、アドニスの耳に届く。
「なんだ?」
「涙腺崩壊じじいの事は放っておいて、あなたは自分のするべきことをしなさい!」
「だから、俺には愛という意味が……」
「その子はあなたのために泣いてたの! まだ体が回復しきってないのに、何も食べないで、痩せ細って! その意味がわかる!?」
ローザに指摘されるまで全く気づかなかった。
改めて見てみると、リゼの手脚は骨が浮き出て、枝のように細い。今にも折れてしまうのではないか。それに、血色は悪く、髪はツヤがなくボサボサだ。
「お前、俺が死んで悲しかったのか?」
リゼはただ小さく頷いた。その際、彼女の顔に面していた、自分の服が濡れているのがわかった。
「俺は化け物だぞ? それなのに、なぜ……」
単純な疑問。それに付随する感情は何もない。
『あなたは化け物なんかじゃないよ!』
遠くの方で、アネモネの声が響き渡った。
次の瞬間、アドニスの体は自然と動いた。彼の腕はリゼの頭を、泡沫にでも触れるように、優しく包んだ。
愛などという複雑な人間らしさのない、無機質な抱擁。しかし、そこにはまた、理屈とか効率とかいった、非人間的な精緻さも含まれていなかった。
もしかすると、自分は本当にリゼと友達になれるかもしれない。
何分経っただろう。アドニスは思い出したように、ローザを見やった。
「これで合っているか?」
「グッド……」
親指を立てるローザ。いつの間にか、彼女は顔をくしゃくしゃにして号泣している。
「なぜ次はお前が泣いている」
人間は本当に意味がわからない。
その後、サラが別室から簡単な食事を用意してくれた。ジャガイモやその他葉茎菜類は村でも存在していたが、ソーセージなるものは初めて見た。この国では一般的な食物らしい。
リゼは最初の方こそ食べるのを
「お前たちがリゼを治してくれたのか?」
「主にペイルくんがね〜」
すっかり瞼を腫らしたローザが言う。
「あいつが?」
「あの人、ああ見えて医学とか動物学の方に精通してるんだよ。食中毒と栄養失調。後数時間遅れてたら、助からなかったって。今度会ったら、お礼言わなきゃね」
静かな寝息を立てて眠るリゼ。もう少し自分の決断が遅ければ、彼女はここにいなかったということか。
「あの年寄り、結局リゼは殺さなかったのか」
「アルカ坊が頭下げて進言したからな。脅威は少なく、利用価値は高いと。それで、ここに収容されることが決まったんだ」
『リゼを…… 頼む……』、あの時の記憶が蘇る。まさか、あの頼み事を聞いてくれたというのか。
「あいつは何者なんだ?」
「エルピス騎士団特別機動隊隊長。若くして、あの総帥と肩を並べる程の実力者だ」
「ウザいほどナルシストなのが玉に瑕だけどね〜」
辛辣なローザの物言いに、アルネブは何度も頷く。
「で、お前さん、その子はどうすんだ?」
アルネブは急に改まった顔で聞いてくる。
「どうするとは?」
「親として育てるのかどうかってことだ」
「親…… ? 友達じゃないのか?」
「そんな気楽な関係じゃねえよ。お前さんがいなかったら、誰が嬢ちゃんを世話するんだ」
指摘されるまで、考えもしなかった。
最初は友達という対等の関係を予期していたのに。自分はリゼを育てる立場なのか。
「いいか? 子を育てるってのはな、並の人間でも難しいことだ。教育次第で、その子は善悪、賢愚、どちらにもなり得る。必要になるのは知識だけじゃねぇ。それをオートマタのお前さんができるのかって話だ」
「俺には無理だと思うか?」
「無理とは言わねえ。前例のないことだが、可能性はある。ただ、大前提として、お前さんにその覚悟があるのか。それが重要だ」
アルネブは自分の左胸を数回叩く。
アドニスは口をつぐんだ。そして、自分もそれを真似てみた。覚悟など存在しない、何も詰まっていない音。やはり、自分には無理だ。
そう思っていると、不意にアルネブが立ち上がった。
「まあ、お前さんが今のままなら難しいだろうな。だが、安心しろ。無理そうなら、こっちで実験台として預かってやる」
そう言うと、アルネブは部屋を出て行ってしまう。
「あんなこと言ってるけど、隊長はアドニスくんたちのことを心配してるの。だけど、素直じゃないんだよね」
横でローザが囁く。
「隊長〜。次の命令も出さないで、どこ行くんですか〜? 戻ってきてくださ〜い」
ローザが呼ぶと、扉の端からぬうっとアルネブの顔が現れた。少しバツの悪そうな顔をしている。
「実験とかは明日からだ。俺はちょっと外すから、その、後は頼んだぞ」
「はっ!」とサラが答える。それで、今度こそアルネブは顔を引っ込めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます