第8話


 今、彼の前には二つの影が立っている。

 一つは、金色の髪を後ろで一つにった若い女だ。目尻の吊り上がった、きりりとした顔立ち。背筋をピンと張り、少しの乱れもなく直立するその姿は、ローザとは正反対の印象を与える。

 問題はもう一つの影だ。


「なんだこの生物は?」


 アドニスはローザに尋ねる。

 全身を覆う赤い毛、上に伸びた長い耳、羽を思わせる平らな手、胴体と同じくらいの大きさの太い尻尾。こんな生き物は、村ではもちろん、冥霧の中でも見たことがない。


「そりゃあこっちのセリフだぜ。お前さん、さっきまで首が飛んでた気がしたが。見間違えか?」


「ん?」と、アドニスは首を捻る。

 

「今まるで、あいつが喋ったように見えた。ここでは、他の生き物が話しているように見せる文化があるのか?」


 そう言いながら、アドニスは金髪の女の目を見た。しかし、彼女は首を振る。


「いえ。今のは私の声ではありません」

「なに? じゃあ、一体……」


 考え込んでいるアドニスの横を、スッとローザが通り抜けていく。チラリと見えたその横顔には、今にも吹き出しそうな笑みが。


「アルネブ隊長。あちらは先程復活を果たしたアドニスくんです」

「はぁ、復活だと? 本気か?」

「本気本気。それで、たった今彼の処遇について話し合ってたんですけど……」


 何ということだ。あの赤い動物が人語を発している。


「まさか隊長というのは」

「その通り! この可愛いらしいモフモフさんこそ、我がプロメテウス隊の隊長、アルネブ隊長その人っ!」


 ローザの事々しい紹介を受け、アルネブは誇らしそうに胸を張った。


 それから、ローザは彼(?)に先程の、アドニスに関する情報を伝えた。


「なるほどねぇ。確かに、そのオートマタとやらは、研究する価値がありそうだ。それに、他に気になることもある」


 そうは言うものの、アルネブの可愛らしい顔には苦々しい表情が浮かんでいた。


「だがなぁ、こいつを殺したのは総帥様だ。どんな理由であれ、あのジジイが下した決断をくつがえすのは、簡単にできることじゃねえぞ?」

「そうですよ! プロメテウス隊はただでさえ危うい立場なのに! これ以上余計なことをしたら、目の敵にされること間違いなしです! そしたら、次は僕たちの首が…… うっ、はぁっ、またお腹がっ!」


 ペイルはお腹を鳴らしながらも、先程の主張を繰り返す。そこへ、ローザが軽い口調で口を挟む。


「それならいっそのこと、虚偽の報告で通すっていうのはどうです? どうせ上の人たちは、私たちの行動なんて事細かに見てないし。バレませんよ」

「えっ!? せ、先輩!?」

「ほう、お前さんはやけにあの男を気にいってるようだな」


 アルネブが意味ありげな顔で言う。


「はい! アドニスくんがいれば、この退屈な日常が終わる予感がびんびんしてるんですよね!」

「退屈な日常どころか、人生まで終わっちゃいますよ……」


 その後、議論はしばらくの間平行線を辿った。主にペイルの反対の声が、議論を長引かせた要因だ。

 が、その内、アルネブが話の輪から外れて、こちらにやって来た。ぴょんぴょん跳ねながら。


「アドニスとか言ったな。お前さんはなぜこの国に来た」

「簡単だ、それは……」


 アドニスは、自分の村が壊滅したこと、その際魔王を自称する冥獣に接触したこと、それからリゼの異変を治してもらうためにここに来たことを、つまんで説明した。


「いや、めちゃくちゃ複雑じゃねえか……」


 アルネブは呆れたように感想を漏らす。


「魔王って本当に存在してたんだね…… もう神話の中の話だと思ってた」


 ローザも少なからず驚いている様子。


「あれが本物だという確証はないが」

「じゃあさ、他にも冥霧に呑まれてない場所はあるの?」

「わからん。村の周辺は見て回ったが、それらしい所はなかった」


「そっか」とローザは少し残念そうだ。


「それより、お前さん。そのリゼっつう嬢ちゃんのことは心配じゃねえのか?」

「さっきも言ったが、俺にそういう感情はない。それに、あの場面であいつだけ助かるなんて考えにくい。もう死んでる。俺と違って、人間は生き返らない」

「にしては、お前さん、アルカぼうに嬢ちゃんの事を頼んだらしいじゃねえか? それはどうしてだ?」


 アドニスは言葉に詰まった。


「それは…… わからない…… 俺はなぜあんな無意味なことをしたのか……」


 生まれてこの方、アドニスは無駄を排除し、常に打算的な行動を取ってきた。以前の彼なら、あのような無意味な行動は絶対にしない。それなのに、ここ数日、自分でも理解できない行動が増えていた。

 その間、アルネブはじっとこちらの目を覗き込んでいた。


「…… よし、決めた。俺はこいつの研究をする」


「おぉ!」とローザ、「えぇ!?」とペイル。

 彼は俊敏な動きでアルネブの前に進み出る。


「たたた、隊長!? 本気ですか!? バレたら、三層落ちものですよ!? そこまでして、あれを研究する必要があるんですか!?」

「安心しろ。これはこの隊の極一部が、秘密裏にやっていたこと。だから、罰せられるのは、そいつらだけだ。仮にも国民の平等を謳ってる王だし、無関係の隊員を罰するような非道はしねえよ」

「え、それって……」


 困惑するペイルを横目に、アルネブは尻尾を地面に立て皆を見下ろした。


「ここで決めてくれ。こいつの研究に参加するか、ここでは何も見なかったことにするか」

「は〜い、私は参加しま〜す」


 一も二もなく参加の意思を示したのはローザだ。


「私も参加させていただきます。彼の力には興味があるので」


 間を置かず、金髪の女も参加表明する。二人とも顔色一つ変えていない。


「ぼ、僕は……」


 残るペイルは目を右往左往させ、かなり迷っていた。時折モゴモゴしていた口が、しっかりとした言葉を発したのは、それから一分ほど経った頃。


「すみません。やっぱり無理です……」

「謝るな。普通の思考してたら、こんなリスクのあることやろうと思わねえよ。賢い選択だ」

「それって、私たちが普通じゃないバカってことですか〜?」


 ローザがにこやかに聞く。


「なんだ、お前さんは自分がまともだと思ってたのか? おバカさん具合は、俺と同じくらいだぞ?」

「嫌だな、そのくらい自覚してますよ〜。でも、隊長に言われるとなんかイラッとするんですよね。つきましては、乙女心を傷つけたお仕置きしないと……」

「乙女心って、お前さん今いくつ…… ん、お仕置き? はっ! 待て、あれはやめろ! 頼む、後生だから!」

 

 声を震わせ、後ずさるアルネブ。そこへローザが倒れかかるようにして、覆い被さった。彼女の背に隠れて何が起こっていたかわからないが、しばらくの間彼の絞り出すような悲鳴が響き続いていた。


「と、とりあえず、ペイルは上に戻って通常任務に戻れ。ここでの事は他言無用だ。俺たちはあいつを連れて行く」


 トボトボと部屋を出て行くペイルを見送ると、アルネブはこちらに近づいてくる。なぜか全身の毛が逆立ち、ほとんど別の生き物のようだ。


「お前さんも移動だ。行くぞ」


 心なしか声に力がない。

 アドニスはぷいと顔を背けた。


「勝手に話が進んでいるようだが、リゼが死んだ以上、俺はここに留まる理由もない。一日も早く、西の果てに辿り着かなければ」

「何を言い出すかと思えば…… 西の果てっつうが、いくら陸続きとはいえ、そこまで歩きで何ヶ月かかると思ってるんだ?」

「地図によると、あと数日だ」

「地図って、お前さんの私物にあったあれか? あれは村周辺の地図であって、世界地図じゃねえだろ」

「なに、そうなのか?」


 アルネブは大きくため息を吐く。


「それにだ。今お前さんが出向いたところで、返り討ちにあうのが関の山。そのくらいわかってんだろ?」


 その通りだ。そこらの冥獣に苦戦していた自分が、それらの親玉を倒せるはずがない。実力不足なのは百も承知だ。


「だが、このままじゃアネモネが死ぬ」


 あの日決めたのだ。アネモネを助けると。


「ちっ。わかったよ、交換条件だ。研究のついでに、お前さんを強くしてやる」

「強く?」

「その右腕、冥獣のようにも見えるが、たぶん灯晶術だろ? 俺の知ってるやつと色々違うが。それに、見た所、お前さんはそれの扱いに慣れてないようじゃねえか」

「お前はこれを扱う術を心得ていると?」


「ああ」と自信満々に頷くアルネブ。


「どうだ? 俺たちはお前の身体を調べる。お前はここにいる間に、強くなる。win-winうぃんうぃんの関係だ」


 そう言って、アルネブは短い手をこちらに差し出してきた。


「ん、なんだ?」

「何って、握手だよ。お互い友好的であることを示すあれだ。知らねえか?」

「ああ…… 行為の名称は知ってる」


 実際に握手をするのは初めてだが。


「友好…… それは友達のようなものか?」 

「違う違う。これは上辺だけで繋がってる、どっちかが少しでも強く自分の方に引けば、簡単に切れちまう。そんな仮初の関係だ」


 後で手帳に記しておこう。

 アドニスはぎこちない動作で腕を伸ばす。そして、両者の手が重なった。


「これからよろしく頼むぜ、坊主」


 短い握手。たしかに、こんな簡単な行為で友達になれるわけがない。

 人間とは腹黒く、異物を徹底的に排除したがる生き物だと、村で散々思い知らされてきたはずだ。ここの人間とて、それは同じに違いない。ならば、こちらが上手く利用しなければ。

 そう思っていると、横から「アドニスくん」というローザの弾んだ声。彼女は柔和な笑みを浮かべて言う。


「ようこそ、希望の国エルピスへ」

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