第7話
黒に覆われた視界。身体の感覚はなく、思考もまとまらない。まるで水上にたゆたう葉のようだ。
だが、そんな虚無の空間に、唯一流れ込んでくる情報があった。
あちこちから飛び交って来る雑音。金属同士が擦れ合う硬い音、忙しなく動く複数の靴音、そして人の声。
「あの、これ、頭部はどうします?」
男の声が、ボソボソと何か聞いている。
それに答えたのは、女の声だ。
「ん〜。とりあえず、そこに置いておいて。まずは皮膚の材質から調べちゃお」
男が「はい」と答えた後、またしばらく細かい金属音が続いた。
「え、あれ!?」
突如、すぐ近くでさっきの男の叫び声がした。
「も〜。いきなり大声なんて出して、どうしたの?」
「いや、これ! これが外れないんですよ!」
「外れないって?」
「あの、だから…… ! これ、くっついてて、どれだけ力を入れても、全然外れません!」
男が力む声が、数秒程続く。
「あのねペイルくん? 今はあなたの構ってちゃんに相手してあげる暇はないんだけど?」
「え!? いやいや! 僕がそんなことする訳ないじゃないですか! 先輩も試してみてくださいよ!」
靴音が接近してくる。それから、女の力む声も数秒続いた。
「あれ、何これ…… びくともしないんだけど……」
「ほ、ほら、僕の言った通りでしょ!?」
「おかしいな。ペイルくん、何かした?」
「してませんよ!」
「え〜。じゃあ、どうして……」
二つの声が何やら悩んでいる。
その間に、こちらでは大きな変化が起こっていた。とっ散らかって希薄だった意識が、急速に中心へ集まっていくのを感じたのだ。夢から現実へと意識が戻されるような感覚。
やがて、アドニスは勢いよく飛び起きた。
「うぎゃぁぁぁぁ!」
真横で男の悲鳴と、大きな鈍い音。
顔を向けると、尻餅をつき、こちらを怯えたように見る黒髪の少年がいた。その横には、ピンク色の長髪をした女。彼女の方は、大きな目をぱちぱちとさせ、呆然とした様子だ。
さっきの声の主たちだろうか。
「ここはどこだ? お前たちは何者だ?」
アドニスが尋ねる。
どうやら自分は、薄暗い一室の、木製の台の上に乗せられているようだが。
「あぁっ…… し、死体が喋っ……」
なぜか少年は唇をワナワナさせ、そのまま倒れてしまった。
「こらっ、ペイルくん! か弱い女の子を残して、一人で楽になろうとしないで! ほら、早く起きるの!」
女は少年の身体を大きく揺さぶる。
「ん、あれ…… 僕は何を……」
ゆっくりと起き上がった少年。しかし、アドニスと目が合うと、少年の表情に再び恐怖の色が浮かんだ。
「うぎゃぁーー」
「はい、もうその反応禁止。ちゃんと現実と向き合って」
そう言うと、女は少年の姿勢を正し、アドニスの前へと突き出した。ぐわんと揺れた彼の顔は真っ青で、今にも失神しそうだ。
「おい、早く俺の質問に答えろ」
「ふっ、お前は自分の立場をわかっていないようだな! 情報を得たいなら、まずは自分の方から情報を明かせ!」
と、少年の後ろに立つ女が、彼の手を動かしながら、意気揚々とまくし立てる。彼の方は操り人形の如く、されるがままだ。
女は完全に面白がっている様子。"ふんわり"という表現が似合うその口調も相まって、緊張感のカケラもない。
だが、アドニスにはそういう冗談は通じない。
「…… 何が知りたい?」
「そうだな…… まずはお前の名前を教えろ!」
相変わらず、女は腹話術の要領で少年を操る。
「アドニスだ」
「アドニスくんね、いい名前! では、次! お前は人間なのか!」
さすがにもう言い逃れはできないだろう。真実を言うしかない。
「俺は……
「へ? オートマタ?」
女が首を傾げる。
「五年前、俺の親父が作った。栄養等の動力源を一切必要としない、全自動の人形だ」
「全自動の人形…… は? え? そんなことが可能なの?」
「詳しいことは知らん。ただ、俺は五年前に一度死んだらしい。その時、親父が俺の臓器のいくつかをこの器に入れて作ったと言っていた」
「ん、え、待って…… それって、死者を蘇らせたってこと…… ?」
女は腹話術のことも忘れ、神妙な表情を覗かせる。その藍色の瞳の奥では、形容し難い強い何かが渦巻いているようだった。
「生前の記憶に加えて、感情やら痛覚やらをなくしたこの状態を、蘇ると呼べるかは疑問だがな」
「その、あなたのお父さんは?」
「死んだ、おそらくな。他の村の人間と一緒に」
女はしばらく口を開かなかった。
「これでいいだろ。次はそっちの番だ」
「そ、そうね! はい、じゃあ、まずは私のことから! 私はローザ・ウラニア。今は
「ちょっと待ってください!」
声を上げたのは、あの物静かそうな少年だ。
「なんで先輩は普通にあれと会話してるんですか! しかも、ちょっと楽しそうに!」
「え、だめなの?」
「当たり前じゃないですか! あれは侵入してきた未知の冥獣ですよ!? 早く助けを呼ばないと!」
「立ち向かうっていう選択肢はないんだね」
ぎくりとする少年。
よく見ると、二人はアルカと似たような服を着ている。こちらの方は少々地味なデザインだが。
「お前たちも、俺を殺す気なのか?」
「うん、って言ったら?」
「なに挑発してるんですか!」とあたふたする少年にはかけ合わず、ローザは試すような視線をこちらに向ける。
「…… お前たちには倒れてもらう」
重い静けさが訪れる。
相手はどちらも丸腰だ。制圧するのは訳ないはず。
「ぷぷっ……」
どういうことだろう。ローザが急に口を押さえ、愉快そうに笑い始めたのだ。
「なぜ笑う? 嬉しいことでもあったのか?」
「ううん、違くて」と、ローザはおもむろにこちらを指差す。
「アドニスくん、顔」
アドニスは自分の顔に触れようとして、ようやく気づいた。
「ん?」
身体の感覚がおかしい。まるで全てがあべこべになったような。
原因を確認すべく下を向く。すると、なぜか目に入ったのは、剥き出しになった肌色の背中だ。
「そういうことか」
そう。
アドニスの顔は真後ろを向いていたのだ。そして、逆に前を向くことができない。
「なぜ逆にくっつけた?」
「はいはい! それやったのペイルくんで〜す」
ローザは元気の良い子どものような調子で、手を勢いよく振る。
「え、僕のせい!?」
「だって、ペイルくんがその向きに頭を置いたんでしょ?」
「いや、そうですよ! そうですけど! 普通くっつくなんて思わないですよ!」
一方のペイルという少年は、至って真剣な面持ちで抗議している。
「たとえ故意じゃなくても、悪いことをしたら謝らないと。ね?」
ローザに詰め寄られるペイル。
彼は他二人の視線に挟まれ混乱していたが、やがてこちらを向いた。そして、深々と頭を下げる。
「た、大変申し訳ありませんでした……」
「構わん」
アドニスは両手で自分の顔を挟む。そして、ぐいと力を込めた。嫌な軋みを上げながら、彼の頭が回転していく。
その様子を、二人は困惑した表情で眺めていた。
「質問いいですか〜?」
アドニスが元通りになった頭を左右に傾けていると、ローザが気さくに話しかけてきた。
「頭を首に近づけるだけで復活できるの?」
「ああ。頭か胸を粉微塵にされない限りな」
「そんな再生力があるなんて……」
横からペイルが驚きを示す。
彼は依然こちらへの警戒は解いていないものの、当初のような強い敵意は見られない。
「それより、戦うんじゃなかったのか?」
アドニスは仕切り直すように聞く。先ほどは、なんだか有耶無耶になってしまった。
返ってきたのは、ローザの「ん〜」という気楽な
「正直迷ってるんだよね〜。アドニスくん、悪い人には見えないし。それに、研究者として、あなたをここで殺すのはもったいない。そうだよね?」
「確かに、そうですけど…… でも、こんなことバレたら、今度こそプロメテウス隊は解体…… 最悪、僕たちは三層落ちするかも…… うっ、お腹が…… !」
一人腹を押さえて
それにしても、さっきから彼らが口にするのは、聞き慣れない単語ばかり。加えて、こちらの疑問は少しも氷解していない。
「というわけで!」と、ローザが手を叩く。
「判断は私たちの隊長に
「隊長? そいつはどこにいる?」
「会ってみればわかるよ〜」
と、ちょうどその時。真後ろから、鉄製の扉が開く重々しい音が響き渡った。
振り返ってみると、"それ"と目が合う。
「おいおいおいおい…… どうなってんだ、こいつぁ……」
少しの渋さが混じった、たくましそうな男の声。しかし、アドニスの目に映じたのは、全く予想外の姿であった。
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