六日目 気づいてしまった
『愛』は重いから『好き』がちょうど良い。すぐに離れられる関係なら尚の事。
だが、もし知ってしまったら?
『本物』という強烈さに、二度と離してはくれないその真実に。
心の奥底から酔っている。
深く深く沈んでいく。這い上がれないほどに。
今はまだ......
潮風が火照った身体を冷やしてくれる。
ビーチパラソルの下に横たわりながら、楓はスマホをいじっている同伴者に目を向ける。
無理をして(本人は違うと言っていたが)来てくれた相手に対してとやかく言えるほど肝は据わっていない。
だが、少しばかり寂しさを感じるのは事実だ。
「すみません、団体のお客様が今からダイビングをされるという事なので海の家に戻りますね。ドリンク、ご馳走様です」
「あー、ゴミはこっちで捨てとくよ」
もう一人の同伴者である玲音がひょいっとコップを貴浩の手から取り上げた。
「ありがとうございます」
「お気を付けてくださいね。台風が向かっていて海が荒れているらしいですよ」
海のスペシャリストに対して言うことではないかもしれないが、前回来た時よりも海は濁り、波は高い。
「万が一、天候が悪化したらすぐに引き上げますから大丈夫ですよ。それよりも……」
貴浩が険しい表情で長い砂浜を見渡す。
「どうされましたか」
連日、海水浴客でごった返している。
昨晩の納涼祭を経て、さらに密度が高まったかのようだ。
「その…楓さんは綺麗だし、可愛いから…….」
「ほほぉー、またまたそしてまた私のいないところで発展したのか! この!」
「違う! 貴浩さんも誤解されるようなこと言わないでください!」
つい数秒前までゆったりと寛いでいた楓が恥ずかしさに身を悶えさせる。
「誤解ですか…」
「まだ、な話ですから! ほら、お仕事なんでしょう。早く行かないと怒られますよ」
「まだ、か。あ、今日の夜、数人とBBQするんですけどご一緒しませんか」
納涼祭で疲れ果てた従業員を奮起させるため、貴浩の両親が若い従業員だけのBBQ会を毎年開いているのだ。
「お、マジか。喜んで参加させてもらおうじゃないか」
「内輪の行事に私たちが参加してもいいんですか」
「ええ、もう話はついてますから。遠慮せずどうぞ」
「それじゃあ、参加させてもらいます」
その時、貴浩のスマホから着信音が鳴った。
画面には店長の名前が表示されてる。
「い、行ってきます」
脱ぎ捨ててあった海の家のパーカーを着て、暑いのに顔面を蒼白とさせた貴浩は走っていった。
「バカなのか」
率直な意見。
「たぶん。でも、そこが良いというか…やっぱり、今のなし」
率直な答え。
「うわぁー、まだ付き合ってもない奴から惚気られたの初めてだわー。キツイなぁ。私、可哀想だなって思わないわけ?」
正論に正論を畳みかけられ、加えて失言を思い返して、楓はゆっくりと両手に顔を埋めた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「よし、我ながら完璧」
自分自身でセッティングした会場を見下ろし、貴浩は満足げに頷いた。
やはり、同じように貴浩の横で頷いている貴浩の妹である麻沙美と光を含めた三人で食材の調達からBBQ会場の設営まで、全てをこなしたのだ。
仕事終わりの身体を酷使した甲斐があり、ただの空地だった所が夏の宴に相応しい姿に変身した。
「これだけ奮発したのは例の客のためなのかしら」
意味ありげな口調と表情で麻沙美が問うた。
「いつもこれっくらいだろ」
しかし、貴浩も妹の扱いには慣れている。この程度では心揺さぶられない。
「その話、僕も聞きましたよ! できれば、詳しく本人の口から説明があればいいなーなんて思ってます」
今日も相変わらず性別不詳の服装と仕草で光が詰問した。
「光くんまでそんなこと言わないでくれよ。ただ、親父が多めに資金をくれたからであって、本当に深い意味はないんだ」
毎年、この時期になると貴浩は父親である吉田誠司に部屋に呼ばれ、軍資金を頂戴するのだが、今年はどういう訳か通常の倍額が支給されていた。
緑園荘は一年を通して一定数の客がおり、経営が非常に安定している。
また、地産地消を心がけていることから安価で食材を入手する手段を持っており、高級旅館の様相を呈していながら、一般的な家庭でも宿泊することのできる価格設定となっている。
おそらく、今年は緑園荘の経営が上々であるための増額だと貴浩は考えていた。
「そういうことなら構わないのですが...それにしても、凄い料理と食材の数ですね」
「ホントよね。うちは食べれる人少ないのに」
「今日は本郷と武田も参加する予定だからな。あの二人ならこれだけあっても食べつくせるだろうよ」
「あの二人が参加するなら話は別よ。第一、私は参加者のこと全然聞かされてないんですけど」
「気にしないって言っていたのは誰だよ...ええと、まずは俺とお前、そして光くんだろ。あとは受付の瑠璃さんと恵さん、そして運送担当の本郷に整備担当の武田。最後にスペシャルゲストの篠原楓さんと萩谷玲音さん。合わせて九人だな」
「それでしたら食材の量も納得ですね...あっ、僕はそろそろBBQの炭に火をつけてきますね」
「私も野菜を切ってくるから、兄貴は早く飾りつけを済ませちゃってね。言っておくけど、私の言うとおりにやらなかったら、明日からこの前買ったシルクワームを毎食どこかに紛れ込ませるから!」
「おい、シルクワームって虫じゃねぇーか…って、最後まで聞けよな」
横暴な妹が嵐のように去り、気遣いの後輩が静かに去っていった。
――あとはテーブルを出して椅子を並べるだけか。立食式にすべきだったかな。
既にテーブルの上には所狭しと海の幸から山の幸に至るまで、この世の贅を尽くしたかのように沢山の食材がある。
正直なところ、貴浩も買いすぎたことは実感している。
それも、これも。
昨晩の記憶が離れなかったせいだ。
「花火よりも人を見入ってしまったのは生まれて初めてだ」
本人が目の前にいなければ言えないようなことも、今ならば言えてしまう。
脳裏に焼き付いて離れない鮮明な光景は貴浩の睡眠を妨害するには十分だった。
どうやら自分はおかしくなってしまったようだ。
「こら、サボり魔! ちゃんと働け!」
そこに麻沙美から注文が飛んだ。それもかなりお怒りの様子だ。
「やってるから!」
麻沙美いるところから、ここは見えないはずだ。
しかし、どうやら自分の妹はエスパーかなにかになったらしい。
「時間もないし、早いところ終わらせるか」
あの人の喜んでいる顔が見られるだけで、この労力は報われる。
そう思うと貴浩の心は踊り、心なしか疲労感も消え去るようだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
BBQグリルに沢山の炭を入れて火をつける。炭が真っ白になる直前が一番良いのだ。
最近は木を勢いよく擦り、そこから出た火種を乾いた植物の繊維質に乗せたのちに風を送る、という着火方法が流行っているらしいが、今回は普通に着火剤を使った。
火が消えないように細心の注意を払い、団扇を使って火を大きくしていく。
光が汗を流した結果、完璧な火が出来上がっていた。
「上手いな、光。やっぱりお前にはナチュラルツアーも担当してほしいな」
均等に炭を燃やし、火力を調整するのは難しい。
だが、光はそれを簡単にやってのけた。
「ただでさえ連日、お客様が工作に来ているのに...でも、どうしてもと言われるのであればお手伝いしても構いませんよ」
「いや、やっぱりいいや。光が抜けたら工作部と多方面から文句が出そうだしね」
「そ、そうですかね......」
心なしか光のテンションが急激に下降しているようだが、貴浩は大切な用事に気を取られ、それに気づけなかった。
「もうすぐ、皆さんが集まる時間ですね。ここが分かるといいんですけど」
「手製の地図を渡したがあまり出来栄えが良くなかったからな。正直、不安だ」
「あれ、貴浩さんが作ったんですね…あの独創的な地図」
「悪かった、次は妹に頼むつもりだ」
自分が書いた線と線、そして線だけの粗末な地図を思い出し、貴浩は深々とため息をついた。
そんな貴浩を励まそうとした時、会場の入り口が騒がしくなる。
どうやらゲストが来場したようだ。。
「ようこ……そ」
集合時間ピッタリ。
入り口に軽い足取りで迎えに行った貴浩だったが、現在進行形で意中となっている人物を一目見てまるで枷をつけられた囚人のように足が止まった。
よく工房で見る漆色のワイドパンツにスニーカーは元気溌剌とした雰囲気だ。
だが、白シャツとその上から羽織られたデニムジャケット、そしてサングラスが大人な雰囲気を醸し出していた。
――これは、ダメな奴だ。
「お招き頂きありがとうございます。これ、詰まらないものですがどうぞ」
楚々とした手つきで差し出されたのは山盛りのフルーツだ。
細い腕と華奢な体でよく持ってこれたな、と思うほど立派な籠に入れられている。
「どうかされましたか」
上目遣いで問いかけてくる楓の破壊力は確実に貴浩の心を打ち...撃ち抜いた。
「いえ、ただその服装がとても……」
そこまで言いかけて、ふと周りに視野を広げてみると、雑談に興じているように見せかけてこちらを伺っている悪友の姿が目に入った。
「おい……」
「なんだよ、ただ見てただけじゃねぇか。なぁ」
「ホントそれな、見て減るもんでもないよな」
母親同士が友人。
そんな関係を今まで続けてきた友人二人、本郷篤と武田渉、がここで大人しく引き下がるはずがない。
だが、
「腹減ったから行こうか」
「そうだな、光がBBQで肉焼いてくれるらしいからな」
鳥肌ものだ、怖気が走る。
貴浩が顔面の筋肉を引き攣らせていると、再び楓が覗き込む、今回は玲音も一緒だ。
「とても?」
「聞いてやるなよ、楓。これは結構深そうだからな」
「え?」
色々な意味で深々と突き刺さった言葉は貴浩の顔色を直視しがたいものにするのに十分だった。何も言えず、ただ仕草だけで貴浩は二人を席に案内した。
総じて言えばBBQは大成功だったといえよう。
誰かが酒に溺れてぶっ倒れてたこと。
誰かが肉を全て喰い尽くしたこと。
誰かが日頃の鬱憤を用意したゲームで強引に晴らしたこと。
誰かが参加者の過去を赤裸々に語ったこと。
これらに目をつぶってしまえば、それは素晴らしい一時だった。
美味しい食べ物とお酒。
気の合う仲間たち。
全員が限度を弁え、超えてはいけないラインを守っている。
現代の若者とは思えないほど、とても整っていた。
「はーい、手持ち花火やりますよー。欲しい人は自分のところに来てください」
宵のうち。
太陽が沈み、月が空に舞い上がった頃。
満腹になった若人たちは最後のイベントである手持ち花火を楽しんでいた。
「わぁたしにも、くれ!」
社交的だが見慣れない人とは必ず線を引いている玲音だったが、今ではだらしなく地面に倒れ伏し、ただただ小学生のように駄々をこねていた。
最初は戸惑っていた面々だったが、今ではお構いなしに放置している。
「あら、線香花火なんて渋いチョイスは誰かしら」
「納涼祭の余り物ですよ。それより瑠璃さんはなんで二つ持ってるんですか」
「人と競争するのが好きじゃないから、かな。麻沙美ちゃんこそ貴浩くんからずいぶん沢山取ってきたじゃない」
「全部一緒に点けると凄いことになるんだよ!」
「その凄いことが何で起きるのか学校でお勉強しなかったのかしら」
麻沙美と瑠璃の微笑ましい会話を兄たる目で貴浩が見つめていると、後ろから声がかかる。
前回とは違い、優しい声音だ。
「貴浩さん、私にも線香花火をください」
「お幾つですか」
「一つだけ」
束ねられている花火から一つだけ抜き取り手渡す。
できるだけ湿気っていないのを選んだつもりだ。
「皆さん、受け取りましたね。このテーブルの上に置いておくので後はセルフでお願いしますね」
了承の声があがる。
「火はBBQの残火でもライターでも使ってください。ただし、火傷だけは本当に冗談じゃ済まないので、そこのところは理解して下さいね」
再び声が上がり、理解している旨を表す。
花火を片手にそれぞれが思い思いのところへと散っていった。
そして、必然的にかあるいは偶然的か、貴浩と楓だけが残された。
「僕たちも花火をしましょうか」
「もちろん、負けませんよ」
「負けず嫌いですね。昨日も僕と楓さんだけで何回射的をしたんだか」
「あー! それは忘れてください!恥ずかしいから…」
恥ずかしそうに顔を背ける楓を見て、貴浩は昨日のことを思い返していた。
花火も終わり帰りの道を歩いていると、射的屋を通り過ぎた際に楓の注意がそちらにそれたのを感じた貴浩は見つけたのだ、棚に並べられている可愛らしいウサギの人形を。
店で売られていたならば見向きもしないような人形だ。
だが、何かが楓の琴線に触れたらしく、そこから二人はその人形を落とすべく銃を手に取った……
こと、三十分。
大の大人が財布の中身を使い切るまで死闘は続いた。
そして、最後の弾丸(コルク)を使って貴浩がようやくバニー人形を手に入れた頃には周囲に人だかりが出来ており、拍手が沸き起こった。
「デッドヒートでしたね、あれは。でも、楽しかったですよ」
言外に、楓さんは楽しくなかったんですか、という意味が込められてしまったのは偶然に他ならない。
そしてそれに気づかないのも楓の心理状態を表しているのに他ならない。
「あの人形は大切に持って帰りますね」
「......あ、ライター持ってるので線香花火やりましょう」
ポケットからライターを取り出すと、貴浩は二人分の線香花火に火を灯した。
ぱちぱち、と小さな火花が次第に大きくなっていく、小さな火球が徐々に膨らんでいく。
貴浩と楓はしゃがみ込み、その美しさに見惚れていた。
「線香花火が一番好きです」
「綺麗だから」
「儚いから」
ついに線香花火の火球が大きく膨らみ、風に揺られて今にも落ちそうだ。
「儚い……」
「うん、こんな夏の日みたいに。すぐ消えちゃう」
一陣の風が二人の間を吹き抜けると、楓の線香花火は落ちてしまった。
しかし、貴浩の線香花火は赤々と輝いている。
「どうすれば消えませんか」
「分からない。でも、貴浩さんなら答えを知ってるような気がする」
風が吹いていないのに、火球が左へ右へ震えている。
ただ、静かに時間が過ぎていき、そして実った。
「好きです」
昨日から貴浩が考えた着飾ったような言葉ではなく、実直な言葉だった。
「楓さんが良かったら...お付き合いしてください」
ふと、貴浩は思い出した。
――自分から告白したのは初めてだ。
表情を微動打に動かさない楓を見て、貴浩は自分の心拍数が危険な域まで上昇し続けていることに気が付いた。
手のひらは汗で濡れ、呼吸も荒い。
――これが人に自分の気持ちを打ち明けた時の感覚。
一秒が千年のように感じる。
そして、
「な、なんで泣いてるの⁉」
激しい動揺が津波のように貴浩に襲い掛かった。
なぜ告白された涙を流す、その答えを持ち合わせていない。
「だって、嬉しいから」
貴浩は思わず息を飲んだ。
――嬉しい。
「それじゃあ……」
一秒が万年のように感じる。
まるで海岸の砂浜にいるように足元が覚束ない。
それでも、その声だけは聞き逃さない。
「よろしくお願いします」
ポタリ、貴浩の線香花火が地面に落ちて、消えた。
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