五日目 触れてしまった
夏真っ盛り。
セミも暑さにためかその鳴き声を潜め、鈴虫がまだ眠っている時期。
暑さを乗り切るため、人は祭りに興じる。
法被を羽織り神輿を担ぐ男たち。
浴衣を着て屋台を巡る女たち。
子供からお年寄りまでもが集う一年に一度だけの祭典。
焼きそば、イカ焼き、たこ焼き、焼きとうもろこし、ホットドッグ、牛串、たい焼き、りんご飴、綿あめ、チョコバナナ、金魚すくい、ヨーヨー釣り、射的、お面、型抜きなどなど。
嗚呼、お祭り。
そこに一輪の恋の花が咲くならば、熱気に乗せられどこまでも飛んでいくだろう。
◇◆◇◆◇◆◇◆
大正レトロ調の浴衣といえばやはりお淑やかな日本花の柄だろうか、それとも文明開花を連想するハイカラな浴衣だろうか。
髪を後ろに結い、梅の簪を挿して手には小さめのカゴバッグ。バッグの中には財布や諸々を入れておくが、決して入れすぎないことが大切だ。
「うわっ、楓気合入りまくりじゃん」
部屋にある大きな鏡の前で帯を整えていると、友人であり旅友でもある玲音がからかい口調で言った。
「お祭りといえば浴衣だからこれくらい普通だよ。玲音はそんな格好で大丈夫なの」
対する楓の返答は逆になぜ浴衣を着ないかという疑問と友人に対する心配だった。
玲音は首元を顕にした白いTシャツに紺色のロングカーディガン、そしてジーンズという出で立ちだ。
「大丈夫も何も一番楽な格好で良いじゃないか。折角の祭りだから私も楽しみたいんだ」
「ん、わかった。それで体調はちゃんと治ったんだよね。無理してないよね」
「おう、それは安心しろ。楓のお粥のお陰で完治したさ」
「解熱剤と冷えピタにもね」
「それじゃあ、貴くんを待たせるわけにはいかないから行こうか」
「あと三十分もあるけどいいの」
約束の時間は午後六時ぐらいからだ。
納涼祭は夕日が沈むと同時に開催されるという粋な計らいなのだが、時間がはっきりしないというデメリットを抱えていた。
「ちょっと、買いたいものがあってさ。だから売店に寄りたいんだ」
「何を買うの」
玲音は用意周到な性格をしている。
旅先で何かを買い足すのは非常に珍しい。
「二日酔い対策のく・す・り。大切だろう」
「ちょっと、そんなに飲まないでよ」
玲音は下戸だ。下戸中の下戸だ。下戸の中の下戸を極めた下戸だ。
飲みに誘ってくるのは毎回、玲音なのだが、記憶を保っていられるのはいつも楓だ。
そんな酒癖を知っているからこそ必死に止めるのだが、軽く受け流される。
「今日はどうなっても知らないわよ」
「大丈夫、大丈夫。それより行こうよ」
手をひらひらと振り、既に靴に片足を突っ込んでいた後を追って楓は自室を出た。
◇◆◇◆◇◆◇◆
艶やかで、可憐で、美しい。
そんな言葉が似合う見目麗しい人がそこにはいた。
いや、「そこ」ではない。少し離れているから本来は「あそこ」であるはずだ。
しかし、「そこ」と「あそこ」ほどの遠近感覚が狂うほど強烈な魅力を周囲に撒き散らしており、もはや魔法か何かであるのかと勘違いしてしまいそうになる。
数分間、貴浩は受付の隣で女々しく膝を抱えていると、後ろから声がかかった。
「おい」
「は、はい!」
激しく動揺して、貴浩は飛びのいた。
だが、運悪く飛んだ先にあった重厚な受付机に後頭部を殴打される。
「うずがッ......‼」
フローリングの床を転げまわり、無様な姿で貴浩は悶絶する。
「あの......なんか、すみません」
上から、正確には斜め上から声がかかった。
緑園荘に宿泊している客かと思い、貴浩はなんとかして立ち上がった。
「申し訳ありません、御見苦しいところを...って、瑠璃さんか。完全に男性の声だったの勘違いしましたよ」
「元劇団員ですからね...声のトーンや音程を変えるぐらい簡単に。お茶の子さいさい」
「そういえば、そうでしたね。瑠璃さんはあの有名な劇団で主演を何度も務めたことのある...怒ってます?」
日本有数の劇団に所属していた瑠璃は数年前、そこを辞めたらしい。
その劇団は日本でも数少ない劇団員が劇団員として食っていける有名どころだ。
「いえ、私は特に。ですが、あそこで待たれている方々はどう思われているのか分かりませんよ」
そういうと、ロビーの一角を指さした。貴浩がちょうど眺めていたところだ。
「今日の納涼祭は大変混むそうですよ。出店の品や花火の観覧席が無くなるかもしれませんね」
「......ありがとうございます」
「ええ、どういたしまして。気持ちを定めたのなら早く行ってくださいますか。私の仕事をわざと邪魔しているわけではないのですよね?」
「してないです! では!」
旗色が悪くなったのを鋭敏に感知した貴浩は浴衣のしわを伸ばし、余裕と自分では思っている笑みを浮かべて立ち去った。
「はー、何でとは聞いてくれないんですね」
そして瑠璃の言葉だけが、ここに残った。
◇◆◇◆◇◆◇◆
店の名が墨字で入れられた提灯が空を明るく照らす中、貴浩と彼の二人の連れは歩いていた。(連れ、といったのは誤解の余地があるからだ)
多くの屋台が道の両側に店を構え、タオルを首に巻いた男たちが客を呼び込んでいる。
小銭袋を大事そうに持っている少年が下駄の音を立てながら小走りに通り過ぎていく。
高校生ぐらいだと思われる男女が気恥ずかしそうに手を繋いでいる。
「やっぱり、お祭りは活気があっていいですね」
瞳を輝かせ、嬉しそうに楓が言った。
「小腹が空いた。何か口に入れないと死ぬ」
「焼き鳥か焼きそばなんてどうです」
どこの屋台も長い列が延々と続いている。何か食べるだけでも一苦労だが、それも祭りというものの醍醐味だろう。
「...この香りは焼きトウモロコシだ」
「え、本当に?」
「私の嗅覚を信じろ!」
周囲は熱気と屋台から漂ってくる香気で溢れかえっている。
どこから焼きトウモロコシ特有の焦げ醤油の匂いを察知したのだろうか。
「ちょっと! ごめんなさい、貴浩さん。玲音はこういうところがあって」
「短い付き合いですが、少しずつ分かってきましたよ。玲音さんは脊髄反射で行動される方ですよね。それに好き嫌いがハッキリしている。なぁなぁで済ませようとする自分には持ってないものを色々と持っている方ですね。羨ましい」
「...いつの間にか仲が宜しいようで!」
何かが気に障ったのか、楓は眉を危険な角度に吊り上げると、スタスタと歩いて行った。
「あの、ちょっ!」
状況を鋭敏に感じ取った貴浩は楓に対する釈明の言葉を探す。
「ただ、自分の率直な感想を述べただけで...」
ーーあれ、これは更に悪化させるのでは。
「率直な感想..そうですか.」
流れるようなステップで可憐に振り返った楓の髪が風に吹かれ、逆立つ。
それはまるで怒りに狂い総毛立っている猫のようだ、と勝手な感想を貴浩は現実逃避気味に抱いていた。
「ち、違います、じゃなくて間違えました」
「別に私は気にしてません。それに気にするようなことでもないですよね」
気にしていることはバレバレだ。
「自分はただ玲音さんの性格が羨ましいだけなんです。ただ、本当にそれだけ...でも、楓さんは自分と同じ気がして。だから、もの凄く意識しちゃうんです」
「意識?」
「似た者同士、少し話した時からずっと思ってました。自分も楓さんも感情の起伏が激しいのに表に出したくない、なのに人に気づいてほしい。周りに振り回されるのは好きだけど、振り回されたくない時もある。人の言うことが正しければ正しいほど、イライラしちゃう。他にも...」
「あ、あの」
「外面を気にしていないようで気にする、そのくせ臆病だから人に言いたいことも言えない。好きな人がいて、その人が友人と付き合ったとしても素直に祝福できるタイプの人間だと思われるけど、でも本当はめっちゃ辛い。そして...」
「もう、やまってっ!」
そういうと、楓は両手で貴浩の口を塞いだ。
正確に言えば、焦った楓はその指を貴浩の口の中に突っ込んでしまったのだ。
驚き、静寂、そして気まずさ。
……
「どうしたんだ、お前ら。喧嘩でもしたのか」
ちょうどのその時、両手に両手に三本のとうもろこしを持ち、口に更にもう一本をくわえた姿の玲音が戻ってきた。
そして数秒間、貴浩と楓を見回した後、全てを悟ったかのような表情で盛大にニヤける。
「またまたまたまた、私のいないところで急展開…くぅー、これはビールを飲むしかないな! 祭りだ祭り!」
「だから、玲音は飲んだら…」
「いいこと言うね、ねぇーちゃん! ほら、生が一杯500円だぞ!」
ビールや酒類などを提供している屋台から太った中年男が声をかけた。
その手には並々と黄金色の液体がつがれたコップが握られている。
「おっちゃん、釣りはいらねぇ!」
おもむろに、ポケットから剥き身の千円札を取り出すと男の手に預け、それと引き換えに玲音はビールを手に入れた。
そして呷る。
「あ……」
「ビール一杯くらいなら大丈夫で…」
顔を俯けて両手で顔面を覆っている楓の姿を見て、貴浩は完全に理解した。
「だーいじょぶ、だいじょぶ。わたしはだいじょぶ」
既に赤みがかった顔、回らない呂律、ふらふらの足元。
「これは…」
助けを求めるべく、貴浩はスマホを片手にこういう状況で最も信頼できる相手に電話をかけた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「妹さん、とても良い方なのですね。でも大丈夫なのですか」
「あいつは泥酔した客の対処方を心得ています。それに空手を中学と高校で部活として励んでいたので自分より強いんですよ、腕力」
「それは頼もしいですね」
「時たま、兄失格と感じますね」
「適材適所ではないのですか」
貴浩は思わず苦笑いを浮かべる。
「確かにそうかもしれませんね…それで、どうしますか。まだ納涼祭を堪能できていませんし、花火もありますよ」
「た、貴浩さんが良ければその…一緒に回りませんか」
最後は聞こえないような、か細い声を絞り出すように楓が言った。
さっきの今で言いづらかったのかもしれない。
しかし、その答えは貴浩が待っていたものだ。
「もちろん、喜んで。ここの納涼祭は海産物から山の物に至るまで、色々な屋台が出店しいますからね。数年前には有名な旅行雑誌で取り上げられたんですよ」
「私が小さかった時は何もない場所だったのに、凄いですよね」
貴浩が幼かった頃はまだこんなに大規模なものではなかった。
だが年々、高齢になったため店を閉めたりして廃れていく地元を惜しいと感じた貴浩の祖父は一か八かの賭けに出た、という話を貴浩は聞いたことがある。
それが功を奏し、再び活気が戻ったのだ。
一度、死にかけた港町が復活する。そんなお話みたいな実話がここには存在している。
だからこそ、楓が喜んでいる姿を見て、貴浩は笑みを浮かべた。
「歩きながら何を食べるか決めましょう。個人的にはりんご飴と綿あめは外せません」
「貴浩さんは意外と甘党なんですね」
「甘ければ甘いほどいい、ていうのが座右の銘ですね」
「えぇ、そんなぁー」
夏の熱気に頭がぼうっとしたのか。
はたまた、コロコロと笑う楓が艶やかなせいか。
「あ、あの」
言葉は自然と口から落ちた。
「手、繋ぎませんか」
静止画のように完全に止まってしまった楓を見て、貴浩は慌てた。
「す、すみません。なんか、楓さんの着物姿が物凄く可愛くて。大正風のテイストが僕の好みにベストマッチで。それに話してると楽しいし、だから…その…」
「…一人称、本当は僕なんですね」
「……」
慌てふためいた貴浩の姿が滑稽だったのか、楓が落ち着きを取り戻した。
しかし、誤魔化せないほどにその頬は赤色だ。
「私、手に汗をかうちゃうと思うです……」
何を言われたのか分からず、貴浩は絶句した。
しかし、徐々にそれを理解して、己の手に目を落とした。
「自分も女性と手を繋いだことがあまりないので…だから」
「あら、貴浩さんってプレイボーイだと思ったんですけど。私の見当違いですかね」
からかい口調の楓は人の悪い笑みを浮かべる。
「お付き合いした人はいますけど、好きだったのか分からないんです」
「こういう時は嘘でも違うこといいません」
「あっ」
「そんな馬鹿正直なところ、嫌いじゃないですよ」
ーーそれは好き、ていう意味なのか!?
だが、それを知れるほど貴浩の経験値は多くない。
「はい」
楓から、その手は差し出された。
「どうしました」
ーー怖気づいているのか。
この手を握れば何かが決定的に変わってしまう。そんな気がして、貴浩はなかなか手を握れず、視線を宙に彷徨わせる。
「あの」
どこか不安がっているような目つきで楓がおずおずと訊いた。
この目つき、貴浩には覚えがある。
好きと言われた人に振られる原因となった出来事だ。
「それじゃ」
息を大きく吸い込むと、貴浩はまるで奪い取るかのようにその手を握った。
よほど驚いたのか、楓の肩が大きく跳ねる。
「いつもの姿は見せかけなんです…優柔不断で八方美人、だから振られました」
「そっか」
「え」
急に何かを理解したのか、楓が頷いた。
「こうして話してる貴浩さんと仕事で私たちと話してくれた貴浩さんにギャップがあったんです。だから、そっか」
「そっか?」
「うん。だって、これが貴浩さんの本音なんですよね」
「ええ、まぁ。お恥ずかしながら」
すると、何を思ったのか、楓が握られている手を胸元まで引き上げる。
「はっきりできくても、周りに気に入られようとカッコ悪くなっても、私は気にしません。だって、こんなに胸が一杯になったことなんて、生まれてはじめてだから」
見ると、大粒の涙が楓の目元に浮かんでいた。
突然ことに、貴浩は動揺したが、なぜかその涙の意味を理解できる気がした。
「僕の本音は人を気にすること。楓さんも同じなんですね」
「……」
「優柔不断で八方美人」
「似た者同士ですね、やっぱり」
「だね」
固く握られた手は夏なのに優しい温かさがあった。
年齢不相応の、どこか大人びた笑みを浮かべていた楓だったが、その顔に亀裂が走る。
「ん!」
「どうしました?」
やはり突然のように楓が奇声を上げる。
「あ、あの…なんかこれって、そういう感じですか」
「え、どういう感じ」
「そ、その、このように手を繋ぐのは…しかも、殿方と…お、お、お付き合いするということですか、私たち」
お付き合い。お付き合い。お付き合い。お付き合い。
「その手前ってことでいいですか。こういうのは、ちゃんと僕から言わなくちゃいけないから」
楓が頬を膨らませ唇を尖らせる。
何かに抗議しているようだが、貴浩は理性が音を立てて崩壊していくのを感じた。
「ズルイです」
何が、とは聞かずに焦らしていたい。
そうすればこの時間が永遠に続くのに。
だが、そろそろ周囲から注がれる視線が痛いし、花火も始まってしまう。
「何がですか」
「分かってやってる。大人気ない。イジメだ、横暴だ」
心なしか口調が変わり、幼児退行したかのようだ。
これが『本当』なのだろうか。
まだ、貴浩はその答えを持ち合わせていない。
しかし、この答えなら分かる。
「……僕の大人な対応が嫌なんですか」
「嫌なんじゃないです。心地よいから苦しいんです。矛盾してるかもしれないけど」
「その苦しさは嫌いですか」
「全然嫌いじゃないです。むしろ…好き」
その『好き』が宙に浮かんで、弾けた。
誤解してはいけない。
そう思えば思うほど、想いが強くなってしまい、動悸と呼吸は乱れる。
「それはよかったです」
絞り出すように声を出すと二人は押し黙った。
その心地よい沈黙の背後に花火が咲いた。
大きな、大きな花火だ。
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