……とよひさも脳筋よりだったんですね……いえひさ(家久)は良いお父さんだったんですねえ。
息子二人を比べたりしない。それぞれに合わせて接する……素晴らしいじゃないですか!
そして、戦国随一とまで言われる強さ!
大河ドラマはちゃんと地方の大名にも目を向けて欲しいと思いますねえ。
実はうちの県にもわりと有名な戦国武将がいたのです。
昔からの熱烈なファンが、大河ドラマ化を望んでおりまして、でも、未だ叶わないそうです( ̄▽ ̄;)
作者からの返信
水守風火カクコン短編二作完結読んでー!様いつもご愛読本当にありがとうございます。<(_ _)>😊
ドリフターズなどを見ると脳筋の豊久ですが、それでも島津家中ではインテリで大人しい方という描写があったような(笑)
本作はギャグコメなのでボケとツッコミ両方できる脳筋としてとよひさに頑張ってもらおうと思っています。
というかそろそろ定期的に来る男の娘ブームに乗りたいぞいと。🍀😆
どちらの方か分かりませんが、北条、立花、長宗我部、最上、三好あたりはそろそろやってもいいと思うんですけどね。
まあ、私は戦国島津一本槍ですが(笑)
これからもどうぞよろしくお願いします。<(_ _)>😊
4兄弟でひとりだけ異腹は、この人でしたっけ?
当時の人たちは、その辺の感情を自分の内でどう決着させていたのでしょう。
作者からの返信
上月くるを様朝早くからの応援と御愛読ありがとうございます。
ご指摘の通り、家久だけが異腹の子です。
義久が指摘した通り、生まれで全てが決まるのではなく本人の努力次第という考え方が島津4兄弟の時期にはありました。
それもそのはずで、人の価値は生まれではなくその時の生き方であり、努力すれば同じ人間なのだから、という教えを島津日新公いろは歌で叩き込んでいます。
反面、としひさがいえひさに言葉にしたように、そうした違いに対して意識があったのも事実で、いろは歌でわざわざ書いたということはそうした考えが薩摩に充満していた逆説的な証拠とも言えます。
私が考察できるのはここまでで、後は島津関係者か、鹿児島中央の文化に詳しい方に聞いた方が正確な答えが分かるかと思います。😊🍀