薩摩藩は貿易(密輸)もやっていたそうですね。
当時(幕末でしたっけ?)は禁止されていたとはいえ先見の明があったんですねえ。
作者からの返信
水守風火カクコン短編二作完結読んでー!様いつもご愛読ありがとうございます。<(_ _)>😊
薩摩の密輸は幕府も暗黙の了解という感じもあったので、黒というよりグレーな感じかと思いますが、どちらにしても怪しい動きです。(笑)
ちなみに都城には寒天の密造もされていて、記念碑的な物もあります。
それと、最新の研究だと種子島の鉄砲伝来は南蛮からというより、明(中国)の船の中に南蛮人がいたという話だとちらっと聞きました。
そうなると昔から大陸との交易があった薩摩の密輸もまた別の見方ができるかもしれませんね。😆🍀
例の歌留多をつくったのは4兄弟の祖父でしたっけ? 父でしたっけ?
作者からの返信
上月くるを様ご質問ありがとうございます。
凄く分かりにくくて他にも混同されている方も多いかも。😆
いわゆる有名ないろは歌として知られているのは島津4兄弟16代当主義久の祖父である島津忠良(日新斎、または日新公という呼称も)です。
いわゆる島津日新公いろは歌の作者です。
実は私も全てを把握しているわけではないですが、このいろは48首に他の島津家の人々も見習って独自の歌を作成している場合があります。
なので、いろは歌だけだともし調べた時に混同することもあり得るかも。
でも一番有名で後の薩摩文化に多大な影響を与えたかるたの作者となると祖父の忠良ということになると思います。😊✨