第12話 ヤミーブレーン


 お腹いっぱい。











「美味しい? ヨシコ?」


 かつての自分の死骸の頭から脳を引きずり出して食べる好子を見て、良子が幸せそうに微笑む。


「ゆっくり食べてね」


 好子は幸せそうににやけながら食べ続ける。


「関係ない細胞は食べなくていいから」


 好子は唇を赤い液体で濡らしながら、無我夢中で脳を食べていく。



(*'ω'*)



「カヤマさん」


 年寄りの医者が近づき、カヤマに会釈した。


「ご無沙汰しております」

「ああ、どうも。先生」

「どうぞこちらへ」


 医者とカヤマが歩くと、廊下に座っていた人たちがチラッと見た。そして、各々声を潜め、囁き合う。


 ――あれって、香山かやま良介りょうすけ

 ――英雄の?

 ――どうしてこんな田舎にいるの?

 ――テレビの撮影とか?

 ――動画投稿始めたとか?

 ――やだ。サインもらいに行こうかな。


「何日ぶりのお休みですか?」

「……人造人間の一件から……一年ぶりになります」

「そんなにですか。やはり、復旧の関係ですか?」

「ええ。後処理に追われてますよ」


 暖かな日差しが窓からこぼれる廊下を二人が歩く。


「この間、評論家がラジオで話してましたよ」


 なぜ人間は人造人間に勝てたのかと。


「いくら知能が優れていても、プログラムを作ったのは人間です。人間は臆病者です。どんなことがあろうとも、自分たちよりも強いものを作りはしない」

「そういうものですかね」

「ええ。そういうものかと」

「あれ以来、あなた方は有名人ですね」

「ありがたいことに。……一人だけアメリカ軍が混じっていたのですが、彼は祖国でも英雄扱いだと、前に任務で一緒になったときに、自慢げに話してました」

「ふふ、そうですか」

「それで」


 カヤマが訊く。


「本物の英雄の調子は、どうですか?」


 ベッド一つの病室にて、彼女は目の前にいるウサギのぬいぐるみに喋り続ける。


「お母さん」

「新しい部屋で遊んだの」

「お姫さまごっこしたの」

「お兄さんとお姉さんが遊んでくれたよ」

「お花さんが笑ってたよ」

「らん」

「ららら」

「らん」


「どういうところだったかわかりませんが、どうやら、以前の病院では、彼女は目隠しをされて治療をしていたのだと、紹介状の封筒に入っていた小さな手紙に書かれておりました」


 医者がカヤマを見た。


「あなたを『お兄さん』と勘違いしているのは、勘違いではなく、本当にそう思っているんです。声と雰囲気が似てるのでしょうね」

「……なるほど。……道理で、話がいつまで経っても噛み合わないと思ってました」


 ようやく腑に落ちた。


「正直に話したほうがいいでしょうか」

「話さなくてもいいのでは?」

「……あの二人の墓のことは伝えたいんです。レスキュー社の従業員でありながら……唯一、あの二人だけはあの子を守ってくれていた」

「その選択は、あなたに任せましょう」


 医者がドアの鍵を開けた。


「ごゆっくりどうぞ」


 カヤマが病室に入り、ウサギのぬいぐるみと話す彼女に声をかけた。


「ヨシコ」


 伸び切らない髪型のヨシコが、くたびれた患者服を着て、顔を動かした。



( ˘ω˘ )



 妄想の中で髪の毛が伸びて、可愛いワンピースを着たヨシコが、笑顔で振り返った。


「あー! お兄さん!」


 そんなヨシコを、ウサギのぬいぐるみではなく、笑顔のお母さんが見つめていた。



(*'ω'*)



「久しぶりだな。前回会ってから……半年か」


 カヤマがラッピングされた袋をヨシコに差し出した。


「ヨシコ、18歳の誕生日、おめでとう」

「うわあ! いいの!?」

「もちろんだ」

「うわあい! 嬉しい! ありがとう! お兄さん!」


 目の下のクマが濃くなったヨシコは、笑顔で受け取り、とてもとても喜んだ。そんな姿を見て、カヤマも微笑む。


 人造人間暴走事件から一年。ヨシコは無事に両親と再会し、北海道の奥、人気のない、田舎の町の病院で静かに入院していた。

 ヨシコの担当医は、昔、東京の大学病院で働いていた者だった。結婚をきっかけにこの病院で働き続けている。そして、ヨシコの状態を見たとき、それはそれは驚いていた。彼女の中身が見たことのないほど重症だったのだ。長い時間をかけて治していくしかない。両親は共働き。少しでもヨシコが寂しくないように、ぬいぐるみを与える。ヨシコはそれを両親だと、友だちだと妄想する。それがヨシコの生活だった。


 そんなヨシコの、一時の癒しになるならと、北海道に来た際には、カヤマは仕事の合間に長い移動時間を使ってでも、ヨシコに会いに行っていた。


「ヨシコ、高橋たかはしめぐみを覚えているか?」

「……だれ?」

「人造人間の開発グループの研究員だ。前に言ってただろ。研究所でメガネのお姉さんに会ったと」

「あー。あのお姉さんね。あたし、覚えてるよ。良子ちゃんのママだ」


 ヨシコがウサギのぬいぐるみの頭を撫でた。


「今眠ってるんでしょう? 目、覚めたの?」

「いや、まだ眠っている」

「起きたら研究を再開するって」

「ああ。よく知ってるな」

「……良子ちゃんが教えてくれるんだ」


 ――ヨシコ。

 ――人造人間たちがね、

 ――弟たちが、

 ――妹たちが、

 ――うふふ、あのね、

 ――近いうちにこんなことが起きるわよ。

 ――大丈夫。

 ――なにがあっても、ヨシコにはわたしがいるから。


「良子ちゃんってね、……過保護なの。かなり」

「……まだ頭にいるのか?」

「いるよ。ずっと声かけてくるの。声かけられすぎて、ちょっとしんどい時もあるんだ。……特に寝る前とか……」


 カヤマにとってはそれは妄想であると感じる。

 しかし、ヨシコにとってはそれが現実である。

 カヤマはヨシコを信じた上で、話を続ける。


「喧嘩はしてないか?」

「今のところは大丈夫。良子ちゃん、良い子だから、本気で嫌がることはしてこないんだ」

「そうか。……なにかあったらちゃんと言うんだぞ」

「わかってるよ。……で、……あのお姉さん、どうかしたの?」

「ああ。……実はな、……細胞実験の大量の資料が高橋の私物から発見されたんだ」


 そこには、残酷かつ非道な実験の内容が記載されていた。たくさんの子どものリストがあった。みんな、9歳になる前に死んでいた。

 ヨシコのリストがあった。


 ヨシコは、18歳になった今でも生きている。


「この資料が、お前の治療の近道になるかもしれない」

「……治ったら、もう、お兄さんとは会えないの?」

「馬鹿言うな」


 カヤマがくくっと笑い、ヨシコの顔を覗き、両手を握りしめた。


「いつだって会えるさ」

「えへへ。でも、お兄さん、あたしね、前と比べたらだいぶ調子が良くなったんだよ。お母さんたちと『新しいお家』で生活できるなんて」


 ヨシコが微笑んだ。


「あたし、幸せだよ」


 ここは病室だ。

 ヨシコにとっては引越し先の新しいお家だ。

 ぬいぐるみが囲んでいる。

 ヨシコにとっては、両親であり、友だちである。

 妄想癖は、まだ治ってない。


「あたしが元気になってるんだもん。お姉さんもすぐに目を覚ますよね?」

「……。そうだな」


 そうなってくれるととても良いのだが。


「あの女が目を覚まさないと、いつまで経っても地下の町に戻った人造人間たちも起きてこないからな」

「ああ、そっか。みんな寝てるふりをしてるんだもんね。本当は起きてるけど」

「……良子からきいたのか?」

「たまに何人か遊びに来てくれるよ。あたしが寝て、夢を見てる時に。その中に入ってくるの」

「……」

「次は、暴走しないといいね」

「……そうだな」


 タカハシ以外の開発メンバーは、社員は、関係者は、みんな良子の命令によって動いた人造人間たちに殺されてしまった。


「人造人間が目覚めるためにはあの女が必要だ。その前に逮捕や裁判が待ってるかもしれないが……今は、気長に待つしかないな」

「大丈夫だよ。お兄さん。あたしがいるから」

「ん?」

「あたしね、今」


 その瞬間だけは、ヨシコの目が正気に戻っている。


「ロボット工学、勉強してるんだ」


 数学とか理科とか難しくてちんぷんかんぷんだけど、


「他にも人体学とか、生物学も学んでるの」


 お兄さん、


「あたしには良子ちゃんがいる。良子ちゃんと一緒に人造人間を開発するの」


 全ては、


「人造人間が、人間と一緒に仲良く暮らせるように」


 良子が笑顔で好子の肩を抱きしめて――ぎろりと睨まれた気がして、カヤマは目をぱちぱちとしばたたかせ、首を振って、妄想を振り払った。


「かっこいいじゃないか。ヨシコ」

「えへへへ」

「勉強はエネルギーを使う。そんな未来設計があるなら」


 ヨシコ、


「三食ちゃんと食べないとな」


 ――ヨシコ。


「……」

「……」

「……ん?」

「聞いてるぞ。……お前、またご飯を食べてないそうじゃないか」


 ――感じる。


 ――ヨシコの狂気が。


「ご飯まずいんだもん」

「ここにお姉さんはいないだろ?」

「ああ、お兄さん、めんつゆパン覚えてる? なつかしいよね」

「話をそらすな」


 ――感じる。


 ――ヨシコを感じる。


「別にいいじゃん。お兄さんには関係ないでしょう?」

「ヨシコ、今食べておかないと将来の体に負担が……」

「大丈夫だよ。あたし、お腹いっぱいなの」


 ぴちゃり。手が壁に張り付いた。

 ぴちゃり。手と足が、壁を登る。


「食べているのは、全て人工的手段で作られたものらしいじゃないか」

「チッ」

「ヨシコ、ちゃんとした食事をとるんだ」

「あのさあ、たとえお兄さんから言われたって、お腹いっぱいなのに食べられないよ!」

「ヨシコ!!」

「あーーーーーーーもう!!」


 ヨシコが頭を押さえた。


「あたし、お腹いっぱいなの!!」



 いた。



「見つけたぞ」



「ヨシコ」



 ぞっと寒気がして、ヨシコとカヤマが同時に振り返った。その時、外から看護師が悲鳴を上げていた。


「きゃーーーーーーー!!」

「化け物が病院に!!」


 ――そうだ。わめけ。


「な、なんじゃ、あれは!」

「もののけか!?」


 ――泣け、叫べ……。


「ママ、なあに? あれ」

「きゃああああああああああ!!」



 悲鳴がきこえる。ああ、最高だ。そうだ。この悲鳴たちは全ておれのもの。



 おれこそが、世界の創立者。



中原なかはら洋貴ひろきだぁぁぁああああああああ!!」

「きゃあああああああああああああああ!!」


 その姿は、もはや人間ではない。

 歪な未確認生物が笑顔で病院に貼り付き、ぬるぬると伸びた腕を窓から入れ込んだ。病室の窓から入り込んだ指と手と腕から小さな指と手と腕が生えた。


「ヨシコォオオオ!!」


 間一髪のとこでカヤマがヨシコを抱えて廊下に飛び出した。病室に振り返ると、ばけものの腕がとろとろとろけだし、病室のベッドや壁や優しいぬいぐるみたちに皮膚がぴったり貼り付き、吸収されていく。


「ナカハラ……、生きていたのか……!」


 カヤマがベルトから銃を取り病室に構えた。


「ヨシコ、下がってろ! ここはおれが……」

「しつこい」


 ――聞いたことのないヨシコの声に、嫌な予感がして、カヤマは顔をしかめさせ……ゆっくりと……ヨシコに振り向いた。


「しつこい」


 目玉はその存在を睨んでいる。


「しつこい」


 青い顔で病室を見ている。


「シツコイ」


 滝のように垂れるよだれ。


「しつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこいしつこい」

「……ヨシコ……」

「そんなに……食べてもらいたいの……?」

「ヨシコ、……冷静になれ」

「お兄さん、ごめんね。あたし、本当はお腹すいてたんだ」

「ヨシコ、そういうことじゃない。その、おれが言いたかったのはだな……」

「大丈夫。今回は」


 ヨシコがにやりとした。


「ちゃんと最後まで食べるから!」


 ヨシコが病室に走り出したのを見て、カヤマが青い顔で叫んだ。


「ヨシコ! 早まるな!! コラッ!! ワルコって呼ぶぞ!!」


 ――大丈夫。今のヨシコにはわたしがいるから。一緒に思考をめぐらせて、あの男を美味しく食べる方法を考えよう?


「ヨシコ!!」

「あっはははははははは!!!」


 ヨシコが襲いかかってくる手や皮膚を避け、窓から飛び出し、壁に貼り付くナカハラに向かって、思い切り飛び降りた。ヨシコ!! ナカハラは笑顔になる。その頭を見たヨシコは、大量のよだれを流した。


「お腹すいたなぁ!!」




 ヨシコのお腹が、ぐう、と鳴った。











 美味しそうな脳。



 2021.09.16. Yummy brain END

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