第11話 ヨシコ
湖の底へと落ちていく。
星が輝いている。
下駄が地面を踏んだ。
ヨシコが感動して目を輝かせた。
「わあ、星の川だ!」
カランコロンと下駄の音を鳴らせて、道を進んでいく。
「どこに繋がってるのかな? ランラン♪」
光り輝く美しい星の川をヨシコが笑顔で歩いていく。横から歪な黒い影がヨシコに声をかけた。
「お兄さんとお姉さんもヨシコのこと大好きよぉお」
「近いうちに遊びに行くからぁあ」
横から歪な黒い影がヨシコに声をかけた。
「おれの脳を食べてくれよぉおおおお」
「『良い子』と書いて、良子っていうのぉお」
横から歪な黒い影がヨシコに声をかけた。
「好きな子と書いて好子」
「良い子と書いて良子」
「良子」
「好子」
「ヨシコ」
「拾い食いするな」
「好子」
「三時に帰ってくるからね」
「良子」
「兄さんもカニの脳みそが好きだ」
「おれはただヨシコと殺し合いたいだけなのに」
「ヨシコ」
「好きな子と書いて」
「好子」
「お兄さんとお姉さんも、ヨシコのこと大好きよ」
「人造人間を何十年も見てきたんだから」
「良い子と書いて」
「この子は」
ヨシコ。
星の川で、良子が好子に体を向けた。その顔は笑っている。
星の川で、好子が良子を見つけて立ち止まった。その顔は笑っている。
お腹すいたなぁ。
「うそつき」
良子が悪戯な笑みを浮かべて言った。
「お腹なんて空いてないくせに」
好子には思考がない。あるのは一つの本能。
良子には動作がない。あるのは一つの理性。
「あなたは理性をわたしに与えすぎた。細胞を無理矢理作り変えされ、わたしに与えて、わたしの中で変化した細胞が薬の形に化けてあなたに混ざって、混ざりあって、だから、あなたは欠けている」
体は人間。
見た目も人間。
「だけど中身は、まるで人造人間そのもの」
優しさはあるけど心がない。
平和主義者だけど破壊を好む。
「あなたの破壊的本能が暴走する前に」
良子が笑顔で両手を広げた。
「わたしが好子を守る。助けてあげる」
ヨシコは口角を上げ、微笑み、その目でしっかりと良子を見つめ――両手を上げた。
「結構です」
――良子がきょとんとした。
「あのね、良子ちゃん。考えてみて」
わかるよね?
「重い」
「……」
良子がため息を吐いた。
「本能が戸惑っているのね……」
「いや、違うと思う」
「ここにいれば安全なのよ。ヨシコ。ほら、見て、星の川がきれいでしょう? あなたのためにイメージを膨らませたの。きれいでしょう?」
「いや、きれいで安全だけど、ここ、なにもないじゃん」
「わたしがいるわ。あなたの半身のわたしが」
良子は笑顔でヨシコを見つめる。
「いつだって側にいてあげる。つまらなくなった時は遊んであげる。楽しい夢を見させてあげる。そしてヨシコはずっとしあわせでいられる。わたしはあの犯罪者や軍人なんかと違って、ヨシコに痛い思いなんか絶対させないし、絶対にヨシコを傷つけたりしない。ヨシコを泣かせたりしないし、さびしい思いもさせない。心がさびしくなったらいつだって抱きしめてあげるし、添い寝もしてあげる。もう一人でさびしい夜なんて過ごさなくていい。だってわたしが側にいるんだもの。絶対にヨシコから離れない。ヨシコはね、ずっとわたしの側で笑顔でいてくれたらそれでいいの。心配なことなんてない。不安なことなんてない。待ってるのは明るい未来だけ。わたしが全部してあげる。ヨシコの面倒も、お世話も、遊び相手も、わたしが全部してあげる。食べるものだって大丈夫。ヨシコが食べれるものをフルコースで用意してあげる。寝る時はヨシコを抱きしめて一緒に寝てあげる。わたしの胸を枕にしてもいいし、腕を枕にしたっていい。わたしが側にいればおばけだって近づかないし、ヨシコがおねしょしちゃいそうになってもわたしが片付けてあげるから心配しないでいいよ。あ、そうそう。大切なこと。ヨシコは17歳だから、一番性欲が起きやすい年齢よね? 心配ないわ。ヨシコの相手はわたしがしてあげる。男の子がいい? 女の子のままでいい? 大丈夫。見た目も変えられるの。ヨシコのためなら理想の相手になってあげる。大丈夫。ヨシコの処女だもん。絶対に傷つけたりなんてしない。忘れられない、いい思い出にしてあげる。ね? わたしがいれば、ヨシコはずっとしあわせでいられるんだよ? 不安なことなんてなにもない。わたしがいればヨシコはしあわせになれるの。見返りなんて求めない。だってわたしは人間を守るために作られた人造人間。わたしが守りたいのはヨシコ。だから、ヨシコはしあわせでいてくれたらそれでいいの。それ以上の見返りはないの。笑顔で、わたしのこと、……良い子だねって言ってくれて、良子ちゃんのお陰でしあわせだよって、これからもずっと側にいてねって言ってくれるだけでわたしはそれだけ……」
「怖いわ!!」
ヨシコが三歩引いた。
「痛いこととかされたことないし、さびしいときはテレビもスマホもゲームもあるんだから大丈夫です! 結構です! あのさあ! 良子ちゃん! 話すのはいいんだけど!!」
「長いよ!」
「飽きたよ!!」
通りゃんせ。通りゃんせ。ここはどこの細道じゃ。
「あたし、まじでお腹すいたから帰るよ」
体育帽子をかぶり、ランドセルを背負った好子と良子が片手を上げて信号を渡った。
「お兄さんに家系ラーメンでも奢ってもらおっと」
「どうしてわかってくれないの?」
後ろから良子が好子に抱きついた。
「こんなに好子が好きなのに」
目玉がヨシコの顔を覗きこむ。
「わかってくれない」
「理解が足りてない」
「それはきっと考える細胞が分裂してはっきりしていないから」
「脳が足りないから」
「好子」
「考えを一つにしなきゃ」
良子が大きく膨らませた大きな顔の大きな口をぱかりと開けた。鋭いぎざぎざに生えた歯の中から出てきた巨大な舌がヨシコの頬を撫でた。
「これでみんな幸せよ」
頭が口の中に吸い込まれていくような気がして、ヨシコが慌てて良子を突き飛ばした。
「ぎゃああああああああああ!!」
顔が巨大になった良子がころころと転がった。ヨシコが顔を青くさせ、手元を見た。
「ハリセン!」
ない!
「お兄さん!」
いない!
「詰んだ!」
チーン。まあ、人生こんなもんですよ。
「オーマイゴッド!!」
「大丈夫よ。ヨシコ」
良子がにこりと優しい笑みを浮かべた。
「痛くないから」
――上から良子がかぶりついてきたのを、全力でヨシコが避けた。
「いやいやいやいや! 絶対痛いってば!!!」
全力で走り出すと、良子が笑顔で追いかけてきた。
「ぎゃああああああ!!」
ヨシコが悲鳴をあげながら目を丸くさせて顔を青ざめさせ振り返ってかぶりついてくる良子を避けて叫んだ。
「あたしなんか食べても美味しくないよぉーーーー!!」
「食べるわけじゃないの」
わたしたち、
「一つになるの」
これでいつでも一緒にいられるのよ?
「ヨシコ……♡」
――すさまじい勢いでかぶりついてきた。
「いいいいいいいいい!!」
ヨシコが星の川を全力疾走する。
「怖い怖い怖い怖い!!」
その瞬間、ヨシコの頭がぞっとした。瞬時の判断でヨシコが星の川に倒れると、今まで頭のあった場所に良子がかぶりついてきていた。ヨシコが横に転がり、すぐさま起き上がり、冷や汗を流す。
「あははははは……! こりゃ、……死ぬね! 今度こそ死ぬね!!」
「ヨシコォオオオ!!」
「ひっ!」
「待ってぇえええ♡!!」
体は小さいのに顔だけ巨大な良子が追いかけてくる。
「すぐに終わるからぁ! 怖くないからぁ!」
「むりむりむりむり!!」
ヨシコは逃げる。良子は追いかける。走る。足が動く。エネルギーを使う。体力を使う。体を動かす。たくさんの筋肉を使って、体力を使って、エネルギーを使ったら、人間はどうなるだろう。
――ぐぅー。
「あっ」
ヨシコの足が滑った。
「お腹、すいて」
倒れる。
「力が」
良子が近づいてくる。
「ヨシコ」
お兄さんの声が聞こえる。
「外に出たら、すぐに食事にしよう」
「ヨシコ」
お母さんの声が聞こえる。
「ご飯の時間よ」
「食欲ない」
「ヨシコ、ご飯の時間よ」
「いらない」
ご飯。
「おくすり」
――あーーーお腹すいたぁあああ! ぐー! ぐー!! ぐー!!!
「点滴」
――栄養はどこだ! 栄養を求めてる! あたしは栄養が欲しいんだ!
「ヨシコ、めんつゆパンおいしいでしょ」
――栄養さん、気づいてください! こちらです! こちらです! あたし栄養がないんです!
助けてください!
「あたしを助けてください!!」
Help me!!
「足りないんです!!」
SOS!!
「脳に栄養が足りないんです!!」
ああああああああああああああ!!
お腹すいたぁああああああああああああ!!!
「あ」
「ごはん」
「ここにあった」
羽織を脱いだ。下駄を脱いだ。ウィッグを脱いだ。高く飛んだ。巨大になった良子の頭に乗っかった瞬間、手に掴んだ新品の下駄を、思い切り振り下ろし、ヨシコは笑顔で、
そ の 頭 を か ち 割 っ た 。
きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。
「なんだ」
「好子を入れるんじゃなくて」
「わたしが」
「好子の中に入って」
「中から」
「守れば良いんだ」
「好子」
「これで」
「やっと」
「わたし たち」
「ひとつだね」
(*'ω'*)
突然、女王が動かなくなった。
ふらりと揺れて、また揺れて、岩の手すりから滑るように体を倒して、湖へと落ちていった。
「!?」
カヤマが走り出し、燃えてなくなった橋の前で立ち止まった。
(なんだ、様子がおかしいぞ!?)
女王が湖に沈んだ。
人造人間たちがじいっとそれを見て、ぽかんとして、言葉を出した。
「女王さまが落ちたぞ」
「お姉ちゃん」
「なんで?」
「おれたちはどうしたらいい?」
「わかんない」
「全部女王さまの言うとおりにしてたから」
「お姉ちゃんが沈んじゃった」
「女王さま」
「女王さまがいなくなって、次、どうしたらいいんだ?」
「わかんない」
「一秒後、一分後」
「わたしはなにをしたらいい?」
「おれはなにをしたらいい?」
「わからない」
「システムエラー」
「システムエラー」
そのとき、湖から頭が浮かんだ。
「「エラーが発生しました」」
――ゆっくりと、『ヨシコ』が頭から浮かんできた。
「「っ!!」」
人間たちが『ヨシコ』を見る。
人造人間たちが『ヨシコ』を見る。
カヤマが呟いた。
「ヨシコ……」
「女王さま!」
――好子……? 良子か……!?
カヤマが固唾をのんだ。
「女王さま、次の指示をください」
女王が人造人間たちを見た。
「人間を助けるために何をしたら良いですか?」
「我々は人造人間」
「人間を守るための存在」
「お姉ちゃんがそう言ってた」
「女王さま」
「「わたしたちは何をしたら良いですか?」」
女王が人造人間たちに顔を上げた。出す指示はもう決まっている。『脳』が教えてくれる。
「みんな、お家に帰ろう」
ヨシコが笑みを浮かべた。
「元に戻るよ」
その言葉をきいて、人造人間たちは無表情のまま、黙り、くるりと振り返り、湖に落ちないように、岩場から岩場へとジャンプした。地上にいた人造人間たちが歩き出す。塔にいた人造人間たちが歩き出す。元に戻るために。女王さまからの命令。
家に帰ろう。
人造人間たちは、自分たちが暮らしていた地下へと、帰っていった。
はしご代わりの縄で引き上げられたヨシコは、その場で絶望して座り込んだ。小さな声でつぶやく。
「……ウィッグなくした……」
それはそれは、酷いショックを受けている。カヤマがメンタルヒールカウンセリングをする前に、ヨシコがもう一度湖に飛び込もうとした。
「あたしのウィッグーーーーー!」
「買ってやるから飛び込むな!!」
「いやぁあああ! 頭が丸いのすごくやだぁああああ!!」
「わかった! わかったから!!」
カヤマが自分のかぶっていた帽子を外し、それをヨシコに深々とかぶらせた。
「とにかく、地上に出て応援を呼ぼう」
「はあ……あたしのウィッグ……」
「ヨシコ」
ヨシコが振り返る。カヤマと目が合う。カヤマがニッと笑った。
「家まで送ってやる」
「……いひひ! 途中でアイスの約束も忘れないでね!」
「ああ。わかってるさ」
笑って、――ふと黙り、カヤマが真剣な表情でヨシコに訊いた。
「ヨシコ」
「ん?」
「お前はおれを本当に、『お兄さん』だと思ってるのか?」
「?」
目隠しをされていたヨシコには、『お兄さん』のその言葉の意味がさっぱり理解出来ない。けれど、これだけは言えるだろう。
「お兄さんは、お兄さんでしょう?」
ヨシコは笑顔でカヤマの手を握りしめる。
「いつだって、あたしを助けてくれるお兄さん」
「……」
カヤマは思った。
――真実を言うのは、まだ先でいいと。
「行こう」
ヨシコがカヤマの腕に抱きついた。
「家に帰ろう」
ヨシコはその言葉に、嬉しそうな笑みを浮かべて、ゆっくりと瞼を下ろした。
軍兵が走る。上る。モニタールームにたどり着く。その上を駆け上がる。研究所がある。ドアを開ける。その先では――太陽の光が世界を包んでいた。
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