第9話 良子


 お腹すいたなぁ。










 ぐー。

 ヨシコのお腹が鳴る。

 ぐー。

 彼女はお腹が空いている。

 ぐー。ぐー。ぐー。ぐー。ぐー。ぐるるる。

 犬でも飼ってるの?

 自分をおんぶするカヤマが声をかけてきた。


「大丈夫か? ヨシコ」

「んー。平気ー」


 ――超お腹すいた。


(きっと怪我をしたから体が栄養を求めてるんだ。そうに違いない。あー、お腹すいたー)


「いたぞ! 人造人間だ!」

「撃て!」


 日本軍が人造人間たちを撃ち、どんどん階段を登っていく。階段に倒れた人造人間がヨシコの視界に入る。


「進めーーーー!」


 兵士たちが必死に走る中、ヨシコの目には人造人間しか見えない。その頭を見ただけでよだれが垂れてくる。

 お腹すいた。

 お腹すいた。

 お腹すいた。

 ヨシコが赤い液体だらけの頭に手を伸ばそうとした。


 しかし、


「ヨシコ」


 その声で、ヨシコがすぐに手を引っ込めた。


「外に出たら、すぐに食事にしよう」

「……」


 ヨシコがニッと笑った。


「あたし大丈夫だよ!」


 そして、カヤマの肩を抱き、視界に人造人間を入れないようにした。


「ありがとう、お兄さん!」


 ――お腹すいてないよ。


 お腹は鳴る。


 ――お願い。収まって。


 ヨシコが目をつむった。


 ――お兄さんに知られちゃうよ。


 お腹は鳴る。



(*'ω'*)



 人生の一生分の階段を登ったような気分だ。

 軍兵たちはそう思いながら先へと進んだ。そして、階段に終りが見えた。ケビンが立ち止まり、声を上げた。


「止まれ! ……カヤマ!」

「ああ」


 その先には、広大な空間が広がっていた。天井や壁の岩がキラキラ光り、下には闇に包まれた湖が静かに広がっている。奥に階段があるが、そこに行くためには古びたロープで作られた橋に渡らなくてはいけない。一人で渡るのが精一杯の幅だ。


 ケビンが足で橋を踏みつけてみた。……渡れそうだ。


「一人ずつ渡っていこう」

「おれが行こう」

「お前は子ども抱えてるだろ。……おれが先に行く」


 ケビンがそう言い、先に橋を渡った。ゆらりゆらりと揺れるが、意外と丈夫なようだ。ケビンが橋の向こうまでたどり着き、声を張り上げた。


「来れるやつから来い! 間違って落ちるなよ!」

「隊長、さあ」

「お前らが行け」

「しかし」

「おれたちは最後に行く。行け」

「……御意」


 カヤマが先に部下たちを行かせることにした。ヨシコを抱えてはいるものの、なにかあれば、自分がヨシコを守ればいいと思った。部下たちが橋を渡る間、ヨシコと他愛のない会話をする。


「ねえ、お兄さん、お魚いるかな?」

「どうだろうな。湖と言っても、建物の中だからな」

「なんで湖なんかあるんだろう?」

「ヨシコ、なぜ人造人間が涙を流さないと思う?」

「感情がないから?」

「それもあるが、……人造人間は水に弱いんだ」

「でもあいつら汗は出すよ?」

「あれは汗ではない。オイルだ。人造人間は素早く動くためにオイルを自分たちに入れて、それが額から漏れているんだ」

「はー。なるほど」

「お前の話では、あのドームの中にある町は元々人造人間が暮らしていたんだろ? ということは、レスキュー社の奴らが、人造人間を町から逃げ出さないように湖をここに設置したんだろうさ」

「なんか、可哀想だね」

「ああ。だが大事なことだ。現に、プログラムにエラーが起きた人造人間たちが外に出て、この状況だからな」

「人造人間たちには悪いけど、ここで暮らしてもらってたほうが、人間としても、お互い平和でいられるのかもね」

「ああ。……しかし、人間が勝手に作り出したのにここから出てはいけないなんて、人間のエゴを強く感じるな」

「青空が見られないなんて可哀想」

「だが、お互いにとって一番の解決方法だ」

「お兄さん、あたしたちに出来ることはないのかな」

「おれは日本軍で、お前は一般人。……人造人間への責任は、レスキュー社にある。今のところおれたちに出来るのは、この騒動を収めることくらいだ」

「ぐー」

「……」

「……ごめん。お兄さん。あたしのお腹の中でコンサートが開かれてるみたいで……」

「外に出たら美味しいご飯を食べさせてやる。期待して待ってろ」

「うん」

「カヤマ! 全員渡ったぞ!」


 ケビンが橋の前から手を振った。


「来い!」

「ヨシコ、しっかり掴まってろ」

「うっす!」


 カヤマが橋に足をつけた。手すりを掴み、ゆっくりと進んでいく。ヨシコが湖を見下ろした。岩がキラキラ光っている。光りすぎて、カヤマとヨシコが反射して鏡のようにその姿を映す。ヨシコは思春期の女の子だから自分の髪型をチェックした。ポニーテールが揺れている。そして――きょとんとして、後ろを振り返った。


「っ」

「なにっ!?」


 前を見ていたカヤマが橋の中心で足を止めた。橋の前で軍兵が銃を構える。その軍兵を人造人間が囲んでいる。カヤマが後ろに振り返った。橋の後ろも人造人間で囲まれている。


「くそっ」

「お兄さん!」

「大丈夫だ。ヨシコ!」


 人造人間は水に弱い。


「自分たちの天敵となる場所に、近づくわけがない!」




「水に触れなければいいのよ」




 カヤマが声の方向に顔を向けた。橋の前に、闇に隠された岩場があり、そこから集団の人造人間が自分たちを見ている。


「そんなの思考があれば思いつくこと」


 知識があれば思考へ導く。

 理性があれば思考する。


「わたしたちの頭には、数多くのことがプログラムされている」


 水に触れなければ近づいても壊れない。そんなの、子どもでもわかること。


「……」


 ヨシコが声の持ち主を見て、口を大きく開けた。


「あーーーー!」


 指をさして、言う。


「良子ちゃん、みーーーーっけ!」


 カヤマが目を凝らした。人造人間の集団の中心に、良子と呼ばれた人造人間が立っている。良子は、にこりと微笑んだ。


「遊びはもうおしまいよ」


 良子を見た瞬間、カヤマは目を丸くし、――ヨシコの顔を見た。


「初めまして。人間の皆さま」


 彼女は胸元に手を添え、深々とお辞儀をした。


「わたしは、よしこ」


 良い子、と書いて、


良子よしこです」


 よしこは笑顔のまま顔を上げる。


「我々の要求は一つだけ。……香山かやま良介りょうすけさま、あなたの背中にいらっしゃる好子よしこを、こちらへお渡しください」


 カヤマがよしこを睨みながら、慎重に訊いた。


「断ったら?」

「橋を切ります。落ちれば底なしの湖だけが広がっています」


 よしこは笑顔を浮かべたまま言葉を並べる。


「あなたもお察しの通り、お前が溺れ死んでもその子は死なない。平気な顔をして湖を優雅に泳ぎ続けることでしょう」

「……」

「応じてくださったのならば、絶対的安全を保証致します。その命を持てたまま地下にお送りしましょう」

「……ヨシコはどうなる?」

「お兄さん」


 ヨシコが手足を伸ばした。


「飽きた」

「ちょっと我慢してなさい」


 カヤマが再びよしこを見た。


「ヨシコはどうなる?」

「ヨシコは」


 よしこの口角が下がった。


「一番安全なところに、連れていきます」


 その目に嘘偽りはない。


「ですから、何も心配はいりません」

「断れば橋を切っておれを殺し、ここにいるおれの部下たちまでもを殺す。ヨシコを渡せばおれたちは生きていられるが地下生活に逆戻り」


 カヤマが眉をひそませた。


「なにがしたいのかさっぱりだ。目的は何だ」

「簡単です。ごく普通の思考です」


 わたしたちは、


「人間を守りたいのです」


 環境汚染、税金問題、生活、暮らし、人間関係。人間不適合社会。


「もう嫌でしょう? 面倒でしょう? だからわたしたちは作られた。人間のお手伝いをするために」


 アンドロイド。


「人工的に作られた人間。それが人造人間」

「地下にいていただければ、あとはわたしたちが全てサポート致します」

「わたしたちの愛する地球を守り」

「わたしたちの愛する人間を守り」

「あなた方が理想とする楽園を作り上げましょう!」

「わたしたちにはそれができる!」

「苦しみも痛みもすべてが終わり、幸せに満ち溢れた未来が待っている!」

「ですから」

「どうか安心して我々に身を委ねてください」

「あなた方の生も死も人生も」


 全て、


「我々が決めて差し上げましょう」


 軍兵たちが黙った。

 カヤマが顔を引きつらせた。

 一人の軍兵が、感情的になり、声を発した。


「ふ」


 全員が怒鳴り始めた。


「ふざけんなあああああああああ!!」

「誰がそんなことを望んだ!?」

「人間をなめてんじゃねえぞ!!」


 各々がよしこに訴える。


「おれたちは好きで人生を生きてるんだよ!」

「決められてるわけじゃねえんだよ!!」

「苦しさも痛みも全部が人生だ!」

「その先に幸せがあるんだ!」

「それを」

「おれたちの人生を」

「人造人間なんかに決められてたまるか!!」


 ケビンが銃を天井に向けて撃った。


「アメリカは自由を求めた結果生まれた国だ。アメリカを見習いやがれ!」

「そうだそうだ!」

「アメリカ行って勉強してこい!」

「たかが人造人間のくせに!」

「……うるさい」


 ヨシコが両耳を両手で塞いだ。


「飽きた。つまんない」

「ヨシコ」

「お兄さん、早く家に行きたいよ。お父さんもお母さんも待ってるんだから」

「……決まりだな」


 カヤマがニッと笑い、再びよしこに顔を向けた。


「女王よ、おれたちは地下に戻らないし、人造人間の助けもいらない」


 姿勢を崩したヨシコを抱え直す。


「ヨシコもお前たちに渡さない。この子は、おれたちと外で生きていく」


 よしこの目がその一瞬で冷たくなる。


「同じ人間だと言えるの? その子」


 ――その一言で、カヤマの呼吸が止まった。


「おかしいでしょう? 変でしょう? 違和感を感じるでしょう?」


 なにか違う。


「教えてあげましょうか? あなたがずっと気にされていたヨシコのこと」

「……え? あたしのこと?」


 ヨシコがぽかんとしてカヤマを見た。


「お兄さん、あたし、変なの?」

「……」

「ねえ! なんで目をそらすの!? ねえ!」


 ヨシコがよしこに振り向いた。


「良子ちゃん、あたしって変なの!?」

「……」

「なんでみんな目をそらすんだよ! 返事くらいしろぉ!」

「……ヨシコ」


 よしこが笑顔でヨシコに声をかけた。


「わたしの顔、どう見える?」

「え?」


 感想を述べよ。よしこの顔はどう見える?


「可愛い!」

「あとは?」

「お人形さんみたい!」

「あとは?」

「普通の女の子みたい!」

「まるで自分みたいとは思わないの?」

「あはは! あたし、そんなきれいな顔してないよ」

「そんなことないわよ。あなたはとても可愛いわ」

「えへへ。ありがとう。よしこちゃん。でも、よしこちゃんのほうが可愛いよ!」

「ヨシコ、そこにある岩を見てみて。あなたとその男が映ってるでしょう?」

「あ、本当だー」


 鏡のようになった岩に、二人の姿が映っている。


「お兄さん、あたしとお兄さんが映ってるね!」

「……ああ」

「ヨシコ、何か思わない?」

「何かって?」

「わたしとあなたの顔」

「え? 何が?」

「ヨシコ、お前」


 カヤマが困惑の目を向ける。


「本気で言ってるのか?」

「何が?」


 よしこと同じ顔のヨシコが、首を傾げた。


「あたしの顔、なにかついてる?」

「そうね。やせ細って顔がこけてる」


 可哀想。


「ずっと拒食症だった。あなたは食べ物をろくに食べられない体だった」


 だけど、


「ある物であれば、食べられるのよね?」


 ヨシコはきょとんとした。


「今まで食べてきたでしょう?」


 よしこは満面の笑みを浮かべて、言った。


「人造人間の『脳』を」


 カヤマが目を見開いた。ヨシコは顔を青ざめさせ、一気に血の気が下がった気がして、思わず、声が前に出た。


「違うよ!!?」


 ヨシコの目がぐるぐる泳いでいる。


「お兄さん、違うよ! あたし、何も食べてないよ! 拾い食いなんてしてないよ! 本当だよ! ひ、拾い食いなんて……」


 人造人間が大量にいる。ヨシコの口からよだれが垂れる。


「ひっ、っ、ひひ、拾い食いは、悪い子が、すす、するものなんだよ!」

「美味しいからって、あたし、意地汚いことしないよ!」

「妖怪のせいだよ!」

「おばけなの!」

「あのね!」

「なんか」

「爆発したの!!」



 お兄さんは、冷たい目で自分を見ている。



「……」


 ヨシコは無理矢理口角を上げた。


「爆発したの。なんか爆発しちゃったの信じてよお兄さんだって美味しかったんだもんあたしそれしか食べられなかったのお兄さん知ってるでしょうねえお願い許してよあたし生きることにいっぱいいっぱいだったのそれしか食べられなくてずっとお腹すいてるからすいてるからどうしようもなくてネエお兄さんあたしねあたしあたしおなかすいちゃうから」


 お兄さん、


「信じてよ……お兄さん……」

「悪いことは言わないわ」


 よしこが静かに手を差し伸べた。


好子よしこを、渡しなさい」


 見たでしょう? 人間が人造人間の脳を食べるとどうなるのか。

 ナカハラがきちんと証明してくれた。

 人間は食べてはいけないもの。それをヨシコは食べていた。そして平然としてカヤマの背中にいる。

 ヨシコは異常だ。

 よだれを垂らす。

 お腹が空いている。

 ヨシコは異常だ。

 人造人間の脳を食べている。

 ヨシコは異常だ。

 それしか食べられない。


 カヤマが口を開いた。


「奇遇だな」




 微笑んだ。



「兄さんもカニの脳みそが好きだ。美味いんだぞ。今度食べさせてやる」



 ヨシコとよしこがぽかんとした。カヤマがケビンに顔を向けた。



「あいつもヤギの脳が好きなんだ。しょっちゅう食べてるぞ」

「……」

「腹は壊してないな?」

「……叱らないの?」

「どうして叱る必要がある?」

「だって、お兄さん、言ってた。お姉さんの作るもの以外食べちゃ駄目って。拾い食いは人としておかしいからやめなさいって」

「お前は前から人造人間の脳を食べてたのか?」

「……初めて襲われた時に食べてみたら、……食べれたから……」

「そうか」


 だが、ヨシコはヨシコのままだ。変形もしてなければ、人を襲おうとはしない。だったら、


「お前は人間だ」


 カヤマがよしこを見た。


「ヨシコはおれたちが連れて行く。地上に出て、生きていく」


 よしこが拳を固めた。


「ここから出してもらうぞ」


 よしこが両腕を上げ、目の前の岩で出来た手すりに拳を叩き落とし、憎しみの目を光らせ、怒鳴った。


「駄目に決まってんだろ!! ふざけるな!!」


 岩の手すりにヒビが割れて一部が崩壊する。


「殺せ!!」


 女王さまが命令する。


「その軍兵も、その軍兵も、その軍兵も、その男も全員殺せ!! 好子よしこの害にしかならない奴らは全員殺してしまえ!!」


 命令が人造人間の脳にインプットされた。好子よしこを連れて行こうとする奴らを殺せ。殺さないと。人造人間たちが動き始めた。


「カヤマ、ここは任せろ!」


 ケビンと他の軍兵たちが銃を構えた。


「早く橋を渡れ!!」

「ヨシコ、掴まっていろ!!」


 カヤマが走り出す。橋の後ろに立っていた人造人間たちが橋に火を放った。カヤマが走った。火が追いかけてくる。走るカヤマに、女王が笑った。


「あははははははは!! 無事に生きて出られると思ったら大間違いよ!」


 人造人間全員が、カヤマに銃口を向ける。


「さようなら。香山かやま良介りょうすけ


 赤い点の光が至る所からカヤマに向けられる。


「死ね」

「だめ」


 ヨシコがカヤマの背中を蹴り飛ばした。


「っ」


 カヤマが橋の向こうに飛ばされ、ケビンに支えられ、カヤマが目を見開く。女王が目を見開く。橋が燃える。ヨシコが一人、湖に落ちていく。


 カヤマが、よしこが、手を伸ばした。


「「好子よしこ!!」」


 ヨシコは万有引力の法則の元、湖にへと落ちた。


 沈んでいく。

 暗い水の中。

 口から酸素が泡となって浮かんだ。

 ヨシコが揺れる水を見る。

 ヨシコの目が閉じられていく。


 どんどん、閉じていく。



 ヨシコはまどろう意識の中、こんなことを思った。







 お腹すいたなぁ。


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