第27話 希望の光
キンとした清浄な空気が私達の周りを覆うとそれがフェンリルの牙と爪を弾いてくれていた。
マドラの結界の守護石は一際輝いてそして砕け散った。
アラス様は辛うじて片膝をついていた。
それでもフェンリルから私達を庇うように剣を構えてくれている。
それも時間の問題だった。
圧倒的な力の差を感じる。
フェンリルから放たれる圧は半端ないものだった。
――だって、そもそもフェンリルなんて出てきたら、実際は災害級のモンスターに指定されているほどなのよ。
エイリー・グレーネの正規軍をもってやっとどうにかできる程度だと書かれていた伝説級のモンスター。
こんな覚醒前の冒険者達で太刀打ちできるはずがない。
アラス様だって黒流剣は先に手入れたけれど最上級技は未取得だと言っていた。
フリーニャは参戦したばかりで彼女の持っているのは刃こぼれ寸前の刀だけ。私もまだ……。
辺り一面の血の匂いとモンスターの放つ異臭でこのまま気が遠くなりそうだった。
視界に入りきらないフェンリルの姿と圧力に体が勝手に震えてくる。
こんなときだけど『薔薇伝』の画面から見切れていたラスボスを思い出す。
滅茶苦茶強くて諦めてしまった友人。
ここで諦めることは全てを失うこと――、
私が抱き抱えるお兄様が時折呻いている。
まだ息はあるけれど今直ぐ手当てをしなければあまり持ちそうにない。
この場所で辛うじて立っているのはフリーニャとアラス様だけ。
他の騎士の人達だって急いで治療をしなければ……。
アラス様が私達を振り返った。その瞳に死の影が見えた気がした。
「すまない。リルア王女。こんなところで……」
「いいえ、まだです。アラス様。あなたは、あなた方はこんな序盤で死んで良い人ではありません。こんなことは間違っています」
――全ての癒しの力、光を集めて。
私は右手に意識を集中した。
「リルア王女、何を、している?」
王宮書庫にあった光の魔術書を私は読んでいた。
『薔薇伝』でも本棚を調べて読むとレシピとか呪文を覚えるミニクエストがあったの。
エイリー・グレーネの王宮書庫にあった本を試しに読んでみた。
そこにあった光の魔術書に書かれていた初級技はライトボール。
レベルが上がれば光の玉が増えてそれなりの攻撃力になる。
同じく初級の癒しの光。これもレベルが上がればかなり癒すことができる。
中級のライトウォールは光の壁。これは光の結界。モンスターからの攻撃を弾き近寄らせない。
そして上級のライトソード。『薔薇伝』では中級扱いだったけれどこの世界では上級とされていた。
ライトソードの呪文は武器を光属性に変え闇のモンスターに絶大な威力を発揮するという。伝説の技で光の使い手、勇者にしか使えない。
そしてさらにその上の幻の禁呪、隠された癒しの呪文がある。
王宮の魔術書には失われたとしか書かれていなかった。
でも私は『薔薇伝』で知っている。全てを癒す呪文。
「光の壁! ライトウォール!」
周辺に硬質な音と共に光が降り注ぐ、フェンリルの動きに躊躇いが見られて、フリーニャがその隙に切りかかるが前足で振り払われて吹き飛んでいった。
「フリーニャ!」
光の輝きが不快なのだろう、フェンリルが忌々し気にこちらに向かって突っ込んできた。光の結界に焼かれながら向かってくるフェンリル。
「危ない! くっ」
アラス様の背中が視界一面に、黒流剣とフェンリルの顎がガキンとぶつかる音がして私は思わず眼を閉じてしまった。
フェンリルの牙が地面に欠け落ちて、忌々し気な咆哮を上げると走り去っていった。
「よ、良かった。退いてくれた。流石はアラス様です。……アラス様?」
だけどアラ様は何も答えず前のめりに倒れられた。
倒れ伏したところから大地に広がる血だまり。顔を僅かに上げて私を見上げた。
「……きっと、騎士団の増援がくる。それまで……」
「やっ、そんな。どうして」
アラス様は私達の身代わりに。腕に抱いているお兄様も息も微か。フリーニャもどこかに。
「――集まって、光よ」
フェンリルが去ってから視界の暗さは無くなっていた。樹海も穏やかな光に満ちている。
――神様。仏様。なんでもいい。今この時に私に力を貸してください!
『薔薇伝』ではこんなことなかった。こんな序盤で全滅だなんて! こんなの認めない……。
樹海の片隅に光が満ち溢れていく。
「リルア……、何をやって……」
私は光の癒しの最上級技である光の魔術を唱えた。
――成功しても失敗しても、私は死ぬかもしれない。ごっそりと抜け落ちていく魔力。
エイリー・グレーネ王国、いえ今では誰も知らない光の最上級の呪文に全ての魔力を込める。
『暁の光、再生の光よ。今ここに。光の神の慈悲を!』
――それは全てを癒す光。人だけでなく空間までも浄化するという。
「これは、まさか……」
アラス様の言葉が最早遠く聞こえる。私の視界は一瞬で眩い閃光に包まれた。
「あなたは私の希望の光……。死なせない……」
「……リルア!」
そして、私は溢れ出す光の奔流に飲み込まれて意識をブラックアウトさせた。
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