第19話 アラス・エードラムの分岐点
――ある日の午後、ギルドからアスラン様へ急ぎの連絡が入った。
アスラン様がギルドに呼び出されて暇を求められたのだ。
まさかと思ったが、そのあとお会いしたフォルティスお兄様が深刻な表情をしていた。
「何があったのです?」
「ああ、リルアは……。いや」
「もしや、エードラム魔道帝国で内乱でもございましたか?」
「何? どうしてリルアがそれを……、ああ、やっぱり、リルアは知っていたのか、彼が……」
アスラン、いいえアラス・エードラム様が帝国の第四皇子ならば、彼が皇帝になるにはかなりの政変が起こるはず。
そして、それが『薔薇伝』の設定と同じになるなら、いずれこのエイリー・グレーネ王国も滅亡するという未来があるということになる。
「どうやら第二皇子と第三皇子が次の座を狙って争っているようだ」
「第一皇子様がいらっしゃるなら意味がないのでは」
「第一皇子と第四皇子は正妃様のお子だそうだか、第一皇子は病弱で病の床にあるそうだ」
「そうでしたの……」
アラス様は自国へと戻るように要請されたのね。
「大変なことだな。あのエードラム魔道帝国さえこのように後継者問題で政変が起こるとは……」
「ええ、お兄様もお気をつけくださいませ」
「そうだね。リルアに心配をかけるようではいけないね」
「うふふ」
私達は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「では暫く、そうですわね。バルドを護衛にお借り出来ませんか?」
「駄目だ。バルドは……。いや、そうだな。バルド、今暫くリルアの側で。最近はリルアと一緒に居られることが出来なくなってきたからね。専属の者が決まるまでリルア優先で構わない」
「はっ。ご命令承りました」
それから暫くしてアスラン様が戻られた。部屋にはバルドとアナベルが控えていた。
「……王女様。勝手な申し出であるのですが」
「エードラムへ戻られるのですか?」
アスラン様は押し黙ったものの、
「代わりを探すと言いながら、それも叶わず。ただ代わりの者を探すように手配はしておきます」
「ええ、頼みましたわ。それでいつ発たれますか?」
「明日、早朝には」
「そんな、急ですわね」
「急ぎますので、では王女様。いずれ、……また」
「ええ、今度は帝国を背負ってお会いできることを楽しみにしております」
「王女様。それは些か厳しいお言葉になる。私は玉座に最も遠い皇子だ」
ややおどけたように肩を竦めた。
「あら、私はあなたが帝国を背負うことになるのを私は知っています。きっと帝国の玉座はあなたの物へとおなりになるでしょう」
アラス様は目を少し見開いたあと直ぐ口元に不敵な笑みを浮かべられた。
「ただの戯言にしてはどうかと思うが、危険な発言だな。王女様。それでは御前を失礼しようと思う」
「あと、アスラン様、いえアラス様。古人の言葉に恨みは恨みで晴らされないと言います。どうぞ正しき道をお行きくださいませ」
「……大凡、子どもの言葉ではあるまい」
アラス様は感嘆の息をつくと私の前に跪いた。
「エイリー・グレーネ王国リルア王女、そなたに最大の敬意を払おう」
あ、あの細マッチョのイケメンの方に跪かれてしまいました。
推しに跪かれています。
内心動揺しまくっている私をアラス様は見上げてきた。
上目遣いは男性でもありでした。
「今はまだ少女であるが、きっと直ぐに周りが放ってはおかないだろう。もし、そなたが言うように私が帝国皇帝位に就いて……、ふっ。いや、どうかしているな」
「ええ、帝国はアラス様が良き方へと率いてください」
「リルア王女……」
私を見上げるアラス様は今まで見たことが無い表情だった。
だから、私は精一杯の笑顔で応えた。
「決して闇に魅入られないように光の道を進んでください。再びお会いできることを楽しみにしております」
アラス様は私の言葉を黙って聞いておられた。
そして、立ち上がると私の手の甲に額ずいてくださったのよ。
ちょっと驚いて手を引っ込めそうになったら、アラス様は苦笑されていた。
でも、それは穏やかな笑い方だった。
「そして、いずれの暁には黒流剣をマスターされますように。伝説の武器はあなたのお側にあります」
『薔薇伝』のアラス・エードラムで始めた場合、初期装備ではないけれどイベントを進めるとエードラム城内で黒流剣という伝説の剣を手に入れることができる。
そして大剣使いなら終盤まで使える優れ物だった。
闇の神とだって遜色なく戦える。
「それはあの我が国の伝説とされる業物のことか? そなたは一体どこまで……、いや夢だと申したな。それではそなたが見るのは我がエードラムだけではなく、エイリー・グレーネのこともではないのか?」
アラス様の言葉にどきりとして動きが止まった。
――どうして、分かるの?
立ち上がったアラス様は見上げるほどの身長差になっている。
私は黙ったまま見つめ返した。
「そなたのその美しい澄んだ瞳に何が見えたのであろうか? 成程、それはそなたのようなか細いその手と肩に背負えるものではなかろう」
――もしかしたら、アラス様にエイリー・グレーネ王国の滅亡の未来を推測されたのかもしれない。
アラス様と視線が交わる。
それだけで伝わってしまったことが分かる。
何故かそのとき私の視界が思わず緩んでしまった。
熱いものが目から零れ落ちそうになる。
……だって、ゲームだからって一国の興亡、ましてや世界の存亡を私がどうこうできるものではないじゃない。
だから誰にも相談できず足掻いてきた。それが――、
アラス様の大きな手の温もりを肩に感じた。
「私も遠くながら援護をしよう。私の名で使えるものならいくらでも使えばよい」
「それは……」
「約束しよう。古き光の国の我が王女へ。変わらぬ友愛と光の下を歩むと。受け取るが良い。我が心の忠誠を」
そうして彼の指から指輪が抜かれて私に渡されてしまった。
それまで空気のように存在を消していたバルドが声を上げた。
「それは、エードラム魔道帝国からの正式なものなのでしょうか? 我が国の王女への……」
「勿論だ。違えることはない。リルア王女からの返事はいらぬ。選択権は彼女にある」
「そこまで、……分かりました。フォルティス王子付き騎士見習いバルドが確かに見届けました!」
そしてバルドはエイリー・グレーネ王国の騎士団の最上位の礼をとった。
――何なのかしら?
お古の指輪をもらっただけだけど。
頂いた指輪をじっと見るとエードラム帝国の紋章も入っていた。
こんなイベントアイテムなんてあったかしら?
でも重要な物を私にぽんとくれるはずないし。
「ふっ。まだ幼いな。無理強いは決してせぬ。ただ、我が名がリルア王女の悪夢を減らせるならそれで構わぬ」
私はアラス様を再び見上げた。
それはとても優しい微笑みだった。
勇猛果敢なエードラム魔道帝国の皇帝の表情ではなかった。
何だか胸が少し温かくなる。
――私はエイリー・グレーネ王国の滅亡をなんとしても止めなければならない。
そのために力になってくれると言うのだ。ありがたく受け取ってこう。
「ありがとうございます。私のたわいのない夢のお話に過分なご助力ですね。でも、今の私にはとても心強く思われます。エードラム魔道帝国の増々のご発展をお祈りいたしております」
――そして、私もエイリー・グレーネ王国の存続のため精一杯ゲームの設定に抗ってみせましょう。
礼をして去っていくアラス・エードラム様の後ろ姿を見送った。
アラス様が出ていかれると部屋の緊張が解けた。
「ほわぁぁ。まるでおとぎ話のようでしたわね」
アナベルが溜息をついて興奮したのか頬を染めていた。
「そうなの?」
「だって、姫様。突然現れた正体不明の護衛があの魔道帝国の皇子だったのですよ! それに何度も助けられて、最後は求愛だなんて……。ああ、誰かに話したい!」
「え? 求愛?」
――はい? どういうことなの? リアルでもプロポーズなど経験したことないから分からなかった。
私は手元の指輪を見た。
これは巷で言う給料の三か月分なの。
いやいや。まさか。皇帝陛下にもなろうというお方が。
「……私は公式な求婚の見届け人として、陛下に申し上げてきます」
何故かやや肩を落としたバルドは部屋を出て行ってしまった。
いつもしなやかな身のこなしのバルドなのにどうしたのかしら?
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