第14話 桜を育てる者

 桜は散る。花弁の舞い散る美しさは潔さを連想させ、しばしば忠国心と関連づけられる。

「散る」様は兵卒にとっては覚悟の念を示すだろうが、組織にとっては不吉の象徴ではないか。と、佐渡は密かに思うことがある。

 軍全てが玉砕されては戦略の何もあったものではない。

 同じ樹木なら銀杏いちょうでも良い。太古から姿を変えていないというその木はどのような状況でも種を繋いできた強さがある。国家を守る軍の存在意義の象徴に差支えないだろう。


 兵卒に求められる精神と、指揮官に求められる精神が異なることも、もちろん彼は承知している。


 彼は一通の書簡を手に総司令執務室に伺候した。

 「教導総監より閣下にお願い申し上げてほしい、との書簡が参りました」

 ペンを走らせていた松河原総司令は「ん、」と短い返事をして動作を続ける。

「俺宛てか?」

「いえ、私宛てであります」

「じゃあ貴様の裁量に任せる」

「私の裁量では対処しかねる案件でございますので、閣下のご指示を賜りたく参上いたしました」

 ようやく書類の決裁を中断した総司令は幾分か優越を含んだ顔をなされていた。

 この書記官にも手に負えることがあるらしい、とお思いなのだろう。

 差し出された書簡を受け取り、便箋を開いた総司令の表情はみるみる曇っていった。

「俺一人の裁量でもなんともしかねるぞ………」

 先ほどまでの優越感は消し飛び微塵も無い。


 帝国士官学校長に対する告発状だ。


 候補生らの風紀の乱れを是正せず校長の任を果たしていない、という。

 帝国軍士官を養成する帝国士官学校は教導軍団の管轄であり、その長が教導総監である。軍総司令部とは別個の組織だ。

 別組織のトップが別組織のトップに部下の不行届きを告げ口してきた、というわけである。

 「なぜ貴様宛にこんな物を送りつけてきたんだ、総監どのは」

 総司令は便箋と封筒を掲げて、暗号の存在を探すがごとく透かし見る。

 「―――素直に受け取って『調べてみろ』とは言えないな」

「御意」

 本来なら総監が自身の権で対応しなければならない事柄だ。軍総司令に助けを求めるのは、自ら任不適合、と言っているようなもの。加えて告発状の宛先が総司令宛ではなく、書記官宛になっているのが不自然だった。

 

 総司令宛の書簡は一度全て書記官の元に集約されてから総司令の手に渡る。公的書簡は書記官も内容を把握する。それを承知していたとしてもだ。


 それこそが総監どののお考えなのかもしれなかった。


 「総監どのは閣下にご執心なされているかもしれませんなぁ」

「俺の好みじゃないぞあの男は」

 軍人然と口髭を生やした教導総監を思い浮かべて総司令は顔を顰める。

「興味を引きたいと言うなら調べてやろうか。総監ご指摘の士官学校と総監どのの周囲を併せて調査せよ」

「は、」



 早速、彼は第六部の部長執務室を訪れた。

 第六部は人事・教育の担当部署であり、教導軍団との関わりが最も深い。

 「おや、珍しいな」

 佐渡より一回り上の波多野光太郎はたのこうたろう中将は来訪の電話後すぐに現れた相手に快く応じた。

「急にお伺い致しましてご迷惑をおかけいたします」

「構わんよ。———もしや、閣下が無茶を仰せられたかな?」

 知能の集合体たる参謀本部で部長を務めるだけあり、波多野も勘がいい。

「教導軍団の内情について調査せよ、と命ぜられました。私はあちらに疎いものですから、中将閣下のお力をお借りしたくお願いに参った次第であります」

 ふむ、と唸った銀髪の中将は顎に手をやった。

「———あそこは少々火種がくすぶっている場所だ」

「例えば、教導総監どのが誰かと揉めておられる、などで?」

 波多野はゆっくり頭を上下させた。

「武蔵校の校長と総監は犬猿の仲なんだが、最近互いの派閥を巻き込んで激しくなっているらしい」

 武蔵むさし校―帝国士官学校武蔵校の校長こそ、総監に告発されていた相手であった。

 「相手も相手で良くない噂がある。ある意味閣下が興味を持たれたのは好機だろう」

「良くない噂、でございますか」

 頷いた波多野は傍らに来るよう手招いた。





 執務室に戻った佐渡は不在中に届いた総司令面会予定をまとめ、次いで第三部部長宛決裁書を処理しつつ、噂の真偽をどう確かめるか頭を働かせていた。

 士官学校内は一般市民が立ち入れる場所ではない。軍人は所属と階級を明かせば入構許可が出るが、自分の立場は教官陣を委縮させる。軍部知能の中枢の長だ。


 自分で確かめるには無理がある。


 人を使うか、と判断して彼は席を立った。棚の書類ケースを引き出し一冊の紐綴じファイルを取り出す。

 今年度配属の部下の経歴に目を通す。武蔵校卒の者はいただろうか。

 目的に合った人間がいないと知った彼は受話器に手を掛けて僅かに躊躇した。が、これは仕事である。受話器を取った彼は帝都守備軍団司令宛の番号にダイヤルを回した。



 

 守備軍団基地指令所の会議室に呼ばれた中尉は命令の意図を掴みかねていた。士官たる以上、上官命令をただ鵜呑みに実行しているわけにもいかない。

 室内で待っていた大佐はやや切れ長の目をさらに細めて話を切り出した。

「君は武蔵校の出と聞いているが、少し協力してもらえないだろうか」

「は…」

 訝しげな様子を感じ取ったのだろう、大佐はふっと照れた笑みをみせた。

「なに、学校時代の思い出話を聞きたいだけだよ。私の頃と今では様子が違うだろうからな」


 どういう事だ?


 彼は考えを巡らせる。

 大佐はおよそ40代後半。成人間近のお子がいてもおかしくない。


「大佐のご子息は軍人になる事をお考えなのでありますか」

「そう。武蔵の雰囲気はよく分からないものだから、君の話が参考になればと思って来てもらった次第だ。聞かせて貰えるかな?」

「は」

 いくつかの質問に答える間、大佐は穏やかな表情を崩さなかった。

 この方はきっと家庭で良き父であるのだろう。

   





 佐渡が座席に収まったのをバックミラー越しに確認した運転手は、ゆるやかに車を発車させる。

 「貴様のほうはどうだった」

 色白の少佐は前方を見たまま淡々と報告する。

「候補生の飲酒は事実であります。教官の間では有名な話であるとのことでありました」

「他は」

「校長はこれを黙認しており、教官からの指摘を容れなかったそうです。過去に武蔵校の教官計5人が総監に校長を告発いたしましたが、総監どのが校長に訓告を行った記録はございませんでした」

 佐渡は窓の外に目を向けた。

 彼が卒業生から聞いた話も、上野の調べと矛盾しなかった。

 気に入りの候補生の飲酒を黙認していた、という。

 士官学校は全寮制で候補生は禁酒禁煙だ。

 校長の非は明らかである。

 

 問題は教導総監だ。

 総監は告発状で校長を『何度も注意した』と述べていた。が、注意したとの記録が無い。


 佐渡には事の全容が見えてきていた。







 「つまらん話だな」

 報告を受けた総司令は鼻を鳴らした。

「敵を陥れる為に俺を騙そうとしたのか」

 教導総監は切り札を残しておく為に武蔵校校長の処分を保留していたのだ。校長が候補生の違反を放置していた、と教導団外部に知らせれば、校長を解任ならず失脚させることもできる。知らせる相手が組織外かつ軍団に影響を及ぼす人間、総司令ならどうだ。自然に厳しい処分を与えやすくなる。

 軍で最も影響力を持つのは東西両総司令だ。総司令宛には毎日多くの書簡が届く。目に留まるようあえて告発状の宛先を書記官宛に変えたのだろう。


「俺を騙して権力争いの片棒を担がせようというのが気に食わない。俺が何も調べず乗っかってくると思ったか」

 席を立った総司令は執務室の左右の壁の間をうろうろ歩き始める。


 よほど気に触られたのだろう。


 机の前に立った佐渡は動物園のライオンのようにうろつく総司令を来園者よろしく見守っていた。 


 苛立ちを見せる閣下を相手するのは嫌いではない。それを面白いと思う己もいる。


「いっそ、まとめて処分するか。派閥争いに現を抜かす連中が士官教育の長なぞ馬鹿げている」

「校長どのの非は免れませんが、総監どのもお立場にふさわしからぬ事をなされているようでございます」

「ふん、同じ穴の狢か」

 席に戻った彼はふと機嫌を取り戻した。椅子の背にもたれて顎に手をやる。その顔に悪い笑みが浮かんでくるのを佐渡は好ましく見ていた。

「こちらが処分を決めてしまおう。頼られて何もしないでは総監に礼を失するだろうからな」

「かしこまりました」







 教導総監木梨巌きなしいわお大将は総監室で書簡を一読して眉をひそめた。

『武蔵校校長石橋聞多いしばしぶんた中将は校長に相応からず。よって免職が妥当なり。総監殿においては監督不行き届きの責あり。よって御自らの処分を熟慮すべく助言する』


 喧嘩両成敗か。思った結果は得られなかったがまあいい。松河原総司令は味方にしにくい男のようだ。


「総司令よりもう1通、閣下宛ての手紙が届いてございます」

 机に寄った連絡官は『私信』と朱書きされた封筒を差し出す。

 中には便箋に包むように1枚の写真が入っていた。

 便箋と共に写真を取り出した木梨総監は青くなった。


 行きつけの料亭の女中と接吻を交わす写真だ。


「いつ………だ…」

 便箋には一言こう記されていた。

『細君を大切になされますよう』





 「奥方を差しおいて女中に浮気か。外見に合わない事をするじゃないか」

 木梨総監の妻は公爵位を持つ華族の出であり、母は帝室一族の一人であった。他に懸想しようものなら首が吹き飛ぶ大スキャンダルである。

「男子への贔屓に女子への贔屓か。やってることは同じだな」

「帝国士官を育てる者として疑問符が付く行為でありますな」

「全くだ」

 溜息をついた総司令は湯呑を持ち上げ肘を付いた。

 「浮気がなければ目を瞑ってやらないでもなかったが、あれでは処分を助言せず得なくなる」

 あとは奴の良心次第だが、と総司令は湯呑の茶を飲み干す。

 「土壌が悪いといかに良い木でも育たぬものだ。人もまた然り。将来の手足や頭脳となる者達を腐らせるなぞ馬鹿げている」


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