帝都書記官第ニ篇 テミス

参河旺佐

第13話 木こりの影

 帝国軍部は東西二カ所の総司令部を持つ。東方面軍は皇帝のおわす帝都宮城の北に総司令部庁舎を構えていた。

「なあ、佐渡」

「は、」

 帝国東方面軍総司令付書記官、兼参謀本部第三部部長、佐渡弥八郎さわたりやはちろう大佐はやや切れ長の目を声の主に向けた。

 執務机の分厚い天板上には、角の整えられた書類が二山に分かれて積まれている。

 やや疲れた顔をなされた声の主は例によって新聞の切り抜きをお見せになった。

「疲れているのは俺だけではないらしい」

 東方面軍総司令、松河原家康まつがわらいえやす大将は目で書記官を促す。

 机に寄った佐渡は、決裁書類の間に広げられた新聞に目を落とした。

『山にこだますのこぎりの音』『木こりの姿見えず』

 帝都郊外西側の山林のあちらこちらで、木を切る音がするという。しかし、音はしても木は一本も倒れていないし、人の姿も見ないと記事は報じていた。

 「一帯は国有林であった記憶がございます」

 佐渡の指摘に総司令は頷いた。

「この有様で人は近づかぬそうだ。『幽霊じゃないか』と噂してな」

 言いながら総司令は上目遣いで書記官を見る。

 視線を受けた書記官は記事を見るためにかがめていた身を起こした。

「………閣下」

「化け物とやらの正体を見てきてほしい」

 物言いたげな書記官に対し、総司令は書類の山に手を乗せる。

「俺は手が放せん」







 「部長どのは休暇を持て余しておられるようで」

 ハンドルを握る色白の若い男はバックミラー越しに冷ややかな視線を送る。そこに若干の恨みが込められているのに気づかぬ佐渡ではない。

 「貴様と変わらん」

「名誉の負傷が無くば、自分を使う必要もございませんでしたでしょうに」

 佐渡は足の間に置いた杖の柄に両手を乗せた。

「降格が望みか、“佐渡”少佐?」

「“上野”であります」

 書記官補佐、上野千穂うえのちほ少佐は固い声で否定する。

 参謀本部第三部に所属する少佐は、苗字は違えど佐渡の息子である。親子仲は大変よろしくない。

 休暇を持て余すどころか休暇返上の任務だ。以前ならひとりで済ませていたが、昨年に脚を負傷してからは運転を控えている。

 代わりにこれを伴わざるを得なくなった。

 「どこまで走らせましょうか」

「麓まででいい」

「その脚で登山なされると?」

 佐渡は外を見たまま告げた。

「貴様もついて来い」

「…は」

 不満げな答えを返した運転手。山歩きに適した服装をしてきているあたり、予想はしていたらしい。

 

 記事にあった山林はなだらかな斜面の低山だった。山は隣県との県境がある山地の端にある。常緑樹の深い緑と新緑の明るい緑が、斜面に模様を作っていた。

 車を降りて山道に入る。


 分かりやすく歩きやすい山道が続く。杖を携行する必要も無かったか。


 周囲に目を配りつつ進んでいた佐渡はふと歩みを止めた。

 木を削るような音を耳が拾ったからだ。

 

 ぎこぎこぎこぎこ…。


 地図と方位磁針で現在地を素早く確認し、音のほうへ道を外れる。上野は黙って上官の後を追った。

 音は途切れたかと思うと、少し離れて場所からまた聞こえ始めた。

「少佐、」

 音の方向を定めた佐渡は、上野に地図と方位磁針を差し出した。上野は目の前に突き出されたそれを一瞥し、無言で受け取る。

 再び音が途切れた。直前と少しずれた方向からノコギリの音が始まる。

 山中をあちらこちらに移る音を追い、怪我を感じさせない足どりで佐渡は進む。上官の後を、地図と方位磁針を駆使しつつ上野が追った。


 ぎこぎこ、ぎこぎこぎこぎこ。ぎぇー。


 近い。

 佐渡は首に提げていた双眼鏡を覗いた。

 レンズの向こうで淡い焦げ茶の鳥が目をぎょろっとさせている。頭に白い羽の交じった鳥は、枝の上でぴょんと向きを変えた。


 カケスだ。


 「───カケスでありますか」

 後ろに立った上野が囁く。佐渡は無言で頷いた。


 ぎこぎこぎこぎこ、ぎこぎこ。


 再び音が聞こえてきた。カケスは口をぱくぱくさせる。

「少佐、」

 双眼鏡を外した佐渡は背後の少佐に囁き命じた。

「暫くこの個体の後を追う」

「…は」

「位置を地図に記しておけ」

 首を傾げたカケスはふわりと飛び立つ。鳥影を捕捉したまま佐渡は明るい山中を早足で歩き始めた。




 自分のあとを追う人間達を気にするでもなくカケスは山中を気ままに飛び回る。カケスが口を開けるたびに木を切る音が聞こえるとは限らず、キジバトの鳴き声がする事もあった。


 でーでぽっぽぽ〜、でーでぽっぽぽ〜、でっ。ぎぇっ。


 とぼけた顔をした鳥はまたふわりと飛び立つ。

 双眼鏡を外した佐渡は鳥の行く先を肉眼で追った。

 斜面をおよそ20メートル登った一本の木の枝にカケスは降り立つ。

 この斜面は足場が悪い。

 注意せねばと足を踏み出した瞬間、落ち葉の積もった地面が滑った。

 反射的に左脚に重心を移す。が、耐えきれず左足が滑った。杖を斜面に突き立て身体を支える。

「…っ」

 まだ治らないか。

 見た目には塞がっていても筋肉の治りが完全ではない。銃弾が大腿をほぼ貫通した重傷だ。

 「ご老体にはこたえましたか?」

 佐渡の上に登ってきた上野は膝をついた上官を一瞥しカケスの位置を地図に書き込む。

「口が過ぎるぞ少佐」

「失礼致しました」

 減らず口が。

 忌々しさを呑み込み佐渡は杖を支点に身体を引き上げた。






 総司令付書記官の職務は主に3つ。総司令の裁断を仰ぐべき用件の上奏、各部門間の調整、司令の懸案の解決である。

 したがって、司令の懸案の解決が職務の全てでは無い。

 翌日、執務室で佐渡が総司令決裁の用件をまとめていると、ドアをノックする者がいた。

 「上野であります」

「入れ」

 書類を携えて入ってきた上野少佐は敬礼する。

「記録を照会してまいりました」

「結果は?」

「こちらに」

 差し出された書類───カケスの鳴いた地点を記した地形図と国土省から借りた記録───を受け取った佐渡は、机上の空きスペースにそれらを広げた。

 カケスのいた一帯は斜面の東側。国土省管理で間伐を行った記録があるのは———裏の斜面だ。


 一致しない。国土省が記録を間違えたのか?


 しかし、等高線から読み取れる斜面と現場の記憶に食い違いはない。

「少佐、貴様の記憶と斜面の様子に違いは見られるか?」

 上野は机に広げられた地図を覗き込む。

「いえ。違いございません」

 そうか、と応じて佐渡は考えを巡らせる。

「次の休みにまた出かける、車を出してもらおう」



 





「で、化け物とやらの正体は?」

 後日、報告に訪れた佐渡に総司令は尋ねる。

「カケスでございました」

「カケスぅ?」

 総司令は驚きをお見せになられた。驚く風をお見せになっただけで、その後の展開を期待なされている。

 佐渡は淡々と続けた。

「当個体を追ったところ、個体の縄張り内で樹木が伐採されてございました」

「この個体は伐採の音を真似て己の縄張り内を鳴きまわっていたのだと考えられます。縄張りを主張する為です」

 

 カケスは声真似をする鳥だ。普段はカラスよろしくしゃがれた鳴き声を発する。それもそのはず、カケスはカラスの仲間の鳥だ。

 

「なるほど、倒木が見当たらぬわけだ。人の仕業であれば、山からとっくに木が消えているだろうからな」

 冗談を述べる総司令を前に彼は続ける。

「調べましたところ当地の伐採は違法に行われたものであると判明致しました」

「国土省管理の場所じゃないのか?」

「国土省林野局による間伐区域は当地の裏の斜面でございました。カケスの鳴いていた一帯は区域外でございます。念の為現地に赴いて確認いたしましたが、国土省の記録に間違いはございませんでした」

 国有林の違法伐採だ。

 松河原総司令は険しい顔になった。

「第五部経由で国土省に知らせる。書面を用意しろ」

「こちらに」

 佐渡は携えていた用箋挾バインダーから通達書を差し出す。

 あとは署名を済ませるのみだ。

「相変わらず早いな貴様は」

 総司令は机の万年筆を手に取った。


 「しかし、また鳥がらみか。貴様は鳥に好かれるな」

「閣下も同じく、でございましょう」

 自分は総司令の懸案を調査した結果に過ぎない。閣下のほうが鳥に好かれているのではなかろうか。

 佐渡はふ、と顔を和ませた。

「今年の狩猟が楽しみでありますな」

「んん?」

 眉を寄せた総司令もまた、意図を察して苦笑を浮かべる。

「互いに好かれるゆえに、か」

 総司令は素直に微笑んだ。昨年はある意味で散々だった。

 己の懸案調査にあたっていた書記官は捜査妨害に遭い、狩猟会の最中に重傷を負わされている。

「今年はちゃんとした大物が期待できそうだ」

「味の良い物に期待いたしましょう」

 もっとも、例年秋の狩猟会は半年先の話である。


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