第5話

 変に眠りが浅い夜でした。

雨が上がった空には星が見え、近くに虫の、遠くに獣の声が鳴っていました。

少し風に当たりたいと外に出た時でした。


 例の、蔦の小屋の扉が少し開いているのが見えたのです。

隙間から漏れた灯りはきっとハンスさんがいるのだろう、と俺は気づけば足を進めていました。

好奇心だけではない必然の歩みのように思ったのは、扉に手をかけた時です。


 ぎい、と古びたうなりは極静かで、すぐに小屋の中の物が目に飛び込みます。

数えるのが面倒なほどの大小様々な瓶が並び、天井からは干し肉や野菜なども吊るされていました。

酢漬けにシロップ漬け、ジャムももちろん、ハンスさんひとりには十分じゅうぶん過ぎるほどの食物がありました。

決して散らかってもいませんでした。

彼は何を警告したのか、とひとしきり眺めた時です。


 ……ん? 床から灯りが漏れて──。


「──ルカ」


「うわっ!?」


 驚いてよろめいてしまった俺の腕をハンスさんは支えてくれました。


「す、すみませんっ、灯りが見えて──」


「──夜の一族に誘われたんだね」


「ら、ランプの事、ですか?」


「ん? ああ、うん。困るね、悪戯は」


 そう言ってハンスさんは小屋にあったランプに息を吹きかけて消してしまいました。

ここに来る用なのか、彼が持つランプでは小さく、辺りは半分しか見えません。


「さあ戻ろう」


「は、はい……」


 俺は考えていました。

おそらくハンスさんは小屋の中に居たのだろうと。

けれどどうやって外から来たのかがわかりません。

どうやって中から出たのかも同じくわかりません。

それから、俺は見たのです。

見てしまった、と言うべきでしょうか。

今日の夕食まで、染まっていませんでした。

なのに今夜は、違いました。


 夜の影が染まったかのように、ハンスさんの右手の薬指が黒くなっていたのです。


 それは俺が三番目に旅した国で聞いた話です。

人間と魔女が出てくるお伽噺とぎばなしのようで、教えてくれた人も、そういう人でした。

右手の指全部が、黒くなっている人でした。


 しるしを残された人──、人でした。

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