第二章:殺してくださいよ

第四話『蘇生抑止論』

1.

 気が付けばイノリが勝手に家に上がり込んできてから一週間程経った。久々に静かに本が読みたい気分になったので図書館に行くことにする。

 準備をしているとイノリが目をこすりながら起きてくる。

「どこか行くんですか?」

「あぁ、うるさいやつがいない図書館にな」

 そうですか、と頷くとイノリも着替えだす。

「イノリも本を読みに行くのか?」

「まぁ死ぬまでに少しは読んでもいいかなって。あ、でも影に隠れて殺され閉館まで見つからないなんて言うスリルもあります」

 図書館なんて密閉空間で殺人しようものならすぐに特定されるだろうな。

「そんなスリル味わわせる気はない」

「殺されそうになったら守ってくれるってことですね?」

 はぁ、何を言ってもこいつは全て想像の上を突いてくる。殺してくれさえ言わなければ本当に優良物件だろうに。

 そんな事を考えていても仕方がないので部屋を出る。日差しが眩しい。

「あ、日焼け止め買っとけばよかったかな」

「殺して欲しい人間が日焼けを気にするのか」

 そりゃあもちろん、と言いながらくるりと時計回りで半回転するイノリ。

「死ぬまでは人間なんですもん、見た目は気にしますよ」

「その割には見た目がおぞましいことになる死に方を選んでた気がするが」

 あれはいいんです、意識が途切れたらそこで人間が終わるんです。とまた時計回りで半回転し前を向くイノリ。

「で、図書館ってどう行くんですか?」

「それを知らずに先導してたのか……。方向はあってる、このまま真っすぐ行ったらバス停があるからそこからバスで十分程度だ」

 はーい、と元気よくイノリは返事を返し前を歩く。本当に、元気そうで。

 なぜ死にたいのか全然わからない。どうしてなのか。

 まぁそれなりにうちに秘めた苦しみがあるのかも知れない。もしかしたら優良物件に見えても実は曰く付きかも知れない。

 そう思いながらふと交差点に目が行く。危ないだろう場所を見るのが習慣になってしまってる。

 ここらへんは交通量が多い交差点も事故が多く、この交差点でも二回は事故を見た。

 そのうち一回はすぐに蘇生、もう一回は少し時間が経って五分後に蘇生したな、と思い出しながら。

 田舎の道路なんて法定速度プラス数十キロがルールみたいなもんだ。

 そりゃ定められた数値以上の数字が出てりゃ事故った時どうなるかくらい――


 わかる。






2.

 あの歌が流れそうになる、意識が溶けて――

 その瞬間、脚に強烈な痛みが訪れ現実世界に連れ戻される。

「……どういうつもりだ?」

「嫌な事故見ちゃったなって思って悲しんでたらそこに脚があったので八つ当たりです」

 交差点を見る、既に手遅れであろう状態になっている。

 トラックと軽自動車なんて、どうあがいても軽自動車が負けるに決まってる。

 後ろから思いっきり突かれた時なんてもう想像もしたくないレベルだ。想像したくなくても、目の前にその光景が生まれているのだが。

「さぁ、図書館。行きましょう」

「……脚の痛みが治まったらな」

 スニーカーならともかく、ローファーで脚を蹴られようなら数分は痛みが止まらない。

 しかも二回、蹴りと踏みを繰り出されたら溜まったもんじゃない。

 そこらへんの木陰に脚を引きずりながら向かい、電柱に背中を預ける。

「そんなに痛かったんですか?」

「あぁ痛かったよ、賛美歌が台無しになっちゃうくらいにな」

 それを聞くとイノリは笑顔になる。

「それなら良かったです」

「……殺されたいのに加虐体質なのか?」

 いえ、そう言った趣味はありません。と人差し指を交差させるイノリ。

 まだ痛みは引きそうにないのでイノリに財布から千円札を手渡す。

「缶コーヒーでもなんでも良い、そこの自販機で買ってきてくれ。脚冷やすついでに飲む」

「女子高生をパシりに使うだなんて、悪い人ですね」

 そう言いながら千円札を受け取り自動販売機に向かうイノリ。

 脚はまだ痛い、そして遠くから救急車の音が聞こえてくる。

 あぁ、もう手遅れなのに。事切れたことを告げる為に救急車だって来たくはなかろうに。

 なるべく事故現場を見ないようにしながらイノリの事を見続ける。

 ……何かがおかしい気がする。少なくともまだ彼女を殺してはいけない。

 なんらか仕掛けがあるはずだ、俺とイノリに共通する何かが。






3.

 イノリは缶コーヒーとソーダ、そしてさっき渡したはずの千円札を手に持って戻ってきた。

「蹴ったお詫びです」

「ちゃんと謝ることは出来るんだな」

 それくらい出来ますよ、とイノリは少しふてくされた顔をする。

 缶コーヒーを蹴られた部位に当てる。結露した水がジーンズを通って皮膚に滲みてくる。

 これは帰ったらちゃんと手当しておいたほうが良さそうだ。

「それで、後どれくらいなんですか?バス停」

「あの交差点のすぐ先だ。ちょっと混むだろうな」

 痛みが取れる頃には事故の混乱は少しずつ解消されていた。

 もっとも、パトカーやなんやらがやってきて交差点自体の混乱は避けようもない事だが。

 交差点の信号を渡り少しするとバス停にたどり着く。

「えっと……あと五分くらいでバスがくるみたいですね」

 そりゃ良かった、とベンチに腰掛ける。

 イノリも隣に座る。暑いと言うのに肌が触れそうになるくらいの間隔で。

「間を空けろ、暑い」

「バスが来た時立ち上がろうとして脚がまた傷んだら大変なので、支えれる位置に座ってるだけです」

 もう少し間隔を開けてもそれは成立しうると言うのはもう言わない方が良いのだろう。彼女に対して何を言おうと無駄にしかならない気がして。

 図書館に着く前に帰りたくなってきた、帰った所で隙あらば殺してくださいと言われるだけだが。

「それで、カガリさん。いつになったら殺してくれるんですか?」

「……百回は聞いたぞ、そのセリフ」

 いいえ違います、とイノリは返す。

「六十八回です、今日だけだと十二回。外に出てからは三回目です」

「そんな事覚えるくらいならもっと他のことを覚えろよ」

 それを聞くとイノリはそれじゃあ楽に死ぬ方法を覚えますと返す。

 ……まぁ、覚えるくらいならご自由に。


 そんな会話をしてるとバスが来る。

 案の定立ち上がろうとすると脚が痛み、イノリの肩を借りることになる。

「殺してもらう前に脚を治さないとですね」

「あぁ、治っても殺しはしないがな」

 バスの二人席に座り、しばらく窓の外を見る。

 この街も、知らない所で人が何人も死んでいたんだなと考えるとゾッとする。それが自分であった可能性もあるのだから。

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