92 開高健『日本人の遊び場』⑯
子供向けの乗り物を眺めた開高は、その隣で開催されていた『日米親善モト・クロス大会』に移ります。
〈この遊びはオートバイで山や谷をかけのぼり、かけおりて、争うもの。〝スクランブル〟ともいう。急坂、急カーブ、ぬかるみ、ごろた石、草むら。凸凹、あらゆるものをとびこえ、のりこえして走る。見物人は丘の中腹や頂上にたち、何十台かのおオートバイがカキたてる土埃を全身にかぶって眺めている。〉
この光景は特撮ファンなら見覚えがありますね。
『仮面ライダー』(1971年4月3日から1973年2月10日まで放映)、『仮面ライダーV3』(1973年2月17日から1974年2月9日まで放映)で、おやっさんがタイム測りながら「本郷!」とか「志郎!」って叫んでるあれですね! どうでもいい脇道、すみません(爆)
もとに戻ります。
〈ギャップをとびこえるときはオートバイがアフリカの子鹿のように鋭く優雅に浮空中をとぶ。スキーのジャンプにそっくりだ。〉
〈あとで日大の生沢君に会ったら、オートバイは神経と腰、体重のこなしかたはスキーそのままですと教えてくれた。〉
生沢君、は、十五歳のときバイクでアマチュアレースに出場して敢闘賞をもらったことがある方だそうです。すごいな。
〈モト・クロスこそロデオそのままである。荒馬が機械にかわっただけのことである。唸り、蹴り、揺れ、ひねり、ころがり、はねまわる。目のくらむような坂をバリバリと音たててよじのぼってくるところは、また、曲垣平九郎のほかのなんでもない。ヘルメット、顎紐、革ジャンパー、革ズボン、革手袋、半長靴で全身を固めたところは、鎧、兜にそのままである。〉
開高は、モトクロスとロデオの類似性、さらに江戸時代の馬術の達人である曲垣平九郎の名前も引き合いにします。
さらに。このあたりが1963年ぽいのですが。
〈何十台、何百台のオートバイは一台のこらず国産品である。選手も見物人も半分が日本人、半分がアメリカ人、仲よく争い、仲よく肩ならべて見物している。アメリカ人の選手は八割までがキャンプの兵隊、あとは在日市民(英字新聞の記者もいる)。スタートで旗をふったり、難場で警戒にたったりするのも、黒い目と青い目が仲よく肩ならべてやっている。〉
米軍キャンプのみなさん、こういうところにもお出かけされてたんですね。
〈モト・クロスは見たところ業が荒くて危険そうだけれど、土は柔らかいし、速度はにぶいしで、それほどこわいものではないのだそうだ。高くて広い青空の下で思いっきりけたたましく、さわがしく、あばれまくって、日ごろのウップンを晴らしてやればよいのである。ジェット機の速度と顕微鏡の精神がいるのはロード・レースのほうである。これは百キロ以上でとばすから、生沢君のいうところでは頬の肉はブルブルふるえ、うっかり口をあけると口のなかへ棒をたたきこまれたようなショックをうけるそうである。〉
さて、次回はその百キロ以上の世界、鈴鹿サーキットのルポとなります。
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